父が死んで、母が倒れて、障害のある弟とふたりで過ごして、私は作家になった
プレジデントオンライン / 2020年11月2日 9時15分
※本稿は、岸田奈美『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)の一部を再編集したものです。
■何度も同じ話をするのに、落語は笑える
風が吹けば、どうなるか。
桶屋(おけや)がもうかる。
ご存じの通り、桶屋(おけや)がもうかるのである。すごい。一見して意味がわからんのに、みんなわかってんのが、すごい。
ところで「風が吹けば桶屋(おけや)がもうかる」とは、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が書いた東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)という作品で書かれた話だ。いいよね。十返舎一九(じっぺんしゃいっく)。一度は口に出していいたい名前ナンバーワンだよね。東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)はつくり話だけど。元になった実話もあるとか、ないとか。あえてつくり話にしたのは、読者を笑わせたかったからだとか。
わたしが大好きなラーメンズというお笑いコンビは、それをコントにした。映像で1000回以上は見たと思うが、いまでもゲラゲラ笑える。
笑い話といえば、落語もすごい。「まんじゅうこわい」とか、普通は意味わかんないじゃん。でも、わかるじゃん。こわいじゃん。
落語家さんって、何度も何度も、同じ話をするのに笑っちゃう。江戸時代からずっと、同じ話をしてるのに。一度話しはじめればみんなの頭に情景が浮かんで、笑っちゃう。冷静に考えたら、本気ですごいことだと思うの。
■人を泣かせるよりも、笑わせる方がかっこいい
話は突拍子もなく変わるが、わたしは昔から、人を泣かせることよりも、笑わせることの方がかっこいいと思っている。泣いているわたしを笑わせてくれた人たちが、大いに影響している。ラーメンズ。藤子・F・不二雄。さくらももこ。向田邦子。又吉直樹。漫画『波よ聞いてくれ』の主人公・鼓田(こだ)ミナレ。
そして、わたしの父、岸田浩二。この人たちがつくった話は、いま思い出しても笑えるし、だれかに話してみても、笑いの輪がさらに広がる。
ずっと、憧(あこが)れてた。でもわたしにはずっと「笑わせる才能」がなかった。
その代わり、わたしには「忘れる才能」があった。
■毎日「死なない」という選択を繰り返してきた
14年前の夏、憧(あこが)れていた父が突然亡くなった。よくまわりの人から「つらいことばかりの人生を、よくがんばってきたね」とほめてもらえることがあるが、恐れ多くて仕方がない。
わたしにとって生きるというのは、がんばることではなかった。ただ毎日「死なない」という選択をくり返してきただけの結果だ。グラフにすると、谷があって、ゆるやかに、ゆるやかに、ほぼ並行に見えるくらいゆるやかに、上昇していくイメージだ。
父が死んで、母が下半身麻痺(まひ)になって、障害のある弟とふたりで過ごして、正直つらかった。
生活がつらいわけではない。毎日毎日、悲しくて悲しくて、しょうがない。
それがつらかった。でも、家族を残して、死ぬことはできなかった。だから、生きた。何をがんばるでもなく、ただ、毎日、死なないようにした。
その代わり、忘れることにした。楽しい思い出も、悲しい死に様も、心の隅(すみ)に追いやった。そしたら、つらくないことに、気がついた。父が死んだら、父のことを考えないようにした。母が倒れたら、母のことを考えないようにした。
■父の死も母の苦境も、完全に過去となっていた
長い長い嵐の夜に、家の扉(とびら)をしめ切って、耳をふさいで、ただしのぐ。そんな状況が、何年も、何年も続いた。
いつの間にか、嵐は止んでいた。
家の外に出て、太陽のまぶしさに目を細めたとき、わたしにとって、父の死も母の苦境も、完全に過去となっていた。わたしはもう、父の笑顔と声を、まったく思い出せない。
エッセイで書いているエピソードは全部、母から聞いた話だ。後悔はしていない。
わたしには「忘れる才能」が残ったからだ。
この才能のおかげで、どれだけ嵐の夜を越えられただろう。
嫌な出来事に関しては、鶏にわとりが3歩歩くよりも先に忘れるものだから。仕事で叱(しか)られたときなんかは数分後「反省してないやろ!」と、怒りのたき火にハイオクガソリンをぶちまけるような社会人になったけど。
■無意識に「新幹線の情景」を書き留めていた
それからどしたの。(CV:愛川欽也)
2019年12月30日、わたしは東京から神戸へ帰省した。
行きの新幹線は、それはもうすごかった。あれは新幹線ではない。もはや家だ。みんな新幹線に帰省してるのかと思った。
座れない人たちで大混雑のデッキ。ピクニックシートを広げ、おにぎりをかじる親子。せまい通路でつっかえ棒のようになって眠る若者。人の肩と肩の間で両頬(りょうほほ)をプレスされながらも、直立不動でゲームをするサラリーマン。
そこまでして、みんな実家に帰りたいのか。いや、わたしもだけど。
人間の帰巣(きそう)本能とはすげえなあと感嘆しながら、スマホのメモ帳に、言葉で書き留めた。無意識にその驚きを、見えているままに、残そうとしていた。
■わたしは忘れるから、書こうとするのだ
神戸に到着して、母と弟とおばあちゃんで、回転寿司に行った。愉快だ。間違いなく愉快だけど、一言で説明がむずかしい。家族の会話は、「楽しい」とか「悲しい」とか、一言じゃ説明できない情報量にあふれている。
おばあちゃんは「あんたもっと食べえな! しゃべってばっかおらんと」と怒りながら、笑っている。弟はわたしにせっせとお茶をいれてくれていた
が、粉末の抹茶と生わさびの容器を思いっきり間違えていた。
「これはワサビや! ドリフかあんたは!」わたしは泣き、喜んだ。
母はひとりだけ我先にと、オニオンサーモンを集める作業に没頭していた。
笑っていたり、泣いていたり、一言では説明がつかない。
ちなみになぜわたしがこんなに細かく説明できたかというと、スマホのメモ帳に書き留めていたからだ。
愛しいなあ、と思った。そして気がついた。わたしは忘れるから、書こうとするのだ。
後から、情景も、感動も、においすらも、思い出せるように。つらいことがあったら、心置きなく、忘れてもいいように。父のときみたいに、もう忘れたりしないように。どうせ後から読み直すなら、苦しくないよう、少しばかりおもしろい文章で書こうかと。
無意識にわたしは、選択していたのだと思う。
■たどり着いたのが、エッセイだった
そしてたどり着いたのが、エッセイだった。エッセイのおかげで、たくさんの人に「ブラジャーの記事(122ページ~)、おもしろかったです!」と声をかけてもらえた。「赤べこの岸田さんです」と紹介してもらえることもあった。「ああー!」と合点(がてん)してもらえることに、ゾクゾクした。
年末に編集者の佐渡島庸平さんと、デザイナーの前田高志さんが、こんな言葉をくれた。
「岸田さんの文章はね、落語家と一緒だよ。読めば、目の前で登場人物や情景が動いているみたいに感じる。それで、何度読んでも笑える」
「たくさん傷ついてきた岸田さんだから、だれも傷つけない、笑える優しい文章が書けるんだと思うよ」
めちゃくちゃうれしかった。どれくらいうれしかったかというと、この日、初対面だった前田さんからいわれた「質問しますね」を「詰問(きつもん)しますね」と聞き間違えて、ダラダラ流れていた冷や汗が全部蒸発したくらい、うれしかった。
■全部をひっくるめた「作家」になりたい
わたしは、落語家になりたい。
わたしは、コントの脚本家になりたい。
わたしは、ドラえもんになりたい。
わたしは欲張りだから、それらを全部ひっくるめた、作家になりたい。
いつかどこかの食卓で、「風が吹けば」ならぬ「赤べこ」と切り出すだけで、思わずだれかが笑ったり、救われたり、そんなだいそれた未来がきたら、飛び上がるほどうれしい。
わたしはきっと、いまを忘れるだろうけど。
だから、今年も書いていきたい。知らないだれかが、笑ってわたしの過去を、思い出してくれるように。重い人生だから、せめて足どりくらいは軽くいたいんだ。
知らんけど。
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作家
1991年生まれ。兵庫県神戸市出身。2014年関西学院大学人間福祉学部卒業。在学中に創業メンバーとして株式会社ミライロへ加入、10年にわたり広報部長を務めたのち、作家として独立。2020年1月「文藝春秋」巻頭随筆を担当。2020年2月から講談社「小説現代」でエッセイ連載。世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。2020年9月初の自著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)を発売。
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(作家 岸田 奈美)
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