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真夏の甲子園で「日本一ホットコーヒーを売った女」がやったこと

プレジデントオンライン / 2020年9月28日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

甲子園球場にはビールや酎ハイを売る「売り子」がいる。作家の岸田奈美さんは大学生時代、ビール売り子に憧れてアルバイトに応募したが、配属先はホットコーヒーの販売だった。そこで岸田さんは「歴代で最も多くのコーヒーを売った女」になった。その方法とは――。

※本稿は、岸田奈美『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)の一部を再編集したものです。

■ピンク色のスカートで、ビール樽を背負うはずだった…

まだ会社員だったころ、甲子園へ高校野球を観に行った。何気に、わたしにとっては毎年恒例の行事である。あだち充(みつる)の漫画に焦(こ)がれすぎたゆえの行動力。

高校野球っていったらもう、青春の代名詞じゃないですか。かくいうわたしもね、してた。青春。

甲子園球場の売り子のバイトを、大学生時代に。

ほら、あれですよ。わかりますか。ピンク色のスカートはいて、ビールの樽(たる)背負って。

「アサヒスーパードルァァイいかがですかー?」って。客席の花形ともいえる。

正直、あこがれてた。はちゃめちゃにあこがれてた。

父から「お前には浅倉南の“南”って名前をつけようとした」っていわれた記憶を、勇気に変えて。甲子園球場の浅倉南に、わたしはなりたかった。

そんで売り子に応募して。トントン拍子(びょうし)で受かって。

「いやー、すこぶる順調。生まれもってのスターだわこれは」くらいにね、思ってた。堂々と。何の疑いもなく。

初出勤日に、ホットコーヒーの箱をもたされるまでは。

見たことある?

39℃のとろけそうな日に。ビールやら酎ハイやらカチ割氷やらが、飛ぶように売れる日に。

ホットコーヒー、売り歩いてる女を。

見たことない。そんな純度100%の奇行、見たことない。

逆張り思考にも限度がある。

しかもこれ時給じゃなくて、歩合制だから。一杯20円とか30円の。シビア極まりない。

■制服はくすんだ紺色、ズボンにはポッケがいっぱい

制服も「思ってたんとちゃう!」と叫(さけ)びたくなる出来。

まず、色。ピンク色じゃない。この世の終わりかと思うほど、くすんだ紺色。

スカートでもない。ズボン。パンツでもキュロットでもなく、ズボン。ポッケがいっぱい。

追い打ちをかけるかのごとく、わたしの順調に育った太ももに悲鳴を上げてる。パッツンパッツン。

更衣室で鏡見た瞬間に思った。さすがにこれはないな、と。売り子のとりまとめをしているお兄さんに聞いてみた。

「あの……なんでわたしだけホットコーヒーを?」
「ああ! ひとりはね、そういう需要にこたえられるようにね、入れてんのよ」

どういう需要なんだ。

「岸田さん、面接の自己PR(ピーアール)でひとりだけ、ストライク入ったときの敷田直人(しきたなおと)球審のモノマネしたでしょ。なんかこの子なら、ニーズと真逆の商品も売ってくれそうだなって……天の邪鬼の才能っていうのかな」

ニーズと真逆を自覚しておきながら、それでもなお……?

この人、天の邪鬼っていう言葉の意味をたぶんわかってない。

どうやらまわりの人の話を色々聞いてると、このバイトには、露骨(ろこつ)に血で血を洗うほど厳しい顔採用があるらしい。

ちなみに、わたしがバイトしていた当時の話なので、いまは知らない。

■「カワイイ人」はだいたい酒類を売っている

まず、甲子園球場のビールっていうのは、ほぼアサヒが独占していた。わたしが憧(あこが)れてたピンクのスカートをはいて「アサヒスーパードゥルァイいかがですか?」といってるやつだ。

そして群れをなすアサヒの中、わずかながら赤い制服のキリンがいる。

ついては、わたし個人の感覚ではあるが、キリンの売り子の方がカワイイ人が多かったように思う。もちろん、アサヒもカワイイ。カワイイ人は、だいたい酒類に配属されてる。ビールとか酎ハイとか梅酒とか。

理由はいわずもがなである。どうせならカワイイ子から買いたいのがお客さんの総意だ。年間シートを契約している常連のお客さんなら、お気に入りの売り子からしか買わない、って人もいたりする。

次いで多いのが、ソフトドリンク、アイスクリーム、かち割り氷。この辺になってくると、男子も混じってくる。

その中でもホットコーヒーなんて、レア中のレアなわけ。絶対、利益を考えて投入された枠ではない。「なんかおもしろそうだし入れとくか」的な気まぐれ枠だ。

運営の気まぐれで生み出された、悲しいモンスターがわたし。

卍の敷田(しきた)をリスペクトしすぎたばっかりに。

そういえば、父はこんなこともいっていた。

「お前が生まれた瞬間、あっこれは南って顔じゃない……って思って、奈美にした」

美人に……美人に生まれてさえいればっ……!

売り子の中には、腕章をつけている人がいる。

「ビール内野席1位」とか「酎ハイ外野席2位」とか。そのエリア内での売上順位だ。ビール内野席1位の腕章の子とか、冗談かと思うくらいにカワイイ。

■売り子のシステムはアイドルの世界そっくり

甲子園の売り子っていうのは、めちゃくちゃに競争心をあおられるシステムに組み込まれている。当時はまだAKB(エーケービー)とか流行る前だったけど、確実にあの業界のそれである。

アイドル。まさにアイドルの業界と遜色(そんしょく)ない。

商品補給するとき、バックヤードへと戻るのだが、そこにでっかい電光掲示板がある。いま、どこどこ所属のだれだれが何杯売り上げて、何位とかが常に表示されている。

樽(たる)にビールを補給するマネージャーにはなぜかイケメンが多くて。マネージャーがビールを注ぎながら、売り子をひとりずつ励ましてくれるのだ。

「エミ、今日も2位じゃん! この調子でどんどん売ってこ!」

爽やかさ150%で声をかけている。たまにタオルなんかもらっちゃってさ、これこそ青春。

■「お前は浅倉南に、絶対に、なれる」

それで、記念すべきわたしの売り子デビュー戦。右肩には「外野席1位」の腕章。

すごくない? まだ1杯も売ってすらいないのに、1位。

生まれもってのスター。

まあ、わたし以外、売り子いないからなんだけど。とんだ叙述(じょじゅつ)トリックである。

マネージャーから「岸田さんはあっちのカウンターで自分でコーヒーつくって補給してね」といわれたときは、象印のポットでなぐってやろうかと思った。

それで、まあ、だまされたと思って売ってみたんですよ。

うん。だまされた。わかってた。

全然、売れない。売れないったらない。お客さんが2度見してくる。

「暑いな、のど渇かわいたな。おっ、あの子から買おうかな……コーヒーかあ。……ホットコーヒー!?」

っていう心の声が5.1chサラウンドかってくらいの立体高音質で聞こえる。

もう、スティック砂糖単体で売った方が、まだ売れるんちゃうかと。

ブドウ糖の直売りの方が勝機(しょうき)見えるビジネスモデル。完全に狂ってる。

でも、わたしの中の卍の敷田(しきた)が、声をはり上げる。がんばれと。負けるなと。

お前は浅倉南に、絶対に、なれると。

■少年野球の引率という太客を見つけた

それから、とにかく創意工夫をこらした。

まず出勤日を、比較的冷え込む日のナイターや、雨予報の日にしぼった。

そうすると、外野席で雨に濡れてる人や、内野席の一番上で吹きさらしに遭ってる人が、たまに買ってくれる。

加えて、買ってくれそうな人の見極めも重要だ。おじいちゃんとか、おばあちゃんの方が、買ってくれる確率高い。

少年野球の引率の監督とお母さんという太客を見つけてからのわたしは、すごかった。ポットとマドラーを片手に球場を舞う、蝶(ちょう)だった。

蝶(ちょう)は、最終的にmixi(ミクシィ)の甲子園球場コミュニティを見つけ、そこに潜(もぐ)り込み「売り子だけどひとりでコーヒー売らされてる助けて」と書き込み、お情けの力を惜しみなく使って1日数十杯を売り上げた。

■歴代で最も多くのコーヒーを売った女になった

そんなこんなで、わたしは歴代で最も多くのコーヒーを売った女になった。

岸田奈美『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)
岸田奈美『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)

春の高校野球センバツの日、わたしに売上順位を抜かれたソフトドリンク売り子の「嘘やろお前」という顔だけは忘れない。

歴代のコーヒー売り子たちの無念を……わたしが……! わたしが……!

待ちに待った、バイトの契約更新の日。これはもう、憧(あこが)れのビール売り子に昇格待ったなしだろうと、思ってたんですけどね。

「岸田さん、次は風船売ってよ、ジェット風船! 岸田さんなら売り方考えてくれるでしょ」

考えてくれるでしょ、じゃねえよ!

こっちはトンチやってんじゃねえんだよ、バカ!

結局ビールを売ることなく辞めたが、生まれ変わったら南という名前になって、一度でいいからアサヒスーパードライを売ってみたい。

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岸田 奈美(きしだ・なみ)
作家
1991年生まれ。兵庫県神戸市出身。2014年関西学院大学人間福祉学部卒業。在学中に創業メンバーとして株式会社ミライロへ加入、10年にわたり広報部長を務めたのち、作家として独立。2020年1月「文藝春秋」巻頭随筆を担当。2020年2月から講談社「小説現代」でエッセイ連載。世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。2020年9月初の自著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)を発売。

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(作家 岸田 奈美)

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