専業主婦を目指していた母は、どうやって4000人のスタッフを抱える会社のトップになったか
プレジデントオンライン / 2020年9月19日 6時15分
「起業してから大変なこともいっぱいあったでしょうが、母から泣き言を聞いたことは1度もありません。母の涙を見たのも祖父のお葬式のときだけ。『大変なこともあったのでは?』と聞くと、『いろいろあったけど、まぁいいじゃない』と。過去を振り返らない人なんです」
■あなたは、あなたのやり方であなたらしく――
ポピンズに入社し、創業者である母・中村紀子と仕事をするようになって8年。今まで気づかなかった母の“仕事への覚悟”を強く感じるようになりました。同時に、母が築き上げたこの会社を“覚悟”を持って引き継ぎ、次の時代につなげていけるのは自分しかいないと強く感じるようにもなりました。
25年間の海外生活、フランスのビジネススクールでMBAも取得し、ヨーロッパの企業で働いてきた自負もありましたから、入社当初は、周囲のやり方に合わせることもせず、自分のやり方を押し通そうとしていました。そんな自信過剰な態度は周囲と軋轢(あつれき)を生み、結果も出せず、やることなすこと空回り。それに引き換え、母は4000人もの従業員を抱える事業のトップに立ちながら、社員教育から事業展開まですべてを把握し、部下へ指示するだけでなく、必ず細部までチェックを行う、私から見ても理想のリーダー。そんな仕事ぶりを見るにつけ、今まで以上に母の偉大さを感じました。
よく「親を超えるのが子どもの使命」と言いますが、私は同じ土俵で母を超えようとは思いませんし、母は超えることのできない大きな存在。子どもの頃から、母に「あなたは、あなたのやり方であなたらしく」と言われてきました。母と比べても無意味ですし、母と同じことはできません。
自信喪失する中で、母がカリスマリーダーならば、私は調整型のリーダーになろうと気持ちを切り替えるように。そんな私の心の動きに気づいたのでしょうか。2年前、正式に母から代表の座を引き継がせたいと打診され、悩みながらも引き受けることにしました。社会的意義のあるこの事業を存続・発展させることは、もはや使命だと感じています。
■専業主婦になろうとするも家庭の事情で仕事に復帰
母の父、私の祖父は東京大学教養学部の前身となる旧制第一高等学校出身。学徒出陣で出兵し、帰還後、実家のある福島県の新聞社で記者をしていました。そこで役員秘書をしていた祖母と知り合い結婚。母が生まれ、4年後には叔父が誕生。その後、防衛庁(現・防衛省)に転職することになり、母が5歳のときに一家で東京へ。実直で勉強熱心な祖父ですが、当時ならではの「女の子だから……」といった育て方はしなかったそうです。
一方、専業主婦の祖母は楽天的で天真爛漫(らんまん)な人。そんな2人に愛情深く育てられ、母は自由でのびのびと育っていったのですね。小学校創立以来、初の女子児童会長になるほど活発な子どもだったようです。長じて、めざしたのは海外旅行が珍しい時代の花形職業、キャビンアテンダント。でも、就職試験前に体調をくずして断念。そんな矢先にアナウンサーの入社試験に合格し、当時人気のテレビ番組「アフタヌーンショー」の司会アシスタントを務めていました。
その後、ベンチャー企業を経営していた父と結婚して寿退社。母も祖母に倣い、結婚して家庭に入り、子どもを手元で育てようと考えていたようですが、父の事業がうまくいかなくなり、私が3歳のときにフリーアナウンサーとして仕事に復帰。しかし、子どもを預ける場所がなく、私は千葉県にある祖父母の家に預けられることに。「娘を安心して預け、娘にも豊かな時間を与えられるベビーシッターサービスがあればいいのに」と感じたこのときの実体験が、後のポピンズ起業へとつながります。
母に会えるのは週末のみ。でも、寂しいと思ったことはありません。平日は祖父母がそばにいてくれますし、週末は、母がずっと私と向き合ってくれましたから。近くの図書館に行って2人で本を読み、お昼はデパートのお子さまランチ。午後は公園に行って四つ葉のクローバーを集めたり……温かい思い出ばかりです。母のすごいところは、オン・オフの切り替えがとてもうまいところ。私の前で仕事をするそぶりを見せたことはありませんでしたし、私の前では“私のためだけに存在してくれる人”でしたね。
■12歳の娘を単身英国の寄宿学校へ進学させる
小学5年生の頃でしょうか。「こんな選択肢もあるのよ」と、母が見せてくれたのが、お城のようなステキな校舎の写真が並ぶイギリスの寄宿学校のパンフレット。私は、児童文学『あしながおじさん』(ジーン・ウェブスター著)の世界をイメージし、「おもしろそう! 行く!」と即決して、12歳で単身渡英。ロンドンの中高一貫校に進学し、寄宿舎生活が始まります。
でも、すぐに後悔することに。英語もろくに話せず、学校で唯一の日本人。ホームシックで毎日泣いていました。ただ入学前に「あなたならできる。でも、帰ってくる場所はあるのよ」と母に言われていたので、その言葉を支えに、「もう少しがんばってみよう」と思い続けていたら、ホームシックを脱していましたけど。母いわく、私の個性に鑑みて、タイミングを見計らって声を掛けたのだそう。これからは世界が舞台になると見極めていたのですね。
母は人をやる気にさせるのがとてもうまい人。私もまんまと乗せられたよう(笑)。でも、12歳の子どもを1人で異国へ送り出すなんてよほどの覚悟がなければできません。実際、母は周囲から「鬼のような母」だとか、「育児放棄している」など、心ない言葉を投げかけられたそう。私自身、2人の子どもを持つ母親として、わが子を12歳で1人海外へ送り出せるかと問われると、自信がありません。今更ながら、母の勇気と覚悟に感謝でいっぱいです。
中学生になった私を母は一人前の女性として扱うようになりました。渡英後、年に4カ月ほど帰国する際、勉強会や会食など母の仕事に同行する機会が増え、そこで初めて母が仕事をする姿を見ることに。そして、1人の女性、私の母親、祖父母の娘、会社経営者、起業家……母にはいろんな顔があることを知り、母のことを知れば知るほど、その偉大さを感じるように。母はとてもチャーミングで、笑顔のステキな人。
仕事相手と接する様子を見ていても、母が皆から愛されているのがわかります。そんな人となりのせいか、母は人をどんどん巻き込んでいくのです。それはもうパワフルなまでに。やると決めたことは、必ずやり遂げる。可能性にフタをせず、どうすればやり遂げられるのかを考え、目標を達成する。目標が達成できなくても別の成果を上げてくるんです。転んでもただでは起きない性格で、「私の通った後にはペンペン草すら生えない」と自分で言っています(笑)。
■「~ねばならない」は呪縛。呪縛から解き放されて自由に
私が迷ったとき、母に相談すると言われるのが「いいんじゃない。あなたは何かをやろうと思えばできる人だから」という言葉。事業を引き継ぐことを打診されたときもそう。具体的なアドバイスではありませんが、母が「大丈夫」と言うのなら、絶対に大丈夫と信じられるんです。これは子どものときから、今もそう。母は私の絶対的な味方ですからね。
愛情は量よりも質。時間ではかるものではありません。子どもを預けることに罪悪感を持つ人がいらっしゃいますが、子どもを預ける環境にこだわれば、いい影響を与えられるものです。幸せの軸は自分の中にあります。「~ねばならない」ではなく、「あなたはどうしたいのか?」を考えてほしいのです。家族の数だけその答えはあるので、それぞれのゴールをめざしてほしいですね。
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ポピンズ 代表取締役社長
1976年生まれ。東京都出身。12歳より英国に単身留学。ロンドン大学卒業後の98年、メリルリンチ・インターナショナルのロンドン支店入社。その後、デビアスなどを経て2012年帰国。同年ポピンズ取締役、18年代表取締役社長に就任。フランスINSEADでMBA取得。
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(ポピンズ 代表取締役社長 轟 麻衣子 構成=江藤誌惠 撮影=国府田利光)
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