「新聞記者は×、コンビニ店員は○」数十年ぶりの村長選にみる地方のリアル
プレジデントオンライン / 2020年9月25日 11時15分
※本稿は、常井健一『地方選 無風王国の「変人」を追う』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■セブン-イレブンから生まれた村長
北海道河西(かさい)郡中札内(なかさつない)村(人口3942人、2017年8月末時点)。果てしない大空と広い大地の中には、見渡す限りの野菜畑が横たわり、一直線の道路が碁盤の目状に張りめぐらされている。16万人都市の帯広市内まで車で40分、帯広空港まで15分と交通の便も良い。そのため、村役場の近くにある「道の駅なかさつない」は、年間70万人が利用するという。
これは旅行サイトが調べた「道の駅ランキング」(2017年)で、全国16位、道内2位に選ばれるほどの人気ぶりだ。
そこから1キロのところに1軒のセブン-イレブンがある。道の駅が閉まっている夜間や早朝は、そこが長距離ドライバーたちにとっての「オアシス」となる。平日の朝8時半、私は朝食を買い求めようと訪ねたところ、おにぎりやサンドイッチの棚はすでにからっぽ。仕方なくコーヒー1杯を買い求めるために、レジの前にできた長蛇の列に並んだ。
儲かってまんな。
そんな繁盛店のコンビニから村長が生まれた。本稿の主人公である森田匡彦(まさひこ)(取材当時50)は、中札内村長選の2カ月前までレジの「内側」に立っていた。
「3年間、コンビニでの接客を通じて、モリタがどのような人物か、村民のみなさまにじっくり見てもらいました」
■効果的な選挙活動になった
月給20万円。夜10時から朝9時までの深夜勤務を週2回もこなし、スマイルを振りまきながらレジに向かった。客が途切れたら、商品の陳列や駐車場の掃除に励む。2カ月もすればスニーカーの底はツルツルになり、使い物にならなくなった。緑色の制服を着ている間は一息つく間もなく、息子世代のアルバイトと一緒に店内を動き回ったのである。
図らずも、それが効果的な選挙運動となった。
村長選は2017年6月18日に行われた。3240人の有権者のうち86.36%の人々が投票所を訪れた。結果は、連続3期当選の現職村長(取材当時66)が1312票、新人の森田匡彦が1449票。一介のコンビニ店員が薄氷の勝利を手にし、80人の役人集団の先頭に立つリーダーになった。
月の給料は68万2000円。コンビニ時代の3倍以上だ。
■70年間、選挙戦は5回しかなかった
きょうび、小さな自治体で森田のような新人が現職を破るケースは全国でも珍しい。そもそも、現職によほどの落ち度があったか、現職が引退して新人対決にでもならない限り、町長や村長は無投票で決まることが多い。
総務省によると、2015年にあった町村長選のうち、全体の43.4%に当たる53町村が無投票だった。17年には十勝地方の19自治体のうち7町村で首長選が行われたが、5町で無投票、1町で新人対決。新人が現職を蹴落とす稀代の番狂わせが起きたのは、元コンビニ店員が勝利した中札内だけだった。
1947年の開村から官選村長の時代が10年続いた後、村長選は16回もあったが、戦いが成立したのは81年を含めてたったの5回に過ぎない。
もう1度書く。開村から70年で、5回だ。
■エリート校に進学も「落ちこぼれだった」
「1981年の村長選の時、私は15歳でした。あれ以降、村長選挙というものを見たことが本当にありませんでしたね」
そう話す森田は1966年、村役場に勤める父のもとに3人きょうだいの長男として生まれ育った。小さなころから出来が良く、帯広にある十勝のエリート校、道立帯広柏葉(はくよう)高校に進学。1学年上の先輩には、ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和がいた。
国立の室蘭工業大学電気工学科を卒業後、帯広に本社がある十勝毎日新聞社に記者として入社した。社会部記者だった25歳のころ、帯広警察署で働いていた女性と出会い結婚。4人の子どもをもうけた。
森田は「私は落ちこぼれだったんです」とも語る。その言葉の通り、記者人生は順風満帆ではなかった。報道各社の担当記者が激しい競争を繰り広げる事件取材が性に合わず、記事の見出しやレイアウトを決める内勤の整理部門に異動。その後は地方勤務が続いた。
■ある日、元村長から呼び出され…
決して恵まれたほうではなかったサラリーマン暮らしの中、村長選出馬につながる転機は2度もあった。
1回目は、故郷・中札内の担当記者になったころに訪れた。渡部の次に村長になったばかりの小田中刻夷(ときひろ)は父の元上司だった。そんな縁もあって、担当記者の森田に対する村長の覚えはめでたかったようだ。
もう一つの転機は、40歳を目前にして村に新居を構えたことだった。
4人の子どもの成長に従って、アパート暮らしにも限界を感じるようになった。そこで、森田は一軒家を建てると決断。別の町にある妻の実家の庭先に構えようとした矢先、広大な畑地に囲まれた中札内の離農跡地が売りに出された。森田はすかさずその土地を買い求め、再び中札内村民になった。
それからさらに7年後。森田は運命が変わる瞬間を迎えた。
「話したいことがある」
2013年2月、森田は村長を引退した村長経験者の1人、小田中から人を介して面会を求められた。そしてある夜、父が営む蕎麦屋で向き合った。村長選出馬の打診だ。
「わかりました」
森田はあっさりOKした。自宅に戻り、妻に「村長選に出るから」と報告すると「あ、そうですか」と、そっけなく返された。一方、思春期にさしかかっていた長男には反発された。
2週間後、森田は新聞社に退職願いを出した。
■現職をおろしたい「ミニ田中角栄」の執念
対抗馬となる田村光義は、小田中の後継村長だった和田民次郎がわずか1期4年で辞めた後に無投票で村長に就いた人物だ。役場職員として、森田の父の部下だった時期もある。村外出身者ではあるが、役場のナンバー2である助役まで経験している。昔から迫力や独創性には欠けるものの、お役所仕事をソツなくこなすタイプで、村長になってからの2期8年でも目立った失政はなかった。
ところが、2代前の村長に当たる小田中は田村の3選を体を張ってでも止めようとした。小田中は苗字の通り、「ミニ田中角栄」のような叩き上げのリーダーだ。高校卒業後にトラックの運転手として役場に採用され、不断の努力と人たらしの性格だけで出世を果たし、ついには渡部村政の助役に抜擢された。しかも、村のレジェンド・梶浦の甥っ子という血筋でもあり、農民たちからは一目置かれる存在であった。そして、「渡部おろし」の流れに乗っかり、1989年に無投票で村長に初当選した。
昔を知る村民の間では、小田中のことを「中興の祖」として称える声もある。ところが、小田中は3期目を終えようとしたころ、議会でうっかり不出馬の意向を表明してしまった。退いた後も成仏できず、まさかの政界復帰を果たして村議を2期8年も務めた。
■名誉挽回のために森田が必要だった
村議時代の小田中はまるで人が変わったかのように、ネチネチと後任村長の和田を突き上げた。権力に執着するようにもなり、気に障ることがあれば村長に質問状を送りつけた。
また、「平成の大合併」をめぐっては、「独立独歩」を打ち出す村長に対抗して、帯広市との合併を掲げた。小田中は住民投票に持ち込みながらも、自ら率いた合併賛成派はあっけなく敗れた。
2005年、和田がたった1期で村長の座を放り投げた後、農協幹部の後押しで田村が村長に就いた。それでも、小田中は役場時代の「元部下」である田村の仕事ぶりを議会で執拗に追及し続けた。
さらに、4年後の村長選では現職の田村に対抗する候補者を立てようとしたが、ある農協理事を口説くことに失敗してしまう。
もはや「暴走老人」と化した小田中。そんな元村長が名誉挽回を懸けた「3度目の正直」として仕掛けたのが、若き40代の森田の擁立だったというわけだ。それは小田中にとって、文字通り、命がけの勝負となった。
■中傷合戦の中、起きた悲劇
2013年6月11日に告示された32年ぶりの選挙戦。村人の多くは現職と新人の対決ではなく、役場と農協という村の二大勢力の代理戦争だととらえた。
むろん、論争らしい論争は行われなかった。田村が「医療費は中学3年生まで無料」と掲げると、森田は「高校3年生まで無料」と訴えるというような醜い争いだった。
また、森田派は「田村は役場にばかりこもって村民の声を聞かない」と批判し、田村派は「森田はどうせ落選しても新聞社に戻れるんだ」などと罵(ののし)った。
中傷合戦が日に日に熾烈さを増していく中、驚くべき事件が起きた。投票日前日の早朝、森田の後見役だった元村長の小田中の遺体が河川敷で発見されたのだ。
享年78。首吊り自殺だった。
■4人の子どもを抱えたまま、無職に
小さな村にはさまざまな憶測が流れた。
「森田劣勢の責任を詰められた」
「買収容疑で検挙される動きを察知した」
噂は大きくその二つに集約されたが、真相は藪の中。だが、小田中の怪死は敵側に有利に働いたようだ。結果は、田村が1529票、森田が1286票。243票差で現職が勝った。
森田は無職になった。
4人の子どもたちをどうやって養っていけばいいのか――。気づけば、十円ハゲが3カ所にできていた。森田は46歳にして初めてハローワークの門を叩いた。
「どの条件を見ても、記者の経験なんてさっぱり役に立たないじゃないか……」
路頭に迷っていたころ、同級生の兄が手を差し伸べた。
「うちで働けよ」
行き着いた先はコンビニだった。
「村長選で頑張る姿を見ていたので、『4年間は面倒見てあげるから次は頑張れよ』と。でも経理までは任せていないから、アイツは経営の厳しさまではわかっていないよ」
そう話すコンビニのオーナーは、田村陣営を支えた永井工業の元社員である。商売を続けていくにはムラ社会のしがらみを意識せざるを得ない立場でもある。だが、森田のように選挙を戦い抜けるほどのタフな人材は、コンビニならではの慢性的な人手不足を補うのにもってこいだったようだ。
■お辞儀もろくにできず、弁当をぶちまけ…
とはいえ、森田は未経験者である。初めはお辞儀さえろくにできなかった。弁当をレンジで温める際に醤油のパックを外すのを忘れ、派手に爆発させたことは数知れない。足を滑らせてカルビ弁当を床にまき散らしたこともあった。選挙に負けてからも更新し続けていたブログに綴(つづ)る失敗談には事欠かなかった。
一方、長男が帯広市内の高校に入学したことで、月3万円もかかる交通費が苦しい家計にドッシリとのしかかった。専業主婦だった妻も老人福祉施設に職を求め、週2度の夜勤があるシフトをこなし始めた。家族のカタチは大きく変わった。
選挙で負けるとこれまでにない「無理」が候補者本人だけでなく、一家全体にのしかかるものだ。家計だけでなく、心身にも負担を強いられ、体調も家庭も人間関係までも壊れるケースは少なくない。それも地方選のリアルである。
■「あんた、こんどの村議選に出ろ」
森田家のサバイバル生活は4000人にも満たない小さな村の語り草になった。つい先日まで村じゅうに貼り出されていたポスターと同じ顔が、どういうわけか、コンビニのレジにある。40代半ばを過ぎたオッサンが、学生バイトの中に交じって、店内を走り回っている。そして、レジを打つ手は情けないほどぎこちない――。敵も味方も関係なく、同情論が湧いた。
「自分に票を入れてくれなかったような人でも初めは私を見て、表情が硬くなったのが、毎日顔を合わせているうちにだんだん打ち解けていきました」(森田)
選挙の敗因は知名度不足だった。コンビニはその弱点を埋めるのにもってこいだった。さらに、レジに立っているだけで、地域の問題が次々と耳元まで舞い込んでくる。やがて、客からこう言われることが増えてきた。
「あんた、こんどの村議選に出ろ」
村長選の敗北から2年後、2015年4月の村議選(定数8)に森田は出馬した。投票総数の4分の1に当たる708票という村の史上最多得票で、2位に300票以上の差をつけるぶっちぎりのトップ当選を果たした。
■コンビニとの兼業を続け、2度目の出馬
森田は議員バッジを付けてからも、コンビニの仕事を続けた。
村議の報酬は月16万円ほど。真面目に政治活動をすれば、すぐに底をつく。しかも、森田家にはマイホームのローンが残っている。さらに高校生の長男は医学部受験を考え始めた。とにかく生きるためにお金が必要だった。
コンビニはシフトをうまく組めば、議会との兼業も成り立つ。アイドルの手法じゃないが、森田は「会いに行ける村議」を標榜した。村民の生の声を集めるのにもコンビニは都合が良かった。
2017年3月、長男は晴れて国立大学の医学部に合格した。
森田がほっとしたころ、現職村長の田村は「次」に向けて動き始めた。決断が遅れた前回とは打って変わって、早々に4選出馬を表明したのである。それには、田村の後援会幹部でさえも意表を突かれたと話す。
■「コンビニ村長」、誕生へ
「森田がすごい得票で村議選に勝ったばかりだから、われわれも田村は3期でやめると思ったんですよ。しかし、田村は前回の勝利で変な自信を持ってしまっていた。とにかく役場の中にこもるような性格だから、自分は世間からどう思われているかなんて、わからない人間なんですよ」
告示から5日目に訪れた選挙戦最終日。現職の田村陣営は役場前を、森田陣営は役場のすぐ裏手にある農協の空き地を、それぞれのマイク納めの会場に選んだ。
最後、森田の妻がマイクを握った。4年に及ぶ浪人暮らしの辛さをしみじみと代弁すると、聴衆の涙を誘った。森田本人は相手陣営よりも倍近い約400人が集まった会場の様子を見回しながら、心の中で勝利を確信していた。
翌日、森田は137票という僅差で現職を破った。新聞記者から転じた一介のコンビニ店員が「コンビニ村議」になり、ついには「コンビニ村長」になった。
■一度叩き落し、持ち上げた彼らの心理とは
村の開票所に詰める支援者から「当選確実」の一報が入ると、森田事務所にはドッと歓声が沸いた。
森田は妻と並んで万歳三唱。集まった支援者にはこう語ったという。
「今まで支えてくださったみなさまに感謝を申し上げます。ともに明るい未来を実現していきましょう」
祝賀ムードの最中、こんどはこんなアナウンスがこだました。
「たった今、鈴木宗男先生からお祝いの電話が入りました!」
現地に駆け付けられない鈴木は当確が打たれたタイミングを狙ったのだろう。その場に居合わせなくても、携帯電話を巧妙に活用すれば、大人数に自分の存在感を知らしめることができる。
やっぱり鈴木宗男は抜け目なかった。
かつて「試される大地」と呼ばれた北海道で生き抜く政治家たちの生命力たるや、すさまじいものがある。
私はそんなこぼれ話をその場にいた地元の政治家から聴きながら、1度目は「エリートサラリーマン」の顔をしてやってきた森田を叩き落とし、2度目の村長選ではコンビニでの下積み生活を耐え抜いた森田を当選させた、開拓民の末裔(まつえい)たちの心理と論理がなんとなくわかった気がした。
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ノンフィクションライター
週刊誌記者として政治や働き方に関する特集記事を手掛け、独立。進次郎氏の演説や講演の取材は300回近くに及ぶ。著書に『小泉進次郎闘う言葉』『 保守の肖像』などがある。
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(ノンフィクションライター 常井 健一)
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