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なぜバフェットは賢人と呼ばれるのか「11歳から守り続ける3つの教訓」

プレジデントオンライン / 2020年9月26日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/scyther5

ウォーレン・バフェットは、なぜ「賢人」と呼ばれるのか。経済ジャーナリストの桑原晃弥氏は「株式投資において大切なのは、投資する企業をよく知ることと、信じて待つことだ。バフェットの投資家としてのスタートは11歳の時の失敗と、その教訓を生かすことから始まっている」という――。

※本稿は、桑原晃弥『伝説の7大投資家 リバモア・ソロス・ロジャーズ・フィッシャー・リンチ・バフェット・グレアム』(角川新書)の一部を再編集したものです。

■なぜバフェットは富と名声、尊敬を集めるのか

投資に少しでも関心のある人で、ウォーレン・バフェットを知らない人はほとんどいないだろう。バフェットを評する言葉はたくさんある。

世界長者番付トップ10に30年以上も君臨する大富豪。

経営するバークシャー・ハザウェイの株価を50年で80万%以上も上昇させた天才投資家。

これだけでもバフェットのすごさが分かる。バフェットの盟友ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)が「彼はただ優れた投資家というのではなく、世界で最も優れた投資家として記憶されるだろう」と評したのもその圧倒的な成果を見れば納得がいく。だからこそ、人はバフェットのことを「世界一の投資家」と呼ぶが、バフェットにはもう一つ「オマハの賢人」という有名な呼び名がある。

■富の大半を慈善事業に投じ、政治に影響を与える

世界に目を向ければ、天才的な投資家はたくさんいる。ジェシー・リバモアやジョージ・ソロス、ジョン・ポールソンのように世界を揺るがせるような混乱の中、驚くほどの大金を手にした投資家もいる。しかし、「賢人」と呼ばれるのはバフェットだけだ。理由はバフェットが大富豪でありながら決して贅沢に溺れることなく、その富の大半を慈善事業に投じたり、金持ち優遇税制の非を訴えアメリカの歴代大統領に影響を与えたりするほどの力を持っているからだ。

その影響力は多方面に及び、アメリカを代表するIT企業グーグルやアマゾン、フェイスブックの創業者たちもしばしばバフェットの言葉を引用することで、自分たちの経営の正しさを証券市場に訴えている。言わば、バフェットは世界一の投資家であり、世界で最も尊敬されるお金持ちの1人と言える。

■「生まれた場所と時期が素晴らしかった」

バフェットが生まれたのは1930年8月、つまり大恐慌の10カ月あとのことだ。大恐慌によってアメリカの株式市場は第一次世界大戦の戦費に近い額を失い、当時、ユニオン・ステート銀行で株のブローカーとして働いていた父親のハワードも2年後には銀行に預けたお金も仕事も失っている。やがてハワードは証券会社を開業、「極端なくらいに質素なやり方で、しかし着実に努力する」ことでバフェット家の生活水準を中流階級にまで押し上げることに成功するが、バフェットはまさにこうした混乱の中に生まれ、そして苦しい中で懸命に努力する両親を見て育っている。こう振り返っている。

「子どもの頃、いいことばかりに囲まれていた。両親から財産をもらっていないし、もらいたくもなかった。でも、生まれた場所と時期が素晴らしかった。言ってみれば、卵巣の宝くじで大当たりしたんだ」
『スノーボール(改訂新版)ウォーレン・バフェット伝』(アリス・シュローダー/訳・伏見威蕃/日経ビジネス人文庫)

バフェットが成功への道を歩み始めたのはわずか6歳の時だ。6歳の時から近所の人たちを相手にチューインガムやコカ・コーラを売り始め、5枚1パック入りのチューインガムを売って2セントの利益、コカ・コーラを一本売って5セントというささやかなビジネスながら、6歳で初めて銀行口座を開設している。

■「35歳で百万長者になる」と決意

その後もバフェットの小さなビジネスは続き、フットボールの試合でピーナッツやポップコーン、古いゴルフボールを拾い集めて売ることで少しずつ銀行口座の残高は増え、バフェットが初めて株式投資を行った11歳の時には120ドルに達していた。

桑原晃弥『伝説の7大投資家 リバモア・ソロス・ロジャーズ・フィッシャー・リンチ・バフェット・グレアム』(角川新書)

それは家族が驚くほどの金額だったが、バフェットがこれほど小さなビジネスと貯金に励んだのには理由がある。10歳のある日、バフェットは地元の図書館で一冊の本に出会っている。タイトルは『1000ドル儲ける1000の方法』だ。その本には1000ドル儲けることができる小さなビジネスが1000も紹介されていた。もしすべてを実行すれば100万ドルになる。

バフェットはこの本に書かれていた「複利で増える」ビジネスに強く惹かれている。もし1000ドルの元手でスタートしたとしても、年利10%の複利で増やせば5年で1600ドル、25年で1万ドルを超えることができることを知ったバフェットは35歳までに百万長者になることを決意している。

そう決意したバフェットがある日、父ハワードのビジネス・パートナーだったカール・フォークの奥さんにその決意を伝えたところ、フォーク夫人から「なぜそんなにお金が欲しいの?」と聞かれてこう答えている。

「お金が欲しいんじゃないんです。お金を稼いだり、それが増えていくのを見るのが好きなんです」
『ビジネスは人なり 投資は価値なり―ウォーレン・バフェット』〔ロジャー・ローウェンスタイン/訳・(株)ビジネスバンク〕

バフェットにとって「お金」は「自立」を意味するものだった。お金があれば、人生で自分のやりたいことができる、というのがバフェットの考え方だった。

■ビジネスを始めた年齢が早いほど成功しやすい

バフェットによると、何がビジネスの成功に関係しているかというと、それは学業成績でも家柄でも、ビジネス・スクールに通った経験でもなく、ビジネスを始めた年齢が早いかどうかだという。

たしかにIT企業の成功者の多くは10代、20代で起業しているし、投資家のジム・ロジャーズも5歳の時から小さなビジネスを始めている。彼らはみな最初から成功者であったわけではなく、非常に早い時期に小さなビジネス、小さなアイデアからスタートして、ある時期から急成長を遂げ、成功者となっている。

■「稼ぐ」「貯める」から「大きく増やす」へ

バフェットは言う。

「私は小さな雪の玉をずいぶん若い時から固めた。10年遅く固め始めたら、今ごろ山の斜面のずいぶん下にいただろう。だから、私は学生たちにゲームの先を行くように勧める。何も大がかりにやることはないが、ゲームのあとをついていくよりずっといい」
前出『スノーボール(改訂新版)ウォーレン・バフェット伝』

バフェットはこのように幼い頃から「稼ぐ」ことと、「貯める」ことに熱心な少年だった。それはバフェット家の言わば伝統のようなものだった。こう話している。

「莫大な遺産を遺したバフェット家の人間は1人もいないかもしれないが、何も遺さなかった者もいなかった。稼ぎを使い果たすことなく、常に一部を貯めておいた。それでずっとうまくいっているのだ」
前出『スノーボール(改訂新版)ウォーレン・バフェット伝』

バフェットが親から受け継いだのは「使う金は入る金よりも少なく」という考え方だ。それは生涯変わることのない考え方だが、バフェットの場合はそこに「複利式の考え方」が加わったことで「大きく増やす」ことができた。

■姉をパートナーに11歳で株を購入

1941年、11歳のバフェットはコツコツと蓄えた120ドルを元手に、姉のドリスをパートナーに引き込んで、シティーズ・サービス・プリファードという会社の株を一株38ドル(端数は四捨五入)で3株ずつ購入した。3株で114ドルだ。

幼い頃から株に興味を持ち、10歳で父親に連れられてニューヨーク証券取引所を見学に行くほど関心の高かったバフェットは、普段から父親のオフィスに行っては株券や債券を楽しそうに見つめ、黒板の株価が次々と更新されるのを見て楽しんでいた。自宅では自分なりに株価チャートをつけ、何か隠されたパターンがあるのではないかと考えるのが大好きだった。

それは幼いアインシュタインが父親にもらった方位磁石を手に「なぜ一定の方角を指すのか」を考え続けていたのとよく似ている。バフェットにとっての方位磁石は日々変化する株価や株価チャートだった。

しかし、いくら関心はあっても、11歳のバフェットに投資すべき株を選ぶ力はなかった。結局は「父親が薦めているから」という理由で投資先を決めることになったが、たしかにバフェットが言うように「よく分からない」ことはリスクとなった。

■初めての投資で学んだ3つの教訓

多くの投資家が指摘しているように「知らない」ことは最大のリスクの一つである。バフェットが購入した株も市場の低迷によって株価が27ドルになってしまった。一株当たり11ドル、3株で33ドルの損失だ。バフェットにとってもドリスにとっても大金だ。

ドリスから毎日のように責め立てられたバフェットは株価が回復して40ドルになった時に売却、1人当たり6ドルの利益を手にしている。ドリスはバフェットを「やり手」と褒めたが、バフェットにとって初めての株式投資は忘れられない失敗となった。

その後、株価は一株当たり202ドルにまで上昇、売らずに持ち続けていれば3株で500ドル近い利益を手にすることができた。バフェットは3つの教訓を学んだ。

1、買った時の株価に拘泥してはいけない。
2、よく考えないで慌てて小さな利益を得ようとしてはいけない。
3、他人のお金を使って投資してはいけない。

自分のお金なら下がっても「待つ」ことができるが、他人のお金に責任を負っているとそうはいかない。それでも「自分がよく知る」企業であれば、たとえ株価が下がっても「自信を持って待つ」こともできるが、よく知らない企業だと、それこそ「株価が下がっているから」「みんなが売っているから」という理由で慌てて売ることになりかねない。

■「よく知る」ことと「信じて待つ」こと

バフェットは11歳の失敗からこう考えるようになった。

「今日や明日、来月に株価が上がろうが下がろうが、私にはどうでもいいのです」

ベンジャミン・グレアムも言っているように株式市場は「短期的には投票計、長期的には重量計」(前出『スノーボール(改訂新版)ウォーレン・バフェット伝』)となる。市場の人気に左右されて株価は上がったり下がったりを繰り返すが、有能な経営者に率いられた競争力の事業であれば、その企業の株価はやがて実力に見合ったものになる。

株式投資において大切なのは日々の株価の変動に一喜一憂することではなく、投資する企業を「よく知る」ことと、「信じて待つ」ことだ。バフェットの投資家としてのスタートは11歳の時の失敗と、その教訓を生かすことから始まっている。

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桑原 晃弥(くわばら・てるや)
経済・経営ジャーナリスト
1956年、広島県生まれ。慶應義塾大学卒。業界紙記者を経てフリージャーナリストとして独立。トヨタからアップル、グーグルまで、業界を問わず幅広い取材経験を持ち、企業風土や働き方、人材育成から投資まで、鋭い論旨を展開する。主な著書に『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』(朝日新聞出版)、『「ものづくりの現場」の名語録』(PHP文庫)などがある。

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(経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥)

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