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秋篠宮家が御難場を乗り切るには「小室圭さんとの結婚」を認めるしかない

プレジデントオンライン / 2020年9月23日 17時15分

秋季皇霊祭・神殿祭の儀のため、皇居に車で入られる秋篠宮家の長女眞子さまと次女佳子さま=2020年9月22日、皇居・半蔵門[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

■波紋を呼んだ誕生日での発言

秋篠宮紀子さんの誕生日に際しての発言が波紋を呼んでいる。

紀子さんは9月11日に54歳の誕生日を迎えた。それに先立ち宮内記者会は質問を提出し、紀子さんが文書で回答を寄せた。

コロナ感染拡大の中で秋篠宮家はどのように過ごしてきたのかという問いには、オンラインで多くの専門家たちの話を聞いたとして、

「感染症と向き合ってきた医療従事者や、災害対応の関係者、社会を支えるさまざまな仕事に従事する人々に、深く感謝しております。早く感染症の状況が落ち着いて、人々が安心して集い、働き、学び、おだやかに暮らせる日の来ることを願っております」

長男の悠仁さんについては、

「自宅学習の期間中など、自分で計画を立てて過ごす時間が増えました。昨年に引き続き、赤坂御用地内においてトンボの調査を進めています。短い夏休みの間も、時間や場所を決めて几帳面に観察し、折にふれて父親にも相談しながら調査をしていました。また、夏休み中は、学校の課題などに取り組むほか、学校の図書室から紹介された本や自宅にある本を読んでいました」

■結婚問題は「気持ちをできる限り尊重したい」

そして長女・眞子さんと次女・佳子さんの結婚問題については、

「長女の結婚については、対話を重ねながら、親として娘の気持ちを受け止め、一緒に考えていくことが大切だと考えています。その中では、共感したり意見が違ったりすることもありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合いつつ、長女の気持ちをできる限り尊重したいと思っております。現状や見通しを含め、話したことの内容をお伝えすることは控えさせていただきます。

また、次女の結婚や将来についても、話し合う機会があった際には、本人の考えに耳を傾け、対話を大事にしていきたいと思います」

当たり障りのないいい方だと私などは思うが、眞子さんと小室圭さんの結婚問題が「進展」か「破談」かを、耳をそばだて聞き取ろうとしている週刊誌は、「長女の気持ちをできる限り尊重」という言葉に大きく反応したのである。

女性自身(9月29日・10月6日号)は、眞子さんの“気持ち”とは「小室さんと結婚したい」ということにほかならず、それを尊重するというのだから、「つまり紀子さまは今回、眞子さまと小室さんの結婚を事実上容認されたといっても過言ではないのです」(皇室担当記者)

だが、そうはいっても、2人の結婚に今もなお反対している紀子さんだから、これからも話し合いを続けながら、眞子さんに結婚を断念させることを諦めたわけではないとも女性自身は書いている。

単純な思考しかできない私は、一体どっちなんだといいたくなるが、女性自身は、そこから話をこう飛躍させるのである。

■「納采の儀」を飛ばして結婚か?

「国民の多くが納得していない状況にもかかわらず小室さんと結婚したいのなら、2人でずっとアメリカで暮らしなさい――。(中略)大切な両親の思いを裏切り、日本を離れてまでも、小室さんとの愛を貫くのか――」(宮内庁関係者)。そう眞子さんに突き付けたのだというのだ。女性誌の想像力は融通無碍、広大無辺である。

週刊女性(9月29日・10月6日号)は、紀子さんの言葉「できる限り」という5文字に彼女の母親としての意地が出ていて、眞子さんはそれに「震えた」と報じている。

皇室ジャーナリストの山下晋司氏は、この言葉は「気持ちを尊重したいが、限度があるということでしょう。(中略)妃殿下も今の状況のままでの結婚は限度を超えており、容認できないということではないでしょうか」と解説している。

それでは眞子さんの結婚はダメになったのかと思えば、そうではないと週刊女性は書いている。

「宮内庁は’20年中に結婚スケジュールを発表すると設定したため、(中略)時期としては『立皇嗣の礼』と、秋篠宮さまのお誕生日である11月30日の間がベスト。(中略)金銭トラブルも一向に進展がないままなので、眞子さまは『納采の儀』を行わずに、結婚を強行されるおつもりなのだと思います」(秋篠宮家関係者)

■文春は「再延期が発表される」

一方で週刊文春(9月24日号)は、紀子さんの言葉から、「結婚再延期が発表される」と行間を深読みする。

「“できる限り”とは、“できないこともあるのよ”という気持ちの裏返しなのです」(秋篠宮家関係者)

名古屋大学大学院人文学研究科の河西秀哉准教授も、眞子さんの強い結婚の意志は変わっていないが、紀子さんの反対の気持ちも強い。小室家の借金問題は進展がなく、秋篠宮が2年前にいった「多くの人に納得してもらい喜んでもらう状況」にはほど遠いから、「選択肢としてはご結婚を再度延期するほかないのではないか」と話している。

週刊誌も、どちらに転ぶかまったく分からないというのが正直なところだろう。

より事態を複雑にしているのが、美智子上皇后の「お考え」のようだ。女性セブン(9月24日・10月1日号)と、週刊新潮(9月24日号)は、美智子上皇后が、眞子さんの結婚問題を大変心配していると報じている。

近頃、上皇后は体調がすぐれないようだ。新潮によれば、ずいぶんと痩せているという。上皇后が検診のために今月11日、宮内庁病院へ出向いたが、4月に歯科に行って以来、およそ5カ月ぶりの外出だという。

この10年あまり、上皇后は絶えず体の変調に苛まれてきた。2015年には心筋の血流が悪くなる「心筋虚血」と診断され、昨年6月には両目の白内障の手術をしている。さらに昨年8月には、早期の乳がんと診断され、9月に東京大学医学部付属病院で手術を受けている。

引っ越して以来、原因不明の微熱が続いていて、左手の指に「こわばり」があるため、趣味のピアノも弾いていないという。その上コロナ禍で、散策もままならないため、精神的なストレスが溜まっているのではないかともいわれる。

■紀子さんの誕生日に外出した意図は

上皇后はもともと、婚約報道後に眞子さんとの電話の内容を明け透けに話してしまった圭さんに不信感を持っているそうだ。

今回の久しぶりの外出の日を紀子さんの誕生日にしたのは、「外出を控え続けていた美智子さまが久しぶりに外出されれば、自ずと報道も大きくなるでしょう。すると同日、眞子さまのご結婚に関する世間の視線は減ることになる」(皇室記者=女性セブン)という美智子上皇后の考えがあったのではないかというのである。

新潮は、今年に入っても上皇后が、「生活が成り立たないような方と、眞子は一緒になれるのでしょうか」と周囲に漏らしていたと報じている。

どうやら、上皇や秋篠宮の、この結婚への思いは伝わってこないが、美智子上皇后、紀子さんたち女性陣は、この結婚に強く反対しているというのは間違いないようだ。

眞子さんにとって状況は厳しいままだが、眞子さんの結婚の意志が揺らいだと報じたメディアはどこにもない。

■秋篠宮家から職員が逃げ出している

コロナ禍による秋篠宮の「立皇嗣の礼」の延期や、長女、次女の結婚問題など、秋篠宮家はまさに内憂外患ではあるが、さらに大変なことが起きていると週刊現代(9月26日号)が報じている。

冒頭は、悠仁さんが14歳の誕生日を迎えて、宮内庁が公開した動画のシーン。ニコンDFという一眼レフの操作方法を息子に教える秋篠宮。

「今年は父親と二人きりで、この家には『未来の天皇』が二人いると強調されるような内容でした。しかし、親子水入らずのはずなのに、どことなく緊張感がある点が気になりました」(宮内庁担当記者)

秋篠宮については、さまざまなストレスのため酒量が増えている、宮内庁が提供した夫妻の動画で、秋篠宮の手が震えていたという噂が流布している。その秋篠宮家で、職員が次々に辞めているというのである。これはしばらく前の新潮でも取り上げていたが、相当深刻な事態になっているようだ。

御代替わりになり、皇嗣という立場になって職員も約20人から50人へと増員されたのだが、辞めていく者が多く、活動に支障が出ているという。とりわけ大きかったのは、警察庁長官官房付から出向してきた石川光泰宮務官が、今年の1月24日付で依願免職になったことだったそうだ。

■警察庁も我慢ならなくなった

東大卒のエリートキャリアで、エース級の人材を送り込んだと警察庁も自信を持っていたのにと、騒ぎになったようだ。

何が理由だったのだろう。現代によれば、加地隆治皇嗣職大夫の定例記者会見に、石川宮務官も毎回臨席していたが、記者から、紀子さんの服装に関する質問があり、石川が答えた。だが、「皇室のドレスコードは非常に細かいもので、とりわけ女性皇族が何を着るかは大きなメッセージを持つ場合が多い。皇嗣妃としては、石川さんの説明に納得がいかなかったのでしょう」(皇室関係者)

現代はこう解説する。「自分は複雑なプロトコールやマナーを熟知しているし、着るものには細心の注意を払っている。それなのに、警察からやってきた若造が無粋にもその意味するところを記者に語るなんて。警察官は黙って警護だけしていればいいのです」

これが事実かどうかはわからないが、昨年、同行するはずだったブータン行きもはずされ、結果、1月の免職になったという。

優秀な人材を送り込んだ警察庁としては、我慢ならないと、石川の後任にはノンキャリを補充することで、「宮内庁に『抗議』しています」(宮内庁担当記者)

秋篠宮家は以前から職員らに厳しく「御難場」といわれてきた。さらに昨年10月22日、「即位礼当日賢所大前の儀」が執り行われた雨の日にも“事件”が起きたという。

■夫妻をイライラさせる数々の問題

秋篠宮が傘をさして速足で歩き、屋根のある場所に着いた秋篠宮は、「傘をたたむと、傍らに立つ職員に無造作に傘を投げ渡した」(現代)というのである。

美談として伝えられている、済生会中央病院へのポリ袋を使った防護服寄贈も、このようだったという。

紀子さんは職員たちにこう告げた。「私たちと有志の職員で防護服を作って、病院に届けましょう」。「こう言われて、『私は参加しません』と言える職員はいません。紀子さまは同じ仕事を複数の職員に振って、それを競わせるのです。(中略)このような厳しさは、ご活動の内容をよりよいものにしたいという熱心さの裏返しでもありますが、『いくらなんでも度が過ぎる』と音を上げる人たちも多い」(宮内庁関係者)

宮内庁のプロパーがサポートできていないことも大きいそうだ。「宮内庁には皇嗣担当になるくらいなら退職するという職員も多い。それほど混乱した現場として恐れられているのです」(宮内庁OB)

秋篠宮と紀子さんをイライラさせる要因はいくつもある。立皇嗣の礼が延期されたまま目途が立っていない。眞子さん、佳子さんとの意思の疎通がうまくいっていない。現代によると、悠仁さんの教育問題もあるという。

「父である秋篠宮自身がいわゆる帝王教育を受けていないうえ、宮内庁からのサポートもないまま、皇位継承順序2位の少年は中学校を卒業しようとしている。来年には高校受験を控え、筑波大学附属、東京農業大学第一、渋谷教育学園渋谷など進学先候補がいくつか取りざたされているが、どこも宮様を迎える体制が整っているとはいえず、帝王教育など夢のまた夢だ」(現代)

■宮内庁のいうがまま再延期していいのか

紀子さんの関心事は悠仁さんを立派な天皇にすることに尽きるそうだが、ここへきて、天皇家の一人娘、愛子さんを女性天皇にという声が、政治家からも出てきているようだ。

すでに石破茂、河野太郎、二階俊博といった政治家が女性天皇容認を表明している。「これは紀子さまにとって大きなショックでしょう」(静岡福祉大学小田部雄次名誉教授)

こうしたことが紀子さんの焦燥となり、職員への厳しい態度に表れているとすれば、事態はより深刻であろうと思う。

ここからは秋篠宮と紀子さんご夫妻に大変失礼なことをいわせていただくことを、お許しいただきたい。

結婚延期が発表されてから2年以上が経つ。それなのにいまだに「結婚のことについては話をする機会はありません」(昨秋の秋篠宮の誕生日会見)という。今回の紀子さんの「親として娘の気持ちを受け止め、一緒に考えていくことが大切」という発言は、親としての責任放棄とまではいわないが、優柔不断が過ぎるのではないだろうか。

反対の理由があれば、娘とひざ詰め談判をして、こことここを直さない限り結婚は許さないというべきであろう。同じ屋根の下で暮らしているのだから、なぜそれができないのか。

これは皇室だから平民の家庭だからという違いではない。親子の情愛に身分など関係ない。本音で話すこともせずに、もし、宮内庁のいいなりに再延期などしたら、亀裂が入った親子の絆は二度と修復不能になるのではないかと危惧する。

■本物の愛がある限り、意志は変わらない

婚約が延期されて以来、眞子さんは圭さんとほとんど会うこともできず、外に出れば好奇の目に晒(さら)され続けてきた。だがそのような過酷な状況にいながら、圭さんとの結婚の意志は変わることがなかった。本物の愛があるからだ。

圭さんという男も、見方を少し変えれば、今時珍しい意志の強い、行動力のある若者ではないか。

単身アメリカに乗り込み、英語で勉強をして弁護士資格を取得しようというのは、今様の草食男子にできることではない。伝えられるところによると、学業も優秀で、現在は弁護士事務所でアルバイトをしているという情報もある。母親の金銭トラブルはいまだに進展していないようだが、これは母親が責任をもって元婚約者と話し合い、解決すればいいことだ。

眞子さんも10月23日に29歳になる。宮内庁や世間体にとらわれ、このような状態を続けるのはやめて、いくつかの条件は付けるにしても、結婚を許してあげてほしいと思う。紀子さんもいっているように、大事なのは「長女の気持ち」なのだ。

私は、10月23日前後に眞子さんが、何らかの意思を表明する文書を発表するのではないかと考えている。もちろん、圭さんとの結婚を高らかに宣言するものになるはずである。

どんなに愛し合った者同士が結婚しても、生きていく間には必ず山坂がある。2人が道に迷いそうになった時、そっと手を差し伸べてやる。それが親の役割だと思うのだが。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198630283/presidentjp-22" target="_blank">編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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