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藤井聡太二冠「シンプルに考える習慣」

プレジデントオンライン / 2020年11月16日 9時15分

写真=時事通信フォト

藤井聡太二冠の師匠としても知られる棋士・杉本昌隆八段。類いまれなる才能をもつ弟子との師弟関係に注目が集まるが、それは自身が師匠・(故)板谷進九段との関係から得たものがベースという。人はいかにして人から学び、自分や相手に眠る才能を伸ばしていくか。将棋の師弟関係から、ビジネスや親子関係を成長させるヒントを探る。

■弟子は師匠から学び、師匠も弟子から学ぶ

将棋の世界では、「師匠」になる金銭的メリットは実はありません。将棋教室では月謝をいただきますが、「弟子」はそれを超えた関係なんです。弟子の賞金の一部をもらうなどということもありません。むしろ一緒に食事をすると師匠が払うので、弟子が増えるほど持ち出しが多くなります(笑)。

それではなぜ師弟関係を結ぶのか。

親子、先輩後輩、同業者のような不思議な関係ですが、やはりお互いに学ぶものがあるからだと思います。

私は藤井二冠から将棋を「シンプルに考える」ことを学びました。彼の将棋には“邪念”がないんですよ。経験を積むほど、大人になるほど、ミスを期待して相手が間違えやすそうな手を選んだり、安全を確保しようとしたり、勝てばいい成功すればいいという「結果オーライ型」に陥りやすい。それは大人の知恵ともいえますが、実は回り道で、自分をごまかす考え方ではないかと思います。正攻法で勝ちに挑む藤井二冠を見て、この年にしてまっすぐな気持ちの大事さを感じました。

将棋に対するまっすぐさ──将棋が好きだから高い集中力を持続させられ、まっすぐに勝とうとし、そして負けると猛烈に悔しがる。幼い頃の藤井二冠は負けると目の前の将棋盤をかかえて号泣したのは有名な話だ。この熱中できるスイッチは誰しもあり、親子関係であれば子供がこのような循環になれるものを親が見つけてあげることではないかと、杉本は語る。

そしてビジネスでは、「負けた際の“振り返り”が必要になる」と指摘するのだった。売れなかったものがあればなぜなのか、勉学では芳しくない模試の成績であればどうして点がとれなかったのか。将棋には投了後に「感想戦」といって、一局をビデオテープのように巻き戻し、勝者と敗者がともに「最善手」を振り返る時間がある。

■「泣く」というのが切り替える儀式だった

対局を終えた後には何かしら「リセット」する儀式が必要です。小学校低学年頃までの彼(藤井二冠)にとって「泣く」というのが切り替える儀式だったんでしょうね。思いっきり悔しがって泣いて発散することが、前の対局を終わらせて次の対局に向かうために必要なことだったのだと思います。

ですがそれは「気にせずに次にいこう」ということとは違います。なぜ負けてしまったのか、「結論を出す」必要がある。そのために感想戦があり、私たちは実際に指した将棋よりその時間のほうが長いこともしばしばです。

こじつけでもいいと思います。自分の中で「これが敗因だった」「この点が悪くてミスをした」→「だから次はやらない」という結論が出せればいい。

なぜかというと、いい結果のときには自分の力が発揮できたケースもありますが、“幸運”もある。しかし悪い結果には必ず理由があるので、次につなげるために自分の中での結論が必要なのです。とことん敗因を考え、結論を出せると、自然に切り替えられる。

将棋というのは自主性が大事で丸暗記して上達するわけではありません。自分でつかみとらなければいけない。

師弟関係にはお金が介在しないという話と共通しますが、お金を払えば“教わる”という受け身の姿勢が生まれてしまいます。それでは「プロ棋士」としての成長につながりにくい。受け身で情報を仕入れるのではなく、自分がどう消化し、自分の中でどう活用していくか。ですから私は弟子たちに「自分だったらこうするかな」という程度の話をすることはありますが、最善は自分で決めること、と伝えています。

■崖っぷちの藤井二冠にかけた言葉

自主性を尊重するため弟子に将棋を教えたり、将棋に対する自分の考えを押し付けたりなど必要以上に手出しはしないという杉本。時代をさかのぼり、それは杉本が、師匠の板谷九段から受けた指導法でもあった。

将棋の世界では奨励会(日本将棋連盟のプロ養成機関)でプロ(四段)を目指す三段までが最も苦しいという。満26歳までに四段という年齢制限があり、8割がプロ棋士になれない厳しい世界だ。16歳で二段であった杉本だが、不調に陥り、負ければ降段という対局があった。初段となればプロの道が遠のく──追い詰められた杉本に対し、板谷九段は笑い飛ばしたのだった。

板谷先生は私がまだ弱い頃から、「杉本のことは心配しとらん。いつか必ずプロ(棋士)になる」と言ってくれていました。師匠の姿勢から弟子の未来を信じる大切さを学びましたね。

将棋棋士八段 杉本昌隆氏
将棋棋士八段 杉本昌隆氏

本人(弟子)が崖っぷちにいると感じているとき、こちら側も同じように深刻になると、ますます相手は「崖っぷちだ」と深刻に受け止めます。“負のオーラ”が伝染していくんです。あの藤井二冠でさえ、のちにプロ相手には何十連勝しても、プロ入り最後の難関である三段リーグ(30人前後の三段同士が競いあう)では13勝5敗。そういったプレッシャーがかかっているときは、私も弟子に「心配していないから」という言葉をかけるようにしています。

まあ藤井二冠に対しては無理にそう言ったわけではなくて、本当に心配していなかったのですが(笑)。でも後から彼が「(その言葉で)ほっとした」と言っていて、よかったなと思います。若い時代の失敗は、後から振り返れば取り返しのきくものばかりですし、その一瞬ではすごく大事な場面でも、「たいしたことないよ」と声をかけると、相手は楽になりますから。

声かけ1つにまで杉本が配慮を見せるのは、自身が“将棋嫌い”の時期を経験したからかもしれない。師匠に出会う前の杉本は、強い大人相手ばかりの、“英才教育”を施されていた。将棋の楽しさを忘れかけていたという。

そうですね、その点は師匠になって気をつけています。みんな将棋が好きだから続けている。つらい時期も「将棋が楽しい」という思いにかえれると踏ん張れますから。

普段の対局のときには「いい内容にするように」と声かけをします。すでに頑張っている弟子に「頑張れ」と言うことはできないし、そういった声をかけた後で負けてしまうと「自分は頑張れていなかったのか」と受け止めてしまう。しかし将棋の“いい内容”というのは、負けたってできること。自分の力を出し切れ、ということです。

■最後の言葉

師匠からかけられた最後の言葉は「ちゃんと飯は食っているのか?」

板谷先生は47歳という若さで、くも膜下出血のため亡くなりました。私が19歳の時で、これから30年も40年も付き合っていけると思っていたのに……。師匠は若い時に少食だった私を心配していました。口癖は「どんどん食ってバンバン指せ」。一言でいえばあまり思い悩むな、たくさん食べてたくさん将棋をやれ、と。

そして師匠は将棋と、将棋のファンをとても愛していました。師匠がお元気だった「昭和」と、今の「令和」では将棋のファン層も、将棋に対する世間の評価や位置付けも変わりましたが、藤井二冠やそのほかの弟子とともに将棋の楽しさを少しでもみなさんに伝えていきたい。板谷師匠、私、藤井と、血脈とは異なる“師弟関係”で遺志を受け継いでいきたいのです。

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杉本 昌隆(すぎもと・まさたか)
将棋棋士八段
1968年生まれ。愛知県名古屋市出身。板谷進九段門下。門下に藤井聡太二冠、室田伊緒女流二段らがいる。相振り飛車をはじめとして定跡化が進んでいない分野についての研究家としても知られる。著書に『弟子、藤井聡太の学び方』『悔しがる力』など多数。

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(将棋棋士八段 杉本 昌隆 文=笹井恵里子 撮影=今井一詞 写真=時事通信フォト )

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