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「自閉症は津軽弁を話さない」この謎に挑んだ心理学者が痛感したこと

プレジデントオンライン / 2020年10月6日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mmpile

自閉症の子どもは津軽弁を話さない。そんな妻の一言をきっかけに、心理学者の松本敏治氏はことばと心の謎の解明に乗り出した。松本氏は「最初は軽い気持ちで調べていたが、本にまとめるまで十数年がかかった。現場の人々の経験や感覚に目を向けることの大切さを痛感した」という――。

■「ことばと心の謎」に迫る研究のきっかけ

ある日、町の乳幼児健診から帰ってきた心理士の妻が、ビールを飲みながら「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ(話さないよねぇ)」と言ってきました。

障害児心理を研究する私は、「それは自閉症(自閉スペクトラム症:ASD)の独特の話し方のせいだよ」と初めは静かに説明してやりました。しかし妻は、話し方とかではなく方言を話さないのだと譲りません。

やり取りするうちに喧嘩になり2、3日は口を利いてくれませんでした。こちらも長年、その道の研究職であるつもりでしたから、たとえ妻でもこんな意見は聞き捨てならず引くに引けません。

「じゃあ、ちゃんと調べてやる」

これが思いがけずその後十数年にもわたる「ことばと心の謎」に迫る研究のきっかけだったのです。

私は軽い気持ちで、知り合いの特別支援学校の先生方にこの話をしてみました。するとなんと妻の発言を支持する意見ばかりが寄せられます。私の専門家としての自信が少し揺らぎました。それならと本格的に専門家たる手法を使って調査を行うことにしました。

■データが証明「自閉症は方言を話さない」

まずは、青森・秋田で発達障害に関わる人を対象に地域の子ども・知的障害児者・自閉症児者の方言使用についての調査です。結果として、妻の言う通り「自閉症の人々の方言使用が少ない」という印象があるとのデータが得られました。

実際にデータが示したという事実は大きな驚きでした。しかしまだそれは北東北地域の事実でしかありません。もっと慎重に確認すべきです。もうその頃からは妻への意地ではなく、自分自身の知的好奇心が動き始めたのです。

今度は調査地域を京都・舞鶴・高知・北九州・大分・鹿児島に広げるとともに、国立特別支援教育総合研究所の専門研修に全国から参加した教員にも同様の調査を行いました。その結果、「自閉症は方言を話さない」という印象が全国的で見られる普遍的な現象であるという驚きの事実が明らかになったのです。

そうであれば、妻の言う方言語彙の使用について調べなければなりません。青森と高知の特別支援学校で方言と共通語の語彙使用について調査しました。すると、自閉傾向のある子とない子とでは方言語彙の使用に差があるという結果が得られました。

このことは、自閉症に見られる方言不使用という印象は話し方(イントネーションやアクセント)のせいだとする私の解釈を打ち砕きました。

これらの現象について学会や研究会で報告すると、各領域の研究者からはさまざまな解釈が出されました。自閉症の音声的特徴が原因とする説、パラ言語の社会的意味の理解不全だとする説、方言終助詞の理解と使用の問題だとする説、メディアから言語学習しているという説などなど。

しかし、いずれの説も語彙を含めた方言不使用を十分に納得できるものではなく、私は困り果てました。ところが各研究者は、みなそれぞれに自信があるのです。どの説明にも一部の疑問が残っていることは取り上げず、その専門分野の解釈を強く推すからです。

■「方言と共通語」の関係性は「タメ語と丁寧語」に似ている

納得のいく回答が得られない中、ふと私は“方言”とは何だろうと思い直しました。そして同じ大学にお勤めだった方言学者の佐藤和之先生を訪ねたのです。そこからまた新たな扉が開かれました。

人は人間関係を維持・調整するために心理的距離に応じてことばを使い分けます。佐藤先生によれば、方言主流社会では方言を使うのは心理的距離の近さを表します。いわば、共通語圏でのタメ語と丁寧語のような関係が、方言と共通語の間にあります。

だとすると心理的距離の理解が難しい自閉症の人が方言を使わなかったり(使えなかったり)、方言と共通語の柔軟な使い分けが難しいのも納得がいきます。この説を得て方言の問題と社会性の障害が結びつくことを教えていただきました。

さてこれで終わりでしょうか。いや待ってください。妻の主張は、自閉症の幼児が方言を使わないというものです。同様の指摘が医療関係者からもなされています。先ほどの説をそのまま採用するなら、定型発達の人は幼児のうちから他者との心理的距離と言葉づかいの関係を理解し、相手をみて方言使用を判断しているとなり、それには解釈的にかなり無理があります。

妻の一言はまだ謎のままです。どうするか。だんだん苦しくなってきましたが謎を解くべく突き進むしかなくなりました。

方言と共通語はどう違うのか。自閉症と定型発達の認知や行動はどう違うのか。この2つの疑問が交差したところに解決の鍵があると考えました。

■「家族は方言を話すのに、息子だけが共通語を話す」

方言主流社会の子どもは、家族が日常的に使い自らにも話しかけてくる方言と、テレビやDVDなどメディアから流れてくる共通語という2つのことばに曝されています。

そうであれば①定型発達はどのように周囲のことばを獲得するのか、②自閉症が周囲のことばを獲得できない理由はなにか、③自閉症はどのように共通語を獲得するか。

これに答えれば、自閉症は方言を話さないという謎を説いたことになるかもしれません。

まず、「定型発達児が家族の真似もテレビ・映画のキャラクター真似も可能であるのに対して、自閉症児では家族の真似は困難だがテレビ・映画のキャラクターの真似は可能」という現象に着目しました。

定型発達児は、周囲の人々と注意を共有し意図を理解したうえで模倣します。さらに、人の特徴を捉えてその人らしい身ぶりや言葉遣いを真似する自己化という過程を通してことばやことば遣いを身につけていきます。

しかし、共同注意・意図理解・自己化が苦手な自閉症児は周囲の人々のことばを身につけることがむずかしくなります。代わりに幾度も再生視聴できるDVD等のメディアや組織的学習場面で意図の理解は不十分なままに場面とことばをパターンとして結びつけてしまうのかもしれません。

そう考えていたところ、関西にお住まいの方から「私の息子がそうです。家族全員が方言を話しているのに、彼だけが共通語を話しています」との連絡がありました。

テレビを見ている女性
写真=iStock.com/0meer
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/0meer

■忸怩たる思いで妻には完敗を伝えたが……

お母さんの育児日記にはことばの発達の様子が実に詳細に記されていました。幼児期にことばの遅れを指摘されましたが、テレビやDVDの模倣が出るようになりました。そのうちDVDのセリフを現実場面でアレンジして使うようになり、次第にどのDVDからの流用かはわからなくなり、コミュニケーションにはぎこちなさを抱えながらも家族との会話も成り立つようになりました。

ただし、お母さんの印象は「(DVDなどの)記憶のストックの中から一瞬にして引き出している」という感じだそうです。この方の事例は、これまでの解釈と一致しそうでした。私は『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』(福村出版)にまとめました。そして、このたび角川ソフィア文庫で出版することになりました。

私の研究は一段落です。忸怩たる思いで妻には完敗を伝えました。もうこれで謎は解けたと思ったのです。

ところが出版を機に今度は、それまで共通語しか使わなかったのに方言を話すようになる自閉症の人がいるという新たな謎が寄せられました。一体何が起きているのか。もちろん謎は解かねばなりません。

■1つの専門領域だけで“人”を理解することはできない

それらの事例について調査研究したところ、方言を使い始めた時期に同年代の他者への関心・興味が芽生え、対人的スキル等に伸びが見られたことがわかりました。ことばと社会的関係が深く繋がっている様子がここにも見えます。

松本敏治『自閉症は津軽弁を話さない』(KADOKAWA)
松本敏治『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』(角川ソフィア文庫)

さらには、日本語を話さず英語のみを話す自閉症のお子さんがいるとの情報も親御さんから寄せられました。これらをまとめたのが続編『自閉症は津軽弁を話さないリターンズ コミュニケーションを育む情報の獲得・共有のメカニズム』(福村出版)です。

振り返ると次々に出てくる謎と格闘してきた十数年でした。既存の理論を当てはめるだけではうまく解釈できず、「なぜ」と問い続け、謎を解くことの楽しさと苦しさを堪能していました。

(私も含めて)専門家は自分の持っている知識や理論で目の前の現象を解釈しようとしてしまいがちです。1つの専門領域の知見や理論だけで“人”を理解することの限界を感じたことで、他領域の研究者と交流することと知見や理論をまとめ上げていくことの面白さも知りました。

もう1つ感じたことは、現場の人々の経験や感覚に目を向けることの大切さです。

専門書や論文に書いてあるだけが崇高な研究テーマなのでしょうか。今回の本は私が自らの知識を過信し、現場の人の持っている経験知や感覚を軽視しそうになったところを踏みとどまらせてくれた歴史を綴ったものです。現場にいる人の経験に関心を持つことが“人“という存在を理解する上で重要なのだと痛感しています。

本を手にとってくださった方には、主流から外れても目の前にある未知の謎に迫ろうとする研究の在り方にも興味をもっていただけたら幸いです。

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松本 敏治(まつもと・としはる)
公認心理師、特別支援教育士スーパーバイザー、臨床発達心理士
1957年生まれ。博士(教育学)。1987年、北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学。1987年、稚内北星学園短期大学講師。89年、同助教授。91年、室蘭工業大学助教授。00年、弘前大学助教授。03年、弘前大学教授。11年、弘前大学教育学部附属特別支援学校長。14年、弘前大学教育学部附属特別支援教育センター長。16年10月より、教育心理支援教室・研究所『ガジュマルつがる』代表。

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(公認心理師、特別支援教育士スーパーバイザー、臨床発達心理士 松本 敏治)

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