島津製作所がまるで儲からない「PCR検査試薬」を23年前から作っていた理由
プレジデントオンライン / 2020年9月25日 9時15分
■「検査時間を大幅短縮」島津製作所のPCR検査の試薬キットが好調
今年4月に島津製作所が発売したPCR検査の試薬キットが好調だ。通常は検査に3時間以上かかるが、この試薬キットなら検査を1時間程度に短縮できる。当初は月間10万検体分の生産を予定していたが、需要が急増したこともあり、この9月以降は月間30万検体分を生産するという。
この秋からは京都産業大学と協定を結び、学内に「PCR検査センター」を設置する。学内クラスターの発生防止と対面授業の再開に寄与する試みとして期待されている。
島津製作所がPCR検査の試薬キットを発売したのは、23年前の1997年のことだった。一時的に販売が伸びることはあっても、ほとんど儲からない事業だった。しかし根強く開発を続けていたことで、日の目を見ることになった。そこからは、創業者の魂が息づく、京都の老舗企業らしい「独創と忍耐」の姿が読み取れる。
「社会の混乱を逆手にとってビジネスチャンスに」
これは島津製作所のアイデンティティーとも言えるものだ。同社が時流を敏感につかみ、場合によっては業態を変え、新しい価値を創造してきたのは今に始まったことではない。それは創業時に遡るとよく理解できるのだ。
■元は西本願寺出入りの仏具店だったが、今や先端テクノロジー企業
島津製作所ほど業種・業態を転換させている企業は稀有だ。同社は1875(明治8)年創業、国内屈指の老舗企業である。2025(令和7)年に創業150周年を迎える。
島津製作所は2002(平成14)年、現エグゼクティブ・リサーチフェローの田中耕一さんが43歳の若さでノーベル賞化学賞を受賞したことで一躍、世界に知られることになった。医用機器や分析計測機器などが主たる製品の最先端テクノロジーの企業だ。その実、島津の源流は西本願寺出入りの仏具店だった。ちなみに薩摩藩の島津家とは姻戚関係はない。
創業者は島津源蔵(初代源蔵)と梅治郎(二代源蔵)父子。初代源蔵は幕末、具足(ぐそく)の製造を専門にする仏具店に生まれた。具足は「甲冑」の意味もあるが、仏教界においては、主に寺院の本堂内陣に置かれる香炉、花生け、燭台、高坏、仏飯器など鋳物でできた仏具のことである。
■明治時代初期、初代源蔵は産業構造の転換期に起業家精神発揮
当時、わが国の内政は鎖国が終わり、その反動として尊王攘夷運動が巻き起こるなど、風雲急を告げる状況であった。1868(慶応4、明治元)年、大きな時代の変化に直面する。新政府は王政復古、祭政一致の国家づくりを目指し、神仏分離令を布告する。つまり、天皇中心国家への転換を目指すべく、神社と寺院とを切り分ける政策に出たのだ。神仏分離令は、寺院や仏教的慣習の破壊運動「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の呼び水となった。
廃仏毀釈の嵐は古都京都ではかなり厳しく吹き荒れ、多くの寺院が廃寺になり、神社や学校に姿を変えた。さらに当時、京都から東京への首都が移り、明治天皇を追って御所御用達の問屋や市民が東京に出てしまった。東京奠都(てんと、遷都の法令は出ていないので「奠都」という)によって、京都の人口は3分の2まで急激に減ったといわれている。
とくに仏具業は、危機的状況に追い込まれた。一方で、京都再生を期すべく新しい産業の狼煙が次々と上っていく。初代源蔵はいまこそ、産業構造の転換期にあると嗅覚鋭く察知。当時、輸入された教育用機器の修理や整備などを手掛け、そのうち、京都政界との結びつきを生かしながら、さまざまな「発明」を遂げていく。
■ロシア・バルチック艦隊撃破の理由は島津の蓄電池搭載の無線機
二代源蔵が心血を注いだのは蓄電池(バッテリー)の研究開発であった。バッテリーは現在ではスマートフォンやパソコン、自動車など生活に欠かせないアイテムである。この蓄電池を明治期にいち早く事業化し、世界各国で特許を取得した。ちなみに二代源蔵は、大正時代に電気自動車をアメリカから輸入し、自社のバッテリーに積み替えて京都市内を縦横無尽に走らせていたという。
島津のバッテリー事業を支えたのは軍需であった。1904(明治37)年に日露戦争が勃発。島津の蓄電池の高い技術に軍部が注目した。そして、連合艦隊の軍艦で使用する無線用電源を提供してほしいと、島津製作所に白羽の矢が立った。
日本の近代史に詳しい人ならばご存じだろうが、ロシアの無敵艦隊バルチック艦隊の動きをいち早く察知し、撃破できたのは無線技術があったからと言われている。
戦果は日本の圧倒的勝利で終わった。バルチック艦隊は36隻のうち33隻が沈没、大破、拿捕という大敗を喫し、日本側は水雷艇が3隻沈没したのみであった。これは島津の蓄電池を搭載した無線ネットワークのおかげであったと言っても過言ではない。仮に島津製作所が蓄電池を提供できずにロシアに敗れていたら……、日本史は変わっていたかもしれない。
この蓄電池は島津源蔵の頭文字をとって「GS蓄電池」と命名された。後に島津製作所のバッテリー事業は独立。自動車用バッテリーでは現在、世界第2位のシェアを誇るGSユアサの前身企業の一社、日本電池として産声を上げている。
■レントゲン装置を国内で最初に手掛けたのも島津製作所
また、蓄電池開発の過程で生み出された独自の技術「易反応性鉛粉製造法」は、今でいうスピンオフ製品を生み出した。錆止め塗料の転用を可能にしたのだ。鉛は貝や藻などが毒物として認識するため、船底への塗料はとくに有効であった。海洋生物の船底への付着は艦船の航行の足かせとなり、スピードの低下や燃料を無駄に消費する元凶になる。この塗料も特許を取得。現在の大日本塗料の設立につながっている。
現在、島津製作所の事業の主軸は分析計測機器と医用機器だ。同社の各事業分野に横串を差す技術のひとつが、X線(レントゲン)である。工業用の非破壊検査機器、医療用の検査機器などレントゲン関連製品は「島津スピリット」を今に伝える重要な事業だ。
このレントゲン装置を国内で最初に手掛けたのも島津製作所なのだ。島津製作所には1896(明治29)年、実験初期段階のレントゲン写真が残されている。そこに写し出されていたのは、人物の左手と、メガネケースと、がま口財布であった。
二代源蔵はその後、電源・電圧の改良などを行い、ようやく性能が安定するのが、レントゲンがX線を発見してから、たった10年後の1897(明治30)年ごろである。そして、病院におけるレントゲン装置導入の第1号が、1909(明治42)年に同社が納入した千葉県国府台陸軍衛戍(えいじゅ)病院(現在の国立国際医療研究センター国府台病院)だ。
バッテリー事業は現在のGSユアサに、そこからスピンオフした塗料事業は大日本塗料に。レントゲン事業は、島津製作所本体に残った。
■フォークリフト、マネキン……多くのモノを生み出した連続起業家精神
さらに島津製作所が生んだ企業はまだある。フォークリフト製造で知られる三菱ロジスネクスト、ワコールグループの七彩など国内のマネキン製造会社25社のうちほとんどが、島津製作所を出身母体に持つ企業だ。また京セラや日本電産、村田製作所など売上高1兆円を超える京都の巨大企業も、その創業時には島津製作所となんらかの協力関係をもってきたとされている。
日本は欧米に比べて起業家が育ちにくい風土と言われる。
しかし最近もてはやされている「シリアルアントレプレナー」(連続起業家)の、先駆け中の先駆けが島津創業者父子といえる。こうした挑戦者精神は島津のDNAとして後世に受け継がれ、後の「ノーベル化学賞受賞」へと導かれていく。
近年、「選択と集中」が企業経営の要諦とも言われる。だが島津製作所の場合は、逆に事業を広く、息長く展開させることが独自性ともいえる。
明治期の京都の再生と島津製作所の黎明期の物語は、拙著『仏具とノーベル賞 京都・島津製作所創業伝』(朝日新聞出版)を手に取っていただければ幸いである。
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浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『仏教抹殺』(文春新書)など多数。近著に『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)。佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事。
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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)
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