老親の介護、もう限界だ。いっそ、どこかに捨ててしまいたい。俺にはどこにも逃げ場がない
プレジデントオンライン / 2020年9月24日 11時15分
■「求めること」は恥ずかしくない
私は牧師として教会で活動しながら、埼玉県の脳神経外科でカウンセリングをしたり、ブログやYouTubeで多くの人と交流しています。24年前からは、認知症患者とその家族を包括的にケアするプロジェクトに関わり、介護家族の方々の声に耳を傾けてきました。
新型コロナウイルスの影響で、先行きの見えない状況が続く中、将来への不安を抱える人たちの、心の負担がどんどん大きくなっているのを感じます。特に介護の現場では、周りからの「あなた息子でしょ」「お嫁さんなんだから」「やって当たり前」という日本独特の同調圧力が、ご家族の重荷になっているように思います。結局は自分以外にやる人がいない。逃げ場もなく、鬱的状態になる人が増えています。
もう一点、人に任せることに対する躊躇いも問題です。よく耳にするのは「親をホームに入れるのは耐えがたい」「ヘルパーなんて呼ぶのは恥ずかしい」という声。世間体を気にしてしまうのですね。他人が家に入ってくることに抵抗感がある人も多い。これらが足枷になり、愚痴をこぼせない、相談もできない。それで益々孤独感が深まるという負の連鎖に向かうわけです。
■どこに相談すればいいのかわからない
しかも、ほとんどの方は介護と無縁でいるうちは情報に疎く、いざ自分の身に降りかかるとパニックに陥ります。誰に聞いていいのか、どこに相談すればいいのかわからない。「こんな暗い相談話は、相手の気持ちを暗くさせてしまう」という心配も付きまといます。近所で噂されるのを嫌ったり、「救急車は、サイレンを鳴らさずに来てください」という要求もよくあります。
でも、介護の問題はみんな順番にやってくるんです。むしろ周囲に知らせてしまったほうが安心できることもあるのです。もし徘徊が始まっても、近所の人があらかじめ知っていたら、「あっちのほうに歩いていきましたよ」などと教えてくれたりしますから。
聖書には「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(マタイによる福音書7章7節・8節)とあります。今の社会はまさにその通りで、求めなければ支援や援助は受けられません。「こんなのありますよ」と親切に教えてくれる人は少ないです。求めなければ、どんどん情報弱者になっていきます。
世の中のシステムは強い人がつくってきました。神に求めると同時に、弱い人は自分から求めないと、往々にして何も得られません。ごく些細なことでも、たとえば自治体によっては「高齢者おむつ給付制度」でおむつが無料で支給されていますが、進んで調べなければわかりません。でも、わからなければケアマネージャーに頼ればいい。求めることは恥ずかしいことではありません。先の言葉のように、躊躇わずに頼る姿勢を持っていいと思います。
介護はモチベーションを維持するのも難しいですね。最初は「元気になってほしい」という思いでやれるんですが、患者もだんだん衰えていきます。途中から「もうダメだ」という心境に。普通の病気は看護すれば回復しますが、介護のゴールは多くの場合、「死」。死に向かってのお手伝いはシビアです。ある意味、腹を括らないとできません。
介護者にとっては、認知症患者との向き合い方も難しいですね。認知能力が衰えると、息子や娘のことすら忘れてしまいますが、不思議なことに感情とプライドは生きているんです。だから子ども扱いされるとふて腐れ、褒められると喜びます。
認知症の患者さんには、肯定的な言葉掛けがいい。介護は「○○ができなくなる」ことの連続ですが、賞賛は何かができる人だけが受ける特権ではありません。かける言葉は「いてくれてありがとう」で十分。「お母さん、いてくれてありがとう」。ぜひ、言ってみてあげてください。
■仕事は辞めずに、自分自身を維持して
私はカウンセリングの一環で、介護家族の方に集まってもらい、「愚痴などを分かち合う会」を開いています。そこでは単なる愚痴ではなく、当事者ならではの実例が飛び交います。悩んでいるのは自分だけではなさそうだという実感がとても大事。肝心なのは、事例の情報を共有し、介護の苦労を自分だけのものにしないことなのです。
この会もスタート時、私はしどろもどろでした。説教者の習性として、何らかの答えを用意して提示するのが役目だと思っていました。ところが、介護家族の前に出たら、知らないことだらけ。突然、暴れ出すとか、夜中に歩いて行ってしまうとか。「いやぁ、それは大変ですね」と言うしかない。
でも、会が終わると、ある高齢の奥さんが、「こんな気持ちがいいことはなかった。人前で旦那の悪口をこんなに言えたのは久しぶり。心がスッキリした」と言うのです。次の人も、「胃薬が手放せなかったけど、こういうところがあればなくても大丈夫だ」と。最後の男性は話の途中で時間がきてしまったので、「ごめんなさい、カウンセリングにならなかったね」と謝ると「先生、今日は素晴らしいお話をありがとうございました」と言う。それは衝撃でした。私は「大変でしたね」としか言っていなかったんだから(笑)。
でも、そこでわかったことがあります。人は私の答えを必要としているわけではなく、むしろ自分で話をすることで、あるいは同行の人の話を聴くことで、自分自身で回答を見つけ出しているのだと。これも「求めなさい」という言葉に通じるのだと思います。
介護者の意識も少し変わってきました。ある時期から著名人やその家族が介護記録を公にして、介護の大変さが共有されるようになったからです。ただその半面、著名人も一般人も、親の介護のために仕事を辞める人が出てきました。それは美徳でもあるのですが、できれば仕事は辞めないでほしいです。たとえ時間が短くなろうと、仕事の時間や居場所は大事にしたほうがいい。逆に言えば自分の100%を介護に費やさずにすめばベストかもしれません。
繰り返しになりますが、介護のゴールは「死」です。親がいなくなれば、燃え尽きて生きる気力もなくなります。「もっと何かできることがあったはず」といつまでも悔やみ続けるのも切ないものです。やはりどこかで自分を保つ部分がないと。仕事は生計だけでなく、自分自身を維持するもの。そのためにも、辞めないでほしいのです。
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MACF牧師
1949年生まれ。南オーストラリア聖書大学卒業、日本大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了。お茶の水クリスチャン・センター伝道部主事などを経て現職。著書に『いてくれてありがとう』。
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(MACF牧師 関根 一夫 構成=篠原克周 撮影=的野弘路 写真=PIXTA)
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