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ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が世界で最も有名な絵になった美術史的理由

プレジデントオンライン / 2020年8月31日 9時15分

レオナルド・ダ・ヴィンチ〈最後の晩餐〉1498年(サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会 ミラノ):裏切り者のユダを1人だけテーブルの手前に描くのが一般的だった〈最後の晩餐〉を横一列で描いた斬新な構図。隣ではペテロがナイフを持っている。

「最後の晩餐」をモチーフにした絵は無数にある。そのなかでなぜレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」がこれほど有名になったのか。東京造形大学教授の池上英洋氏は「それまでは裏切り者のユダを1人だけテーブルの手前に描くのが一般的だった。イエスと12人の弟子を横一列に並べる構図は斬新だった」と解説する——。

※本稿は、池上英洋『大学4年間の西洋美術史が10時間でざっと学べる』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は何がすごいのか

数々の奇跡を起こしたことで、イエスの教えは多くの人々に広まっていきました。そして、イエスと行動をともにする12人の弟子も現れます。ですが、人々から救世主と見なされたイエスの存在は、当時のユダヤ教の司祭たちにとっては危険人物以外の何者でもありません。そこで、イエスを亡き者にしようと、司祭たちは弟子の1人であったユダを銀貨30枚で買収し、裏切らせます。

そんなこととは知らない他の弟子たちは、ユダヤ民族伝統の「過越の祭」の晩餐の準備を進めていました。そして、全員が席についた途端、イエスが「このなかに、私を裏切ろうとしている者がいる」と告げます。その衝撃的な言葉を聞いた弟子たちの間には動揺が走ります……。

新約聖書に記されたこの劇的な「最後の晩餐」は、その後のミサ(聖餐式)のもととなるもので、多くの絵画の主題となっています。そのなかでも、とくに有名なのはレオナルド・ダ・ヴィンチの作品でしょう。

■12人の弟子それぞれがいきいきと描かれている

それまでの最後の晩餐の絵画の多くでは、裏切り者であるユダを1人だけテーブルの手前に描く構図が一般的でした。しかし、レオナルドはイエスと12人の弟子を横一列に並べる斬新な構図で描き、ユダの手に銀貨の入った袋を握らせることで彼が裏切り者であることを暗示しました。

また、ユダの隣では裏切り者を切りつけようとペテロがナイフを持って描かれるなど、12人の弟子それぞれがいきいきと描かれています。ちなみに、このレオナルドの〈最後の晩餐〉は、彼の作品のなかでは数少ない完成品のひとつです。

■「最後の審判」でイエスの左右に羊と山羊を描く理由

キリスト教では、やがて「最後の審判」と呼ばれる世界の終わりが訪れ、そのときには、これまで死んだ人間も含めたあらゆる人が天国に行く者と地獄に行く者に振りわけられるとされています。新約聖書でイエスは、「驚いてはならない。墓のなかにいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出てくるのだ」と語っています。そして、羊飼いが羊と山羊をわけるように、天国と地獄に人間がわけられるというのです。ここでいう羊は善人の、山羊は悪人の喩えです。

このイエスの言葉から、初期の「最後の審判」を主題とした絵画は、イエスを中央に描き、その左右に羊と山羊を描くだけのシンプルな構図が主流でした。イタリアのラヴェンナにある6世紀初頭に制作されたサンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂のモザイク画もその一例です。しかし、時代を経るにつれ、天国と地獄にわけられる人間たちも描かれるようになります。洋の東西を問わず、右は善、左は悪とされていたため、天国と地獄も(神から見て)右と左に位置しています。

16世紀にミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の壁一面に描いた〈最後の審判〉では、中央に描かれたイエスの周りに、上部には天国が、下部には地獄が描かれました。さらに、その周囲には審判を待ち受ける人々が390人以上も描かれるという壮大な作品になっています。この傑作はしかし、完成直後から批判にさらされ、裸体の一部が長く加筆で隠されていました。

〈最後の審判(羊と山羊を分かつキリスト)〉6世紀初頭/サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 ラヴェンナ/左の羊は善人のたとえ、中央がイエス、左の山羊は悪人のたとえ
〈最後の審判(羊と山羊を分かつキリスト)〉6世紀初頭(サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 ラヴェンナ):左の羊は善人のたとえ、中央がイエス、左の山羊は悪人のたとえ。

■人体構造を無視して描かれた「ヴィーナスの誕生」

ギリシャ・ローマ神話のなかで、もっとも多くの画家の主題となったのが美と愛の女神ヴィーナス(ローマ名ウェヌスの英語読み)です。この女神の出自ははっきりしていませんが、一説にはクロノスに切り落とされたウラノスの男性器が海に落ちた際、流れ出た精液に集まった泡から生まれたともいわれています。そのため、ギリシャ神話でのヴィーナスの名前は、ギリシャ語で「泡(アプロス)」を語源とするアフロディーテです。

ヴィーナスを描いた絵画で最も有名なのは、15世紀イタリアの画家ボッティチェッリの〈ヴィーナスの誕生〉でしょう。この絵のなかで女神は、右手で胸を隠し、左手で下腹部を隠す、古代ギリシャで「恥じらいのポーズ(プディカ)」と呼ばれる姿勢をとっています。ただ、よく見るとボッティチェッリの描いたヴィーナスのように実際に立つのは難しいことがわかります。現実の人体構造を無視して、画家にとっての理想美を描いたのです。

サンドロ・ボッティチェッリ〈ヴィーナスの誕生〉1484~86年/ウフィツィ美術館 フィレンツェ/右手で胸を隠し左手で下腹部を隠す「恥じらいのポーズ」は古代ギリシャから伝わるもの
サンドロ・ボッティチェッリ〈ヴィーナスの誕生〉1484~86年(ウフィツィ美術館 フィレンツェ):右手で胸を隠し左手で下腹部を隠す「恥じらいのポーズ」は古代ギリシャから伝わるもの。

いっぽう、19世紀フランスの画家ブグローの〈ヴィーナスの誕生〉は、女神は片足を曲げ、腰をS字にくねらせて重心をとる「コントラポスト」という立ち方をしています。こちらは現実に可能なもので、実際にモデルを使って描かれています。

ところで、キリスト教的なモラルが強かった時代は女性の裸を描くことはタブーでした。しかし、ルネサンス期以降、神話の神々なら裸も許されるようになります。このとき、美しく官能的な女神ヴィーナスは恰好の主題として画家たちに好まれたのです。

■「黒死病」から身を守るために祈りを捧げられた絵

14世紀にヨーロッパで大流行したペストは、当時のヨーロッパの人口の3分の1弱を死に至らしめるほど猛威を振るった疫病です。この病気を発症すると、高熱が出て皮下出血を起こし、全身が黒紫色の斑点に覆われ、亡くなってしまいます。その症状から、「黒死病」とも呼ばれました。

医学が発達していなかった当時、この病気の原因は不明で、一度かかってしまえば逃れる術はありませんでした。そこで、人々はペストを「神が神罰として無作為に放った矢」だと考え、その矢から身を守るためにペストに対抗する守護聖人に祈りを捧げます。

■ペスト聖人の絵には犬が描かれている

そんなペストの守護聖人のなかでもとくに信仰されたのが、キリスト教迫害時代の聖人セバスティアヌスです。セバスティアヌスは、全身に矢を射られて処刑されましたが、一度は奇跡によって傷が治ったとされています。そこから、ペストの矢に当たっても、彼のように生き残れることを人々は祈ったのです。セバスティアヌスを描いた絵には、16世紀イタリアの画家ソドマの〈聖セバスティアヌス〉など有名な作品が多くあります。

ソドマ 〈聖セバスティアヌス〉1525~26年/ピッティ美術館 フィレンツェ/セバスティアヌスは柱に縛り付けられている殉教の場面がよく描かれる
ソドマ 〈聖セバスティアヌス〉1525~26年(ピッティ美術館 フィレンツェ):セバスティアヌスは柱に縛り付けられている殉教の場面がよく描かれる。

また、14世紀に懸命にペスト患者の看護にあたった聖ロクスも、対ペスト聖人として篤く信仰されていました。ロクスは自身もペストにかかりますが、犬が食べ物を運んできたり、舐めて治してくれたりしたという伝説があるため、絵画の主題になるときは犬も一緒に描かれるのが通例です。16世紀イタリアの画家パルミジャニーノの〈聖ロクスと寄進者〉にも、しっかり犬が描かれています。

■「老いた男と若い娘」カップルがモチーフになるのはなぜか

年老いた男と若い娘のカップルを主題とする絵画が、西洋美術にはときどき見られます。例えば、16世紀ネーデルランドの画家クエンティン・マセイスの〈不釣り合いなカップル〉や、19世紀ロシアの画家ワシリー・ウラディミロヴィッチ・プキレフの〈不釣り合いな結婚〉などがその代表例です。

クエンティン・マセイス〈不釣り合いなカップル〉1520~25年/ナショナル・ギャラリー ワシントン/女性が手にしているのは老人の財布。後ろにいる間男にそれを渡している
クエンティン・マセイス〈不釣り合いなカップル〉1520~25年(ナショナル・ギャラリー ワシントン):女性が手にしているのは老人の財布。後ろにいる間男にそれを渡している。

この主題には当時のヨーロッパの社会状況が関係しています。ヨーロッパでは昔から、娘が結婚する場合、基本的に親は持参金を持たせる決まりがありました。その額は一般庶民でも100万〜300万円にもなりました。もちろん、貧しい家はそんな持参金は用意できません。その場合、娘は奉公に出るか、修道女になるか、娼婦になる程度の選択肢しかありませんでした。

池上英洋『大学4年間の西洋美術史が10時間でざっと学べる』(KADOKAWA)
池上英洋『大学4年間の西洋美術史が10時間でざっと学べる』(KADOKAWA)

いっぽう、当時は様々な職業にギルドがあり、都市の男性はそこに所属していました。そして、ギルドから親方資格をもらい、家族を養えるだけの経済力を持つまでには、長い修業期間がありました。そのため、必然的に男性の結婚年齢は上がります。また、女性の出産時感染症による死亡率は高く、妻を亡くした男性はすぐに次の若い妻を迎えます。このような事情があったため、年の離れた不釣り合いなカップルは昔のヨーロッパでは当たり前のものだったのです。

面白いことに、先に挙げたマセイスの作品では、女性が老人の財布を手にとり、後ろにいる若い間男にそっと渡している様子が描かれています。当時はこのようなことも、よくあったのでしょう。

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池上 英洋(いけがみ・ひでひろ)
東京造形大学 教授
1967年広島生まれ。東京藝術大学卒業、同大学院修士課程修了。専門はイタリアを中心とした西洋美術史・文化史。著書に『死と復活 「狂気の母」の図像から読むキリスト教』(筑摩選書)、『西洋美術史入門』『ヨーロッパ文明の起源 聖書が伝える古代オリエントの世界』(いずれもちくまプリマー新書)、『恋する西洋美術史』(光文社新書)、『「失われた名画」の展覧会』(大和書房)、『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』(筑摩書房、第4回フォスコ・マライーニ賞)など。日本文藝家協会会員。

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(東京造形大学 教授 池上 英洋)

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