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食事はチョコと水だけ…「車上生活」中にSOSを発信した30代男性の過去

プレジデントオンライン / 2020年9月7日 15時15分

「SOS」を発信した男性との接触。どういった事情から、車での生活に至ったのか - 写真提供=NHKスペシャル

駐車場の片隅で、人知れず生活をしている人々がいる。2020年1月、NHK取材班は静岡県で支援活動を行っているNPO法人「POPOLO(ポポロ)」の事務所にいた。そんな中、「家が無く車中泊をしているのですが、支援を受けることはできるのでしょうか?」と1通のメールが届く。送り主の男性はどうして「車上生活」を送ることになったのか――。

※本稿は、NHKスペシャル取材班『ルポ 車上生活 駐車場の片隅で』(宝島社)の一部を再編集したものです。

■ギリギリのところでつながった支援

「初めまして。NPO法人・ポポロの鈴木です」

車に向かって鈴木さんが挨拶する。

その瞬間、運転席に座ったまま頭を下げる人の姿が見えた。男性だ。年齢は20代後半から30代ぐらいだろうか、想像していたよりも若い。時折見える横顔は、かなり骨張っているように感じられた。

「父親が暴れる人なんだね。僕の家と似ているな。僕も父親から虐待を受けていたから」

鈴木さんは自らの体験を交えながら男性と話を続ける。

男性の声はか細い。ただ、聞こえてきた会話の断片から、男性は父親からなんらかの虐待を受けたことが原因で車上生活を始めたようだとわかった。

男性の年齢は30代後半。車上生活は最低でも3カ月以上にわたっているということだった。栄養状態は悪く、ここ数日間、食事らしい食事はとっていなかったという。虐待の有無に関しては、今回の話だけでは判断できないが、少なくとも自我を強く抑えられるような家庭環境で長く暮らしていたことは間違いなさそうだいうことだった。

男性の支援を第一優先に考えたい、という鈴木さんの強い意向から、この日、私たちが男性への取材を行うことは叶わず、遠巻きに二人の様子を見守るだけに終わった。

しかし、支援に関してよい知らせがあった。鈴木さんからの連絡を受けた行政の対応が早く、男性にはその日のうちに住居が提供されることになったというのだ。支援につながり、命が救われたことは本当によかった。そう心から思った。

数日後、男性の生活状況の確認に同行できる機会が巡ってきた。男性の健康状態や気持ちが少し安定してきたようなので、NPOの活動に同行するかたちで、直接会って取材を依頼してみてはどうかという鈴木さんのはからいだった。

■他の車上生活者と違った男性の生活

“車を降りた”男性が住むことになったのは、海に近い、古いマンションだった。

鈴木さんによる状況確認が一段落したところで、私たちも部屋に入ることができた。

狭いワンルームマンションの一室で初めて男性と向き合う。広い肩幅の割に、顔やうなじが極端に痩せているため、華奢(きゃしゃ)な感じがした。そのせいか、実際の年齢に比べて「若い」というよりも、「幼い」という印象を持った。

部屋の中には小さなテーブルと物干し程度の家具しかなかった。テーブルの上には紙コップと薬、筆記用具などが整然と並べられている。床には車中泊で使っていたと思われる薄い寝袋と毛布が敷いたままになっていたが、雑然とした感じではなかった。

男性が住むことになったマンションの一室
写真提供=NHKスペシャル
男性が住むことになったマンションの一室 - 写真提供=NHKスペシャル

これまでに出会った車上生活者たちの多くが、たくさんの物を持っていた。収入が少ないなか苦労して手に入れた生活必需品から、手放したくない思い出の品まで──。彼らはさまざまな理由から「自分が生きるために必要な物」を持っていた。

しかしこの男性の暮らしぶりはなんだろう。驚くほど持ち物が少ないのだ。あらゆることに執着がなく、まるで明日生きることを諦めているような佇(たたず)まいだった。

■一家離散し、暴力をふるう父親との2人暮らし

私たちは「あなたがこれまでどういう人生を歩んできたのか、教えてもらえないか」と申し出た。しばらく会話が途切れたあと、男性は「名前や顔を伝えないという条件で、答えられる範囲でよければ」と言い、小さな声で自らの生い立ちについて語り始めた。

男性はかつて家族5人で暮らしていた。しかし次第に父親が暴力を振るうようになり家庭は崩壊。男性が小学生のとき、暴力に耐えかねた母親が突然失踪した。その後、兄や姉も進学を機に家を離れ、一家は離散する。まだ幼かった男性は父親と二人で暮らさざるを得なかった。

家の中では包丁や鉄アレイを投げつけられ、けがをすることもあったが、親戚の多くが地元で働いていたため、「世間体を考えて、虐待のことは隠してくれ」と言われ、我慢するしかなかったという。

父親は仕事をしていると言い張っていたが、収入はほとんどなく、学用品を揃えられないなど、恥ずかしい思いをすることが多くなり、中学生の頃から次第に学校に行くことができなくなった。ただ勉強自体は苦手ではなかったし、同じような不登校の友達もいたことから、男性は高校への進学を目指し勉強を続けていたという。そうしたなか突然、父親が高校の学費を支払わないと言い出したことで、男性は受験を断念せざるを得なくなった。

■なぜ、家を出られなかったのか

我慢し、傷つき続けた思春期を過ごした男性。

心の平衡を保つためだったのだろうか、自らの過去を語るとき、「仕方がなかった」という言葉をよく使った。また、父親から受けてきた暴力については、吐き出すように何度も語った。

そのため、幼い頃に起こった出来事なのか、成人してからの話なのか、聞き手としては戸惑う場面も多かった。きっと自分の身に起こったことを素直に人に話すことに慣れておらず、感情をすべて抑え込んで暮らしてきたのだろうと思った。

高校への進学を諦めて以来、引越業やコンビニの店員などのアルバイトで収入を得ながら、延べ20年以上にわたって父親との二人暮らしを続けてきたという。成人してからも家を出なかった理由について、男性は「収入があっても、連帯保証人がいないと家を借りることができない。無収入の父親や疎遠になった親戚では連帯保証人や緊急連絡先として認められなかった」と説明した。

そして自分に言い聞かせるように「とにかく黙って言うことを聞いていれば、生きる居場所だけはあった」とつぶやいた。

■居場所を知られないように選んだのが車だった

男性が車上生活を始めたのは、父親の認知症にまつわるトラブルが原因だった。

70歳ぐらいになった父親はこれまでの暴力に加え、自宅の階段をのこぎりで切って壊したり、食器を割ってその破片を部屋にばらまくなど、認知症が疑われるような行動をとるようになった。

耐えかねた男性が警察を呼んだところ、父親が家を出るというかたちで解決を図ることになった。しかし、行き場のない父親は、しばらくするとまた家に戻ってきてしまう。

男性はこれまで以上の恐怖に苛(さいな)まれるようになり、自分の居場所を知られないよう車で逃げ出したという。車はかつてアルバイトで貯めた金で購入したものだった。

その後、スーパーやパチンコ店の駐車場を転々としながら暮らしていたが、警察の職務質問を受けることが多かったため、次第に車中泊の許されている道の駅で寝泊まりするようになったという。父親の影に怯え、人の気配がしただけで目が覚め、身体が固まった。常に鎮静剤の服用が欠かせず、朦朧とした意識のなかで、「生きたいのか生きたくないのか、自分でもわからない」状態になっていったという。

父親から逃れることだけを考え続け、最後に辿り着いたのは海の近くの駐車場だった。

所持金は尽き果て、ガソリンもわずかしか残っていなかった。口にできる物は少しのチョコレートと水だけ。男性は「ここで自分は餓死するんだろうな」と感じていた。寝ているのか意識を失っているのかわからない状態のなか、鈴木さんにメールをしたという。

なぜ支援を求めたのか。その理由を男性は言葉にしてくれなかった。

車上生活は1年半あまりにわたっていた──。

夜の駐車場に佇む車(※写真はイメージです)
写真提供=NHKスペシャル
夜の駐車場に佇む車(※写真はイメージです) - 写真提供=NHKスペシャル

■“車を降りる”決意をした胸中とは

インタビューを撮影したあと、彼が最後に車上生活をしていた場所に行きたいと思った。朦朧とした意識のなか、「生きる目的もなく、逃げることしか考えていなかった」という男性が、支援を求めた理由に辿り着きたかったからだ。

長い車上生活の末に男性が行き着いたのは、太平洋に突き出た岬の突端の駐車場だった。冷たい風に煽られた波が、岩に荒々しく打ちつける。風と波の音しかしない場所。

(彼は本当にこの風景を見ていたのだろうか)

冬の残照に浮かぶ殺伐とした情景を前に、思った。

NHKスペシャル取材班『ルポ 車上生活 駐車場の片隅で』(宝島社)
NHKスペシャル取材班『ルポ 車上生活 駐車場の片隅で』(宝島社)

もしかすると、彼がこの駐車場で見つめていたのは、自分自身の過去だったのかもしれない。

父親からの暴力。家族の離散と貧困。周囲からの孤立。自分の力だけでは抗うことのできなかった過去の重さに押し潰されそうになりながら、死を選択する寸前のところで鈴木さんにSOSを送ったのだと思った。車のドアを開け、十数歩も歩けば簡単に死を選ぶことのできる、この最果ての駐車場で彼は一人考え抜き、「苦しいけれど生きる」という決断をしたのだ。

ふと、男性が「安心した」と何度も繰り返し鈴木さんに言っていたことを思い出した。彼が得た安心とは、車を降り、少し胸を張って生きていくことができる“自分の居場所”を見つけられたことなのかもしれないと思った。

(NHKスペシャル取材班)

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