「在宅勤務ができるのに出勤する人」を生み出す日本社会の残念さ
プレジデントオンライン / 2020年9月16日 9時15分
※本稿は、内田樹・岩田健太郎『コロナと生きる』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■バブル崩壊で始まった日本の凋落
【内田】90年代にバブルが崩壊したあたりから、日本の凋落は始まったと僕は感じているんです。それ以前の70年代~80年代だって、別に日本にはグローバルなビジョンや国家戦略があったわけじゃない。でも、経済成長を続けていずれ“世界一金持ちの国”になるんだという変な勢いだけはあった。そういう「行け行けドンドン」のときは、みんな自分のことで一生懸命ですから、他人のことなんか構っている暇がないんです。国力向上期というのは、そういうものなんです。みんなおのれの出世や金儲けに夢中ですから、他人のことは気にしないんです。オレの邪魔さえしなければ、その辺で好きにしてろよと、放置しておいてくれる。だから、僕らみたいなまるで社会的有用性のないフランス文学とか哲学とかやっている人間にとっては生きやすい時代でした。仏文研究室にもトリクルダウンでじゃんじゃん予算がついたんですから。
それがバブル崩壊からいきなり風向きが変わった。日本全体が貧乏臭くなったんです。貧乏臭くなると何が始まるかというと、人のところにやってきて「お前は何の研究をしているんだ。それは世の中の役に立つのか? 金が儲かるのか?」とうるさく査定するようになったんです。役に立たない部門にはもう予算をつけない、人員もカットする、と。いきなり「せこく」なった。
■「人と違うことをするな」という圧力が強まった
【岩田】大学の空気はバブルの前後で大きく変わりましたね。
【内田】とにかくうるさく査定するようになってきた。その査定に基づいて資源の傾斜分配ということをするようになった。限りある資源なんだから成果主義で配分する、というのは一見合理的に見えますけれど、査定をするためには単一の「ものさし」で全員の活動を数値化しないといけない。そして、単一の「ものさし」をあてがうためには、「みんなが同じことをしていて、数量的な差だけがある」という仕組みにしないといけないわけです。100メートル走をしている人間とサッカーをしている人間とダンス踊っている人間を同一の基準で格付けすることはできませんから。全員を同一基準で査定しようとするから、「人と違うことをするな」という同質化圧力が強まる。
■大学生のTOEIC受験が象徴すること
【内田】学生たちが雪崩うってTOEICのテストを受けだしたのは、あるときから英語運用能力が学力の「ものさし」になったからです。そうなると、フランス語や中国語やアラビア語をやっている学生は「査定対象外」に弾き飛ばされる。「査定対象外」ということは実質的には「0点」ということです。学生たちは「0点」じゃたまらないから、「みんながしている」活動で、数値的な優劣を競うようになった。そうやってアカデミアから一気に多様性と自由が失われた。見ず知らずの他人がしていることについても、いちいちあら探しして、揚げ足をとる人間が出て来たのも、その頃からですね。貧乏になるとそうなるんです。勢いがあるときは自分のことに夢中で、人のことなんか目に入らないんですけれど、落ち目の時代、「査定」の時代になると、自分はやりたいことがないし、やりたくてもできないので、結局他人の足をひっぱることが仕事になってしまう。「日本も落ちるところまで落ちたなあ」と感じたのは、少し前に僕のツイッターに「鰻を食べた」と書いて写真を上げたら、「そんなことを自慢するな。貧しい人間の気持ちがわからないのか」と怒られたときです。ただの鰻ですよ(笑)。「ああ、日本も終わったな」と思いましたね、本当に。60年代、70年代は今より貧乏でしたけれど、そんな「せこい」ことを言う人はいなかったですよ。
■「伊丹十三みたいな人」を許さない世の中
【内田】伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』は1965年の本ですが、その中で伊丹はスパゲッティの食べ方や、アーティチョークの料理法や、高級車の発注の仕方などについて蘊蓄を傾けているわけです。こっちは「アルデンテ」も「ジャギュア」も知らない敗戦国の子どもでしたけれど、それを読んで嫉妬するということはまったくなかった。ああ、敗戦国日本からもついにこのような国際派が登場してきたのか、うれしいな、誇らしいなあというのが素朴な印象でした。伊丹十三のハイエンドな暮らしぶりを「わがこと」のように喜んだ。でも、もし今「伊丹十三みたいな人」が出てきて、『ヨーロッパ退屈日記』みたいな本を書いたら、「けっ、自分ばかりいい思いしやがって」という嫉妬と罵倒のリプライが殺到するんじゃないかな。
【岩田】同感です。
■日本人は「パイを大きくする工夫」を忘れている
【内田】社会全体でパイが大きくなっているときには、分配方法について文句を言う人は少ないんです。各自の取り分が前日より増えていれば、とりあえず文句はないんです。でも、パイの拡大が止まったり、縮小が始まると、いきなり手元のパイから隣のパイに目が移る。「おい、この切り分け方はおかしいんじゃないか。どうして隣のやつがオレより取り分が多いんだよ」というようなことを言う人が出てくる。必ず、出てくる。「パイをどうやって大きくするか」より、「誰もが納得できる合理的な分配ルール」とか「厳正な格付け基準」という話に話題がシフトする。
でも、分配方法をどれほど合理的にしても、格付け基準を厳格化しても、それはパイの増減には何の関係もないんです。どうやってパイを大きくするかについて、みんなで創意工夫をこらすべきときに、その時間とエネルギーを分配方法の策定に浪費しているわけですから、パイは日々縮んでゆくに決まっている。そして、パイが縮むほど、分配方法についての議論はさらにかまびすしくなる。僕はそれがこの四半世紀にわたる日本の凋落の実相だと思いますね。90年代まで日本はITでも、工業製品でも、あるいは学術情報の発信やエンターテインメントでも、世界標準レベルのものを供給していた。それがわずか20年で、一人あたりのGDPで世界2位から26位まで落ちた。これだけ急激な凋落を経験した国は歴史上それほどないです。その理由は「パイを大きくする工夫」を忘れて、「パイの分配方法の工夫」に国民が熱中してきたせいだと思います。
■コロナ感染が広がる一番の原因は「同調圧力」
【岩田】内田先生のお話を聞いて思ったんですが、もしかするとこの新型コロナウイルスのパンデミックが、人の足を引っ張りあう社会から脱却する、一つのチャンスになるかもしれません。
コロナの感染が広がる一番の原因は、「同調圧力」なんです。みんなが一つの場所に集まるから、どんどん感染が広がっていく。逆に言えば、「人と違うこと」をやり続けていれば、感染リスクはどんどん減っていくんです。ところがこの「人と違うこと」に、今の日本人の多くは耐えられない。
「リモートワークの環境が整ってるなら自宅で働けばいいじゃん」となっても、「同僚が電車に乗って会社に通ってるのに、俺だけ家にいるのは許されない」とか言って、みんな出勤する。他の人と合わせないことで、ペナルティをもらうことを恐れてるんですね。
僕は毎朝5時過ぎからジョギングをするんですけど、その時間だと、例えば自宅から六甲アイランドまで往復11キロぐらい走っている間、ぜんぜん人に会わないんです。週末はたいてい、このくらい走ってますが、他に人もいないのでマスクもせずに普通に走ってます。それで他の人に「外を走っても、人がいなければコロナに感染はしません」と言うと、「じゃあジョギングは大丈夫なんですね?」と思われて、みんなでジョギングを始める。するとジョギングの集団ができちゃうので感染が広がる(笑)。
■「ずらす」ことは生存戦略になる
【岩田】人と違うことに耐える、そして誰かが人と違うことをやっても許せる。この二つの姿勢を僕らが身につければ、コロナ対策にもなるし、日本社会のヘンな同調圧力から脱却できる契機になると思うんですね。
【内田】それはほんとうによくわかります。感染症対策として一番いいのは「ばらける」ことなんですよね。できるだけ「みんながしていること」はしない、というのがいい。これは、限られた環境世界のなかで複数の生物種が生き延びてゆくために、生態学的ニッチを「ずらす」という生存戦略と同じだと思うんです。生物は夜行性、昼行性、肉食、草食、樹上生活、地下生活……というふうにニッチを「ずらす」ことで空間的にも、資源的にも限られた環境のなかで共生している。感染症はそういう生き方が人間の場合でも生存戦略上有利であるということを教えてくれたんじゃないかと思います。岩田先生も僕も、「人と同じことをする」ことが大嫌いですけれど、そういう人って、たぶん感染症に強いんですよね。
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神戸女学院大学名誉教授
1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。著書に『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)『日本辺境論』(新潮新書)、街場シリーズなど多数。
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神戸大学大学院医学研究科教授
1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。08年より神戸大学。著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)など多数。
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(神戸女学院大学名誉教授 内田 樹、神戸大学大学院医学研究科教授 岩田 健太郎)
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