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「世界一人通りの多い街」にリスク覚悟で巨大アートを置いた美術家の狙い

プレジデントオンライン / 2020年8月20日 9時15分

現代美術家の松山智一氏 - 撮影=澁谷高晴

7月19日、新宿駅前に現代美術家の松山智一氏がプロデュースした広場がオープンした。松山氏は「新宿駅前はアートを置くのに最も適さない環境。下手をしたら『巨大なゴミ』扱いになってしまう。しかし、それだけ挑戦する価値があると思った」という——。

■アートが経済を加速させてきた

いま、コロナでアートどころではないという空気になっていますが、僕はこういうときこそアートの価値が発揮されると思っています。それには根拠があります。僕はアメリカで、アートが経済に直結する現実を見てきました。

いま、世界的にコロナでもっとも大きな被害を受けているニューヨークがよい例です。アーティストが集まるころにはギャラリーができ、バーやカフェなどの飲食ができ、アパレルが出店し、レジデンスができ、その結果、地価が上がって地域が潤う。ニューヨークでは10年単位でそうしたサイクルが生まれて、トライベッカ、ソーホー、ダンボ、チェルシーといった地域が独特の文化価値を発信するようになりました。

僕がいま手掛けているロサンゼルスのカルバーシティの都市開発プロジェクトでも、鉄道の駅を中心に、商業施設、ホテル、レジデンスができます。そこにアートを組み入れることで、たとえばアップルのような会社がテナントとして入る。すると別のテナントが続々とやってきます。そうやって未開の地に人工的に都市をつくってアメリカは成長してきた。アートはインフラ整備のスピードを加速する装置なんです。

■「画一的なものを量産した」メセナの悪しきレガシー

ただ、日本ではそのことを体感的に知っているアーティストはまだ少ないと思います。それはバブル時代のメセナが悪しきレガシーになっているからだと僕は見ています。日本のメセナはごく一部を除いて本質から乖離(かいり)してしまっていた。アートを通して文化を創造したいわけではなく、余ったお金をアートに使いましょうという程度の認識だったから、画一的なものが量産され、とくに視覚芸術の分野ではこれというものが何も残っていません。

都市開発の一環でパブリックアートを置くことは徐々に浸透してきていますが、まだまだアートは都市機能の付属品扱いです。アートは付属品ではない。僕はアートには場の持っているエネルギーを転化して、不利なロケーションを経済的、文化的な磁場に変える力があると思っています。それが今回、僕が新宿東口駅前広場でやろうとしたことです。

■「みんなの意見を聞く」とアートでなくなる

新宿東口といわれてすぐ思い浮かぶものといえば、スタジオアルタぐらいしかありませんでした。さまざまな経緯から東口の駅前は20年程手つかずになっていたのですがJR東日本とルミネから、このエリアを美化整備する際に、アートを主役にした文化発信の場をつくりたいというお話をいただきました。そこで僕はコンセプトから広場全体のプロデュースまでを任せてもらうことになりました。

新宿は乗降者数世界一の駅です。その駅前の広場といえば、世界一、人の視界に入る「作品」になる。しかもそれが街の一部として残っていく。ただつくったものを置くだけでは面白くないと思ったんです。

ただ、そこから先は大変でした。最初に僕が描いた青写真を見て、実現できると思ったのはほんの一握りの人たちだけでした。大変だった行政への説得は、プロジェクトを信じ動いてくれる人たちがいたからこそクリアできました。何かあれば許可を出した彼らの責任になってしまうわけですから当然です。だからこそ僕はアーティストとして、文化価値か安全かといった二者択一ではないアプローチで新しい価値観を浸透させることに努めました。

安全性や機能性も大事ですが、みんなの意見を聞いてやっていたら、最終的にはエッジが全部とれて「まんまる」なものしかできなくなります。作家が関わる意味もなくなります。そうしないために必要なのは、「できません」と言われたときに「じゃあ変えます」ではなく「絶対これでないといけないんです」と説得するためのコミュニケーションの力と知識です。

新宿のような巨大な駅にアートを基軸とした広場をつくるというのは日本では前例がありませんが、本気でやろうとすると創作活動以前のやりとりがあまりに大変で疲弊してしまうからだと思います。

■「巨大なゴミ」扱いになるリスク

こうしたことを抜きにしても、パブリックアートはアーティストにとってリスクが非常に大きなものです。今回の新宿東口広場は、景観的にも雑然としていて、普通に見たらアートを置くのに最も適さない環境です。せっかくつくっても下手をしたら「巨大なゴミ」扱いになってしまう。しかもそれに自分の名前がついてずっと残ります。

一方で新宿は「東京らしさ」が凝縮されたような街です。ハイエンドからサブカルまで多様な文化のレイヤーがあり、世界中から人が集まる場所でありながらローカルな個性が根付いている。そうした対極性を自分なりに表現できたらこの不利な環境を反転させられると思いました。

広場の象徴となる7メートルのステンレス像〈花尾〉は、花を持つ人がモチーフになっていますが、時代や地域もばらばらな装飾柄が混然一体となっていて、見る角度、見る時間で印象が大きく変わります。これが新宿を訪れる人にとっての新しいランドマークになると同時に、地元のコミュニティに愛される存在になってほしいと思っています。

アートを中心に据えてリニューアルされた新宿東口駅前広場。その中央にあるのは「花束を持つ人」をモチーフにした7メートルの巨大ステンレス像〈花尾〉。
撮影=澁谷高晴
アートを中心に据えてリニューアルされた新宿東口駅前広場。その中央にあるのは「花束を持つ人」をモチーフにした7メートルの巨大ステンレス像〈花尾〉。 - 撮影=澁谷高晴

■「社会を彫刻する」パブリックアートの魅力

今回の作品に関してはもうひとつ思いもよらぬリスクが潜んでいました。〈花尾〉はアメリカの工房が所有する上海の製作所でつくって船で運んだのですが、コロナで国境が封鎖されるなか、作品も僕も自由に移動することができなくなりました。

なんとか完成にこぎつけましたが、照準を合わせていた東京五輪は延期となり、コロナの感染再拡大を受け、オープニングのセレモニーもすべてなくなりました。結果として、相当持ち出しもありました。たぶん高級車一台買えるくらいは自腹を切っています。それでも、自分史上最大の作品を、世界一乗降者数が多いという新宿駅前につくることができたのはかけがえのない経験でした。

なぜそこまでしてパブリックアートをやるかというと、僕のルーツがストリートにあるからです。僕はもともとアートとは縁遠いところに生きていて、学生の頃はプロスノーボーダーを目指していました。大けがをしてそれを諦め、紆余曲折あってアートの道に入ったので、美大の教育も受けておらず、最初はカフェやバーの壁に絵を描かせてもらうことから始めました。1日数ドルで生活していた時代もありました。そんな頃のことを思えば、いま美術館やギャラリーのような「格式高い場所」に作品を飾れるようになったことはとてもうれしい。でもそこでばかりやっていると実社会との距離を感じるようになってきました。

そもそもお金を払ってアートを見に行く経済的、時間的余裕のある人は限られます。コロナで美術館やギャラリーでの展覧会は激減しました。開催したとしても入場者数を大幅に制限しています。でも屋外にあるパブリックアートは誰でも楽しむことができます。逆に、何の気なしに見た人の心の内面まで入っていけるのがパブリックアートです。「社会を彫刻する」といってもいいかもしれません。そこには美術館やギャラリーにはない醍醐味があります。

■2カ月半のロックダウンで、10メートルの絵が完成した

僕はいま明治神宮創建100年を記念した「神宮の杜芸術祭」(2021年3月31日まで開催)にも彫刻作品〈Wheels of Fortune〉を展示しているのですが、その納品のために帰国していた3月の半ばにニューヨークでのコロナ感染が爆発的に広がって、10日で帰る予定が2カ月も東京に残らざるを得ませんでした。

明治神宮鎮座100年祭を祝う「神宮の杜芸術祝祭」の野外彫刻展で公開されている松山の作品、〈Wheels of Fortune〉。鹿の角と車輪を組み合わせた。
撮影=澁谷高晴
明治神宮鎮座100年祭を祝う「神宮の杜芸術祝祭」の野外彫刻展で公開されている松山の作品、〈Wheels of Fortune〉。鹿の角と車輪を組み合わせた。 - 撮影=澁谷高晴

ブルックリンにある僕のスタジオでは10人が働いているのですが、まず決めたことは彼らの生活を守ろうということです。お給料は出す、ただし仕事はしてもらうと伝えました。そうはいったものの、当時ニューヨークは完全にロックダウンされていましたから、外出もできず、自分のベッドルームしか作業スペースがない。仕事用のキャンバスと絵具はオンラインでそれぞれの自宅に届くよう手配し、僕は東急ハンズとダイソーに走って、それ以外のオンラインでは小ロットで買えない物差し、筆、ペン、マスキングテープ、ガムテープなどを小さな段ボール箱いっぱいに詰めて日本から送りました。

フェイスブックで共有ページをつくって僕のスケッチを送り、スタッフがそれぞれのベッドルームでそれをもとに毎日描く。作業ボリュームや進行はSNSで報告する。試行錯誤でしたがリモートで作品がつくれることがわかりました。

2カ月半のロックダウンで、つなげたら10メートルにもなる絵ができたんです。いつまでやり続けるのかもわからないけれど、2年間作り続けたら全長100メートル超の巨大な作品ができるな、とそのとき思ったんです。それは小さなベッドルームでつくった作品の集合体です。これが僕にとっての「クラスター」だと。その創造過程、コンセプト、ストーリー全体が作品になると思いました。

■「大きな全体」が壊れることで「パーツ」が輝き出す

ある種の開き直りですね。僕も最初はコロナによって引き起こされた未曽有の状況に戸惑いがありましたが、みんなが「新型コロナ感染が拡大したせいで……」とネガティブに反応している状況に、だんだん嫌気がさしてきた。このネガティブな状況をポジティブに転化するのがアーティストじゃないか、コロナに対して前向きな答えを出してやると腹をくくりました。

コロナによる移動や外出の規制でグローバルな人の流れは大幅に減りました。僕はこれは一時的なものではなく、これまでグローバル化に振れ過ぎたものがローカルに戻ってくる大きな流れの一環だと思っています。

グローバル化の弊害はすべてが均一化していくということです。もともと個性を持ったパーツが集まって全体ができているのに、全体が大きくなりすぎてパーツが見えなくなってきていた。そうなるとアートもファッションもデザインも全部似てきて面白くなくなるんです。「大きな全体」が壊れることによって、それぞれにパーツがまた輝きだすのではないかと思います。今回、リモートでの制作活動を余儀なくされて、そんなことを考えていました。

■パトロンに頼らなくても活動できる時代になった

確かにコロナで仕事が減り、収入が減るという現実はありますし、先は見えません。でも一方で、世界的なアートの消費は下がっていないんです。実際、展覧会などは全部キャンセルになりましたが、手元にあった作品はこの間にも売れていきました。

アーティストは弱者ではありません。いまのアート作品には証券的な側面もあり、市場での「売買行為」を通じて価値が上がり、それがアーティストに直接還元されます。パトロンに頼らなくてもアーティストが自ら発信できるフラットな世界になりました。

そんななかで日本ではまだ黎明期にあるといえるパブリックアートには可能性しか感じません。アート界ではパブリックアートはリスクがあるからやるなという人もいますが、古いヒエラルキーのなかに位置付けられないものだからこそ、挑戦して新しい価値を創造していきたいと思っています。

「新宿は東京らしさが凝縮されたような街。世界中から人が集まる場所でありながらローカルな個性が根付いている。そうした対極性を自分なりに表現したい」
撮影=澁谷高晴
「新宿は東京らしさが凝縮されたような街。世界中から人が集まる場所でありながらローカルな個性が根付いている。そうした対極性を自分なりに表現したい」 - 撮影=澁谷高晴

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松山 智一(まつやま・ともかず)
美術家
上智大学卒業後2002年渡米。NY Pratt Instituteを首席で卒業。ペインティングを中心に彫刻やインスタレーションも手がける。2012~2017年、ニューヨーク市立美術大学スクール・オブ・ビジュアルアーツ(SVA)の非常勤教授。2013年、ハーバード大学でアーティストプレゼンテーション及び個展を開催。現在はニューヨーク・ブルックリンにスタジオを構え、活動を展開している。2020年7月に新宿東口駅前広場をパブリックアートを使ってリニューアル。ロサンゼルスでのパブリックアートプロジェクトも進行中。

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(美術家 松山 智一 構成=プレジデント書籍編集部)

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