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「渡哲也はハーモニカがうまい」高倉健はなぜその秘密を知っていたのか

プレジデントオンライン / 2020年8月24日 15時15分

石原プロ炊き出し 慣れた手つきで焼きそばを焼く俳優の舘ひろし(左)と渡哲也 - 写真=スポーツニッポン新聞社/時事通信フォト

■2005年、NHK大河ドラマ「義経」のメイク室で

「えっ、なぜ? 高倉さんがどうして知っているのですか? これまで誰にも言ったことがないのに」

2005年、渡哲也さんはNHKの大河ドラマ「義経」で平清盛をやっていた。

わたしは坊主頭の特殊メイク中にインタビューをすることができた。当時、そんなところまで入れてくれたのはわたしだけだと後で知った。しかも「どうぞどうぞ」と大歓迎だったのである。

むろんそれには理由がある。あまりインタビューを受けることのない渡さんが快くOKしてくれて、そのうえ、メイク室まで招き入れてくれたのは、高倉健さんの紹介だったからだ。

だが、わたしは「高倉さんからよろしく、です」といった自己セールスみたいな枕詞は省いて、演技について淡々と尋ねた。

「本番までにどういった準備をするのですか」と。

渡さんはこう答えた。

「台本をいただいてからはとにかく何度も読むことにしています。私は俳優としては器用な方ではありません。セリフを自分のものにするには何度も何度も読むしかないのです。たとえば『みなさん、こんにちは』というセリフがあるとします。うちにいても外でも、車に乗っていても始終、ぶつぶつ呟いてます。そうして自分の言葉になったと確認してからカメラの前に立ちます。

一方、動きの芝居は監督にまかせます。自分でも考えてはいきますが、現場で監督につけてもらった動きで芝居します」

■演技の先生は石原裕次郎ではなく…

演技は石原裕次郎さんから教わったのですか?

彼は黙って首を振った。

「私は石原を尊敬しているから、石原プロに入りました。しかし、演技は別です。石原の演技を真似したことはありませんし、演技を教わったこともありません。石原に学んだのは人間としての大きさです。現在、私は石原プロの社長(当時)をやっています。しかし、所属俳優のギャラの交渉などは専務にまかせっきりです。私が出て行くのはロケ先で事故があった時のような責任を取る時だけです。

石原も同じでした。生きていた時も交渉ごとは全部、専務がやっていました。『おい、哲、いったいうちの会社にカネはあるのか?』なんて聞かれたことがありましたけれど、石原はそろばんを弾く人ではありませんでした」

では、演技の模範とするのは誰ですか?

そう尋ねたら、すぐに彼は答えた。

渡哲也さんと同じくハーモニカを愛用していた高倉健さん/撮影=岡倉禎志
渡哲也さんと同じくハーモニカを愛用していた高倉健さん/撮影=岡倉禎志

「演技の先生は高倉さんですよ。あんな風にできたらいいなと思って。でも、これまで一度も共演したことはありません。私は石原はもちろん、三船敏郎さん、勝新太郎さんといった大スターの方々と共演させていただいてます。しかし、高倉さんとはありません。映画に出させていただいたことはないんです。私も60歳を超えたからもうチャンスは少ないでしょうね。長年、憧れ続けた方ですけれど」

渡さんはゆっくりしゃべる。言葉も少ない。スクリーン上の高倉健のようだ。

実物の高倉健はもっと饒舌だ。冗談を飛ばしたり、早口だったり、「英語をしゃべる丹波(哲郎)さん」といった物真似を織り交ぜたりして話をする。サービス精神があって、スクリーン上の高倉健とは違う。

ところが、実物の渡哲也は高倉健以上に高倉健だった。わたしがそんな感想を伝えたら、渡さんは嬉しそうに笑った。

■唯一の趣味だったハーモニカ

「ひとつだけ聞いていいですか?」

わたしは用意してきた質問をした。

「どうぞ」
「渡さんはハーモニカが芸能界でいちばん上手なのですか?」
「えっ、ハーモニカって。誰から聞いたのですか?」
「高倉さんです」

渡さんは不審そうだった。

「でも、どうして、高倉さんが知っているんだろう。あ、そうか。そうかもしれない」

——はい。でも、渡さん、ハーモニカを吹くのがお好きなんですね?

「ええ、ハーモニカは好きです。唯一、趣味というか。でも、人前で吹いたことはないし、そんなことしようと思ったことはないんですよ。聴いたことはないけれど、じつは高倉さんの方がお上手ではないでしょうか。

僕のは小学校の時に吹いていたトンボってメーカーのもので、月に2、3回は吹いてます。酒を飲んで酔っ払った時がほとんど。吹く曲は誰もが知っているような小学校唱歌です。でも、誰にも話したことはないし、ハーモニカのことを話したこともない。思い出したら、吹きたくなったら吹くだけです。高倉さんは何て言ったのですか?」

■「芸能界ナンバーワン」を目指した2人の共通点

高倉健は映画のなかで、二度、ハーモニカ演奏を披露している。

『鉄道員(ぽっぽや)』では、元妻、江利チエミが歌った「テネシーワルツ」を吹いた。『ホタル』では「故郷の空」を演奏した。後者の場合、彼は3カ月間、毎日、ハーモニカを特訓した。かなりの技量なのである。

それなのに、「オレのハーモニカはダメ。それより、上手なのは渡ちゃんだ」と言った。

「芸能界でナンバーワンなのは渡ちゃんだよ。だって毎日、夕方になると庭に出て、ひとりで練習するらしい。だから、会う機会があったら聞いてみてよ」

それでわたしは渡さんに取材を申し込んだ。

いずれにせよ、ふたりは「芸能界ナンバーワン」を目指すくらい、ハーモニカが好きなのである。ただし、俳優でハーモニカが好きなのはこのふたりだけのような気がする。さて、わたしは高倉さんに「渡さんのハーモニカの話、どなたから聞いたのですか?」と尋ねた。絶対に教えてくれないだろうなと思ったけれど、念のために聞いた。すると、彼はふふっと笑っただけだ。

高倉健がしゃべらないと決めたら、絶対に口を開くことはない。しつこく問いかけたら、席を立ってしまう。そういう人だ。秘密と決めたら、それを守り通すのが実物の高倉健だ。

■石巻市での演奏に込めたメッセージ

2011年の東日本大震災の後、渡さんは舘ひろし、神田正輝のふたりを連れて宮城県石巻市で石原プロモーション名物の「炊き出し」を行った。そのなかで彼は挨拶とともに、「人前で吹いたことのない」ハーモニカ演奏をしたのである。様子は地元のテレビニュースで流れている。

「みなさん、今日は精一杯、炊き出しをやらせていただきたいと思います。どうかおなか一杯召し上がっていただきたい。そこのお父さん、しっかり召し上がってよ。そして、子どもの頃、覚えたハーモニカでふるさとという曲をみなさんに聴いていただきたいと思います」

うさぎ追いし、かの山という、あのメロディである。

渡さんは直立不動でハーモニカを吹いた。舘ひろしさん、神田正輝さんがマイクの前に立ち、挨拶をしている間も、バックミュージックとして演奏した。ハーモニカの音色には「頑張ってください、僕らも頑張ります」という渡さんの言葉がかぶさっていた。

渡さんは姿勢を変えず、ただ、ハーモニカを吹く。同じメロディを何度も繰り返す。

たくさんしゃべるよりも、姿勢とハーモニカでみんなに元気を出そうと訴えた。渡さんのハーモニカはやはり高倉さんが言ったように芸能界でナンバーワンだった。

付記

今となっては想像になってしまうけれど、高倉さんに「渡さんハーモニカ毎日演奏説」を伝えたのは渡瀬恒彦さんだと思われる。渡瀬さんは高倉さんと『南極物語』で共演して親しくなった。『鉄道員(ぽっぽや)』でも『ホタル』でも撮影現場に見学に来ていた。

しかし、真相は分からない。渡さん、高倉さん、渡瀬さん、みなさんが亡くなってしまったから。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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