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中国の大学に移った日本人研究者が明かす「海外流出」の事情

プレジデントオンライン / 2020年10月2日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/zhudifeng

日本人の研究者が中国の大学へ移るケースがじわじわと増えている。2015年から中国の復旦大学に所属している服部素之さんは「中国の大学は高給というのはよくある誤解。中国に渡る大学研究者の主な動機は給与の高さではない。日本の大学の研究環境の悪化が影響している」という――。

■理系の基礎研究者が「中国の大学」を考えるように

上海にある復旦大学にて生命科学を研究している服部素之と申します。妻が上海人ということもあり、5年ほど前に上海に引っ越し、それ以来、こちらで研究と教育を続けています。

最近、世界大学ランキングや科学技術論文の質・量のランキングで、中国の大学が存在感を示しており、日本のメディアなどから問い合わせを受けることが増えてきました。本稿では、そのような中国の大学に関する話題の中から、私を含む在中の日本人研究者らからみた「中国の大学における昨今の大学教員採用」についてご紹介できればと思います。

近年日本では、国立大学の法人化や、研究費配分における「選択と集中」などにより、大学における基礎研究者の研究環境が悪化しています。それに伴い、世界における日本のサイエンスの地盤沈下が、ニュースでも報じられるようになってきました。

そんな中、私の研究分野でもアメリカやEU諸国を中心とした海外の研究環境に活路を求める若手・中堅の研究者が、ここ10年以上の流れとして徐々に増えつつあるように思います。とはいえ、5年前であれば、その選択肢として、理系の基礎研究者が「中国の大学」を考えることはなかったように思います。私自身も妻が上海人でなければ現所属へ異動することはおそらくなかったでしょう。

■年間10人弱の基礎科学研究者が中国へ渡る

しかし、ここ3~4年、私が上海に異動して以降、徐々に流れが変わってきたように思います。基礎科学分野における「海外の日本人研究者」の圧倒的大多数がアメリカやEU諸国中心というのは以前と同様ですが、それに加えて、若手・中堅を中心に中国における日本人の基礎研究者がわずかではありますが増えつつある印象を受けます。

あくまでざっくりとした印象ですが、私の専門である生命科学分野で年3~4人くらい、物理、天文など、他の基礎科学分野を足しても年10人弱の若手・中堅の日本人の基礎科学研究者が、中国の大学教員として着任しています。

10年ほど前までは、中国の大学に来る日本人の理系研究者というと「定年後のシニア研究者が中国からの留学生だった元教え子(現在中国にて大学教授)に頼まれて客員として短期もしくは数年滞在」みたいなパターンがありましたが、そういうパターンは減少傾向にあるように思います。

■中国の基礎研究レベルが上がっている

流れが変わった背景としては、おもに三点あると私は考えています。第一に「中国の大学における基礎研究のレベル上昇がここ数年中国国外からみても顕著になってきたこと」、第二に「中国の多くの大学での新規教員採用が高いペースで長期継続していること」、第三に「日本における基礎研究者の研究環境のさらなる悪化」です。

所属を変える研究者にとって、気になるのは「そこにいって自分はちゃんと研究できるのか?」ということです。その上で、一番強い根拠となるのは「そこにいる人たちがレベルの高い研究をすでにしている」という事実でしょう。プロサッカー選手の移籍をみてもわかると思いますが、レベルの高いリーグ、レベルの高いチームを志向するのは典型的で、多くの人にとって給与の多寡同様、もしくはそれ以上に重要と思われます。

その意味でいうと、中国における研究レベルの上昇がここ数年中国国外からみても顕著になってきたことは各種統計からも明らかです(「科学論文の引用回数 米中が各分野の1位独占 日本はなし」NHK)。

■著名誌に載る論文は「3年で3倍」に増えた

具体的な話をすると、私の専門である生命科学分野では、『Nature』『Science』『Cell』の3誌が俗に「CNS」と呼ばれ、重要な論文が掲載されることの多いトップジャーナル群です。

生命科学分野における、中国からのCNS掲載論文の数の推移をみてみると、2016年の1年間において中国から生命科学論文が約50報だったのに対し、そこから3年後の2019年の1年間で約140報と3倍近くになっています。もちろん、CNS掲載論文の数のみで研究レベルの変化を結論付けるのは尚早ですが、中国の生命科学分野における変化を感じることができると思います。

開いて置かれた資料の上に拡大鏡
写真=iStock.com/domin_domin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/domin_domin

また、中国に来ている他分野の日本人研究者と話しても、基礎科学分野における中国の存在感は近年高まっているようです。

たとえば、昨年末に雲南大学へ助理教授(※日本における助教職に相当するが、日本と異なり上司役の教授を持たない独立研究者)として着任した天文学者の島袋隼士博士によると、近年天文学においてその重要性が増している電波望遠鏡(通常の光学望遠鏡では観測できない波長の電磁波を観測するための望遠鏡)について、中国では、500メートル球面電波望遠鏡(FAST)と呼ばれる現在世界最大の電波望遠鏡を国内に建設し、分野における存在感を強めています。

またSquare Kilometre Array(SKA)計画と呼ばれる欧州を中心とした電波望遠鏡の国際共同プロジェクトについて、日本はまだ参加を決定していないものの、中国はすでに計画への出資参加を決めているとのことです。

こういった天文分野における中国の積極的な投資も関連してか、中国で大学教員もしくはポスドク(博士号取得後のトレーニング期間研究者)として研究を行う日本人の天文学研究者の数は、ここ数年少しずつ増えているとのことです。

■「中国の大学なら簡単に採用」という状況ではない

第二の「中国の採用ペースの継続」については、2018年における中国の大学教員数は約167万人と2010年比で約25%程度伸びています(「中国産業情報ネット」より)。少子化が進む中でも大学進学率は伸び続けており、それを受けての流れと思われますが、いわゆる研究大学における大学教員数の増加は特に顕著です。

たとえば私の所属する復旦大学生命科学学院の場合、私が異動した2015年とその5年前の2010年当時の5年間での教授クラスの教員数が約5割増加しています。また、そういった既存の学院における採用増に加え、大学が新設される場合や既存の大学内に新しく研究所が新設される場合は、それらをさらに上回るスケールで多くの教員が新規採用されます。

それらの教員採用公募は、『Nature』誌や『Science』誌といった英文科学誌で告知されることも多く、外国人の目に入る機会も増えていると思います。そういった大量採用や国際告知の流れの中、中国人に限らず、外国人の応募が少しずつ増えているのでしょう。

ただし、私の学院での人事採用プロセスや他大学のケースをみていると、「外国人だから積極的に採用される」といった外国人にとって「おいしい」話はあまりなく、「中国人も外国人もいい人がいれば採用する」くらいのノリです。むしろ、昨今の中国における研究レベルの上昇に伴い、採用される研究者のレベルも上昇しており、つまり選考ラインが上がっています。「中国の大学で採用が増えているから中国の大学なら簡単に採用される」という状況ではありません。

■日本の「基礎研究」の環境が悪化している

第三の「日本の研究環境の悪化」は深刻な問題です。2004年に実施された国立大学の法人化の影響で、国立大学の収入の要である国からの運営交付金はこれまでに2000億円以上も削減されました。その結果、「定年退職した教授の後任人事が行われない」など、さまざまな形での実質的な教員採用減が進行しています(「国立33大学で定年退職者の補充を凍結 新潟大は人事凍結でゼミ解散」The PAGE)。

これは大学以外での研究の場が限られがちな、基礎的な分野の研究者が特に影響を受けるものです。実際、中国にきている日本人研究者をみると、理工系の中でも「理学」側、特に天文のような基礎研究の中でもさらに基礎といえる分野の研究者が多いように思います。

■新任教授の相場は「年収450万~750万円」あたり

ところで、中国の大学というと、昨今のバブリーな印象からすごい給与をもらっていると誤解されるのですが、「一般論として中国の大学教員の給与はそれほど高額なものではない」という事実があります。そういった印象論の背景にはおそらく10年、20年前くらいの「日本のメーカーを定年退職した技術者が中国や韓国のメーカーへ高給で引き抜き」といった過去のニュースが影響しているのかもしれません。

実際のところ、大学の場合、古参の大学教員の給与が年10万元(約150万円)程度というのも珍しくありません。研究大学において給与が高めに設定されている新規採用の教授であったとしても、私の分野の場合、5年くらい前の新任教授の相場は年30万~40万元(約450万~600万円)、最近でも年30~50万元(約450万~750万円)あたりの額を聞くことが多いです。中国における平均年収、物価を考慮すると決して低い額ではありませんが、欧米や日本における大学教授の賃金相場と比べるとまだまだかなり低い状況です。

■「中国の大学だけ」に応募した人は少数派

日本から中国に来ている基礎研究者の実態としては、「中国における高給に惹かれて」というちまたに流布しているイメージではなく、国立大学の法人化以後、日本における基礎研究者の教員採用が継続的に削減されているという事実が、中国を含め海外の大学への応募を後押しする間接的な要因とはなっているのではないかと思います。実際、中国に来ている日本人の大学教員の話を聞いても「中国の大学にだけ」に応募したという人より、「欧米や日本の大学にも」応募した人のほうが圧倒的多数です。

以上をまとめると、「中国における基礎研究のレベルが近年上昇し、大学教員の採用も高水準が続いている一方、日本における基礎研究者の研究環境が悪化している。そのため、中国における大学教員の待遇が必ずしも破格というわけではないが、日本人の基礎研究者が研究のチャンスを求めて海外の大学に応募する際、中国の大学『も』選択肢の中に徐々に含まれるようになってきている」という状況だと私は考えています。

■「国立大学の運営交付金の回復」が必要だ

そのような状況を踏まえた上で、「海外に移籍する日本人研究者が徐々に増えつつある中、日本はどうしたらいいと思う?」と聞かれることがあります。

それに対してもっとも即効性があると思われる対策は「法人化以降削減され続けている国立大学の運営交付金を回復させること」だと思われます。日本にいる研究者の友人からもそうした声を聞いています。運営交付金の回復は、硬直化している大学人事をある程度回復させるのではないかと思われます。

また、本稿執筆にあたりご協力いただいた雲南大学の島袋隼士博士からの要望として「日本の大学公募への応募にあたり印刷物の郵送が必須となっているケースが多いのは問題。基本的に電子化すべき。これは海外在住の日本人に限らず、海外からの研究者が日本の大学へリクルートする際の障壁の1つとなっている」とのご意見がありましたことも、あわせてご紹介させていただきます。

実際のところ、「日本人の基礎研究者が次々と海外に高待遇で引き抜かれている」といったような大規模な人材流出が発生しているような状況ではまだありません。また、日本に行くたびに思うのですが、やはり日本は多くの日本人にとってとても住みやすい環境です。そこは日本にとっての大きな強みだと思います。

このため、特に奇策の必要はなく、今のところは「運営交付金の回復」といった正攻法で状況はかなり改善すると思われますし、日本いる研究者の友人らのため、そして日本の基礎科学の再生のためにも、実際そういった流れとなることを心から祈っています。

■日本人研究者への嫌がらせが起きている

また、本稿の最後に、私個人として述べたいこととして、昨今、在中の日本人研究者らへの事実無根の思い込みに基づく悪質な嫌がらせが日本から徐々に出てきているという残念な事実があります(「最悪拷問の恐怖…産経新聞記者によって中国“タブーメディア”に名前をさらされた話」文春オンライン)。

在中の日本人研究者らからそういった不安の声を聞くことも増えています。在中の日本人研究者の多くは、その成果を世界に向けて公開論文として発信することを使命とする基礎研究者であり、違法な技術流出や知財流出といった行為には関わりのない方々です。もし違法な技術流出や知財流出といった法的に問題ある行為をした人が本当にいるのであれば、その当事者に対して証拠と共に法に基づく対応をすべきであって、根拠なく思い込みで関係のない人たちへ嫌がらせをするのは非常に悪質な行為だと思います。

最近、中国の大学や基礎科学分野の伸びを受けてか、日本のメディアなどから中国における日本人研究者らが問い合わせを受けることが増えており、それに対して、「少しでも日本のためになれば」と在中の日本人研究者の皆さんは善意から情報発信をしているのが現状です。それに対して悪意ある嫌がらせを行うというのは、そういった情報提供の委縮につながりますし、それは日本自身にとって決してプラスにはならない行為です。

今後そういった嫌がらせがなくなり、委縮の必要なく情報発信できる状況が続くことを切に望みます。また、私自身、本稿が日本の大学および基礎科学の活性化の参考に少しでもなることを願っています。

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服部 素之(はっとり・もとゆき)
生命科学研究者
2009年東京工業大学大学院生命理工学研究科博士課程修了。博士(理学)。2012-2015年東京大学大学院理学系研究科 JSTさきがけ研究者、特任助教。2015年より復旦大学 生命科学学院。専門は構造生命科学。上海での大学教員経験をもとに、日本の大学や基礎科学の振興のため、中国における大学のしくみや基礎研究事情、そしてそれらに基づく各種提言を日本のメディアにて紹介。Twitter

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(生命科学研究者 服部 素之)

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