たった3段落で世界を変えたチャーチル、5600字かけても日本を動かせない安倍晋三
プレジデントオンライン / 2020年8月17日 9時15分
※本稿は橋爪大三郎『パワースピーチ入門』(角川新書)の一部を再編集したものです。
■混迷の時代に求められるパワースピーチとは
この世界には、パワースピーチというものがある。
スピーチのなかでも、飛び切りのスピーチ。これから何が起ころうとしているのか、聞く側がこれからどう行動すればよいのか、はっきりするスピーチ。
目標がわかる。勇気が湧いてくる。危機の時代、混迷のさなか、人びとがリーダーから聞きたいと思っているのが、パワースピーチだ。パワースピーチの実際を、掘り下げよう。
日本は、パワースピーチの話し手が少ない。とくに、政治的リーダーに少ない。これが大きな弱点になっている。
以前、プレジデントオンラインで「安倍首相のスピーチが『言い訳ばかり』に聞こえる根本原因」という記事を書いた。新型コロナ感染拡大を受けて、4月7日に発出された安倍晋三首相の緊急事態宣言のスピーチ内容を分析した。
緊急事態宣言を全部読んだ時の印象は、いろんな内容を詰め込みすぎ、というものである。長すぎる。そのため、メッセージの本筋がはっきりしない。「しかし」「けれども」など留保が多くて、歯切れが悪い。もっと言いたいことを、ストレートに言えばよい。結果的に、安倍首相は国民に何を言いたいのかわからないところも多かった。
コロナ危機は、各国のリーダーにとって試金石になった。指導力を発揮して、人びとの信頼をかちえたリーダーもいる。いっぽう、その任に耐えず、評価を下げたリーダーもいる。緊急時にこそリーダーは、資質や人間力を問われるのである。
■コロナ禍以上の緊急時である戦争で、リーダーが発した言葉
戦争は、緊急時の最たるものである。突然の開戦。迫りくる危機に、国を率いて戦ったリーダーの代表格は、ウィンストン・チャーチル(1874~1965)である。チャーチルは数々の、すぐれたスピーチを残した。およそリーダーたらんとする者は、これをお手本にしなければならない。
では、どんなスピーチをしたのか。1939年9月3日のイギリス下院での演説を、とりあげてみたい。
■20世紀を代表する政治家チャーチルと安倍首相の演説を比較する
まず、チャーチルとはどんな人物だったか、おさらいしておく。
ウィンストン・チャーチルは、イギリス名門の生まれ。中学時代は古典が嫌いで成績がパッとせず、落ちこぼれの行く士官学校に進んだ。ここが水に合って軍人になり、英語も勉強して小説を書いた。そして政治家に転じている。
![橋爪大三郎『パワースピーチ入門』(角川新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/7/200/img_37ccc5ac15af639846926087fadd38a9186396.jpg)
第一次世界大戦(1914年7月~1918年11月)のときには、戦車を開発して、戦場に投入した。飛行機にも注目した。ヒトラーが再軍備を始めると、ドイツを警戒すべきと説いて回った。
1938年当時、チェンバレン首相(保守党)は、ヒトラーとミュンヘンで交渉し、これ以上の領土要求はしないと約束をえた。戦争が避けられたとみな喜んだ。ところが翌1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻した。約束違反である。イギリス、フランスはドイツに宣戦布告して、第二次世界大戦(1939年9月~1945年9月)が始まった。
チャーチルは9月3日、海軍大臣に就任した。その日の下院での演説は、だいたいこんなふうだ。
《いよいよ戦争です。これまで平和のために努力を尽くしたのが、せめてもです。この努力は、道徳的価値があった。現代の戦争は、厳しく辛いのです。何百万もの人びとが、協力しあい、心を合わせるのでないと、とても乗り越えられません。道徳的な確信があればこそ、ねばり強さが生まれてくるのです》
《きっと何回も、気落ちするでしょう。思いがけない、嫌なことも起こるでしょう。でもそうした試練がこの国を見舞うのだとしたら、願ってもないチャンスです。いまの若い世代も、偉大な父祖たちにひけを取らないのだと、証明できるのですから》
《この戦いは、ナチスという病毒から、この世界を守るため、人間にとって大切なものを守るための戦いです。人びとの権利を、しっかりと打ち立てるための戦いです。戦争を進めるため、大切な自由や権利を制限する法律を、いくつも通しました。そうするのは、大切な自由や権利が確かにまたわれわれの手に戻ってくる日が来ることを、また、まだそうした自由や権利を手にしていない人びとがそれを共に手にできる日が来ることを、確信すればこそなのです》
この日のチャーチルのスピーチは、短い。原文でも、三段落しかない。
■なぜ、チャーチルのスピーチは世界を動かせたのに安倍首相は……
チャーチルのスピーチは、力強い。いまどうしても言うべきこと、伝えなければならないことを、言い切っている。そして、余計なことを一切言わない。この思い切りが、すばらしい。
余計なこととは何だろう。チェンバレン首相は、対独宥和(ゆうわ)政策をとり、ヒトラーに騙されて、恥をかいた。チャーチルは戦争屋と言われ、批判が多かった。だが、済んだことは言わない。いまは一致団結のときなのだ。
チャーチルは軍事に詳しく、戦争が予断を許さないことを知っている。詳しいことはいくらでも言えるが、言わない。いまは、「われわれ」をつくるときだ。そういう意識を持ってスピーチをしたはずだ。
それでは安倍首相の緊急事態宣言についてのスピーチはどうだったか。約25分間にわたるスピーチを文字に起こすと約5600字。プロの手は入っていたが、言い訳や力みのフレーズが多かった。余計なことや言わなくてもいい内容が目立ち、私が添削すると約半分に削ることができた。このスピーチは「われわれ」をつくることができただろうか。
私たち現代人は第二次世界大戦の顛末を知っている。フランスはあっと言う間に降伏した。イギリス空軍はドイツ空軍を圧倒し、イギリスを守った。ドイツは中立条約を破ってソ連に攻め込んだが、ソ連は持ちこたえた。ヒトラーはベルリンで自殺した。
![5ポンド紙幣に描かれたウィンストン・チャーチル](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/a/250/img_aa7fd0c8b8a775a79387c007dc211f2e402287.jpg)
イギリスは勝利した。でも、前述のスピーチの当日、人びとは混乱していた。予想もしない出来事が起こって、どう考え、どう行動したらよいか、わからなかったからだ。
スピーチは、現実を定義する。現実を記述するのではなくて、現実をつくりだす。スピーチのおかげで、世界がこうなっているのかと、言葉で理解できるようになる。
チャーチルはこのあとも、いくつも重要なスピーチをして、イギリスを勝利に導いた。リーダーとしての任務をまっとうした。
危機のとき、リーダーはどのように行動すべきか、チャーチルは理解していた。覚悟と準備があった。それを、スピーチに結実させた。だからチャーチルのスピーチは、以後、リーダーの模範となっている。
リーダーが、その時々にどんなスピーチをしたか。それは、人類の財産である。とくに大事なスピーチは、パワースピーチとして、記録しておくべきだ。
■パワースピーチは世界を変える。スピーチ文化のない日本がすべきこと
今回のコロナ危機は、戦争とはまた異なる種類の危機だ。前例のない危機に、どう立ち向かうか。さまざまなリーダーが、さまざまなスピーチをした。
ドイツのメルケル首相は、前例のないテレビ演説をした。このスピーチが、ドイツの人びとに共感をもって受け止められ、メルケル首相への信頼が高まった。
ニューヨーク州のクオモ知事も、注目すべきリーダーだ。3月に州で最初の感染者がみつかって以来、連日記者会見を開いている。そのスピーチは、多くのリーダーのモデルとなっている。
スピーチは、言葉でできている。
スピーチは、話す個人の考えをのべる。
スピーチは、それを聞く人びとに受け入れられる。
こうしてスピーチを核に、人びとの共通の認識がうまれる。そして、やがて、共同の行動がうまれるだろう。
スピーチのこのようなはたらきは、民主主義の骨格である。スピーチの文化のないところで、民主主義は機能しない。スピーチの文化を育てることが、世界をよくするのに重要ではないだろうか。スピーチの文化が定着しているとは言いがたい日本は、欧米並の水準に高める必要がある。
![電柱に掲げられた安倍晋三氏のポスター2014年、鹿児島県](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/2/670/img_52d1b184c0a78afaa98679f9a64f9be2371948.jpg)
こう考えて、『パワースピーチ入門』(角川新書)を書いた。コロナ危機をきっかけにした、緊急出版だ。危機に立ち向かうには、スピーチが必要だ。パワーのあるスピーチとはどんなものか、その秘密がこの本にこめられている。
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社会学者
1948年神奈川県生まれ。大学院大学至善館教授。東京工業大学名誉教授。77年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。『4行でわかる 世界の文明』(角川新書)、『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『皇国日本とアメリカ大権』(筑摩選書)など著書多数。共著に『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、新書大賞2012を受賞)、『日本人のための軍事学』(角川新書)など。
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(社会学者 橋爪 大三郎)
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