自粛警察、マスク警察、帰省警察…日本で増え続ける「ゼロリスクおじさん」の正体
プレジデントオンライン / 2020年8月18日 15時15分
■「俺たちは決まりを守っているのに」という心理
青森県で東京から帰省してきた身内がいる家に、「帰省をとがめるビラ」が投げ込まれる事件が発生しました。
「このコロナが流行している最中に帰省するとは何事か」と、近所に住むと思しき人からの訴えでした。緊急事態宣言期間中に営業をしていた飲食店に「自粛要請ビラ」を貼り付ける心理とまったく同じでありますなあ。マスクを着用していない人に対しても露骨に着用を促すように振る舞う人もいると巷間で噂(うわさ)になっています。
自粛警察、マスク警察と来て、いまや帰省警察の登場であります。
軋轢(あつれき)を威力的に加えようとするのですから、警察というよりも「ヤクザ」に近いと思いましたが、そうなると「警察もヤクザも案外近い距離のものではないか」という意外な真理めいたものも浮かび上がってくるのが面白いところです(笑)。
とにもかくにも半年以上この国を襲い続けているコロナはいろんなものを可視化させてくれているのかもしれません。
災害時の炊き出しにも列を乱さずきちんと並んで順番を乱さない日本人の道徳性は、海外からも称賛をうけるべき美点でもありますが、その裏腹となるのが以上のような「警察的言動」なのでしょう。
「俺たちは頑なに決まりを守っているのに」という思いが強くなりすぎると、一瞬でもその暗黙の了解を破っているように「見える(思える)」対象を許せなくなる心理に傾きがちになるものですもの。
そして、それらの立ち居振る舞いが積み重なったものが、リスクを完全に無くそうという「ゼロリスク信仰」を招いているのではと察します。
そうなんです、ゼロリスクという考え方は気象変動や地震などの自然災害がデフォルトのこの国に住み続けた日本人のDNAに刻み込まれた「生真面目さ」から発生しているものなのです。
だからこそ、「もしかしたら自分は間違っているのかも」という自己チェックが働かないのです。それゆえ厄介な心象風景なのですが、脳科学者の中野信子先生は「正義中毒」と見事に喝破しました。
■理想だけを言える環境にいる人たち
数年前に、「ノー農薬・ノーワクチン・ノー添加物」を標榜する団体を主催する主婦の方から落語の仕事の依頼が来たことがありました。内容とギャラとの条件に見合わず忙しかったこともあり丁重にお断りしたのですが、「○○さん」という著名な作家さんの名前を挙げて「○○さんはその金額でお受けしてくださいました」などと言われました。
「いや、○○さんは作家で稼いでいるはずですが、私は講演や落語など喋る仕事がメインですから」と伝えると揚げ句「ボランティアだと思ってください」などと言われてしまい、「ボランティアというのはこちらのセリフでそちら様がおっしゃるべきセリフではありませんよ」と言うと不本意そうに電話を切られてしまいましたっけ。
「自分たちがやっている仕事は正しいものだ。正しいからすべての人たちがその考えに賛同すべきものだ」というこれも正義中毒の「亜種」でありましょう。食い扶持はご主人に委ねているような環境にいるせいか、得てして専業主婦各位の中にはそのような考えをお持ちになる人が多いのかもしれません(無論全部が全部そうだとは言いませんが)。
「理想」を追い求める人たちは「理想だけを言える環境にいる人たち」でもあります。そんな人たちが大勢集まると理想が先鋭化してゆくのでしょう。
それは農薬も、添加物も、ワクチンもない世界がいいに決まっています。だからといって完全にそれらを拒否できるような世界には現実的に住めるわけがありません。
正義を追求する姿勢や、正と邪とを峻別しようとする価値観は尊いものかもしれませんが、行き過ぎると偏ることにもなり、さらに偏り過ぎるとそこにはファシズムが口を開けて待っているようにも思えてくるのです。
新型コロナウイルスに関しても、ゼロリスクという理想を掲げ、感染者ゼロを目指すことは立派かもしれませんが、突き詰めるとそれは感染者を徹底的に差別する心理に結びつきかねません。
■落語「小言幸兵衛」は「ゼロリスクおじさん」だった
では、どうすれば偏らなくなるのでしょうか。
ここで思い返すのが、「小言幸兵衛(こごとこうべえ)」という落語です。
次のようなあらすじです。
麻布の古川に住む大家の幸兵衛は、毎日長屋を回って、小言を言い歩いていた。家に戻ると、女房や猫にまで小言だ。そんな塩梅だから「空き店を借りたい」と言って来る店子にも難癖を付けて追い払ってしまう。ある日、ぞんざいな態度の豆腐屋が来たので追い返した。次に仕立て屋がやって来ると、応対も紳士的で気に入ったはいいが、「二十歳になる息子がいて、しかも二枚目」といい雲行きが怪しくなる。幸兵衛は仕立て屋に「お前の住もうとする空き店の近所に今年19歳になる古着屋の一人娘がいる」と言う。さらに、「その娘とお前との倅が出来てしまう。両親が反対しているから心中するぞ」と妄想を膨らませていく……。
背景を考慮すると、江戸の長屋の大家さんというのは、町役という大きな任務も背負っており、何か店子が問題を起こすと連帯責任を負わされる立場であったとのことです。この「小言幸兵衛」、談志の得意ネタでもありました。
かような「幸兵衛のストレス」を「先の見えないコロナ禍」という現代の状況に置き換えてみると、「他者にゼロリスクを求める心模様」が、浮かび上がってくるような気になりませんでしょうか。つまり、幸兵衛は「江戸版ゼロリスクおじさん」だったのです。
■ゼロリスクを笑う人が「ゼロリスクおじさん」になる危険性
この落語のすごいのは、「小言幸兵衛」を笑いながらも「極端すぎることを前提にして妄想するととんでもないことになるよ」と、観客側にも戒めている点です。「相手を揶揄(やゆ)して笑っている人間にもブーメランとして戻す差配が落語にある」と考えるのは買いかぶりすぎでしょうか。
![立川 談慶『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/e/200/img_ae8de208ce4b8b766a377ff68ef2a3d4195647.jpg)
落語はあくまでも大昔のフィクションの世界を物語る芸能ではありますが、だからこそ時代を超えて、誰にも当てはまる普遍的な人間の愚かしさが描かれているのです。
誰もが「ゼロリスクおじさん・おばさん」になってしまう可能性はあります。だからこそゼロリスク思考に陥っている人を否定し、糾弾して、排除するのではなく、「ああ、もしかしたら、あの人たちは自分の身代わりでそういう立場になっているのかもなあ」と一瞬でも思ってみることで、自らのゼロリスク化を防ぐことができるのではないでしょうか。
落語を聞くとそんな心持ちに、つまりは、「優しく」なれるはずです。
まさに落語は心のストレッチであります。
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立川流真打・落語家
1965年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ワコール勤務を経て、91年立川談志に入門。2000年二つ目昇進。05年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』など。
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(立川流真打・落語家 立川 談慶)
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