死と隣り合わせの北極圏から帰還した探検家がコロナに怯える日本人を見て思ったこと
プレジデントオンライン / 2020年9月19日 9時15分
※本稿は、『プレジデントFamily2020秋号』の記事の一部を再編集したものです。
■コロナ第1波の中、グリーランドにいた探検家が帰国して思ったこと
2002年から10年にかけて、世界最大の峡谷、チベットのヤル・ツアンポー峡谷の「空白の5マイル」と呼ばれる人跡未踏部分を単独で踏破し、16年から翌年にかけては、まったく太陽の昇らない極夜のグリーンランドを80日間かけて探検した角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)さんは、日本を代表する探検家の一人である。
この二つの探検行の詳細は、それぞれ『空白の五マイル』(集英社刊)、『極夜行』(文藝春秋刊)に記録されているが、ちょうど日本で新型コロナウイルスが上陸した頃、角幡さんは再びグリーンランドの地を旅していた。
コロナウイルスの蔓延(まんえん)に日本中が戦々恐々としていた時期を知らずに、ほとんどコロナの影響を受けなかったグリーンランドから帰還した角幡さんの目に、日本の状況はどのように映ったのか。
そして、死と隣り合わせの危険な旅を何度となく経験してきた探検家は、コロナ時代の子育てをどのように思い描いているのだろうか。
鎌倉・極楽寺の自宅で、話を聞いた。
■「そんな殺伐とした社会に帰りたくないな」
犬ぞりでグリーンランドを北上し、地球上で最も北に位置するケネディ海峡を渡ってカナダまで到達する探検のため日本を出国したのは、今年の1月11日のこと。すでに中国で新型コロナウイルスが発生していたわけですが、まだ誰も気にしていない状態でした。
15日、ベースにしている村、グリーンランドのシオラパルク(北緯77度47分)に到着。
そこで「(中国の)武漢で新型ウイルス発生」というニュースを聞きましたが、まったくの人ごとでした。
18日、出発の前日、グリーンランド南部のヌークという町で感染者が出て、集落間の移動が禁止されました。僕は6月までの特別許可を持っていたので足止めはされないと思っていましたが、万一、移動規制されると困るので、予定通り19日に、12頭の犬とともに出発。「さっさと旅立った方がいい」というのが、本音でした。
のんきに出発した僕が、世間の状況がただならぬものであることを知ったのは、村を発って6日後のこと。衛星電話を介した妻との会話で、「コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、カナダが入国許可を取り消した」という連絡を受けたのです。
その後、マスクもトイレットペーパーも売り切れた、自粛警察が出現した、他県ナンバー狩りが横行しているといった話を聞くにつけ、僕の頭に浮かんできたのは『北斗の拳』や『マッドマックス』の舞台であるディストピア。冗談めかして言えば、素肌に革ジャンを着たモヒカン刈りの男がマサカリを持って女性や子供を追いかけまわす、そんな精神荒廃の世界です。
「そんな殺伐とした社会に帰りたくないな」
妻の話を聞きながら、正直言ってそう思いました。そんな僕の反応に対して、妻はこう言いました。
「あなたは今、世界で一番安全な場所にいるんだよ」
■「世界で最も安全な場所」から帰国、完全な浦島太郎状態だった
日本に帰ってきたのは6月14日。成田空港は暗くて閑散としていました。入国審査の後にPCR検査を受けましたが、結果が出るまで4、5時間かかるため、待機する人のための段ボールベッドが50台ほどロビーに設置してあって、ちょっと変な雰囲気でした。
ところが、妻に運転してもらって待機先のホテルに着いてみると、出国前と大きく変わったという印象はありません。確かにみんなマスクを着けてはいるけれど、街中を普通に歩いている人がいるし、弁当も自由に買いに行けました。
一時待機を終えて、自宅のある鎌倉に戻ると、大勢の観光客でにぎわっています。ディストピアは妄想にすぎなかったのかと思ってしまうほど、表向きは平穏な生活が待っていたのです。
考えてみれば、緊急事態宣言が解除されたのが5月25日ですから、僕は日本中が深刻にコロナを恐れていた時期をまったく知らずに、緊急事態宣言解除後の緩んだ日本に帰ってきたわけで、完全な“浦島太郎”状態でした。
おそらく僕が日本にいない間に、未曽有の事態を前にたくさんの人が真剣に議論を重ね、さまざまな新しいルールが定着していったのだと思います。
でも僕は、そうした経緯を知らずに「世界で最も安全な場所」から帰国した人間です。何も知らないだけに、あまり神経質になって、過剰な規制や自粛をする必要はないんじゃないか、とも思ってしまった。
■コロナによって可視化された死のリスク
僕は死と隣り合わせの探検という行為をずっと続けてきたわけですが、探検や冒険にはわざわざ死を目の前に立てて、それに接近していくことによって「生きる」ことをリアルに経験するという側面があります。
前回の極夜行では、テントごと吹き飛ばされそうな大きなブリザードに2度も遭いました。事前に運んでおいた食料を白熊に食いあさられ、最後は相棒である犬さえ自分の食料として計算に入れる必要にも迫られた(ありがたいことに最悪の事態は免れましたが)。
でも、よくよく考えてみれば、僕らの日常生活だって死の危険に満ち溢れているのです。誰だって、交通事故や急病で明日死んでしまうかもしれない。にもかかわらず、多くの人が安心して暮らしていられるのは、「これまで大丈夫だったのだから、明日も大丈夫だろう」と思い込んでいるからにすぎません。僕はこうした心理を「未来予期」と呼んでいます。多くの人が未来を安全なものだと予期しているから、平気で生きていられるのです。これまでの探検の経験から、未来予期こそ人間の存立基盤なのだと、僕は考えています。
ところがコロナウイルスの蔓延によって、現実がリスクに満ち溢れていることに多くの人が気づいてしまった。日頃は隠されている死のリスクが可視化されてしまったと言ってもいい。僕が探検で直面するのと同じように、突如、日常生活の中に死の可能性が浮上してしまった。要するに未来予期がきかなくなり、存立基盤が崩壊し、そこに皆、不安を感じているわけです。
■突然死ぬかもしれない意識が希薄。リスクゼロでないと安心できない
これは、僕が極夜の闇の中で現在地がわからなくなったときの不安と、かなり近いものがあるように思います。
確かに、探検のような“期間限定”ではなく、日常的に死と隣り合わせの状態で生きるのはキツイことだと思います。もしも50%の確率で死ぬかもしれないという状況下で日々を暮らさなければならないとしたら、これは相当にキツイ。深刻にならざるをえません。
その一方で別の言い方をすれば、現代社会では死があまりにも遠いものになってしまったとも感じる。人間には突然死んでしまうことがありうることを意識しながら生きるという生活態度が現代人には希薄なのです。だから、リスクがゼロにならないと安心できず、過剰な対策に走ってしまう。
僕は、コロナで絶対に死なないと確信しているわけではありませんが、死んだら死んだで仕方ないかなとも思います。その感覚は交通事故とあまり変わらない。交通事故でも年間3000人以上が亡くなっていて、コロナより多いわけですが、我々はあまり意識していません。
完全に逃げ切ることができない以上、どこかでコロナで死ぬ可能性を引き受ける覚悟も必要なんじゃないでしょうか。マスクも、着ける意味を感じないときは外しています。
■コロナ禍だからこそ重要な学校の機能は「人が集える」こと
幸いなことに、僕が暮らしている地域はコロナに対して緩いというか、過剰に神経質になっている印象はありません。娘は登校時、マスクを持っては行きますが、家を出るときや友達と外で遊ぶときは着用していません。
改めて学校の機能って何だろうと考えてみると、特に小学校低学年に関して言えば、「友達が集まって遊ぶこと」も重要ではないでしょうか。効率的に学力をつけたければ塾に行けばいいし、問題集を買ってきて自学したっていい。でも、友達とワイワイ遊べるのは、今の時代、学校だけです。学校の最も重要な機能は、まさに「集まる」ことにあるのではないでしょうか。
この集まるという機能を、いくら非常事態だからといってシャットオフしてしまっていいのでしょうか。国語や算数の勉強は後からいくらでも補うことができるけれど、思い出は後からつくることができません。そして、学生時代にどんな友達と何をして遊んだかは一生記憶に残るものです。
■元記者、作家だからわかる「顔を突き合わせて会話」の大切さ
僕自身、小学校の思い出といえば、授業で教わった内容ではなく、友達とバカ騒ぎをしたことばかりです。過剰な対策によって、そうした思い出づくりの機会をふいにしてしまっていいのでしょうか。子供の人格形成を考えると、過剰な対策を取ることの方がマイナスが大きいように思います。
僕は一時期、新聞記者をやっていたことがありますが、記者という職業は単独行動が多く自営業みたいなものでした。現在の作家としての仕事も、書斎に籠(こ)もって原稿を書いているだけなのでほとんど一人です。まともな人間関係は家族以外にないと言っても、過言ではありません。
つまり僕は“普通の会社”で同僚に囲まれて仕事をした経験が一度もないのです。だから時々、会社員が羨ましくなります。会社に行けば話し相手がいるわけだし、家庭で息が詰まることがあっても会社にエスケープできるわけでしょう。
コロナをきっかけにオンライン授業やリモートワークが浸透し始めていますが、僕のように一人でいることが多い人間に言わせれば、勿体(もったい)ないと思います。一人一人がバラバラになるのは人間の在り方としてキツイし、人間関係がドライになると個々の生き方までギスギスしてしまいます。学校も会社も同じことだと思いますが、やっぱり人間は面と向かって付き合うべきだし、集まって、顔を突き合わせて会話ができる場が必要だと思います。
僕には、娘に対して願っていることがひとつだけあります。それは、「人と同じことをやろうとするのではなく、自分がやりたいことを見つけて、自立して生きてほしい」ということです。僕自身がそうでしたが、30歳ぐらいまでは自分の人生を形づくる期間だと思います。それまでは自分がやりたいと思うことをやって、どんどん変化していけばいい。
ただし、人との間に壁をつくるような人間にだけはなってほしくない。仮に身近な人がコロナに感染したとしても、その人を排除するような人間にはなってほしくないのです。
排除をするのは、自分にも感染リスクがあることを想像できていないことの裏返しです。自分が(他者とは)異質な存在に転換するきっかけは常にあるはずなのに、それに対する想像力が欠如しているから異質なものを排除してしまう。これは日本社会の非常に悪いところで、僕はそれがあまり好きではありません。
娘には、友達との間に壁をつくらずに、友達と思い切り遊ぶ中でやりたいことを見つけて、いずれ家を飛び出していってほしいと思っています。
小さい頃から親に言われ続けたことって、心に残りますよね。だから僕は折に触れて、「お前は将来、この家を出ていくんだぞ。ずっと家にいるんじゃないぞ」って言っています。まだ親と一緒にいたい時期の娘はたまに泣いちゃうんですよね。でも、言い続けていきたいと思っています。
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ノンフィクション作家 探検家
1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。同大探検部OB。2003年に朝日新聞社に入社。08年に退社。謎の峡谷・チベットのヤル・ツアンポーの未踏破地域の探検を描いた『空白の五マイル』は開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。ネパール雪男捜索隊の体験記『雪男は向こうからやって来た』は新田次郎文学賞を受賞。他著書、受賞歴多数。小学1年生の愛娘、あおちゃんとの日々を綴った『探検家とペネロペちゃん』も話題に。
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(ノンフィクション作家 探検家 角幡 唯介 構成=山田清機)
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