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あなたvsお盆「親、パートナー……大切な人を亡くしたあなたへ」

プレジデントオンライン / 2020年8月22日 11時15分

PIXTA=写真

■忘れるための努力は不要、悲しみは「愛した証拠」

故人を供養する「お盆」の時期、愛する人、大事に思う人の死を経験したあなたは、何を思うだろう。

連載の趣旨である「根拠ある医療健康情報」から離れるが、コロナ禍で死を身近に感じる今だからこそ“誰かとの別れ”から立ち直っていく過程にふれてみたい。

『ひとりで死ぬのだって大丈夫』(朝日新聞出版)などの著書を持ち、緩和ケア医として多くの患者の終末期に接してきた奥野滋子医師は「この時期になると、故人が家に戻ってくるのが待ち遠しいという声が(ご遺族から)聞かれる」と話す。

「ひょっとしたら目の前に現れるんじゃないか、抱きしめてくれるような感覚がしないかなぁって言う人もいます。死者との対話を楽しめる時間、心の思いの丈を伝えられる機会がお盆なのかもしれません。私にとっても生まれてから出会い、死によって別れた人々――親族だけでなく友人知人、看取りをさせていただいた患者さんとの対話を静かに楽しむ大切な時間です」

そう、お盆は故人の精神と向き合うのに必要な時間だと私も思う。しかしまだ大切な人が亡くなって数カ月、1年、あるいは数年の場合、涙なしで故人を語れないし、お盆が待ち遠しいという感覚になれないかもしれない。

奥野医師と同じく、長年化学療法や緩和ケアによって多くの患者を看取ってきた林和彦医師はこう言う。

「早く元気になろう、忘れようと自分から乗り越える努力をしなくていいと思います。“時間”が必要。時間にはものすごく大きな力があります。どんなに大事な人を亡くしても、時間が解決する部分は大きい」

以前、奥野医師とともに働いていたがん看護専門看護師の森谷記代子さんに、大切な人を亡くした人に対する「グリーフ(悲嘆)ケア」を教わった。彼女も、こう話していた。

「傷を治すにはまず膿を出す必要があるように、大切な人の死別から立ち直るためには悲嘆を表に出す必要があります。『いつまでもメソメソしていると、○○さんが浮かばれないよ』『あなたがしっかりしなくてどうするの』『誰だって親を亡くすときを迎える』などという言葉を発すると、自分の気持ちを表現できなくなり、かえって病的な悲嘆に陥ってしまうことも。心の傷が癒えるまでには時間がかかるのです」

同じような傷を負っても、治りの早い人と治るのにとても時間がかかる人がいるのと同じことで、悲嘆の期間はその人にとって「必要な悲しみの期間」なのだという。

「何年、何十年経っても思い出して泣く人もいる。それだけ大好きだったという気持ちの強さは誰にも否定されることではありません」

森谷さんの優しい言葉は、大切な人を亡くした私の心の支えになっている。悲しいときは「それだけ愛した証拠」だと考え、好きなだけメソメソしていい。けれど同時に後悔や落ち込みが強すぎて日常生活が送れない状態になったら、第三者のケアが必要になることも胸にとどめてほしい。

林医師は高校1年生のときに、誰よりも慕っていた父親を胃がんで亡くした。父親の死後、何百回も空想の対話を重ねたという。

「亡くなって最初の1年は100回以上お墓参りに行きました。当時高校生で、父親と同じ医師になろうと考えていました。だから悲しくなったとき、何かに迷うとき、お墓の前で父親であれば何と言うか考えていました」

■残された者の役割は語り継ぐこと

亡くなった親への思慕の延長に、親が死んだ年までしか生きられないのではないかという恐れを感じる人がいる。

林医師の父親と祖父はともに50歳で亡くなり、次男だった。同様に次男である自分と照らし合わせて「50歳までしか生きられない」という思いにとらわれたという。後悔のないように、「そのときにしたいことをする」という刹那的な生き方をしていた。

「でも、私は50歳になっても死ななかった。それまでの私は自分に子供がいても(自分は)“父親の子”という思いだったのですが、50歳になったのを境に自分を“(自分の)子供たちの親”だと思えるようになったのです。本当の意味で、父親の死を乗り越えたときだったのかもしれない」(林医師)

かつては涙なしに父親の思い出を語れなかった林医師だが、今は父親と過ごした日々を懐かしみながら話す。

奥野医師は「残された者の役割は語り継ぐこと」と悲嘆にくれる人に言う。

「さまざまな人が故人の言動を語るうちに、その人の新たな一面が見えてくる。人間は『死んだ後にこの世に生きた証しがほしい』と言いますよね。あの人はこう話した、こんなことをしていたと語り継ぎ、思い続けることは、故人の遺志を継いだ証しになります」

■後悔がない死別はない、自分を責めないで

それは残された人の癒やしにもなる。悲しみからの回復には、亡くなった人を頭の中に置き、会話を思い出すことが重要だ。「なぜ私を置いて死んでしまったの!」など故人への怒りがあるなら、その気持ちも吐き出そう。

「日本人には悲しみを乗り越える、克服するなど、自分の感情が“平らであることをよし”とする風潮がありますが、喪失とともに生きることで苦しんだり、思い出して笑ったりすることで、故人との一体感が得られ、気持ちの変化が出てきます」(奥野医師)

ただし、そのときに「こうしてあげればよかった」と自分を責めることのないように。「後悔」が全くない死別などないのだ。

「愛する人を失ったときは非日常の世界。普段から相手の死を意識し、そのときへの対応ばかり考えて生きているわけにはいきません。だから、自分のせいで病気になったのではないか、早く死なせてしまったのではないか、ふさわしくない治療をさせてしまったのではないかという後悔はしなくていい。残された人のせいではありません。自分は残念だったが故人はいい人生だったと思っているかもしれない」(同)

仕事を続けながら介護に関わった場合、自分が仕事を辞めていれば故人はもっと楽に過ごせたのではないかという後悔が起きやすい。

奥野医師は「本人の考え、医師との関わり、経済状況……残された人は、いろいろな要因の中でベストな選択をしてきたと考えて」と語りかける。その通りだ。

残された人は自らの対応を責めるのではなく、故人を思い出し、語り継ぐこと。お盆では墓参りや迎え火をしながら、会ったことのない先祖にも思いを馳せたい。「あの世」と「この世」は案外近い。肌でそう感じることが、悲しみからの救いになるかもしれない。

周囲に悲嘆にくれる人がいたら───

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笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)など。

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(ジャーナリスト 笹井 恵里子 写真=PIXTA)

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