日本学術会議の任命拒否問題は「学問の自由」とは全く関係がない
プレジデントオンライン / 2020年10月13日 18時15分
■何が問題の背景にあるのか?
日本学術会議会員の任命拒否問題について、多くの人々が意見を述べている。その中で私は、「日本学術会議問題で、法律家は法に従って議論しているか?」という題名の文章を書いた。「学問の自由」という法原則について間違った理解が日本社会に浸透していないか、心配になってきたからだ。その後、この問題の背景に、より政治的な戦後日本の社会構造を反映したかなり大きな問題があることも明らかになってきたと思う。
ちまたでは任命拒否された6人が2015年安保法制に反対していた、ということが報じられている。それも関係しているのかもしれないが、その程度なら他の会員の中にもいる。もう少し踏み込んだ理由がなければ、6人だけが摘出されることはなかっただろう。筆者は、官邸の内情を調査したわけではないが、公開されている情報を見るだけでも、判明してくる点は多々ある。もう少し現状の整理が必要だろう。
■創設から現在に至る紆余曲折
日本学術会議が、軍事安全保障研究(と同会議が見なす研究)を禁止する行動を熱心に行っている組織であることが、今回の事件で広く知られるようになった。日本学術会議は、創設期の1950年「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない決意の表明(声明)」や、1967年「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を伝統として持つ組織だが、当時は明白に日本共産党の強い影響下に置かれていたと言われる。共産党が組織動員して、選挙を通じて党員を会員として送り込んでいた。
政治色の強い同会議に対して、設立直後の吉田内閣の時から政府は民営化を切り出していたが、学術会議側が一貫して拒否し続けてきた。中曽根康弘首相は、この現状にメスを入れるため、推薦者を全員任命するという条件と引き換えに、選挙による会員選定をやめさせて推薦制に切り替えさせた。現在、この1983年の「談合取引」内容を守る義務が菅内閣にあるといった主張も見られるが、「日本学術会議法」の文面にてらせば、中曽根「取引」のほうが法からの逸脱だった。
■「民主主義科学者協会法律部会」に属する法学者の影響力
こうした歴史を持つ同会議が、長期の自民党政権下で国家機関の一つとして予算を確保しながら、政府からの独立性を主張できる組織として存続してきたのは、戦後日本の複雑な社会事情の反映である。
結果として、時々の政府と日本学術会議との関係は、敵対と談合の波を繰り返しながら、紆余曲折を見せてきた。最近の動きを引き起こしたのは、やはり2015年の安保法制をめぐる喧騒だろう。憲法学者の多くが違憲だと主張した安保法制の導入をめぐって、左派系の運動が盛り上がった時だ。
安保法制懇を通じて、安保法制成立の基盤となったのは、国際政治学者や国際法学者たちであった。日本学術会議でのプレゼンスが小さい層だ。これに対して、日本学術会議では、安保法制に反対した法学者の方々の比率が大きい。中でも相当数が民主主義科学者協会法律部会(以下「民科」と記す)という共産党系の組織に属する方々である。
210人の日本学術会議会員は3部に分かれ、人文・社会科学系の会員は70人枠の第1部に属する。その中で法学者は例年2割の15人程度を占める。その法学者の3分の1(以上)の4~7人が「民科」に属する者であるのが通例である。
こうした伝統と構成を持つ日本学術会議が、2015年の安保法制をめぐる喧騒後に、「1950年声明」の伝統に訴える運動を起こしたのは、むしろ必然的であった。なお今回、3人の「民科」の法学者が会員任命を拒否されたので、上記の比率は、法学者11人に、公開情報で確認できる限りでは「民科」枠は1人に、激減となった。
■軍事的安全保障研究をめぐる「自粛要請」
2016年に、日本学術会議に「安全保障と学術に関する検討委員会」という特別な委員会が設置された。翌年に日本学術会議の会長に就任することになる霊長類学者の山極寿一・京都大学総長も、委員の一人であった。この「安全保障と学術に関する検討委員会」における審議内容を採択する形で、「軍事的安全保障研究に関する声明」が、2017年3月に「幹事会」で決定された。
この「声明」では、同委員会設立の直接的なきっかけである防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)が名指しで「政府による研究への介入」と断定された。そして「研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうるため、まずは研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求められる」といった言い方で、研究者の同制度への参加の自粛が要請された。
■全国の研究機関に大きな影響を与えた
加えて「声明」は、「大学等の各研究機関は、……軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を目的、方法、応用の妥当性の観点から技術的・倫理的に審査する制度を設けるべきである。学協会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、ガイドライン等を設定することも求められる」といった言い方で、「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究」の自粛を要請した。
「研究の適切性」を「科学者を代表する機関としての日本学術会議」が「今後も率先して検討を進めて行く」と宣言したこともあり、これらの自粛要請は、全国の数多くの研究機関で、深刻に受け止められた。
さらに「声明」採択の翌月に「幹事会」決定となった「軍事的安全保障研究について」文書は、「軍事的安全保障研究に含まれうるのは、ア)軍事利用を直接に研究目的とする研究、イ)研究資金の出所が軍事関連機関である研究、ウ)研究成果が軍事的に利用される可能性がある研究、等」だと定義した。
加えて、「民生的研究と軍事的安全保障研究との区別が容易でない」としたうえで、基礎研究であっても軍事的安全保障研究に該当しうること、自衛を目的にした技術であっても軍事的安全保障研究に該当すること、などを詳細に列挙した。そして、「研究の『出口』を管理しきれないからこそ、まずは『入口』において慎重な判断を行うことが求められる」という方針を打ち出した。
「軍事目的に転用」される疑いがありうるものを研究してはいけない、という理解が、上記の指針とあわせて、全国の研究機関に行きわたったことの余波は大きかった。実際に、実施されるはずだった研究が中止に追い込まれる事例も生まれた。「声明」発出の5カ月後に、「安全保障と学術に関する検討委員会」が公表したレポートによれば、「安全保障技術研究推進制度」で研究費を得た大学所属の研究者は一人もいない結果となり、さらに多くの大学で同制度への応募を禁じる方針が導入された。
■少数学者の決定の下に政治色の強い「声明」が出る
このような重大な内容を持つ「声明」であったが、それを決定したのは、「幹事会」のわずか12人が出席した会合であった。また、「声明」は非常に政治的色彩の強い内容を持つものであったが、「幹事会」が部会代表によって構成されるものであるため、出席者の中で安全保障問題に近い政治系の学者は、杉田敦・法政大学教授(政治思想を専門とする政治学者)ただ一人であった。
ちなみに杉田教授は、「安全保障と学術に関する検討委員会」の委員長でもあったが、そもそも、この検討委員会も主に部会代表によって構成されたため、社会科学者は委員長の杉田教授を含めて15人中わずか3人であった。残りの2人、佐藤岩夫・東京大学社会科学研究所教授と、小森田秋夫・神奈川大学特別招聘教授は、2人とも「民科」元理事の法学者であった。つまり一連のプロセスに関与した社会科学者は、杉田教授と、「民科」の法学者2人だけであった。
同委員会を引き継ぐ形で、「声明」に関する事項を扱うために2018年に設立されて現在も続く「軍事的安全保障研究声明に関するフォローアップ分科会」は、12人の会員から構成されるが、人文社会科学分野からは4人(社会科学者3人)が入っている。この中に「安全保障と学術に関する検討委員会」から引き続き委員を務める方が2人いる。委員長に就任した佐藤教授と、連携会員で連続して委員を務める小森田教授である。この2人以外に、二つの委員会の委員を連続して務めている者はいない。つまり「民科」元理事の法学者2人だけが二つの委員会に連続して参加しており、加えて委員長ポストも得たわけである。
■任命拒絶で「民科枠」が維持不能に?
10月1日に新たに任命された会員99人のリストと、継続会員のリストなどを見ると、佐藤教授と小森田教授が、任期切れで退任したことがわかる。佐藤教授の東大社会科学研究所の同僚の宇野重規教授は、今回の任命拒絶対象の6人のうちの1人である。比較法・社会主義法を専門とする小森田教授の後任にあたる人物も任命されているように見えない。今回の任命拒絶によって、「フォローアップ分科会」の中に委員長ポストを含む2人の「民科」枠を維持することが不可能になったのみならず、それに近い構成を維持することも不可能になった、と言えるのだろう。
このような様子をふまえると、今回の任命拒否事件に、「学問の自由への侵害」で「少数者を排除」する暴挙だ、といった共産党機関紙『赤旗』などから発せられた類いの批判だけでは理解しきれない側面があることは、明らかだろう。
■そもそも憲法上の「学問の自由」とは何なのか
こうした一連の事態の経緯をふまえて、今回の任命拒否事件と「学問の自由」との関係について、あらためて考え直してみたい。
まず指摘しなければならない最も重要な点は、「学問の自由」は、日本国憲法によって全ての国民に等しく保障された基本的人権の一つだ、ということである。
「学問の自由」は、思想・良心・信教・表現・職業選択・婚姻の自由と並ぶ「自由権」の一つである。したがって憲法によって保障されている「学問の自由」の「学問」は、学者が大学で研究すること、といった意味での「学問」のことではない。一人ひとりの国民が、人間として持つ知的探求にもとづいて行う精神的活動のことだ。
大学人だけでなく、民間研究者にも「学問の自由」が保障されているだけではない。普通の一般の国民の場合であっても、知的欲求に基づいて行う精神的活動に対して、「学問の自由」という憲法上の保障が与えられている。
■学者の超然的地位を保障することが「学問の自由」ではない
いわゆる「大学の自治」という原則は、「学問の自由」を確保するために、派生的に正当化されるようになったものでしかない。学者の地位の保障のようなことは、「学問の自由」とは関係がない。もし学者の超然的な地位を認めることが「学問の自由」だなどという誤解が広まったら、むしろ日本国憲法の理念は危機にさらされるだろう。
憲法上の規定を拡大解釈して、特定業界の特権を正当化するために濫用する行為は、戦前の軍部指導者層が「統帥権干犯」を主張して軍部の特権的地位を主張したのと同じで、憲法秩序を破壊し、社会を混乱させる危険な行為だ。
一人ひとりの個人の人権として保障されている「学問の自由」から、「大学の自治」などの制度的保障の考え方が派生的に生まれてくる理由は、学問の自由を保障するためには、学問のために存在している制度の保障が必要だという考えによる。つまり「大学の自治」という原則ですら、「学問の自由」を保障するためのいわば手段として、認められているにすぎないのである。
大学の研究者に認められているのは、自分たちだけが享受する特別な権利などではない。憲法が保障しているのは、全ての国民の「学問の自由」の権利であって、大学の研究者の特別な地位などではない。
「学問の自由」を理由にして何らかの組織が特別な制度的保障を受けるのは、その組織が基本的人権としての「学問の自由」の保障に、不可欠の役割を担っていると認められる場合だけだ。そうでなければ、認められない。
■学術会議は「学問をする」ための機関ではない
このことをふまえて日本学術会議を見てみよう。日本学術会議法を根拠として、学術会議が作られたのは、科学の振興を図る国家政策への寄与のためだ。したがって、学問をする制度としての学術機関とは言えず、憲法上の「学問の自由」の保障とは関係がない。まして学術会議の委員の任命や、委員会で政治的決議を採択することなどは、憲法上の「学問の自由」の保障とは、全く関係がない。
それにもかかわらず、憲法規定を、特定集団の特権を正当化するために濫用するような行為は、憲法秩序を破壊し、国家を危機に陥れる危険な行為である。
■福沢諭吉も書いた「官職」と「学者」の関係
かつて福沢諭吉は、明治初期に著した『学問のすゝめ』で、学者が官職を求める当時の風潮を嘆いて、次のように述べた。
その福沢は、「中津の旧友に贈る文」で、次のように自らの気概を述べた。
研究費がなければ、研究は進まない。国家の政策に影響を与えたいという気持ちもあるだろう。それは誰にとっても一緒だ。私自身も、感謝の気持ちを持ってお給料をいただき、研究費をいただいている。そのうえで偉そうに国家政策の是非を論じたりしているときもある。卑しく傲慢な人間だ。だが、だからこそ、少なくとも、官職を得ることに狂奔したりはしたくない。福沢諭吉はこう述べている。
学問を志す者に、貴賤上下の差別はない。国家に認められれば、それも良し。仮に認められなくても、気概を持ち、学問を続けていきたい。
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東京外国語大学教授
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』(風行社)、『ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。
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(東京外国語大学教授 篠田 英朗)
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