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「上司は28歳」リクルートの最年長社員63歳が"卒業"を選ばないワケ

プレジデントオンライン / 2020年10月26日 9時15分

撮影=横溝浩孝

あなたの職場の「最年長社員」はどんな人だろうか。リクルートグループで40年間働く隈本悟さん(63)は、「新卒入社組」の最年長だ。平均年齢は30代半ばと若く、ステップアップのために“卒業”する社員も多いが、隈本さんは「元の部下が、上司になる居心地の悪さだけで辞めても意味がない」と語る。連載ルポ「最年長社員」、第11回は「リクルート社員」――。

※取材を行った2020年3月23日時点では、隈本さんはリクルートコミュニケーションズの所属でしたが、4月より株式会社リクルートに主務出向しています。

■平均年齢30代半ばの若々しい環境

ショッキングピンクの背景に、白抜きの〈ゼクシィ〉の文字が映える。それだけで十分目を引くのだが、さらに底部に豆電球が煌(きら)めいている。

「店頭で目を引くためにつくったんですよ」

隈本悟はいたずらっぽい笑みをこぼした。彼がおもむろに取り出しテーブルに置いたのが、自身が考案した結婚情報誌『ゼクシィ』の販促ラックだった。このラックを設置した店舗では、2割から3割ほど『ゼクシィ』の売り上げの伸びが期待できたという。

ゼクシィ
撮影=横溝浩孝

現在、63歳の隈本が、リクルートに入社したのは、1980年のこと。リクルートグループは、社員の独立を支援する制度もあり、平均年齢が30代半ばと非常に若い。隈本は、グループのなかでも希有な社歴40年の大ベテラン社員である。

販促ラックを手がけた2012年当時、隈本はリクルートが発行した媒体の流通や販促を手がける部署にいた。

『ゼクシィ』をもっと多くの人に届けるためにはどうすべきか。

当該店舗で使えるクーポン券などをつけ、取扱店舗を増やしていった。しかしには膨大な数の雑誌が並ぶ。スペースの小さい店舗のなかには厚みのある『ゼクシィ』の上に、別の雑誌を重ねるケースもあったという。

そこで、隈本は思いつく。棚に『ゼクシィ』専門の販促ラックを設置してみたらどうだろう、と。

「ラックを設置すれば、毎月の最新号をそこに置いてもらえるはず。従業員の方々の習慣になるのではないかと考えました」

ラックにはソーラーチャージャーを搭載した。定期的に交換が必要な電池では、莫大(ばくだい)なコストがかかる。また電池が切れて光らなくなったラックは廃棄されてしまうかもしれない。

それに、と隈本は笑う。

「たとえばコンビニは24時間365日ずっと蛍光灯が点っている。ソーラーチャージャーが壊れない限り、ラックは光り続ける。半永久的に利用してもらえるでしょう」

いかにもベテランらしい、したたかな気遣いである。同時に、飄々(ひょうひょう)とした口調から軽やかな遊び心が感じられた。

■「ここで働くのはせいぜい10年くらいかな」と思っていた

「リクルートに入社する人は、定年まで働こうなんて考えている人は少ない。私もそうでした。あまり先のことを意識していませんでしたが、せいぜい10年くらいかな、と」

隈本悟さん
撮影=横溝浩孝

1956年生まれの隈本は、新卒でリクルートに入社する。同社の社員だった兄に誘われて遊びに行った職場の雰囲気に魅力を感じたのだ。

「いまより社員みんなが若かった。平均26、7歳くらいだったんじゃないかな。勢いがあって楽しそうな職場だなと入社したんです」

隈本は、学生向けの海外語学研修をプランニングする事業部からキャリアをスタートさせる。その後、現在の「SUUMO」の前身となる住宅情報の営業を経験し、1987年4月に通信事業を担当する部署へ異動となった。

「もっとも印象に残っている」と隈本が振り返るのが、通信事業時代である。

日本社会が大きく変わろうとしていた時期だった。日本専売公社、日本電信電話公社、日本国有鉄道の三公社がそれぞれJT、NTT、JRに再編されたのである。

改変にともなって、国が独占した通信事業が民間に開放される。リクルートも通信事業に参入した。

隈本がはじめに手がけたのが、リクルートが開発した社内電話システムの営業だった。そのころ、まだ同じ会社の事業所同士でも外線を使用して通話するケースが少なくなかった。だが、それでは通話料が高くなる。そこで通信自由化を機に、安価な内線電話を導入する企業が増えていたのである。

■契約が成立するたびに地図を塗りつぶしていった

次にたずさわったのが、FAXの一斉同時配信サービスである。当時は1台のFAXで1件、1件に送信していた。いまでは考えられないが、隈本が担当した証券会社の事業所では、何十台ものFAXを連ねて送信作業を行っていたという。FAX一斉同時配信は、作業効率が格段に上がる画期的なサービスだった。

隈本悟さん
写真提供=隈本さん

隈本は、オフィスの壁一面に都内の地図を貼りだし、全金融機関のすべての事業所をピックアップし、マーキングしていった。そして10人ほどの部下と「このうちの4分の1にサービスを売り込もう」と目標を立てる。

バブル絶頂期。証券会社の社員は、始発電車で出社し、国内外の株式をチェックしてから顧客のもとに向かう。就業時間帯に事業所に足を運んでも担当者に会えない。そこで、隈本たちは事業所の出社時に合わせて営業を行った。

契約が成立するたび、マークしたポイントをつぶしていく。やがて地図は隙間なく塗りつぶされていった。

「いま思えば、極めて前時代的でアナログな手法です。でも自分たちのサービスが認められてじわじわと広がっていくプロセスが形として見えていく。本当に楽しかったんです」

社内電話に、FAX一斉送信……。いまとなっては時代を感じさせる。だが、二十数年前、隈本の現場は、紛れもなく時代の最先端だった。

■「卒業」していく先輩や同期、そして後輩を見送ってきた

入社から10年が過ぎていた。当初に思い描いていた独立や転職について、隈本はどう考えていたのだろうか。

「頭にはありましたが、社内での仕事が評価されている自負も、やりがいもあった。いまも、半年に1度くらいは人事異動があるのですが、あのころは毎月のように異動があった。上司に『それくらいじゃないと社会が変化するスピードに、会社が成長するスピードについていけないぞ』と言われ、私たちもその気になって、必死に新しい仕事を覚えていましたね」

リクルートでは、独立や転職のための退職を「卒業」と呼ぶ。隈本は「卒業」していく先輩や同期、そして後輩たちを見送ってきた。

「悪い意味ではないのですがリクルートには『吸収するだけ吸収して卒業する』と考える山っ気のある人が多いんです。彼らに比べて、私は自分が『こうありたい』とか『こうしなければ』というこだわりが希薄だったのかもしれません」

こだわりがない――。隈本は何度かそう語り、自身の歩みを説明した。

■「人間関係だけにこだわって、辞めてしまっても意味がない」

2000年ごろの回想もそうだ。40代半ばになった隈本は、社内ではすでにベテランの域に達していた。

隈本悟さん
撮影=横溝浩孝

この時期、残っていた同期数人が、次々と「卒業」していった。酒を飲みながら理由を聞くと、原因は上司と部下の関係だったという者もいた。

リクルートでは、後進へ道を譲ることも一つの仕事と考えるカルチャーがある。世代交代のタイミングだと受け止めて、次のステップに移る社員も少なくない。もちろん世代交代のなかで、それまで部下だった社員が上司になるケースもある。

入社から20年たち、会社の規模は大きくなり、社員も増えていった。同時にバブルが崩壊し、景気は低迷した。誰もが望んだポジションをえられるわけではない。

「若い世代と一緒に働いたり、部下が上司になったり……。環境が変わっていくなかで、さまざまな感情が湧く瞬間は誰にでもあるし、自分の向き、不向きに対する気づきもある。ただ、いまこうして振り返ってみると、私自身が年齢を重ねたとき、マネジメントだけではなく、プレーヤーという選択肢があったことがポイントだった気がします。私が楽しい仕事をさせてもらえたからかもしれませんが、ポジションや人間関係、状況の変化以上に、楽しいと思える仕事にひたすらに集中できる環境だったことが、大きかったのではかという気がしているんですよ」

■「クマさんは『作戦会議』のような雰囲気をつくってくれる」

いま、隈本自身も年下の上司の下で働いている。

2017年4月、市原華奈子は、隈本がいるリクルートコミュニケーションズ・マーケティング局に配属となる。その半年前に中途入社した彼女にとって、60歳になる隈本は「社内の誰もが知る重鎮」だった。1988年生まれの市原にとって、隈本は父親と同年代でもある。だが、一緒に仕事をしてみると、隈本に対して「まったく壁を感じなかった」。

市原華奈子さん
撮影=横溝浩孝

「誰にでも腹を割って話してくれるから、こちらも相談しやすい。偉ぶったりせずに、世代にこだわらず常に同じ目線で話し合う『作戦会議』のような雰囲気をつくってくれるんです」

1年後、市原のマネージャー昇格により、先輩、後輩という横並びの関係は上司と部下へと変わった。しかし市原は「クマさんは自然体で何も変わらなかった」と振り返る。

すごいな、と思ったのは……と市原は言葉を継いだ。

「クマさんが手がけたAIの仕事があるでしょう。60歳近くになってから、AIのアルゴリズムを学びはじめたんです。若くても躊躇してしまうジャンルですよね。クマさんは、長年、社内で実績を積んできた方です。にもかかわらず、いまもみんなをあっと驚かせるような仕事をしたいと考えているんだな、と」

■変化を楽しめたから仕事を続けられた

「AI」とは、いままさに隈本がたずさわるプロジェクトである。

隈本悟さんと市原華奈子さん
撮影=横溝浩孝

リクルートが発行する雑誌が、過去3年間、どの店舗で、どれくらい売れたのか。数万もの店舗一つひとつのデータを分析し、これからどの店舗で、どの雑誌が、どれくらい売れるのか。AIを使って割り出し、店舗ごとに最適な配本を導き出すシステムである。

隈本が「AI配本」の取り組みを始めたのは、2016年。定年退職を1年後に控えていた。隈本は以前に配本で苦労した経験を持つ。

「これまで小売店への配本には明確なロジックがなく、個人の知見に頼らざるをえませんでした。でも、いまは社内にデータに強い優秀な人材がいる。私の経験にこだわるよりも、彼らを巻き込んだ方が面白いことができると思ったんです」

2017年春、定年退職を迎えた隈本は、嘱託社員として、リクルートに残り、働き続ける道を選ぶ。

いまや、同僚のほとんどが、隈本がリクルートに入社したあとに生まれた若者たちだ。1980年から2020年まで。いや、通信自由化からAIまで……。隈本の口調には最後まで気負いがない。

「人も入れ替われば、自分が手がける事業も変わる。時代や社会の変化とともに社内の雰囲気や、組織のあり方、人間関係も変わっていく。リクルートのビジネスそのものが、時代の変化ともにどんどん刷新されてきたわけでしょう。私の場合は、ひとつに執着せず、変化を楽しめたから、いまも仕事を続けられるのかもしれませんね」

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山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。Twitter:@toru52521

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(ノンフィクションライター 山川 徹)

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