コロナ禍に考えたい「なぜクジラは邪魔なフジツボをつけて泳ぐのか」
プレジデントオンライン / 2020年8月26日 9時15分
※本稿は、立花隆『新装版 思考の技術』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■「寄生者」が暴れた時、人は「病気」になる
自然界から寄生という現象を排除して考えることはできない。あらゆる生物が寄生者を持つと考えてさしつかえないほどである。寄生者を持たない生物をさがすには、バクテリアのレベルまで下らなくてはならない。
たとえば一羽の鳥をとりあげてみる。そこには幾種類かのダニ、シラミ、ノミ、ヒル、条虫、尖頭蠕虫(せんとうぜんちゅう)、回虫、吸虫、眠り病虫、舌形類、らせん菌、鞭毛虫、アメーバといった寄生者がたかっているのが普通である。その種類の多さについては、56種類の鳥の巣を調べたところ、ダニなどの節足動物だけで529種類もいたという報告がある。また数の多さについては、1羽のダイシャクシギから、1000匹以上のハジラミが見つかったという報告がある。
人間については、文明国ではノミもシラミも退治され、回虫などの寄生虫もほとんどなくなっているから、寄生者は求めるのがむずかしいだろうと考える人がいたら誤りである。人間の体内にも、いたるところ寄生生物がいる。消化器官、分泌腺、肺、筋肉、神経などにウヨウヨいる。寄生者とは、必ずしも回虫、ジストマなどの大型生物だけをさすのではない。大腸菌のような菌類も含むのである。
人間はふだんはこうした寄生者のことを気にもとめていない。ときどき寄生者が、ただ寄生していることに甘んぜず、人体の組織や器官の働きを壊しにかかることがある。このとき人間は病気となり、その寄生者は病原体と名づけられる。そして、人間は病原体を追い出すためにやっきとなる。
■疫病が終焉しないのは、都市があるから
病気は寄生者のおごりによる失敗である。巧みな寄生者は、宿主を殺さない程度に甘い汁を吸いつづける。宿主を殺してしまっては、自分も死なざるをえないからである。
病原体微生物は、たびたび猛威をふるって疫病を流行させたことがある。しかし、いかなる疫病もそう長続きするものではない。宿主の死につき合っていれば自分も死ぬ。宿主が死なないうちに、別の宿主のところに移動しようと思っても、周囲の人間がバタバタ倒れて生息密度が低くなっているので、それもできない。ということで、疫病は終焉するのである。病原体微生物による病気は古代からあった。しかし、それが流行病となったのは、人間が都市をつくり、人口密度を増加させ、寄生者が宿主の間を移動しやすい環境をととのえてやったからである。
家畜や農作物の間には、豚コレラ、ニューカレドニア病、イモチ病といった流行病がやたらと発生するが、自然林や自然草原の動植物の間には別に流行病が発生しないのも同じ理由による。家畜や農作物のために人間が作ってやった単一の環境は、病原体微生物にとっても、心地よい環境なのである。
寄生という現象を広義に解釈してみる。すると、人間の自然界における位置も寄生者にすぎないことがわかる。
人間という寄生者は、自然という宿主に寄生しているのであるから、自然を殺さない程度に利用すべきなのである。病原体微生物のように、宿主の生命を破壊するという愚を犯してはならない。宿主を変えようにも変えることができないからである。すでに地球自然は病みつつある。このへんで、毒素の排出を人間がやめないと、元も子もなくなりそうである。
■クジラに取りつくフジツボ、カニに乗っかるイソギンチャク
寄生に対して、共生という関係がある。共生にはさまざまのレベルがある。最も理想的な共生関係は、相利共生、あるいは相互扶助と呼ばれる。二種の生物が互いに利益を与えると同時に、利益を受けあっている対等の関係である。共生の中でも、寄生に近いものは片利共生と呼ばれる。片方の生物は利益を得るが、もう一方は別に益も害も受けないという関係である。
現実に展開されている生物間の関係は、それぞれ与えあっている利益と害が微妙で、いちがいに、どれが相利共生、どれが片利共生とは決めかねるものが多い。クジラの皮膚に、フジツボが取りついている。クジラは別にフジツボがあってもなくても変わりはないが、フジツボはクジラにくっついていることによって、移動の便を得ている。移動できれば、新しい餌場を得ることができる。カニの背中についているイソギンチャクがいる。イソギンチャクはそれによって移動の便を得ている。しかし、この場合は、カニも、イソギンチャクによってカムフラージしてもらうという便を得ている。
■弱者は「寄生」して器用に生きている
マメ科の植物には、根にこぶがあって、そこにバクテリアが住みついている。このバクテリアは、養分をマメから得ているが、その代わり空気中の窒素を固定して、植物が吸収できる硝酸塩の形に変えてやっている。しかし、バクテリアの寄生するこぶの数が多くなりすぎると、マメは枯死してしまう。むろん、その結果としてバクテリアも死んでしまう。
イソギンチャクやクラゲはトゲのある触角で生物を捕えて食べている。ところが、この触角の間で生活している小さな魚がいる。これらの魚は、触角によって捕えられず、逆に保護を受けている。そして、もっと大きな魚をおびき寄せる役目を担っている。サメの周囲を回遊しているパイロットフィッシュも、同じような関係にある。他の魚をおびき寄せる役目を担うと同時に、サメの保護を受け、かつ食べ残しの餌をもらっているのである。アフリカミツオシエという鳥は、ミツバチの巣を見つけては、それをアナグマに教えてやる。アナグマはミツバチの巣を襲って、それをバラバラに引き裂き、ミツバチを全滅させる。ミツオシエは、ミツバチの針がこわいので、それまで待っている。ハチが全滅してから出ていって、ゆっくりと巣の中の蜜ロウをちょうだいする。
動物と植物の間にも相互扶助の関係がある。チョウやミツバチが蜜を求めて花のところにやってくる。花のほうでは蜜を与える代わりに、花粉を昆虫に運んでもらって受精する。
■歴史は悪徳で満ち満ちている
寄生よりは共生、片利共生よりは相利共生がよいなどといってもなんにもならない。人間のこざかしい倫理観を持ち込んでみたところで、得られるものは何もない。自然は人間が考えるよりもきびしい。倫理を持ち込むことができるのは、力関係が等しい場合に限られるのではないだろうか。
弱いものは弱いものなりに精いっぱい生きなければならない。そのためにあるものはずるさを学び、あるものは卑劣さを選び、あるものは図々しさを覚え、あるものはさもしくあらんとするのである。
大体、倫理的動物である人間にしてからが、種の異なる動物に対するときは、あらんかぎり卑劣な手を使って恥としない。あらゆる狩猟の仕方を見れば、それが例外なくだまし討ち、闇討ちに類するものであることがわかろう。
人間は自然界で弱い存在であったがゆえに、ありとある卑怯な手を使って種の存続をはかってきた。人間が種社会内では倫理を叫び出したのも、その習性が種内関係にまで持ち込まれたときに想定される事態が身の気もよだつものであることに気がついたがゆえかもしれない。しかし、いかに聖人君子たちが倫理を声高に叫ぼうとも、長年つちかわれてきたこの習性はおおいかくしうべくもなく、歴史は悪徳で満ち満ちている。
■人間には「美徳」と同じだけ「悪徳」の天性がある
人間に美徳もあることを否定するものではないが、それと同じだけ悪徳の天性があることを忘れてはなるまい。鳩のように率直であると同時に、蛇のごとく狡猾でなければこの世は生き抜いていけない。衣食足りて礼節を知るのが道理で、衣食足らざる間は、礼節をさておいても生きることを求めるのが人間の生物的本性である。
![立花隆『新装版 思考の技術』(中公新書ラクレ)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/a/200/img_cad9a7798881b697108c964a6c0faa6b324417.jpg)
実際、世の中をながめまわしてみれば、美しい相利共生関係ではなく、寄生から片利共生関係にいたる、あるいはずるく、あるいはさもしい関係が人間社会の中にもいたるところ展開されていることがわかるだろう。
これを倫理の名において難ずるのは当を得た話ではない。同じ人間同士の間にも、弱者と強者の間には種の異なる動物の間に見られるほどの格差がある。この格差を無視して同じ倫理を強制することはできない。
弱者はむりに背のびをせず、弱者らしく生きることである。ゴマスリもよし、人の足を引っぱるもよし、だますもよし、強者にへばりついて甘い汁を吸うもよし、臆するところなく卑劣に生きればよい。
逆に強者は、腹いっぱいにフジツボをつけてゆうゆうと大海を泳ぎまわっているクジラのように、弱者の甘えと卑劣さを許すべきである。強者たるもの、自分に寄生してくる弱者に目クジラを立てるがごとき心の狭さがあってはならない。強弱なかばするあたりにいる者は、助け合いの精神で、相利共生的生き方を選ぶといったところが妥当ではないだろうか。
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評論家
1940年長崎県生まれ。64年、東京大学仏文科卒業後、文藝春秋に入社。66年に退社し、東京大学哲学科に学士入学。その後、評論家、ジャーナリストとして活躍。83年、「徹底した取材と卓越した分析力により幅広いニュージャーナリズムを確立した」として、菊池寛賞受賞。98年、第1回司馬遼太郎賞受賞。著書に『田中角栄研究 全記録』『日本共産党の研究』(講談社文庫)、『宇宙からの帰還』『脳死』(中公文庫)、『脳を鍛える』(新潮社)、『臨死体験』『天皇と東大』(文春文庫)など多数。
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(評論家 立花 隆)
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