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精神科医が解説「ネットが不登校の子の救いにならないこれだけの理由」

プレジデントオンライン / 2020年10月27日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz

インターネットに依存することには、どのような問題点があるのか。精神科医の遠山高史氏は、「ネットの世界は多様性に富むように見えて、パターン化された関係の繰り返しの世界でしかない。そこでは豊かな人間関係を学ぶことはできない」という——。

※本稿は、遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■均一な価値観から生まれる「スクールカースト」

登校を渋る子供たちの多くが、クラスの仲間のいる教室に入るのが苦痛であるという。

同じ宿題、同じ試験問題で出来不出来による差別化が起こる。同じ年齢を一律に集めると成績順が歴然としやすく、クラスの仲間は友達である以前に競争相手となってしまうのだ。

アメリカには例えば1年生から6年生までを一つにまとめた縦割りクラスで教育する学校がある。

そうした環境では子供たち相互の関係がパターン化せず、より多様になる。上級生は自ずと下級生の粗暴な行為を抑止し、弱い子供を保護しようとするため不登校やいじめは起きにくい。1軍、2軍、3軍カーストといった格付けをしあう「スクールカースト」も生じにくいだろう。

ある大学の非常勤講師として、介護系資格を取得するための講座を受け持った。実に教えやすいクラスであった。通信教育で高卒資格を得た不登校気味の生徒や、失職し第二の人生を始めようと社会人枠で通う中年の男、風俗で働くシングルマザー、夜の仕事でダメな亭主を支える主婦──。

教室では多様な経歴をもつ人々が互いに協力しあう光景が常にあった。

若い学生は社会人のクラスメートから教科書では学べない人生のリアルな経験を教わっていた。出席率は高く、同年代だけ集めたほかの授業にある私語も、ほとんどなかった。

そこにはにわかづくりとはいえ、多様な生き方を学習できる、豊かなコミュニティーができていたと思われる。

■ネットが捉えきれない複雑でファジーな“匂い”

不登校に陥りやすい子供たちは、多様な価値観が許容されるコミュニティー経験に乏しいことが多い。

平等を掲げ、均一を是とする価値観を押し付けられると、どうしていいかわからなくなりやすい。適応の程度によって序列化されることを嫌い、引きこもるようになる。

暗い部屋に置かれたテディベア
写真=iStock.com/spukkato
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/spukkato

ネットは窮屈な現実に辟易する子供たちの前に開けたいわば別天地である。ネットやゲームのコミュニティーにひとたび入り込めば、いかような生き方も許される自由があり、常に主人公であり続けられる楽園が広がる。

労せずして脳の快楽中枢を満足させうるのである。しかし、そこは多様性に富むように見えて、パターン化された関係の繰り返しの世界でしかないことに思い至らない。

ネットの情報はほぼ視覚情報に特化しているが、人の視覚はたった4個しかない受容体の組み合わせで情報を認識する。その単純さゆえ、簡単に人をわかった気にさせてしまう。

しかし、視覚は自然の一部としての人間の営みを表面的にしか把握できない。

いまだファジーさをAIが取り扱えないことからもわかるように、ネットはファジーさを本質とする自然の把握にさほど有効な手段ではないのである。

実は鳥類を除くほとんどの動物は視覚以外の感覚で世界を把握している。例えばネットが苦手とする嗅覚情報は、人間で400、象に至っては2000もの受容体の組み合わせで把握される(東原和成東大教授)。

それによって認識される世界は、視覚だけで感じ取る世界よりはるかに豊かで奥深いはずである。息子の顔を認識できない認知症の老人でも匂いには正しく反応することはよく知られている。

実際、人と人との触れ合うコミュニティーはさまざまな匂いに満ち(ほとんど無意識だが)、それが相互の深いつながりを生んでいる。

電気信号でしか結ばれないネットの世界は本当の自然からほど遠く、貧しい。ネットから子供たちを取り戻さねばならない。

■睡眠負債のSE、2万通のメールでうつ状態に

毎日4~5時間の睡眠で仕事してきたSEはいわゆる睡眠負債で頭が働かなくなり、1カ月の休みを取ることになった。

長年の睡眠負債は1カ月程度で解消できるものではないが、チームの責任者である本人の希望に沿って、出社してよいとの診断書を書いた。

しかし、いざ出社してパソコンを開いたら、ざっと2万通ものメールが届いているのを見て再びうつ状態となり、休むことになった。

情報は増やす分にはほとんどエネルギーが要らないが、削除するのに膨大な労力を人に強いる。

例えば、コピー機で大量に情報を複製するのも、ネットで情報を拡散するのもボタン一つでできるが、そのすべてを消し去るのは容易なことではない。

ツイッターやSNSで、画面の向こうの素性も知れない相手にこちらの情報を、時に自分の裸の写真まで添えて投稿してしまうのも、動かずして英雄になれるネットゲームにハマるのも、さしたる労力を使わないからである。

ネット空間において情報は川が流れるように自ずとエントロピー(乱雑さを表す物理量)増大へと向かう。

結局、増やしすぎた情報を削除するというエントロピー減少の作業に、人の営みは費やされるようになる。

いったい2万通のメールのほとんどはどうでもいいものだが、似たようなものの中に重大なものも混在し、あっさりまとめて削除とはいかない。

そもそも情報が多すぎて、まともに重みづけができないのである。

■薬の効能書には大量の細かい記述が並ぶ

ときどき戸惑うことの中に、薬剤についての医師と薬剤師の意見が微妙に食い違うことがある。

薬剤に関する情報はかつてとは比べものにならないほど増えており、専門に処方する医師でさえ十分把握できているとは言い難い。

そうした中で薬剤師の指摘が医師のうっかりミスを防いでくれることもしばしばである一方、時折、医師と薬剤師との間で情報の重みづけが異なり、二者の説明が調和しないことで患者に無用な不安を与えることがある。

薬剤を説明する効能書には、大量の細かい記述が並び、読み取るのに骨が折れる。

特にリスクについては念入りに書かれているものの、重大なリスクと滅多にないリスクとの区別はあやふやである。

医師と薬剤師とはそもそも経験の質が異なり、拾い出す情報も同じとはならず、リスクについての重みづけに乖離(かいり)が生じやすい。

■あふれる情報に踊らされ破局を招く現代人

あまり知られていないことのようだが、脳は情報を集めるシステムではなく、感覚器を通じて押し寄せる無限の情報のほとんどを削除し、必要な情報を拾い出す高度なシステムである。

遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)
遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)

脳は、骨の折れる生身の体験に基づいて重みづけをし、有用な情報を拾い出す。情報を無差別に蓄積するシステムとは比較にならないエネルギーが要るのだ。

薬剤の効能書が、いかに細かに隙がなく網羅されていたとしても、それは氷山の一角のような情報に過ぎない。

それらの下に隠れて見えない部分を予測するには、多くのリアルな臨床体験が不可欠となる。

現代人は、どれを削除すべきかの区別さえ定かでないまま、溢れる情報の整理に追われ、たまたま目に付いた情報に踊らされ、人生を生き抜く糧となるリアルな体験を重ねる余裕を奪われているように見える。

それは水面下の巨大な氷をかえって見えづらくさせ、タイタニックのような破局を招くかもしれない。

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遠山 高史(とおやま・たかし)
精神科医
1946年、新潟県上越市生まれ。すぐに東京に移り、そこで成育する。千葉大学医学部在学中に、第12回千葉文学賞受賞。大学卒業後は精神病院勤務を続け、1985年より精神科救急医療の仕組みづくりに参加。自治体病院に勤務し、2005年より同病院の管理者となる。2012年、医療功労賞受賞。2017年、瑞宝小綬章受章。自治体病院退職後、2014年に桜並木心療医院を開設。現在も診療を続けている。46年以上にわたり臨床現場に携わった経験を生かし、雑誌『FACTA』(ファクタ出版)にエッセイを連載中。著書に『微かなる響きを聞く者たち』(宝島社)、『ビジネスマンの精神病棟』(JICC出版局。のち、ちくま文庫)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)など多数。千葉県市原市で農場を営み、時々油絵も描いている。

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(精神科医 遠山 高史)

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