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がんが再発した20代の患者は、なぜ医師に「ありがとう」と言ったのか

プレジデントオンライン / 2020年9月10日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AJ_Watt

精神科医の清水研氏は仕事で燃え尽き、40代にはうつ病の一歩手前という時期をさまよったことがある。なぜそこから立ち直れたのか。清水氏は「20代の男性患者が口腔がんを再発したとき、私に『先生、会いに来てくれてありがとう』と言ってくれたのが忘れられない」という――。

※本稿は、清水研『他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン』(SB新書)の一部を再編集したものです。

■「こうあらねば」に縛られる原因は親と社会

ほとんどの人が意識していませんが、人はそれぞれの中に「want(~したい)」と「must(~しなくてはいけない)」の2つの相反する自分が存在します。ミドルエイジクライシスに陥りやすい人は、この「must」の自分が強すぎることが多くあります。

実は、私もつい最近まで「must」に縛られた生き方をしていました。そういう生き方をしてきたのは、やはり両親の存在と、今まで成長する過程で影響を受けてきた社会の価値観がありました。

私の両親は一生懸命私を育ててくれたし、紛れもなく私を愛してくれました。何もできなかった小さな私の世話をして、さまざまな知識や知恵、前に進もうとする向上心を授けてくれました。

ただ、当時は「子供は甘やかしてはいけない」という考えが一般的でしたから、私の両親も「子供がどうしたいのか」ということを大切にするよりも、「こうあらなければならない」という考えに基づいた干渉が多かったと言えます。

その結果、私の中の「want」の自分は声を潜め、「must」の自分が形作られていきました。

■「自分らしさ」はこうして失われる

小さな頃、父は私に対して、「社会のためになる大きな仕事をしろ、それが生きる上でいちばん大切なことだ」ということを繰り返し言いました。私はこの言葉に、つい最近まで縛られていたように思います。

また、当時の社会状況では、管理教育や受験戦争、校内暴力が特徴的で、現代よりもさらに「want」の自分が抑え込まれやすい時代背景があったと思います。

私も、良い成績を取れば褒められ、そうでないと叱られました。そうすると、「良い成績を取っていないと自分は認められない」という暗黙の前提が自分の中に出来上がりました。そして、認められるためには「やりたいこと」は封印した方が好都合なんだと思うようになりました。

何のために生きるのかが分からない私は、高校生の時、進路を考えるときに困りました。苦肉の策として出した答えが、医学部に行って精神科医になるということでした。

精神科医の仕事をよく分かっていたわけではありませんが、とにかく困っている人を手助けするわけだから、父親が言う社会の役に立つ仕事ができるのではないかと考えました。

大学時代は、世界を旅するなど私なりに自分探しをしてみました。しかし、あくまでもこれは社会に出るまでの猶予期間で、医師になったら「社会に役立つ大きな仕事をする」ために頑張らなければならないという考えは、引き続き心の中に強くありました。

■多くの人は親の支配に縛られることに気づかない

思春期というのは、親の支配から自由になろうとし、自分なりのアイデンティティを模索する時期です。親に反発して真逆のことをやろうとしたりすることもありますが、これはやはり親の存在を意識しているので、その影響力が残っているということを意味します。本当の意味で親から自由になったのではないのです。

また、もし仮に親の支配がなかったとしても、まだまだ世間を知らないので、自分自身の独自の道を切り開くということには至りません。誰か憧れの人、尊敬できる人を見つけて、その人をロールモデルに歩んでいくことが多いでしょう。

私の場合、医師になって5年目の時、国立がんセンターで働く医師の講演を聴く機会がありました。その医師は患者さんから得たデータを鋭く分析しており、その話からはがん患者の苦悩を科学の立場から解決しようという確固たる意志が見て取れました。その医師の話に感激し、私はその医師をロールモデルに頑張ろうと心に決めました。

国立がんセンターは、がんという日本人の死因第1の病気に関して、わが国最先端の臨床や研究を行う組織ですから、当時の私からはその存在は高くそびえたっているように見えましたし、そこに属する医師は皆雲の上の人のように思いました。そして、その一員になって、頑張りたいと思ったわけです。

しかし、これはある意味「社会に適応しなければいけない」という一種の「must」の考えに基づいた道のりですから、いずれ壊れることになります。

■日本的「滅私奉公」の弊害

それからしばらく私の滅私奉公とも言える努力が始まりました。のびのびしたいという気持ちはありましたが、先輩から「がん患者には土日がないんだ。だから私たちも休んでいる暇はない」と言われ、夜遅くまで働き、土日の仕事も当たり前のようにしました。その頃の自分はその在り方が正しいと信じて疑いませんでした。

国立がんセンターに所属して4年目になってチームのリーダーになり、後輩や部下の面倒を見なければならないようになってからは、明らかに仕事が自分の許容量を超えるような状況になりました。

いちばん問題だったのは、「滅私奉公が当然」と思っていた私は、部下にもその姿勢を求めてしまっていたことです。そうではない指向性を持つ部下のことは理解ができなかったので、非常によくない上司だったと思います。

おそらく、「これがやりたい」ということが確固としてあり、それを実現するためにその組織で働くというスタンスであれば問題ないのでしょうが、私のように「組織の一員としてがむしゃらに頑張れば将来の自分は満たされる」と思っているだけでは限界が来ます。

私の場合は、求められることのレベルが高まり、自分の能力を超えたことが苦しくなり、しかもそれが必ずしも自分のやりたいことではないため、40代に入って体力の低下とともに頑張り続けることが難しくなりました。ここらで限界が来たのでしょう。

ミドルエイジに来て、私をここまで導いてきた指針は全て崩れ去りました。自分の能力や頑張りにも限界があるし、社会に適応しようと周囲や組織の求めるものに応じて頑張っていても、どうやら幸せになれなそうだということを悟ったわけです。今まで信じていたものが徐々に崩れていき、ついに荒野にぽつんと1人で立っているような感覚でした。

■20代の口腔がん患者との出会い

しかし幸い私はその状況に絶望せずに済みました。自分は終わりだというのではなく、「どこかで間違えただけだな」、「必ず道はあるな」と思えたのです。なぜそう思えたかというと自分が日々お会いしている患者さんたちが、進むべき方向を暗示してくれていたからです。

私が国立がんセンターで働きだして間もなくの頃、忘れられない出会いがありました。その頃の私より少し若い20代の男性患者さんで、口腔がんにかかられたのですが、手術をしたのにすぐに再発してしまいました。

再発が分かったときは非常にショックを受け、「僕は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだ」と、人生の理不尽さを感じ、怒りをあらわにされていたそうです。

その後、口の中の腫瘍がどんどん大きくなって、何も飲み込めない状況になりました。担当医より私に、若いのにがんの病状が進行してきっと気持ちもつらいだろうから、話を聴いてみてほしいと言われ、カウンセリングを担当することになりました。

カルテを見て、この状態でどんな心境なのだろう、もし私がこの状況だったら絶対に耐えられないだろう、そんな彼に私は何か言葉をかけられるのだろうか、何ができるのだろうか。そう思いながら、恐る恐る彼のところに足を運んでいました。

■成功しても不幸せな人、地位もお金もなくても幸せな人

しかし会ったときの彼の気持ちは前向きで、私にも「先生、会いに来てくれてありがとう」と笑顔で迎えてくれましたし、家族やケアを担当する看護師など周囲の人にも、いつも感謝の気持ちを伝えていました。

清水研『他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン』(SB新書)
清水研『他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン』(SB新書)

ジュースをスポイトで飲み、「おいしい」と笑顔を見せたり、好きな小説を読んで感動したということを楽しそうに話していました。当時の私には、彼がなぜ取り乱さずにいられるのか、周囲に気配りをし、笑顔を見せることができるのかが理解できませんでした。

しかし、地位やお金はおろか、食べることの自由をはじめとした健康を奪われたとしても、幸せを見いだす道がどこかにあるということを、彼は身をもって私に示してくれたのです。

その後彼だけでなく、その他多くの患者さんが、「社会に適応すれば幸せになれる」という「must」の自分が言っていたことは必ずしも真実ではないと、その方々の生き方をもって力強く教えてくれました。

「must」の自分から「want」の自分を救い出そうという道筋を、私は見つけたのです。

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清水 研(しみず・けん)
精神科医・医学博士
1971年生まれ。金沢大学卒業後、都立荏原病院での内科研修、国立精神・神経センター武蔵病院、都立豊島病院での一般精神科研修を経て、2003年、国立がんセンター東病院精神腫瘍科レジデント。以降、一貫してがん患者およびその家族の診療を担当する。2006年より国立がんセンター(現・国立がん研究センター)中央病院精神腫瘍科に勤務。2012年より同病院精神腫瘍科長。2020年4月より公益財団法人がん研究会有明病院腫瘍精神科部長。日本総合病院精神医学会専門医・指導医。日本精神神経学会専門医・指導医。

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(精神科医・医学博士 清水 研)

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