中田敦彦が自己分析「武勇伝とYouTube大学にあるブレイクの共通点」
プレジデントオンライン / 2020年8月31日 11時15分
※本稿は、中田敦彦『幸福論 「しくじり」の哲学』(徳間書店)の一部を再編集したものです。
■王道ではなく、「もどき」で勝負
ぼくは物事を練り上げるのが好きだ。夢中になったことに対しては、周りを顧みずとことん打ち込んでしまう性分なのである。
NSC時代も、どんどんネタ見せをするにあたって、演じるネタがなくて困るということはなかった。NSCに入る前から書き溜めていたネタのストックがたくさんあったし、それを少しでも増やそうと努めていた。使っても使っても、つねに100本は未発表のものを手元に置いておこうと思い、実践していた。
ネタ見せの前には毎回、慎吾とふたりで「どれにする? こっちがいいか、あっちにするか」と相談するのが恒例だった。けれどここのところ、しゃべり倒す王道の漫才には行き詰まりを感じている。自分たちの強みにならないんじゃないかという疑問が湧いていた。
じゃあ、今度はこれでいこうよ。ネタ帳を見ながら慎吾が指し示したのは、これまでぼくらがやってきた漫才とは大きく異なるネタだった。
それは、「オレ、こんなにスゴイんだよ」と、ボケ担当のぼくが自分の強さや破天荒さを自慢していくというもの。
「チョキでグーに勝つ」
といったナンセンスな自慢を繰り出していくぼくに対して、ツッコミの慎吾は、
「スゴイな!」
と素直に認めつつ、「チョキのポテンシャルをそこまで引き出せるの?」などとスゴさの解釈を施して、笑いに変えていく。
このパターンをハイスピードで、いくつも勢いよく連ねていくのだ。
こんなのやったらどやされるかもしれないな……。ふたりともそう覚悟していた。これが漫才の王道でないのは明らかだ。邪道というか、漫才もどきというか、これまで見たことのないパターンだから、笑いをナメるな! と一喝されておしまいかもしれない。でも、これまでどおりのことをやっていても手詰まりだ。ぼくらは思い切ってネタ見せの場にこれを持ち込んだ。
■思い切って型を破った先に光明が差した
勢いと元気だけは絶やさぬようにと演じ切ってみた。すると、講師の反応は意外なものだった。
「これは……。やっていけば、なにかあるかもしれんな」
しかも、だ。開き直り具合がぼくより進んでいた慎吾は、ネタをしながらふざけまくって、フレーズの言い回しでかなり遊んでいた。「すぅごいなぁ!」みたいに。
そんなナメたしゃべり方して、コイツは怒られるぞ……、と思っていたら講師は、「君だけ、なんかノリ悪いんじゃない?」とぼくに向けて言ってきた。ああそうか、これくらいやってしまえばいいのか。乗り遅れた自分を反省した。もっともっとリズムよくやってみたら、新しいネタのかたちになるんじゃないのかと、講師は指摘してくれた。
これは大きな提案だった。いわゆるいまでいう「リズムネタ」という方向性を試みてはどうかということだ。新しいかたちを自分たちが生み出せるかもしれない。そのアイデアに、ぼくらは夢中になった。
それからの数カ月間、思いがけず好評だったネタのブラッシュアップに、ぼくらはほとんどの時間を費やした。ほどほどいい具合に「セオリーなんて無視していこう!」という精神が働いていたのは幸いだった。定型をはみ出していった先に光明が差したわけだから、どんどん新しいことに挑戦していけばいいと、前向きな気分で取り組めた。
■ワクワクしながら作らないと観客を楽しませることはできない
ウケがよかったのは、リズムよくやったからだ。だったらいっそ、歩き方もひとつひとつの身振りも、全部まるごとダンスみたいにしちゃおうぜ。
じゃあしゃべり方もラップみたいにしてさ。決めゼリフと決めポーズは歌舞伎の「見得」とかヒーローもののポージングを真似しちゃおう……。
こうしよう、ああしたいというアイデアが、ふたりのあいだを勢いよく飛び交った。
いい兆候だった。自分たちがワクワクしながらつくったものでなければ、どうして観てもらうひとを楽しませることができようか。
同時に、人様に観てもらうものなんだから、よくよく考え抜き、練り上げて、熟成させた技に仕上げるのが演者の責任でもある。アイデアを一本のネタというかたちにしていきながら、どうやったらよりお客さんに伝わるだろうかということも、自分たちなりに考え抜いていった。
そうしてあらゆる方面から磨きをかけたネタを、ぼくらはまたNSCに持ち込んだ。
ネタ見せの場で披露すると、教室にいたほかの生徒たちからも大いにウケた。講師陣の反応も上々だった。
■目新しさと勢いで先輩芸人を負かしていった
なによりうれしかったのは、M-1でもいいところまでいけるだろうと講師からお墨付きをもらえたことだった。
当時もいまも、M-1グランプリといえば、お笑いを志す者たちの登竜門として君臨するコンテストだ。そのM-1でいいところまでいけると言ってもらえたのだ。それはつまり、このままうまくやればデビューまで漕ぎつけられるということにほかならない。
ひそかにガッツポーズをした。もちろんプロの道は厳しく、デビューできたからといってそこから生き残れるかどうかはまた別の話だが、まずは芸人の世界に潜り込めるかどうかが勝負。ぼくらはそこに全神経を集中させていた。道筋が見えたのなら、とにかくうれしい。
それからほどなくM-1にエントリーしたぼくらは、講師の予想どおり、順調に勝ち進んだ。まだNSC生であるにもかかわらず、予選を突破し、本選へと駒を進めた。
百戦錬磨の芸人たちに交じったぼくらの武器は、目新しさと勢いだ。ネタのバリエーションの少なさは、経験が不足しているからしかたがない。結果、ぼくらは準決勝まで進むことができた。そこで力尽きたのは、その時点での実力と言っていいだろう。
目指すは優勝だったので喜びも半分ではあるけれど、大会を通して広く名前を知ってもらうことはできた。
NSCを卒業したぼくらは、そのまますぐテレビに出演することができ、「武勇伝」と名づけたデビューネタは、ちょっとしたブームを巻き起こしていくこととなった。
■ネタの精度より大事なことは「演者の自信」
それにしてもぼくらのデビューネタとなった「武勇伝」は、どうしてあんなにウケたのか。なぜあのころの自分たちに、ブームを起こすようなネタを生み出すことができたのだろう。はっきりとした答えは、自分のなかを探っても見出すことができない。
もうひとつ遡って、学生時代の学園祭で初めてお笑いの舞台を踏んだときも、まったく経験がなかったというのになぜそれなりにウケをとれたのか。
緻密な計算のもとに高い成功確率が割り出され、それを実行したまでのこと……と言えればいいが、まったくそんなことはない。学園祭も「武勇伝」も緻密な計画を立てられていたとは言い難い。けれど、「これならいける!」というイメージを強く抱いて、そこへ向けてできることをすべてやったというプロセスは共通している。
単純な話、準備を尽くしたかどうかが、ひとつの分かれ目ということである。そのステージに向けて、どれだけ真摯に向き合い、全精力を傾けたか。できることをすべてやり尽くしたと、心の底から言えるかどうか。あんがいそんなことが最重要だったりするのだ。
本当のところをいえば、だれのどんなネタだって、真の「おもしろ度合い」なんて測りようもない。人気の定番ネタ、一世を風靡したネタは数多いけれど、そういうものは純粋なネタのおもしろさとしてもちゃんと最上位になるだろうか?
好みや時代も関係してくるものだから一概には測れないだろうし、あらためて内容や完成度をチェックしてみれば「それほどでも……」というものだってけっこうあるではないか。
つまりは、ひとに受け入れてもらえるか、笑いを生み出せるかどうかは、ネタそのものの精度ばかりとは言い切れない。ではなにが分かれ目になるのかといえば、やりきった感の末に漂ってくる演者の自信のようなもの。それが大きく作用していそうだ。
■「武勇伝」と『YouTube大学』の共通点
そう考えれば、学園祭で初めて経験したステージも、一心不乱に完成させた「武勇伝」も、自分のなかでやり切った感は充分にある。その時点でのベストを尽くして、考えに考え抜いた。すると、おのずと結果がついてきたのである。
思えばこのしくみは、近年ぼくが取り組む『YouTube大学』の授業でもまったく同じだ。自分のなかで気持ちが乗って、本や資料の読み込みがしっかりでき、コンディションよく「今日はおもしろいぞ」と思いながらカメラの前に立って授業をすると、自分にとっての「名作」ができる。そういう回は、視聴者数もぐんと伸びるものだ。
逆に、取り上げる内容の問題か自分のコンディションのせいか、それほど気分がすぐれないままに準備を進めて、もちろんそのなかでベストは尽くすのだけれど、「今日はこれぐらいで勘弁してください……」という日だって正直ある。そういうときは、動画としての出来も視聴者数も、それなりである。
当たり前といえば当たり前のことかもしれないが、伝えるひとの気概や心持ちは、つくるものに大きく反映されるようだ。
■お笑いとは「波動」である
ぼくはそのあたりのしくみを称して、笑いには「波動」があり、「波動」をうまく伝えることが重要だと分析している。
お笑いをやっているとだれしも痛感するところだと思うが、同じネタでもウケるときとウケないときが、明らかにある。それがなにに由来するか。いろんな要因はあろうけれど、ひとつにはうまく波動が出ていない、または届けられていないということが多いようなのだ。
人間のセンサーというのは、科学的な数値では測れないほど高度で繊細だったりするものだ。第六感とでもいうのか、「ああこのひと、ちょっと怒ってるのかも」「心ここにあらずだな」などという微妙なことまで、瞬時に感じ取ってしまう。コンピューターによる顔認識がどれほど発達しても、顔色まですぐ嗅ぎ取ってしまうこの人間の能力は、なかなか真似ができないんじゃないだろうか。
お笑いを見ているひとも、そういう微妙な状態や気配を、演者から感じ取っているに違いない。それで素直に共感したり笑いたくなったりするときと、どうも興が乗らないときに分かれたりするのだと思える。それをぼくは波動という言葉で捉えているわけだ。ひとは相手の状態を感じ取るセンサーがあまりにも繊細で高機能なので、台本の言葉の意味に反応するというよりは、演者が発している感情や熱量にこそ敏感になってしまうところがある。よくない波動が伝わってしまえば、どれほどネタがよくてもウケることはない。
まるで武道の話をしているみたいだ。達人同士だと、対峙しただけで相手の強さがわかってしまい、組む前から勝敗は決してしまうと聞くが、お笑いにもそういう面はある。舞台に出てきた瞬間、まだなにもしゃべっていないのに、ああこのひとはきっとおもしろいと確信できることがあるではないか。逆に、理由もなく「このひと、今日は調子が悪いんだろうな、残念」と感じてしまうことだってある。
お笑いの才能があったとかスター性があったとか、ぼくらオリエンタルラジオがデビューを果たすことができたのは、そういう具体的なことではなかった気がする。ただ目の前のことに熱中して、人前に出すものに対して最善の努力を傾け、突き詰めてつくり上げ、舞台の上に立てばそれを自信を持って届けようとはしてきた。その必死さがいい波動を生み、見てくれるひとのもとへ伝わったということなのだろう。
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オリエンタルラジオ
1982年生まれ。2003年、慶應義塾大学在学中に藤森慎吾とオリエンタルラジオを結成。04年にリズムネタ「武勇伝」でM‐1グランプリ準決勝に進出して話題をさらい、ブレイク。またお笑い界屈指の知性派としてバラエティ番組のみならず、情報番組のコメンテーターとしても活躍。14年には音楽ユニットRADIOFISHを結成し、16年には楽曲「PERFECTHUMAN」が爆発的ヒット、NHK紅白歌合戦にも出場した。18年にはオンラインサロン「PROGRESS」を開設。さらに19年からはYouTubeチャンネル「中田敦彦のYouTube大学」の配信をスタートし、わずか1年あまりでチャンネル登録者数が250万人を突破した。
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(オリエンタルラジオ 中田 敦彦)
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