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僧侶に聞く「生きがいが無い人は、今後の人生をどう過ごしたらいいか」

プレジデントオンライン / 2020年9月28日 11時15分

看護師・僧侶 玉置妙憂氏

■そもそも生きがいは、なぜ必要なのだろうか

ご相談者のように、いま働き盛りのビジネスパーソンであれば、「やりがいを持ち、頑張って仕事をする」というのが「大人のあるべき姿」と、子どもの頃から教えられて、育った方が多いのではないでしょうか。

例えば、会社員であれば、「一生懸命に勉強して一流大学に入り、大学を卒業したら、一流企業に就職して仕事に打ち込み、管理職や役員に出世する……」といったロールモデルが、世間で持てはやされてきたように思います。会社員としての「~せねばならない」が厳としてあるせいで、ご相談者のように、理想と現実のギャップに苦しみ、何のために生きているのかを見失う方を、大量に生み出してきたともいえます。

では、そもそも人間は、仕事の“やりがい”や人生の“生きがい”を持たなければいけないのでしょうか?

“やりがい”も“生きがい”も私たち人間がつくり出した概念です。勤勉であることを美徳とし、「働きがいや生きがいを持たないのは、覇気のないダメ人間」という価値観をつくり上げ、思い込んできただけにすぎません。

コロナ禍によって、働き方や生き方が見直され始めたいま、そうした“たかだか人間がつくり出した価値観”は簡単に揺らぎ始めています。つまり、何か出来事が起こるたびに変わってしまうような価値観に立脚して、「仕事のやりがい」や「人生の生きがい」を探し続ける必要はないように思います。ご相談者も、会社のお仕事に真摯に取り組まれ、日々を積み重ねて定年まで続けていかれるのであれば「十分素晴らしい」という考え方もあるのではないでしょうか。

仏教の教えでは、生きとし生けるものすべてが、かけがえのない貴重な存在です。もちろん人間も例外ではありません。人間としてこの世に生を受けるということ自体が、天文学的な確率で、まさに奇跡といってもいいからです。つまり、人間は幸運の結晶であって、誕生した瞬間に今生の目的を達成しているわけです。のちの人生での出来事は、すべてオプションの「おまけ」といってもいいでしょう。もともと生きているだけで儲けものですから、あとはいかに楽しく徳を積むかだけです。

もちろん人生を無為に送ってしまうのは残念ですが、さりとて「~しすぎ」ることも、同じくらいよくありません。健康を害したり、家族や友人との関係を犠牲にしたり、目標を達成できずに失意のどん底に落ち込んだりしては、かえって逆効果になるからです。

悩みゼロの秘訣は「中道」

仏教では「中道」といいますが、何事も「よい塩梅(あんばい)」に取り組むのがベストでしょう。

ビジネスパーソンにありがちなのですが、「仕事を認めてもらうため、もっと頑張らなくては」「会社でもっと出世しなくては」などと焦って仕事をしすぎ、自分を追い詰めてしまわれるのはよろしくありません。

 

■ありがとうの響きが自分を守る結界となる

生きているだけで儲けものと申しましたが、この世には不条理な出来事も待ち受けていて、さまざまな不幸やトラブルに遭遇します。そうしたときには、どうすればよいのでしょうか。

まずは、ありきたりですが、基本に戻り、人間として生を受けた幸運を噛みしめ、世の中への感謝を口にすることをお勧めしたいです。自分の気持ちが落ちているときは社交辞令のようになってしまうかもしれませんが、それでもかまいません。とにかく感謝の言葉を口にし続けることが大切です。自分が発した「ありがとう」の響きは、自らを守る結界となってくれます。

次に、マイナス思考を停止することをご提案します。私たちには、つながる鎖のように思考を追いかけるクセがあります。例えば、心配事があればそのことが頭から離れなくなるし、嫌いな人がいればその人のことばかり考え、不愉快な思いを募らせてしまいます。それは、自分で自分を不幸に追い込むクセです。「負の感情を持ってはいけない」のではなく、「負の感情を持っている自分に気づいてやめる」という作業です。

■どんな苦難もずっと続くことはない

そして最後に、すべては諸行無常と心得てごらんになってはいかがでしょうか。「苦あれば、楽あり」との言葉にもあるように、どんな苦難もずっと続くことはありません。流れゆくそれぞれの出来事を学びの機ととらえ、成長の原動力ととらえるのです。

ところで、中高年となり人生の後半戦に突入ともなれば、ご相談者のように、「人生はもう先がない」と、諦めや失望に打ちひしがれる方も少なくありません。私は、看護師・僧侶として、余命いくばくもない方のお話を数多く聴かせていただいておりますが、残された時間が少ないと知ると、「何のために生きてきたんだ」「もう生きていても仕方がない」など、元気な頃の生活では見ることのなかった心の奥底のお気持ちを吐露される方が多くいらっしゃいます。最近は、「後悔なく死ぬにはどうしたらいいか」というご質問も多くいただくようになりました。

もちろん正解などありはしませんが、「後悔なく生きた“今日”の積み重ねが、後悔のない“死”をつくるのではないでしょうか」とお答えするようにしております。後悔なく今日を生きるためにも、原点に戻って生まれてきたことや世の中に対する感謝の念を思い出していただきたいのです。心穏やかにお過ごしになれば、いままで気づかなかったものの価値が見えてくるかもしれません。実際に、がん患者さんの中には、余命を告知されてから、「当たり前の風景が愛おしく、輝いて見えるようになった」とおっしゃる方もいらっしゃいました。

お釈迦さまは、そういった人間の底力を深く信じていらっしゃったのではないかと思っています。というのも、お釈迦さまの教えである「法(ダルマ)=不変の理」は、生き方や考え方を押し付けるものではなく、「このやり方を、自分で試してごらんなさい」というものだからです。

お釈迦さまの入滅の前、弟子が「あなた様がこの世にいなくなってしまったら、これから何を頼りに生きていけばいいのですか」と問いかけたところ、お釈迦さまは、「自らを灯火とし、自らを拠り所にしなさい。法の教えを灯火とし、法を拠り所にしなさい」とおっしゃいました(「自灯明法灯明」)。

このように、仏教の教えでは、自らの心の持ちようをコントロールし、自分と向き合い心を修めていくことが要となります。幸福になるのも、不幸になるのも、自分次第というわけです。

あなた様の明日が明るい灯火に照らされますよう、心からお祈りさせていただきます。

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玉置 妙憂(たまおき・ みょうゆう)
看護師・僧侶
看護師、看護教員の免許を取得後、夫の“自然死”という死にざまがあまりに美しかったことから開眼し出家。高野山にて修行をつみ高野山真言宗僧侶となる。『頑張りすぎない練習 無理せず、ほどよく、上手に休む』など著書多数。

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(看護師・僧侶 玉置 妙憂 構成=野澤正毅 撮影=石橋素幸)

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