「認知症の母をつい叩いてしまう」シングル介護で苦しむ独身男性の涙声
プレジデントオンライン / 2020年9月13日 9時0分
<前編のあらすじ>
関西地方の旅行会社に務める狛井(こまい)正浩さん(仮名、57歳独身)は、生まれ育った家で40年以上、両親と共に暮らしてきた。昔ながらの一軒家で、段差が多く湿気がこもり、夏は暑く冬は底冷えする。狛井さんは、2009年に新築マンションの一室を両親にプレゼントした。しかしまもなく母親が要介護に陥る。しばらくは父親が母親を介護してきたが、2015年にがんで急逝してしまう。
■母親の右手の甲に紫色のアザ、ヘルパー2人と事業所の人が謝罪に来た
翌年2016年3月、ちょうど仕事が終わる時間に、要介護の70代母親のホームヘルパーのAさんから電話があった。
「お母さんの歩行介助中に足の出が悪く、ふらつかれた時にヘルパーのBが支えたんですが、とっさに手を下につかれて、手の甲にアザができました」
狛井さんは転倒が一番怖かったため、「尻餅はついてないですか?」と尋ねる。「ついてないです」。Aさんははっきり答えた。
帰宅した後、狛井さんは「お母さん、今日ケガしたらしいなあ」と話しかけたが、母親は何も言わなかった。
「母の右手の甲には紫色のアザができていました。その日は立ち上がり用の手すりを持たせると立つことができたので、念のために入浴はせず、トイレだけ済ませて寝かせました」
ところが翌日、異変が起こる。
狛井さんが帰宅すると、「母親の動きがおかしい」という内容の報告が、別のヘルパーから介護ノートに記載されていた。狛井さんは、すぐに立ち上がり用の手すりを母親に持たせ、立つように促してみたが、母親はソファーから立ち上がれない。
「不審に思い、母に昨日どんな転び方をしたのか聞きました。すると母が言うには、手すりの向こう側へ回るように転んだようで『ウチがキャー! って言うたからヘルパーさんがビックリして飛んで来たんや!』と言うのです」
つまり、ヘルパーはしっかりサポートをしていなかったことになる。狛井さんは思わず、「お母さん、ヘルパーの人がそんなことせえへんやろ!」と大声を出してしまう。
「違う! ウチ嘘なんかつかへん!」母親は自由に動くことはできなかったが、頭はしっかりしていた。何より、狛井さん自身が「母は嘘を言うような人ではない」と分かっていた。
狛井さんは、ヘルパーのAさんBさんの事業所に電話をし、事実確認を依頼する。電話窓口の人は、「そんなことがあるはずがない」と最初は否定したが、約30分後に返事が入る。「申し訳ありません。そういった事実がありました……」と。
その夜、ヘルパーのAさんBさんの事業所の事務長と本人たちが謝罪に来た。狛井さんは、「今後、絶対に嘘はつかないでくださいね」と注意し、3人を帰らせた。
「その時は、1〜2週間もすれば、また元のように介助すれば歩けるようになると信じていました。私が甘かったのです」
■下半身筋力が低下した母親の排泄処理・陰部洗浄をする独身の中年息子
母親はこの事故が原因で、日に日に身体機能が衰えていく。ヘルパーのAさんBさんの会社に連絡しても、折り返しはない。ケアマネや市役所に相談しても、たらい回し状態で全く力にならなかった。
2017年3月。エックス線検査をしたところ、以前にはなかった第4腰椎の圧迫骨折が見つかる。
「本来なら、あの後すぐに大きな病院へ連れて行きMRI検査をするべきでした。MRIなら、骨折が最近のものか昔のものかわかるのです。でも、普段から検査続きで負担をかけていたため、母がふびんに思えてしまい、その検査をしませんでした」
事業所の不誠実な対応にいら立ちを感じた狛井さんは、弁護士に相談しようと思った直後、母親が気管支炎をおこし、危険な状態に陥る。
何とか回復するも、下半身の筋力の著しい低下により、トイレで排泄することが困難に。平日の日中はヘルパーさんや看護士、それ以外は狛井さんが、ベッドにて排泄処理・陰部洗浄を行うようになった。
■衰えていく母親「ゆっくり食べたいんやったら老人ホームに入るか?」
狛井さんは、平日の朝食はいつも30~40分かけ、なるべく母親が自分の手で食べられるよう、介助をしながら見守るようにしていた。しかしだんだん時間がかかるようになり、会社へ行く電車の時間が迫ってくると、イライラしてこう言ってしまう。
「お母さん、そんなにゆっくり食べるのやったら会社に遅れてまう。ゆっくり食べたいんやったら老人ホームに入るか?」
「いやや、行けへん」
「あかん、行ってもらう」
「いやや、行けへん。ここにおりたい」
余裕がなかった狛井さんは、ついカッとして怒鳴った。
「あかん、もうおらんでいい!」
「わかった、行く~!」
思いがけない母親の言葉にわれに返り、狛井さんは母親の前に跪(ひざまず)いて謝った。
「私の母に限らず、親にとっては一番つらい言葉だったと思います。母以上に息子の私自身が、母と離れて暮らすことなんてできないとわかっていたのに、あの日はひどいことを言ってしまいました」
■左頬を2回叩いた。「母は言い返すことなく、私の顔をじっと見ていた…」
母親は転倒事故後、1カ月以上たっても介助歩行がうまくできない。手すりを持って数秒立つことさえままならず、なかなか事故前の状態に戻らない焦りと事業所への恨みから、狛井さんのいら立ちはますますつのっていた。
そんなとき、母親はトイレから廊下の手すりを持ち、車いすまであと少し……というところで床にしゃがみ込んでしまう。介助していた狛井さんは、「なんでこんなことができへんのや!!」と母親の左頬を2回叩いた。
「母は、私に言い返すことなく、にらみ付けるわけでもなく、ただ私の顔をじっと見ていました……」
問題の事業所は、母親の事故から約1カ月後、事業所都合で訪問ヘルパー業務から撤退。新しい事業所のヘルパーと交代した。
新しく変わった事業所の訪問ヘルパーさんは、母親の寝かせ方も布団のたたみ方も、丁寧で完璧だった。狛井さんは「この人なら信頼できる」と思っていた。
あるとき、狛井さんが介護ノートに、できないことが増えていく母親に対して、叩いてしまったり、ひどいことを言ってしまったりしたことを悔やむ文章を残す。するとそのヘルパーさんは、母親に狛井さんが悔やんでいることを伝えてくれたうえで、母親の気持ちを代弁してくれた。
■「息子は何も悪うない、出けへんウチが皆悪い」
「お母さん、『息子は何も悪うない、出けへんウチが皆悪い』って言ってましたよ」と……。
それを聞いた狛井さんは、涙があふれるのを止められなかった。
「母は何ひとつ悪いことなどないのに……。自分の未熟さが情けなかったです。それ以降は、たとえどんなことがあろうと、一生、母の世話を続ける。その思いしかありませんでした」
■窒息して意識不明の母親の耳元で「高原列車は行く」を歌った
母親の衰えはその後も急激に進み、とうとう要介護4(※)になってしまった。
編集部註※食事、排せつ、入浴といった日常生活全般において全面的な介助が必要である状態。要介護3と比べ、より日常生活動作が低下。
母親は認知機能が低下し、言葉数が少なくなり、笑顔が消えた。
2017年5月には誤嚥性肺炎を発症。蜂窩織炎以来の高熱と酸素飽和度低下となり、狛井さんは入院を要望したが、医師の判断で自宅にて点滴・治療を受け、無事回復した。
そして6月。仕事で年に1回の1泊2日の添乗員業務があり、前日から2泊3日で母親をショートステイに預けた。するとショートステイ2泊目の夜、出張先の宿にいた狛井さんの携帯に連絡が入る。
「夕食後にお母さまが窒息して意識不明です……」
狛井さんが4時間かけて病院に駆けつけると、母親は集中治療室で口の中に管を入れられて横たわっていた。狛井さんは、「もう無理だ」と分かりながらも、母親とよく一緒に歌った「高原列車は行く」を耳元で歌った。
そして翌日。一度も意識が戻らないまま、血圧が下がり始めたのを認めた狛井さんは、涙を流しながら「お母さん、今までほんまによう頑張ったなあ。お母さんの息子で幸せやった。ありがとう、ありがとう」と何度も繰り返した。
母親はその日の夕方、息を引き取る。6月12日。狛井さんの54歳の誕生日に、7年半の介護生活が終わった。
■母が窒息になった理由は、またも介護スタッフの「ミス」だった
なぜ、母親は窒息状態になったのか。
ショートステイ先の施設では、その日の利用者は9人、職員は2人。母親ともう1人が食事介助を受け、他の7人は、食事介助は不要だった。
「母の最後の食事は、職員の介助により、15分で完食したそうです。母の食事が終わった後に、他の利用者が『おしっこ!』と言ったため、トイレ誘導のため職員が母から離れ、母は1人きりになりました。その間に一度、もう1人の職員が遠目に母を見ましたが、変わった様子はなかったようですが、15分ほどして職員が戻ってくると、車いすの後ろに頭を垂れた状態の母を発見し、慌てて近づくと、母の唇は紫色になり、口から舌を出していたそうです」
今回も職員の見守りが不十分だった可能性があったのだ。
母親にはすでにチアノーゼが出ており、職員の声かけにも反応はなく、職員はAEDを試した。その後、救急車を手配し、狛井さんの携帯に連絡をしたようだ。
ショートステイ先の施設の所長は、狛井さん宅を訪れ、母親の遺骨の前で土下座して謝罪した。しかし狛井さんの気持ちは晴れない。なぜなら狛井さんは、「当日食事介助をさせた職員との面談」を希望しているにもかかわらず、それがかなえられなかったからだ。
狛井さんは要望を伝え続けたが、半年もたつと連絡も来なくなり、1年後には弁護士を立ててきた。
「もしもその職員との面談がかなうなら、母との最後の食事の状況を聞きたいです。当時の母に食事を15分で終わらせるなんて、ハイスピード過ぎます。どんな人に食事をさせてもらったか、名前だけでも知りたいです。自分が食事をさせた高齢者が窒息して亡くなり、その後どんな思いでいるのか知りたいです。もうすでに、忘れているかもしれませんが……」
■中年独身男性が7年半も両親の介護を続けられた理由
狛井さんの父親は、社交的な人だった。きょうだい仲もよく、甥や姪からも慕われ、近所の人とも親しくしていた。一方、母親は内向的で大おとなしく、全く違うタイプ。
「両親に共通していたのは、人のことを悪く言わない。誰に対しても平等。そして、ずっと独り身の息子に対して、一度も『結婚しろ』と言わなかったこと。特別夫婦仲がよいと感じたことはありませんでしたが、母の葬儀で母の従妹から『2人はいい夫婦だったよ』と言われました」
狛井さんと母親は、介護が始まる前から毎週末、車でドライブや買い物に出かけていた。
「私にとって母は生きがいでした。母は親でありながら娘みたいにかわいらしく、一番の親友でした。身体が不自由になっても、愚痴や弱音を吐かずにリハビリを頑張る、穏やかでひたむきな、変わらない母の姿に癒やされていました」
思えば、そんな母を変えたのは、最初の介護事故だった。
「母に2度もつらい思いをさせてしまったことは、後悔してもしきれません。全部私のせいです。大切な仕事とはいえ、母を知らない人に預けてしまい、食堂で一人窒息死していた母のことを考えると、これ以上苦しいことはありません」
■2匹の猫を飼い、雄には父親、雌には母親の名前を
狛井さんは、母親がいなくなってしまった現実が受け入れ難く、母親の遺骨の前で何度もわびた。それでも毎日仕事に行き、必死になって働いた。
「職場で家族がいないのは私だけでした。毎日1人残って働いている自分が、情けないやら悔しいやらで、夜の職場で泣いたこともありました。当時の私は、ただ忙しくすることで、苦しみから逃れようとしていたのだと思います」
そんな頃、同じように介護していた親を亡くして苦悩している人たちとSNSでつながり、やりとりしていくうちに心が救われていった。
「今思うと、介護を通して感じられた喜びは、自分を大事にしてくれていることを感じられた時かもしれません。両親のW介護状態の時、要介護4となった認知症の父に、ぽろっとこぼしたことがありました。『お母さんだけでなく、お父さんまで車いすになるとは思わんかったなあ。僕はもう仕事を辞めて、2人の世話に専念させてもらおうかな?』すると父は笑いながら、『お前、そんなにはように仕事辞めてどないするんや?』と答えてくれました。認知症でありながらも、息子のことを思った、親らしいありがたい一言でした」
狛井さんは現在、両親と3人で暮らすために購入したマンションで、一人暮らしをしている。
「恐らく介護する側の人手不足は、これからもっと深刻化すると思います。若い人が希望の持てない仕事や職場は、人が育ちません。介護の仕事は、『仕事がないから取りあえず』でできる仕事ではありません。介護業界を変えないといけないでしょうね……。特にやりたいことはありませんが、今は漠然と、介護していた親との死別を経験して、親を喪(うしな)った苦しみからはいあがれない人をサポートするような活動ができたなら、両親への供養になるかもしれない……と思っています」
狛井さんは最近、2匹の猫を飼い始め、雄には父親、雌には母親の名前を付けた。
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ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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