普及の進まないマイナンバーカードを壮大なムダに終わらせない唯一の方法
プレジデントオンライン / 2020年10月2日 11時15分
■アベノミクスは「光」と「影」がはっきりする政策だった
菅政権が誕生し、スガノミクスの具体的な内容がどのようなものになるのか、注目を浴びている。筆者は、菅政権が基本的にアベノミクスを承継する以上、アベノミクスの長所を伸ばし、影の部分を是正していくことが重要だと考えている。
アベノミクスは「光」と「影」がはっきりする政策だった。
政権発足当時の「3本の矢」は、わが国の経済・社会を取り巻く景色を大きく変えた。円安・株高が生じ、企業業績は回復、雇用の大幅な改善などで一定の成果を残した。しかし経済成長率の底上げを図る政策が機能せず、国民の実質賃金は停滞し、中間層の高所得層と低所得層への二極分化が進み、全体としての所得・資産格差も進んだ。
つまりアベノミクスの影の部分というのは、経済成長の果実の配分を市場に任せるというトリクルダウン(成長と分配の好循環、第1次分配)に期待するあまり、税制や社会保障制度を活用する所得再分配政策には冷淡であったため、国民が安心して消費できるような経済環境をつくることはできなかったということだ。
そこで菅新政権の課題は、所得の再分配をどう進めて国民生活の安心感を醸成していくかということになる。そしてそれを有効に進めるツールとして、マイナンバー(社会保障・税番号)の活用がある。
■マイナンバーを使えばスムーズに所得再分配ができる
中間層の二極分化や、働き方改革で進む雇用の流動化、コロナ禍で増加するフリーランスに適切に対応できるセーフティーネットを構築し、国民が安心して生活できる環境をつくっていく必要がある。とりわけコロナ禍というのは、個人が想定していない(あるいは取り切れない)リスクなので、国は可能な限りの支援を行う必要がある。
そのためには国民の所得(収入)をマイナンバーで正確に把握して、きめ細かく効率的なセーフティーネットを構築し支援していくことが考えられる。
ではデジタル技術を活用した所得再分配策とはどのようなものなのか。コンセプトは簡単である。人々の収入や所得をマイナンバーで正確に把握しつつ、余裕のある者にはさらなる負担(所得税・資産税)を求め、困窮者には効果的な(勤労意欲を損なわない)給付や減税を行う、そのための制度作りとインフラの整備である。
ITを活用したこのような制度は、すでに多くの欧米諸国で導入されている。米国では、税務申告時に、低所得者に税の還付を行う制度があり、勤労インセンティブの向上に役立っている。英国では、所得に応じたきめ細かい社会保障給付措置が構築されており、生活支援だけでなく子育て対策にも使われている。欧米諸国がコロナ対策で迅速な給付ができたのは、このような既存の制度を活用したためだ。
■マイナンバーの活用は行政や制度をデジタル化するチャンス
今後コロナ禍の進展で、さらなる給付措置も起こりうる。その際には、国民全員に一律給付という無駄なことをやめて、真に困窮している者により手厚く給付できるようにすべきだ。
このような制度を導入するには、マイナンバーによって名寄せされた所得情報を、社会保障給付に連携させる情報連携基盤(インフラ)を構築する必要がある。わが国では2016年1月から番号が導入され、われわれの収入・所得はおおむね番号で把握されている。生活保護や児童手当の支給にはその情報が活用できることとなっているのだが、自治体の現場では、システム連携の悪さや予算不足などからスムーズに連携されているとはいいがたい状況が生じている。
さらに今回の特別定額給付金の支給問題で、政府・自治体の情報連携にさまざまな課題があることが明確になった。管内閣は、行政の縦割りを排しデジタル庁を創設し、医療や教育、さらには給付金や行政事務を効果的かつ効率的に行うことを目指すとしている。筆者も新政権のマイナンバーの活用に参画しているが、先進諸国と比べて大きく出遅れているわが国の行政や制度のデジタル化を強力に進めていく最大のチャンスととらえるべきだ。
■税務申告を簡素化する動きも進んでいる
デジタル・ガバメントを構築するには、国民のほぼ全員がマイナンバーカードを取得しマイナポータルを利用することが大前提となる。政府はこれまで、マイナポイントの付与や健康保険証との一体化などの促進策を打ち出しているが、2020年9月1日時点でいまだ国民の20%程度しか普及していない(総務省調べ)。
カード取得が普及しない理由の一つは、取得メリットが少ないことだ。2021年3月からはじまる健康保険証との統合は国民にとって大きなメリットだが、医療費控除など税務申告を簡素にできるようにすることも必要だ。
実はこの面では大きな進展がみられる。来年の確定申告に向けて、e-Taxと連携しつつ、医療費控除、生命保険料控除などの還付申告や、個人事業者の申告を簡単にできるようにする準備が進みつつある。
具体的には、本年10月から、生命保険料控除証明書などを、自らのマイナポータルに電子的に取り込むサービスが開始される。自分が働く会社が発行する給与所得の源泉徴収票、住宅ローンの残高証明書なども電子的に入手が可能となる。これらの情報はe-Taxに自動転記できるので、税務申告が極めて簡単になる。
■最大の課題はプライバシーへの配慮
筆者が考える最大の普及策は、マイナポータルを、年金や児童手当など公的な入金(収入)、各種保険料や納税などの出金(支出)の管理に活用できるようにすること、将来的には給与(収入)や消費(支出)も管理できる家計簿にすることだ。そうなればわれわれは毎日ポータルを開くことになる。
最大の課題は、国民のプライバシーに対する不安や懸念にどう対応するかだ。この問題は、国民の政府への信頼と深く関連している。多くの欧州諸国では、「番号は住所と同じで、プライバシーではない」と認識されており、とりわけ北欧では個人の所得情報を誰もが閲覧することができる。背景には国民の国家への信頼がある。
まずは、個人情報の保護を徹底するために、プライバシーの問題が生じたような場合にそなえて、個人情報保護委員会の権限強化を検討すべきだ。
国民の信頼を短期間で回復させることは容易ではない。オランダは、当初納税者番号として導入された番号制度を、20年かけて国民的な議論を行いつつその使途を拡大し、市民サービス番号に変えデジタル・ガバメントを作ることに成功した。時間をかけてコンセンサスを得ていく方式は、オランダの干拓事業になぞらえて、ポルダー(干拓)モデルと呼ばれている。わが国でも大いに参考にすべきだ。
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東京財団政策研究所研究主幹
法学博士。ジャパン・タックス・インスティチュート代表理事。1950年、広島生まれ、73年京都大学法学部卒業、大蔵省入省。英国駐在大蔵省参事、主税局税制第二課長、総務課長、東京税関長、2004年プリンストン大学で教鞭をとり、財務省財務総合研究所長を最後に06年退官。大阪大学教授、東京大学客員教授、コロンビアロースクール客員研究員などを歴任。ジャパン・タックス・インスティチュート所長。著書に『デジタル経済と税』『税で日本はよみがえる』(以上、日本経済新聞出版社)など。
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(東京財団政策研究所研究主幹 森信 茂樹)
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