「イチゴ農家の息子から首相へ」菅首相の所信表明にみる"味噌汁の味わい"
プレジデントオンライン / 2020年10月28日 11時15分
■味噌汁のような味わい…菅義偉首相の所信表明演説で透けて見えたこと
菅義偉首相が10月26日、所信表明演説を行った。
筆者は日本の社長や役員へのプレゼンテーションやスピーチのコーチングをなりわいとしているが、菅首相の初舞台評を求められればこう答える。
「味噌汁のような味わい」
見た目の派手さも、演出やパフォーマンスはゼロで、究極的に地味。でも、一口すすれば安心感を覚える……。
そんな感覚になったのは、世界のリーダーのコミュ力ウオッチャーとして、ここのところ大統領選でのドナルド・トランプ氏の話し方を連日連夜、見続けてきたからかもしれない。質の悪い油で揚げられたフライドチキンのようなギトギト感で胸やけしている胃には、なんとも優しく懐かしい味だった。
トランプ氏は天才的なコミュニケーターだ。
その手法は「『逆転勝利の匂い』トランプが崖っぷちで“トランス状態”をつくる全手口」と題した、筆者の記事で詳述した。
プロパガンダの代表的手法には主に次の7つがある。
②カード・スタッキング(自画自賛し、都合のいい事象を強調し、都合の悪いことは隠蔽、または捏造だと主張する)
③バンドワゴン(「他の人もそうしているから」と支持や参加を促す)
④テスティモニアル(権威ある人などに証言させて、自分の正当性や有用性を信じさせる)
⑤一般人(一般の人の代弁者であるように振る舞い、安心感や親近感を演出する)
⑥転移(国旗や政府専用機など、威信のあるものに自分のイメージを重ね合わせる)
⑦華麗な言葉による普遍化(Make America Great Againなど普遍的や道徳的と考えられている言葉と結びつけて、錯覚させる)
トランプはこれらを縦横無尽に駆使してきた。「敵を作る」「断言する」「複雑な事案を単純化する」など、「インチキへび油(スネークオイル)商人」も真っ青のプロパガンダテクニックすべてを使い倒して、大統領まで上り詰めた。
■菅首相のプレゼン「安倍前首相、トランプ大統領との違い」
それに比べると、菅氏はマスクもしたままで飾り気もなく、誹謗も中傷も暴言もない。トランプによって筆者の感覚はすっかりマヒしてしまったのか、その当たり前と退屈さが逆に貴重に思えてくるのだ。
安倍晋三前首相は、日ごろの会見などでプロンプターを使ったり、海外では英語でプレゼンをしたりするなど、どちらかと言えばパフォーマンス重視派で、昨年10月の所信表明演説では、「その責任を、皆さん、共に果たしていこうではありませんか」などと声を張り上げて呼びかけた。
同時に、具体的な人名やエピソードを挙げつつ、「平和や繁栄は、必ずや守り抜く」「国難ともいえる少子化に真正面から立ち向かっていく」といった情緒的なアピールも目立った。「守り抜く」「立ち向かっていく」とヒーローのごとく、感情で訴えようとする「エモい」言い方。「美しい国」という漠然としたスローガンも、その延長線上にある。
それに比べると、菅氏のスタイルは実に対照的だ。安倍的なエモさはない。
■「令和おじさん」菅首相のスピーチ内容が国民の頭に残るワケ
早口で、原稿を読み上げるスタイルで、パフォーマンスは皆無だが、手堅いコミュ力も垣間見えた。それは、①抽象より具体、②共感ストーリー、③格好をつけない、という3点に代表される。
①抽象より具体
筆者は、これまで1000人を超える日本の大企業や社長や役員の「家庭教師」として、その話し方の指導をさせていただいてきた。そのノウハウやメソッドを、近く出版される『世界最高の話し方』(東洋経済新報社)にまとめたが、日本のリーダーに多い話し方の特徴として、とにかく「抽象ワード」「根性ワード」「ポエム」が多いことが挙げられる。
例えば、「イノベーション」「革新」「実行力」「成長加速」「迅速な意思決定」「SDGs」などといった何のイメージもわかない言葉を乱発する。今なら、「ニューノーマル」「ポストコロナ」などといった言葉が頻出するだろう。
しかし、今回の演説で印象に残ったのは、そういった抽象語より、「2050年カーボンニュートラル」「行政申請における押印の全面廃止」「不妊治療の保険適用」「携帯料金値下げ」など、具体的な数値や目標を伴った施策の数々だ。言い回しは手短で、回りくどい官僚言葉はない。ふわりとした理念よりも、踏み込んだ施策そのものを際立たせる手法だ。
美辞麗句の抽象的イデオロギーより個々具体的なイシュー・ドリブン(=に突き動かされた)の、こうした話し方は、相手の脳に、「絵」を埋め込みやすく、理解を得やすい。
②共感ストーリー
2つ目の特徴は彼個人のストーリーだ。その鉄板ストーリーは、「私は雪深い秋田の農家に生まれ、地縁、血縁のない横浜で、まさにゼロからのスタートで、政治の世界に飛び込みました」というもの。これを繰り返すのは、まさに、ここが人々の共感を誘うツボであることを彼自身が熟知しているのだろう。
新著でも指摘したが、これからの時代のリーダーに欠かせないのが「共感力」だ。コロナ禍で支持率を上げたニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相など、人々の不安や苦しみに寄り添い、共に分かち合おうとする指導者だった。
求められる企業リーダー像も、トップダウンで、一方的に指示をする「教官」型から、横にいて、背中を押し励ます「共感」型へと変化している。コンプライアンスなどの理由から、これまでの強権型が受け入れられにくくなり、情報がフラットに流通するソーシャル時代には頭ごなしで一方的なコミュニケーションより、対話を通じて、社員自らの変革を促すスタイルが効果的である、という考え方からだ。
■「イチゴ農家の息子が国のリーダーへ」というあざといストーリー
日本の政界は二世、三世議員が多く、安倍前首相は、「庶民」からはかけ離れた存在で、「どうせ、われわれの気持ちなどわかるまい」という気持ちを抱いた国民も少なくなった。
菅首相があえて、このイチゴ農家ストーリーを繰り返し、「私はあなた方の仲間だ」と言うのは、冒頭に紹介したトランプも使ったプロパガンダの一つの手法「⑤一般人」にあたる。「あなたの気持ちはわかる」。この姿勢が、コロナ禍でわれわれが感じた「そうじゃない」「それじゃない」というもやもや感を「そうそう!」「それそれ!」に変えていくのだ。
日本ならず、海外でも、こうした立身出世物語は昔から、万民に好まれてきた。日本電産の永守重信会長、ソフトバンクの孫正義社長、海外でもスターバックスのハワード・シュルツ氏、グーグルのサンダー・ピチャイCEOなども、そうしたストーリーで共感を呼ぶ。
海外メディアもさっそくこの点を、好感を持って伝えている。
例えば、米ウェブメディアVoxでは、「日本の首相の貧乏人から成功者へのストーリー」というタイトルの記事で、「農家の息子から国のリーダーへ」「菅は世間が思っているよりも、親しみやすく、気取らず、チャーミングだ」「夢を実現した庶民」と伝えている。
こうしたストーリーはディテールが命だが、「イチゴ農家」「段ボール工場」「一日300軒を訪ねた」などのエピソードが、鮮やかにその庶民性を浮かび上がらせる仕掛けになっている。抜け目なく、あざとい。
③格好をつけない
3つ目の特徴が、気負わず、「いい格好をしようとしない」ということだ。
ダイナミックなコミュニケーションスタイルで知られるトヨタ自動車の豊田章男社長は、社内報の中で、「社長のようにすごいプレゼンをする秘訣は何か」と問われ、「人前に出ていくと「恥ずかしい」とか、やっぱり人間だから「いいカッコしたい」っていうのが出るんだよ。それさえ捨てりゃ楽だよ(笑)。「イイカッコしようという気持ちさえなければ、ものすごく楽」と答えている。
コミュニケーション上達の極意は、「自分を格好よく見せようとしない」ことだ。自分をよく見せようと、格好つけることほど、格好の悪いものはない。ありのままに、自然体。これが、リーダーとして共感を得るポイントだ。「彼(菅首相)の良さははげるメッキがない」ということ。これはある側近議員の言葉だ。
■中味のないスカスカの味噌汁か、具たくさんで「実」の多い味噌汁か
こうした地味さ、華のなさが、世界の魑魅魍魎の渦巻く外交の舞台で、どう評価されるかは未知数だ。また、危機的状況においては、もっとエネルギーを上げて、強い言葉を紡ぎ出していく必要にも迫られる。彼が良く唱える「自助、共助、公助、そして絆」もポエム的でわかりにくい。学術会議についての説明責任も問われるだろう。説得力を持って語ろうとするのであれば、納得のいく「なぜならば」を示さなければならない。
一方で、「国民のために働く内閣」と強調したが、まさに仕事人、職人肌で、実直、実務派、実行重視。「名」を捨て「実」を取るイメージを前面に打ち出したデビュー戦のコミュニケーション戦略は悪くなかった。
フタを取ったら、中味のない「すかすか」の味噌汁か、具たくさんで「実」の多い滋養豊富な味噌汁になるのか。これからの手腕に期待したい。
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コミュニケーション・ストラテジスト
グローコム代表。企業やビジネスプロフェッショナルの「コミュ力」強化支援のスペシャリスト。リーダーシップ人材の育成・研修などを手がけるかたわら、オジサン観察も続ける。著書に『世界一孤独な日本のオジサン』(角川新書)などがある。
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(コミュニケーション・ストラテジスト 岡本 純子)
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