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中田敦彦が多読してわかった「身になる読書」をするための3要素

プレジデントオンライン / 2020年9月4日 11時15分

撮影=黑田菜月

お笑いコンビ・オリエンタルラジオの中田敦彦さんは、自身のYouTubeチャンネル「中田敦彦のYouTube大学」で本の紹介動画を配信している。2日で1冊のペースで本を読むという中田さんは、「読書を重ねるうちに、おもしろい本の共通点が見えてきた」という――。

※本稿は、中田敦彦『幸福論「しくじり」の哲学』(徳間書店)の一部を再編集したものです。

■インプットには、もっぱら本を使う

アウトプットし続けられる自分でありたい。そのアウトプットによって自分の、そしてできれば周りも含めた熱狂の渦を巻き起こし続けていたい。

そう思い続けているぼくが気をつけているのは、インプットの質と量。良いインプットあってこそ充実のアウトプットがあると信じているからだ。

お笑いに打ち込んできた時期には、テレビのバラエティやお笑い番組を片っ端から観て、芸人のネタも浴びるように観てきた。

YouTubeチャンネル『YouTube大学』やオンラインサロンをはじめてからのぼくは、インプットの質と量を担保するのに、もっぱら本を用いるようになっていった。

YouTubeで本をそのまま紹介することが多いわけだから当然なのだけど、読む本の量はといえばこのところかなりのものだ。だいたい2日1冊のペースである。ページの最初から最後までじっくり精読するのが2日1冊という意味で、それ以前に取り上げる本を選ぶ時点で何冊かざっと目を通し、加えて選定した本の内容の周辺知識を補強するためにさらに何冊か拾い読みしたりもするので、総量とすればそうとうになる。

つらい?

いやそんなことはない。自分にとって満足のいく、質の高いアウトプットを実現するためには、是が非でも同等のインプットが必要なのだから、YouTubeやサロンの活動を維持して質を高めていくためには、本のページをめくる手を止めるわけにはいかない。

それになにより、本はやっぱりおもしろい。このペースで読むようになって、いっそう感じるようになってきた。

■本は深く考えるための「補助器具」

もともとぼくは、さほど特別な読書家というわけではなかった。以前から流行りの小説や話題の新書、ビジネス本くらいは気になれば目を通していたけれど、言ってもその程度である。読むのが好きというよりも、実用として必要な知識を得るために読むというのが、基本的なスタンスだった。

たとえば中学生時代には、職業に関する本を熱心に読み漁ったことがあった。弁護士という職業はよく耳にするし、大人は判で押したように「勉強ができるなら法学部へ行って弁護士になるといい」みたいなことを言う。実態はどうなんだとあるとき調べたくなった。

お笑いコンビ・オリエンタルラジオの中田敦彦さん
撮影=黑田菜月

本にあたってみると、司法試験に受かるとなれるのか、でも弁護士以外にも裁判官と検事があるんだ、などと知ることになる。さらに裁判官と検事について調べると、そうかそのひとたちもつまりは官僚なのだとわかる。ということは、東大はいかに官僚養成所の色合いが濃いところなのかということもはっきりとしてくる。

じゃあなんでみんな官僚になりたがるんだろうと思って、さらに調べてみる。なるほど官僚にもいろんな仕事があって、中心にはいつも財務省があるのかと知れる。だったら勉強で勝負するとしたら財務省に行って、そこのトップを目指すというのが王道だな……と考えが進む。

このように、なにかを深く考えていくための道具というか補助器具として、ぼくは本を使っていたのだった。

■安部公房の「ぶっ飛んだストーリー」に驚愕した

当時は小説もちょくちょく読んでいた。

よく覚えているのは、安部公房の小説『壁』だ。確か高校の現代文の教師に勧められたのだ。安部公房は昭和期の日本を代表する文豪で、ノーベル文学賞の有力候補のひとりだったらしい。

『壁』はずいぶん不思議な話だった。主人公が理由もなく名前を失ってしまい、それにつれて存在権すら奪われていろんな罪を着せられていく。しまいには自分が壁になってしまうというあまりに荒唐無稽な展開で、

「え、こんな自由に書いちゃっていいの?」

と新鮮に思えた。

それまでの小説の印象といえば、やたら主人公がウジウジ悩み続けているものというものだったから、イメージが刷新された。村上春樹作品も好きで読んではいたのだけれど、彼の基本のテーマである「喪失感」みたいなものは若い当時はまだリアルに捉えられなかった。それよりもパスタを茹でるシーンだとか、ソファの買い方についてウンチクを傾けているようなところのほうに、ずっとおもしろ味を感じていた。そのあたりはぼくの好みがはっきり出ている。

ゴチャゴチャ悩んでいるだけではどうしようもない、そんな時間があったらなにか新しいことを考えたり好きなことをしたり、具体的な行動に移すべきだろう……。ぼく自身がそうありたいと思う理想の姿を、小説作品のなかに見たいという欲望が強かったのだろうと思う。

若さゆえか、自分の気持ちを色濃く投影させながらでないと読書ができなかったわけだ。

当時は、自分が特別な人間でありたいという思春期特有の思いも強くあった。それで、ちっともありふれていない、ぶっ飛んだストーリーを展開させる安部公房の小説が、よく響いたのだろう。

■おもしろい本には知識、思想、感情の3つがある

いま『YouTube大学』で紹介している本は、すべてが自分の内的な動機から手に取るものというわけにはいかない。それでもどの本にも「見どころ・読みどころ」はきっとあるということは、読書を重ねれば重ねるほど、よくわかるようになってきた。

お笑いコンビ・オリエンタルラジオの中田敦彦さん
撮影=黑田菜月

おもしろい本の共通点も、なんとなく見えてきた気がする。

それはまず、「ああ、そうなんだ」と知らない知識を教えてくれるところがあること。そして「なるほど」と新しい考え方を提示して驚かせてくれる面があること。さらには、「わかるなあ……」と思わず共感してしまうようなエモーショナルな部分がしっかり描かれていること。それらの要素がどれも満たされている本は、きっとおもしろいとわかってきた。

知識、思想、感情という3つを一挙にインプットできるというのは、考えてみればすごいこと。いい本に当たるというのは、これ以上なくお得な体験だ。

「当たり」の本から充実したインプットができると、自分のアウトプットにも間違いなくいい効果が期待できる。というのも、ぼくらはまさに「当たりの本」がもたらしてくれるようなアウトプットがしたいと思っているからだ。

知識、思想、感情。この3つを綯(な)い交ぜにして一挙に伝えられれば、相手に「そうなんだ」「なるほど」「わかる、わかるよ!」という体験をすべて届けることができる。それが実現できたら、最高のアウトプットといえるではないか。

本を大量に読むことによってぼくは、最良のアウトプットとはどういうものかを実地に学ぶことができたのである。

■『古事記』の荒唐無稽さを味わえるのは古典ならでは

『YouTube大学』で紹介した本のなかから、ぼく自身がとくに深い感銘を受けたものを挙げるとすれば、まずは『古事記』である。

学校の授業でそのタイトルは聞いただろうし、これを伝承したのが稗田阿礼だったというところまで覚えさせられた記憶のあるひとも多いと思う。ただ、その中身を読んでみたことのあるひとはどれほどいるか。ほとんどいないだろう。ぼくだって『YouTube大学』をやっていなかったら、これを読むことはなかったはず。なんとももったいないことである。

『古事記』とはつまり、日本の神話集だ。これがもう単純にエピソードとしておもしろい。話の内容や展開は、現代を生きる私たちからすれば、かなりむちゃくちゃである。え、ここでそんなことする? そっちに話が展開するの? といった驚きの連続。大昔の話ゆえ、常識がかけ離れているのだ。

物語として読むのなら、それくらい荒唐無稽なほうがおもしろい。現代には、理路整然とした話なら溢れ返っている。意味はよく通じるが、心になかなか残らない話はもうたくさん。せっかく古典を読むのだ、ここは破綻だらけの話の妙味を楽しみたい。

■「ストーリーにのせて伝承する」ということの原点がある

『因幡の白兎』という物語の名には、聞き覚えがある向きも多いだろう。この昔話も出典は『古事記』である。この因幡の白兎がまたズルくて、可愛くて、滑稽だ。そういうのが「ありがたい古典」として読み継がれてきたのだから、なかなか不思議なものである。

ほかのお話では、日本のいわゆる偉い神様たちが続々と登場する。たとえばスサノオなんて、かなり強烈なキャラクターだ。読んでいるこちらが引いてしまうほどの暴れん坊で、言動はやりたい放題。それがアマテラス、ツクヨミと並ぶ神々の頂点にいるというのだからすごい。

しかも、だ。このアマテラス、スサノオ、ツクヨミの三神は、ギリシア神話でいうゼウス、ポセイドン、ハデスという神々とキャラクターが酷似している。アマテラスとゼウスは最高神で、その身内であるところのスサノオとポセイドンはともに海の神。ツクヨミは月と闇の神でハデスは死と冥界の神。太陽、海、月の三すくみ状態が日本とギリシアの神話でまったく同じというのは、ひとの考えることは地域や時代を超えて根本は変わらないことを示しているだろうか。

ただし日本の神話のほうでは、アマテラスが女性である。最高神が女性という特徴はどこから来たのかなどと考えていくと、お話としても歴史としてもたいへん興味深く感じられてくる。

ストーリーにのせてなんらかの物事を伝え、受け継いでいくということの原点が、古典にはある。『古事記』に宿る力を借りながら、ぼくもいっそういい動画をつくっていけたらと意を新たにした。古典から学ぶべきことは本当に多い。

■『源氏物語』はいわば「SNSで人気に火がついた作品」

古典ということでいえば、これも『YouTube大学』で取り上げたもので、『源氏物語』も予想以上におもしろかった。古典の授業なんかで出合ってそれっきりというパターンが多いだろうから、あまりいい印象がないままというひともいるだろう。それはやはりもったいない。

あの作品はもともと、紫式部が周囲のひとを楽しませるために書いていたもので、いわばラブコメである。それが評判となり、ひとの知るところとなって、姫君のために書き続けてほしいというヘッドハンティングの話が舞い込んだ。それでさらに書き継がれていったものだという。

いわば平安時代の「見出された連載小説」。現代でいえばさしずめ、SNSで漫画をアップしていたら注目され、商業誌に引っ張られてそのまま大ヒット連作にまでなったようなものだ。

ラブだけじゃなくて、リアルな出世バトルの要素もたっぷり盛り込んであるから、半沢直樹のような雰囲気もあり、男ウケもいいと思う。ただし、クライマックスのバトルが「絵合わせ」で行われるところなど、さすが雅な平安貴族らしくて時代を感じさせる。

当時の知識や情報、人々の考え方、そして登場人物たちの抱いた感情を、手に取るようにして味わえる。そういう要素をすべて兼ね備えていれば、千年も読み継がれるものにもなるのだと思えば、ぼくらがコンテンツをつくるうえでも『源氏物語』は大いに指針となり目標となってくれるものなのである。

■『マクベス』にはサスペンスものや謎解きの源流が詰まっている

時代の荒波に耐えて生き残ってきた古典作品は、時を超えて単に情報を伝えるというだけでなく、ひとを楽しませるエンターテインメントとして圧倒的に秀逸な出来栄えになっている。ひとを楽しませる術と方策が、完璧に仕込まれているのだ。

中田敦彦『幸福論 「しくじり」の哲学』(徳間書店)
中田敦彦『幸福論「しくじり」の哲学』(徳間書店)

それは『古事記』や『源氏物語』と並んで、シェイクスピアの作品からもはっきりと感じ取ることができた。

とりわけ『マクベス』だ。構成がすばらしくうまい。冒頭でマクベスに対して魔女が3つの予言をする。急に現れた怪しい人物だから信用しなくていいじゃないかとも思うが、1つめの予言が即座に当たって、彼女を信じざるを得ない状況が訪れる。

すると2つめの予言も当たるに違いないとなり、マクベスはみずから予言に取り憑かれ近付いていってしまう。そこでさて3つめの予言が当たるや否や。物語はクライマックスへ向けて怒濤のごとく流れていく。

あらゆるサスペンスもの、推理もの、謎解きの源流がここに詰まっていると言っていい。時を経ても残るものの凄みは、やはり一度は実際に味わったほうがいい。

何百年も昔のものだと、さすがに時代設定的にピンとこない……。というひともいるかもしれない。そんなときは、そこまで時代を遡らずとも、名作の凄みを味わえるものでどうか。

たとえば、遡るのは昭和くらいまでにして、三島由紀夫である。その小説『仮面の告白』は『YouTube大学』でも以前に取り上げた。ゲイの青年を主人公とした話なのだけど、時代的にはまだそういう性指向が理解されておらず、彼は悩みを内側に抱え込んでいく。

彼に惹かれる女性が園子だった。ふたりはすれ違いを重ねながら、最後の邂逅としてミルクホール(当時の軽食店の総称)へ出向いた。帰る時間が迫る。今日こそ自分への気持ちを聞きたい園子だったが、彼のほうはといえば、たまたまそこに居合わせた好みのマッチョな男性に目がいって、気もそぞろだ。

ラストシーンは、卓の上にこぼれているなにかの飲物が、ギラギラ反射しているさまを描写して終わっている。彼のやり場のない欲望を象徴するようなものがポツリと提示される物語の閉じ方が切なくて、強烈で、たまらない。感情の揺れを文章にのせて描き出す表現力が、三島はずば抜けているのだ。

■たくさんのひとの深いところまで「言葉」を届けたい

ひとになにかを伝える手段や方法は、工夫次第で無限にあるものだ。ひととつながるコミュニケーションの在り方もまた多様にある。そういうことをぼくは、古典に触れることでいつも感じ取っている。

『古事記』の作者や紫式部にシェイクスピア、三島由紀夫らの表現力たるやすごいものがあって、だからこそ彼らの作物は古典として生き続けている。でも思えば、彼らもまた言葉の力を信じ、それをフルに活かすことで傑作を生み出したのだ。

大きなくくりでいえば、ぼくがやろうとしているのも彼ら先達と同じことだ。言葉の力を利用してインプットとアウトプットを繰り返し、少しでもたくさんのひとの深いところまで言葉を届けられたらと、日々発信している。発信場所は舞台だったりテレビだったりネット動画だったりと移ろってきたけれど、やりたいことはといえば、なんら変わっていないのである。

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中田 敦彦(なかた・あつひこ)
オリエンタルラジオ
1982年生まれ。2003年、慶應義塾大学在学中に藤森慎吾とオリエンタルラジオを結成。04年にリズムネタ「武勇伝」でM‐1グランプリ準決勝に進出して話題をさらい、ブレイク。またお笑い界屈指の知性派としてバラエティ番組のみならず、情報番組のコメンテーターとしても活躍。14年には音楽ユニットRADIOFISHを結成し、16年には楽曲「PERFECTHUMAN」が爆発的ヒット、NHK紅白歌合戦にも出場した。18年にはオンラインサロン「PROGRESS」を開設。さらに19年からはYouTubeチャンネル「中田敦彦のYouTube大学」の配信をスタートし、わずか1年あまりでチャンネル登録者数が250万人を突破した。

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(オリエンタルラジオ 中田 敦彦)

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