ヤンキース田中将大投手の野球帽に仕込まれた保護具が超すごい
プレジデントオンライン / 2020年8月25日 15時15分
8月1日、アメリカ・ニューヨーク州ブロンクスで行われたMLBボストン・レッドソックス対ニューヨーク・ヤンキースの試合。ヤンキース田中将大投手が被っている野球帽の右腕側内部にはプロテクターが入っている - 写真=EPA/時事通信フォト
■目を凝らしてみてもまずわからないほど、小さくて薄い
7月4日、ヤンキースのバッティング練習に登板した田中将大投手の側頭部に、チームメートが放ったライナー打球が直撃した。マウンドに倒れ込み、しばらくうずくまっていた田中だが、直後の精密検査で軽度の脳震盪(のうしんとう)と診断されたのが不幸中の幸いだった。
順調に回復した彼は8月1日のレッドソックス戦で今季初登板し、2回2/3を2失点と、アクシデントの影響を感じさせないまずまずの内容。続く7日のレイズ戦では5回を1安打5三振無四球無失点に抑えるなど、5回途中6失点と打ち込まれてしまった18日のレイズ戦をのぞけば、力強く安定した本来の投球を続けている。
そんな田中は今、側頭部に特殊なプロテクターを付けて実戦に臨んでいる。万が一、強烈な打球が再び当たっても、頭蓋骨や脳に深刻なダメージを受けないための防衛策だ。
さかのぼること6年前、MLBではアレックス・トーレスなど一部の投手が、ピッチャーの頭部を打球から守るという触れ込みの野球帽を着用したことがあった。しかし内蔵された緩衝剤があまりに大きすぎ、スーパーマリオがかぶっている帽子のようだと酷評、嘲笑されたものだ。
一方、田中のプロテクターは通常のヤンキースのキャップの内側右(右腕側)に装着されているが、テレビ中継の画面や報道写真に目を凝らしてみてもまずわからないほど、小さくて薄いのである。
この革新的な投手用プロテクター『プロX ヘッドガード・フォー・ピッチャーズ』を開発・製造しているのが、米アトランタに本拠を構えるセーファー・スポーツ・テクノロジー社(SST社)だ。まだ35歳の若さだという創業者のマット・マイヤー氏が、同社のプロテクターを田中が使用するに至った経緯を説明する。
「ライナー直撃のアクシデント以来、田中選手が初めて自軍バッター相手に投げる実戦形式の打撃練習に先立ち、ヤンキースのトレーナーが当社に連絡してきたんです。彼は他球団で我々のプロテクターが使われているのを知っていたので、田中選手が試すために送ってくれないかと。そこでヤンキースにとりあえず、計6セットのプロテクターを発送しました」(マイヤー氏。以下同)
到着したプロテクターを打撃練習のマウンドで試用して好印象を持ったことから、田中は今季を通じて使っていくことを決めたという。
「彼が高評価してくれたのを知った時は本当に興奮し、とても誇らしく思いましたね。なにしろ田中選手といえばヤンキースだけでなく、MLB全体でも最も尊敬され、最もタフだとされるピッチャーの一人ですから」
■「使っているのを忘れてしまうほど違和感がない」
そして公式戦でも前述の通り、田中はここまで素晴らしいパフォーマンスを見せている。
「彼からは『使っているのを忘れてしまうほど違和感がないので、ピッチングに集中できる』とのメッセージが届きました。プロテクターは頭蓋骨と野球帽の曲線に合わせた形状に設計されている上、非常に薄く作られているからこその感想だと思います。開発時の我々の目標は、装着したピッチャー自身にプロテクターの存在を忘れさせるだけでなく、試合を見ている方々にも、そのピッチャーが頭部に何の防具もつけていないと受け取ってもらえる見映えにしたい、というものだったんです」
つまり、かつての“マリオ帽”のように着用した投手を不恰好に見せたりはしない、という信念のもとに作られているのだ。
と同時にもちろん、抜群の機能性も持ちあわせている。
『プロX ヘッドガード・フォー・ピッチャーズ』はちょうど片側の側頭部をカバーできる大きさの湾曲した約19cm×10cmの楕円形状で、重さはわずか50グラムあまり。本体は強度と軽量性を兼ね備えたカーボンファイバーと防弾チョッキにも使われているケブラー繊維の複合素材で作られていて、さらに頭部との接触面には衝撃吸収と快適な装着感のため、ポリウレタンのクッションパッドが圧着されている。
加速度計を用いた試験では時速96キロから149キロの硬球が頭部を直撃した際、プロテクター非装着時と比較して、いずれも衝撃を50%低減する結果が得られたという。
このプロテクターを右投手なら自身の右腕側の帽子の内側に、マジックテープで固定すれば取り付け完了だ。約5mmという薄さゆえ、普段使っているサイズの野球帽にそのまま装着できる。
■片側の側頭部しか保護しない理由
ここで、ひとつの疑問が湧く野球ファンもいるかもしれない。なぜ片側の側頭部しか保護しないのかと。それには、明確な理由がある。
「ピッチング時の身体の動きを思い浮かべてみてください。右腕投手は投球直後、ホームベースに対して右の側頭部を向けています。つまり前頭部の真ん中から左側頭部へかけての箇所に、打者の弾丸ライナーが直撃する可能性はほぼありません。ですからプロテクターで保護するのは、右腕投手なら右側頭部、逆にサウスポーなら左側頭部だけでいいのです」
子供の頃からピッチャーとして野球に熱中してきたマイヤー氏。投手用頭部プロテクターのアイデアが浮かんだのは、わずか14歳の時だったという。
「ある公式戦で相手バッターのライナー打球が私の踵に当たり、跳ね上がったボールが顔を直撃したため、グラウンド上で数分のびてしまったことがありました。ラッキーなことに大事には至らず、試合に出続けることができたのですが、その一件以来、投手用の防具を製品化できないかと考えるようになったのです。私は高校時代までピッチャーを続けましたけれども、当時すでにアメリカでは、打撃時のヘルメットのような投手用プロテクターが何種類か出回っていました。ですがそれらはいずれもかっこ悪い上に重く、着用するには精神的にも肉体的にも苦痛な代物でした。しかも、ピッチング時の身体の動きにまで悪影響を与えてしまいます。そこで私は、野球帽の内側へ装着する方式のプロテクターを作るしかない、という結論にたどり着いたのです」
■金型づくりのためクラウドファンディングの力を借りる
実際に製品開発に取り掛かったのは、SST社を設立した2011年からのこと。最新テクノロジーを盛り込んだ小型軽量なプロテクターで、野球をより安全なスポーツにすると同時に、投手のパフォーマンスをより向上させたいという情熱を押さえきれなくなったからだった。
「創立メンバーは私のほか、父と父の友人の総勢3名。ですからまあ、私の個人商店に等しい形でのスタートでした。頭部の保護機能と着用時の快適性を両立させるための試行錯誤を何度も繰り返し、ようやく現行の当社製品にも通じる最終的なプロトタイプ(試作品)ができあがりました」
プロトタイプ完成に至るまで、地元でプレーする多くのアマチュア投手に使用してもらっての反応が参考になったのはもちろん、マイヤー氏の前職での経験も役立った。
「20代の前半、私はハイエンド・スポーツカー向け、主にフェラーリ用のパーツメーカーに勤務していました。そこで日常的にカーボン製などのパーツを目にしていたことで、化学複合素材に対する知見を得ることができたのです」
SST社のデビュー作となるプロテクターを世に送り出すため、マイヤー氏はクラウドファンディングサイト『キックスターター』の力を借りた。
「カーボン製品を量産化するには金型が必要なのですが、オリジナルの金型を一から起こすには莫大な費用がかかります。そこでキックスターターを通じ、我々のプロジェクトに共感していただける方へのリターンとして、一般発売前の初号製品をお送りしますというキャンペーンを展開したんです。おかげさまで多くの資金が集まり、金型製作の費用を捻出できました」
■世界最高峰のMLBとの接点はなぜ生まれたか
創業当初、マイヤー氏がプロテクターのメインユーザーとして想定していたのは、中学生年代あたりまでの少年プレーヤーたちだった。
事実、今もその層が同社最大のマーケットになっているのだが、零細スタートアップ企業だったSST社にひょんなきっかけから、世界最高峰の舞台であるMLBとの接点が生まれることになる。
縁結び役を果たしたのは現役MLB投手であり、マイヤー氏の高校時代には野球部の後輩として同じチームでプレーしていたコリン・マクヒュー(現レッドソックス)だった。
2008年にメッツからドラフト指名されたマクヒューは、ロッキーズを経てアストロズへ加入すると、2015年は9月のルーキー・オブ・ザ・マンスを受賞するなど大ブレークし、19勝をマーク。そして2018年にはリリーフに回って58試合で1.99の防御率を残すなど、ユーティリティーな戦力として存在感を示している。
「あれはちょうどコリンがアストロズに移籍した、2014年シーズンでした。開幕前、彼によかったら使ってみてくれと『プロX ヘッドガード・フォー・ピッチャーズ』を渡していたんです。すると彼はMLB投手として初めて、公式戦のマウンドで装着してくれました。しかも登板する毎試合で、です。そこから当社のプロテクターの評判が広がり、ダイヤモンドバックス、カージナルス、ブルージェイズ、レッズ、ナショナルズ、ヤンキースといった他チームでも知られるようになっていったのです」
■日本からも最近注文があった
現在のMLBでは、試合中にライナー打球を受けて頭蓋骨を骨折し、手術を受けた経験を持つマット・シューメイカー(ブルージェイズ)ら9人が使用しているが、田中が今季を通じてSST社のプロテクターを装着するとアメリカで報じられて以降、彼が所属するヤンキースでは数人の投手が導入を決め、さらにロイヤルズの投手からもオーダーがあったという。
そしてプロ球界からの引き合いは、MLBだけにとどまらない。
「田中投手の古巣である楽天ゴールデンイーグルスからも問い合わせがあり、つい先日サンプル品を送ったところなんですよ。彼らと当社とはここ数年、非常に良い関係を築けています」
NPBでも、田中と同じプロテクターを使用する投手が現れるかもしれないということだ。
いや、プロ・アマ問わず、その気になれば日本のどんなカテゴリー、どんなレベルのピッチャーでも導入することができるのである。
「当社の公式サイトから注文していただければ、世界中どこへでも発送可能です。一番最近注文があった国は、ほかならぬ日本ですよ」
参考までに、田中も使用している成人向けの『プロX ヘッドガード・フォー・ピッチャーズ』で、単価は89.95ドル。左右の側頭部を守る少年向けの『プロスペクト ヘッドガードセット・フォー・ユース‐12U』は、2個1セットで99.95ドルだ。
■5名という少人数の所帯が強みに
こうした製品は、初号市販モデルから数えて3世代目に当たる。しかし最終形というわけではなく、最新の素材と製造技術を用いたバージョンアップを常に模索している。
「可能な限り高い品質のプロテクターを提供するためには、迅速、柔軟に動ける組織であらねば。我々は今も少人数の所帯ですが、逆にそのことを強みにできると信じています」
製造を外注している腕利き職人をのぞけば、SST社の構成人数は現在、CEOのマイヤー氏を含めて計5名だという。
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ライター
高松市生まれ。フリーランスライターとして一般誌、ノンフィクション誌、経済誌、スポーツ誌、自動車誌などで執筆。『チュックダン!』(双葉社)で、第13回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。このほか、著書に『蹴る女 なでしこジャパンのリアル』(講談社)がある。
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(ライター 河崎 三行)
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