「平均費用231万円で世界一高い」だから日本人の"葬式離れ"が止まらない

プレジデントオンライン / 2020年9月7日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/akiyoko

日本の葬式は世界一高い。宗教学者の島田裕巳氏は2010年の著書『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)でそう指摘した。それから10年。葬式をとりまく状況はどうなったか。島田氏は「葬式の簡素化はさらに進行している」と指摘する――。

※本稿は、島田裕巳『捨てられる宗教 葬式・戒名・墓を捨てた日本人の末路』(SB新書)の一部を再編集したものです。

■『葬式は、要らない』は30万部のベストセラーに

私は、2010年に『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)という本を出版した。事前には予想もしなかったことだが、この本は30万部のベストセラーになった。当時、私がこの本を書こうとしたのは、葬式をめぐる状況が大きく変わりつつあるのを感じていたからである。

たとえば、無縁社会のところでふれた直葬の存在を知ったのも、本を執筆する直前のことだった。そこまで葬式は簡略化できるのか、私は直葬の存在を知って驚いた。その頃にはまた、「家族葬」という葬式のやり方が広まりつつあった。

それ以前にも、近親者だけが集まって営む「密葬」という葬式のやり方はあった。ただ、密葬の場合には、その後に、参列者を招いて偲ぶ会を開くことを前提にしていることが多かった。密葬だけで終わるわけではなかったのだ。

ところが、家族葬の場合には、家族や近しい親族、故人の親友などが参列するだけで、規模は小さい。しかも、偲ぶ会の開催が前提にはなっていない。ほとんどは家族葬が葬式のすべてである。今や家族葬が当たり前になり、多くの参列者が集まる従来型の葬式は「一般葬」として、それとは区別されるようになった。有名人、著名人でも家族葬だけになってきた。

家族葬の場合には、参列者の数が少ないというだけではなく、費用がかからないというイメージが伴っている。参列者が少なければ、通夜ぶるまいなど飲食の費用はかからない。また、規模が小さければ、祭壇も小さくて済む。

■「平均費用231万円」は世界一高い

家族葬や直葬が増えつつある。『葬式は、要らない』が刊行されたのは、そんな時代だった。葬式にかんして、多くの人が疑問を感じていたのは、費用が高いということだった。あわせて、費用の明細が明らかではないということにも多くの人たちが疑問を持っていた。

私は本のなかで、当時葬式費用の平均とされる231万円という額が、諸外国での葬式の費用に比べて相当に高いものであることを指摘した。

具体的には、アメリカは44万4000円、韓国は37万3000円、ドイツは19万8000円、イギリスは12万3000円という数字を紹介した(冠婚葬祭業の株式会社サン・ライフの資料による)。本の小見出しには「葬式費用231万円は世界一」と書いた。

「そんなにも日本の葬式は高いのか」

本を読んで、そう思った人たちも少なくなかったようだ。葬式に多額の費用がかけられたのは、バブルの時代である。その時代には、金をかけた派手な葬式が社会的な話題にもなった。とくに昭和を代表するトップスターだった、美空ひばりと石原裕次郎の葬式では、ともにビッグバンドが入り、故人のヒット曲が演奏された。どちらの葬式にも多くのファンが殺到した。経済人では、松下幸之助の葬式が、松下電器産業(現・パナソニック)の社葬として営まれたのもバブルの時代で、参列者は2万人にも及んだ。

バブルの時代には、地価が高騰したため、生きているあいだに住む住宅を買い求めることは諦めたものの、死後の住まいは確保したいと、郊外に墓地を求める人たちが急増した。

それはちょうど、高度経済成長で都会に出てきた人たちが亡くなり、親の葬式を出す時期にあたっていたのである。

■「200万円の戒名料」を支払ったテレビ局社員

バブルの時代には、葬式にかかる費用も相当に高くなり、高額な戒名料や布施のことも社会問題になった。院号のついた戒名になると、100万円以上を出すようなケースも少なくなかった。私の周囲にも、200万円の戒名料を支払ったと言った人がいた。バブルで潤ったテレビ局の社員である。

バブルがはじけても、いったん上昇した葬式の費用はなかなか下がらなかった。それが、家族葬や直葬が広がることによって、葬式に費用をかけないでも済むようになってきたのである。

直葬だと、10万円台の費用を広告している業者が多い。そこには、棺、骨壺、寝台車の搬送費用、火葬までの安置の費用などが含まれる。火葬自体の料金は、火葬場によって異なるため、そこには含まれない。火葬料金は、自治体によって異なるが、住民なら無料、あるいは1万円程度のところが多い。ただそれは、火葬場を自治体が運営している場合で、東京都のように、ほとんどが民営の火葬場というところでは、6万円程度かかる。

■自前なら「0円で葬式」が可能なはずだ

通販のサイトを見てみると、棺や骨壺が売られている。棺だと3万円、骨壺だと3000円程度である。そうしたものを購入し、自家用車で遺体を火葬場に運べば、火葬費用だけで直葬ができる。遺体を運ぶのには許可は要らない。そうなれば、費用などはほとんどかからない。健康保険では、5万円が埋葬料として支給されるので、それでまかなうこともできる。つまり自前の直葬なら、0円で葬式ができるのだ。

ただ、民間の火葬場だと、特定の葬儀業者と契約を結んでいて、その業者を通さないと、火葬してくれないところがある。東京都などはそうだ。私は、葬送の自由をすすめる会の会長をつとめていた時代に、「0葬」というものを提唱した。

0葬とは、火葬したとき遺骨は火葬場に引き取ってもらい、持ち帰られないというやり方のことをさす。これなら、墓を造る必要はない。散骨による自然葬の必要さえない。もっとも、0葬が可能なのは、もともと遺骨を引き取る量が少ない西日本の火葬場である。東日本では、かなり難しい。

直葬で0葬にすれば、葬式の費用は限りなく0に近くなる。少なくとも、葬式には金をかけない。そうした時代になっていることは間違いない。

■葬式に呼ばれることが減っている

世の中には気づきにくいことがある。

何かに呼ばれたなら、そのことは覚えているが、呼ばれないと、それについて意識することがない。「そう言えば、ここのところ葬式に参列したことがないな」と思う人も少ないだろう。葬式に参列する機会は相当に減っているはずだ。私も、ここ数年その機会がない。

そんなことを周囲の人間に話してみると、「『葬式は、要らない』などという本を書くから、葬式に呼ばれないのだ」と言われてしまう。だが、それは違う。親戚や知り合いで亡くなった人がいても、葬式は行われず、家族だけで見送ったというケースが増え、葬式に呼ばれないのだ。

そのため、フォーマルウェアを販売しているアパレルメーカーは、売り上げが落ち込み、それで困っているとも聞く。以前は、多くの参列者を呼ぶ葬式が一般的だったが、今ではそうした葬式が珍しくなった。働き盛りで急に亡くなったという人でもなければ、家族葬や直葬で葬られるようになってきた。

■企業が冠婚葬祭にかかわらなくなった

なぜ、葬式をしなくなったのだろうか。

さまざまな理由が考えられるが、「死者の高齢化」ということがそこに関係していることは間違いない。80歳代、90歳代で亡くなれば、故人の同世代の知り合いは、すでに鬼籍に入ったか、もしくは高齢で、葬式に参列することができない。実際、私も経験しているが、祖母や叔父たちの葬式がそうだった。家族以外に参列者がいなかったのだ。それでは、一般葬をやる意味がない。

もう一つ大きいのは、企業が葬式にかかわらなくなった点である。戦後の企業は、葬式に深くかかわっていた。村には、「葬式組」というものがあり、それが葬式全体を取りしきっていた。戦後の企業に就職したのは、多くが村の出身者だった。企業は、葬式組に代わる役割を果たすようになった。受付や式場への案内は同僚がやり、式にも多くの社員が参列した。

しかも、自分の会社の人間の葬式だけではなく、取引先の会社の人間の葬式にも参列した。もちろん、取引先の人間の親のことなど知るはずもない。それでも香典を持って出かけていったのである。

近年では、企業が、葬式だけではなく、社員の冠婚葬祭全般にかかわらなくなった。そこには、会社と社員との関係の変化が示されている。正社員ばかりではなく、非正規の社員が増えたことも影響している。企業がかかわらなくなったことによって、葬式の参列者の数は激減した。

■葬式に金をかけられない人が増えている

さらには経済的な事情も大きい。一般葬を行えば100万を超える金が必要になったりする。家族葬や直葬が、瞬く間に広がったのも、経済環境が悪化し、葬式に金をかけられない人たちが増えたからだ。

島田裕巳『捨てられる宗教 葬式・戒名・墓を捨てた日本人の末路』 (SB新書)
島田裕巳『捨てられる宗教 葬式・戒名・墓を捨てた日本人の末路』(SB新書)

それまでは、「世間体」というものがあり、葬式で無理をしていた可能性も考えられる。「粗末な葬式では故人が浮かばれない」。そうした批判の声が上がるために、それなりの費用をかけたのだ。村社会で葬式組が機能していれば、費用はさほどかからない。葬式組は持ち回りで、葬式を出してもらった側は、次の機会には出す側にまわる。

それが、都会になれば、葬式組はなく、地域の関係は薄い。そうなれば、どうしても業者に依存するしかない。それが、葬式に金がかかるようになった根本的な原因である。家族葬や直葬が広がったことで助かったと感じている人たちは少なくないだろう。家族葬の場合には、僧侶を呼び、読経してもらうことも多いだろうが、無宗教というやり方もある。直葬となれば、僧侶を呼ぶことはほとんどない。ともすると、日本の仏教は「葬式仏教」と揶揄されてきた。葬式をあげることが、信仰活動の中心だというわけである。

■「葬式仏教」が浸透してから、150年もたっている

そこには、江戸時代に生まれた寺請制度の影響が大きい。江戸幕府は、キリシタンなどの信仰を持っていないかを確かめるために、寺院の檀家になることを強制した。これによって檀那寺に葬式を依頼するようになり、葬式仏教というあり方が広く浸透するようになる。

明治に入ると、寺請制度は廃止されたものの、寺院と檀家の関係が解消されたわけではなく、それは受け継がれた。そのため、葬式には僧侶を呼び、仏教式で行うことが習俗として残された。

しかし江戸時代が終わってから、すでに150年の歳月が流れた。時代は大きく変わった。葬式を是が非でも仏教式であげなければならない必然性はなくなり、葬式の簡素化が著しく進行した。仏教系の宗教団体が信者数を減らすのも当然のことである。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者
1953年東京生まれ。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究課博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。現在は作家、宗教学者、東京女子大学非常勤講師。主な著書に、『創価学会』(新潮新書)、『日本の10大新宗教』、『葬式は、要らない』、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)などがある。とくに、『葬式は、要らない』は30万部のベストセラーになる。『プア充』(早川書房)、『0葬』(集英社)などは、タイトルがそのまま流行語になった。

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(宗教学者 島田 裕巳)

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