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赤字事業の廃止を1年間我慢したら、オーダー殺到で経営の柱になった

プレジデントオンライン / 2020年11月5日 11時15分

複合機、プリンターなどの通信・プリンティング事業はブラザー工業の中核事業である。ブラザーミュージアムにて。 - 撮影=永谷正樹

通信・プリンティングや家庭用ミシン事業を手がけるブラザー工業は、海外売上比率が8割を超えるグローバル企業である。そのため世界経済変動の影響を受けやすいのだが、逆風のときには守りに徹し、追い風のときには果敢に攻めて、事業構造を大きく変革してきた。この成長を導いてきたのが、小池利和会長である。独特の戦略の考え方について聞いた。

■コロナ禍で心配なのは、社員の意識

——コロナで世界経済がダメージを受けています。影響をどう見ていますか。

【小池】弊社はグローバルに事業を展開していて、海外の売上比率が約8割と高いので、世界各地に広まっているコロナ禍の影響は、いろいろとあります。世界経済が回復するまで時間がかかるでしょう。売り上げがいったんは落ち込むことも想定しています。

ただ、メインの通信・プリンティング事業は、製品を販売した後も、インクやトナーなど消耗品の売り上げが継続して見込めるので、これが下支えになってくれます。手元の資金も潤沢にあります。ピンチではあるけれど、商品を売ってそれでおしまいというビジネスなど比べると、厳しい状況にはならずに済むとみています。

心配なことといえば、社員の意識でしょうか。1990年代に一時業績が厳しかった時代を経験した社員も少なくなりました。好決算が続き賞与も安定してもらえる状態が続いていると、どうしても人の心は緩んでしまう。危機を乗り切るときに、人心が一つにならないと、うまくいかないものです。

■今はむしろ、成長分野へのチャレンジを加速

——社長に就任された2007年は売り上げ約5700億円。それが翌年(08年)はリーマンショックの影響で約4800億円まで落ち込みました。その後はⅤ字回復されていますが、いまのコロナ禍と当時ではどう違いますか。

【小池】リーマンショックのときは、防衛戦が中心で、売り上げが激減した事業への対応なども追われました。攻めの計画を立てるようになったのは、数年経ってからです。

今回のコロナ対策は、現社長に任せており、会長の私は見守る立場ですが、当時と大きく違うのは、成長分野へのチャレンジは手を止めるどころか、加速させないといけないことです。数年前にブラザーが成長分野と位置付ける事業にかなり人員をシフトしました。社員たちは未知のことに直面し苦しんでいますが、苦しみは勉強になるからいい、挑戦して失敗しろ、と口酸っぱく言っています。なんとしても、成長分野である産業用領域を大きな柱に育てていかなといけない。

創業110年余り。ミシンの修理業がスタート、1932年に始まった家庭用ミシン事業は、工業用ミシンとともに現在へと受け継がれている事業。ブラザーミュージアムにて。
撮影=永谷正樹
創業110年余り。ミシンの修理業がスタート、1932年に始まった家庭用ミシン事業は、工業用ミシンとともに現在へと受け継がれている事業。ブラザーミュージアムにて。 - 撮影=永谷正樹

■誰にでもわかる、グランドデザインを描け

——苦境を乗り越えて、その後は事業構造を大きく変革したわけですが、リーマンショックから復活して、どのように攻めるのがいいと考えたのか、聞かせてください。

【小池】私の思考回路が単純だからかもしれませんが、事業戦略を立てるうえで心がけているのは、シンプルに考えることです。誰にでもわかりやすいグランドデザインを描き、それをグループ会社全体に向けて自らの言葉で説明します。

リーマンショックから立ち直ってみると、牽引役の通信・プリンティング事業以外は、工業用と家庭用のミシンなど成熟事業が大半でした。成熟事業を抱えながら生き残るには、どうすればいいか。成熟した市場では、3番手、4番手は淘汰されてしまう。各事業がそれぞれ、グローバルでナンバーワン、悪くてもナンバー2になればいい、と考えました。「成長への再挑戦」と定義し、グローバルナンバーワンを目指す計画を立てたのです。

■事業の位置付けを、2つにわける

——各事業がグローバルナンバーワンを目指した成果はどうでしたか。

【小池】この間、売り上げは大きく伸びました。2012年が約5200億円、13年には約6200億円、14年には7000億円に達し、15年には約7500億円まで行きました。

「成長への再挑戦」をした結果、ナンバーワンになった事業と、ナンバー2になった事業と、なれなかった事業があります。この結果をもとに、次の事業戦略をどうするか。ここでもシンプルに考えました。

伸びていない市場で無理をしてシェアをとりにいくのは、コストをかけた割には得るものが少なく、得策といはいえない。今の規模のビジネスで利益をきちっと出す。そのことを徹底する。

一方で、伸びるチャンスが見込まれる事業には、人材を投入し、設備投資をするなど、経営のリソースを積極的に入れて、グローバルナンバーワンやカテゴリーナンバーワンを目指す。

このように、会社のこれからの方向性を考えて、事業の位置づけを大きく二つに分けることにしたのです。言い方を変えれば、収益に貢献する事業を強化しながら、次なる経営の柱となる成長事業へ積極的に投資していくという戦略です。収益に貢献する事業と位置付けたのは、通信・プリンティング事業と通信カラオケ事業です。

——では、次なる成長事業への取り組みはどう着手したのでしょうか。

【小池】次なる成長事業として、目をつけたのが産業用印刷事業でした。ペットボトルや缶などに印刷する市場はこれから大きな伸びが見込まれます。トレーサビリティはますます重視される時代になり、ペットボトルや缶の商品もいつどこで作ったのかがわかるデータを印刷するニーズが高まることは間違いない。

ただ、この分野に関して弊社はノウハウがゼロ。自前で育てていたのでは、市場の変化に追いつかない。それでイギリスにある産業用印刷大手・ドミノ社を2015年にM&Aしたのです。ブラザー史上最大の買収額となりましたが、これによって産業用印刷を成長事業と位置付け、人員も投資も大きくシフトさせました。

この事業の売上比率は現在1割程度。産業用印刷を含めた産業用領域ビジネスのウエートを高めていくビジョンを描いているので、最初にお話したように、コロナ禍でも成長分野事業はスピードアップさせていかないといけないのです。

アメリカの販売会社時代にPC用のプリンターで販路を拡大した。小池会長が立っているのが、当時販売していたプリンター。
撮影=永谷正樹
アメリカの販売会社時代にPC用のプリンターで販路を拡大した。小池会長が立っているのが、当時販売していたプリンター。 - 撮影=永谷正樹

■他社は減産決定、当社は増産決定

——コロナ禍とリーマンショックのときとでは状況が異なりますが、経営危機への対処に学ぶべきことが少なくないと思います。いまでも役に立つ対処の方策はありますか。

【小池】「精度の高いデータ」をもとにした経営判断です。

2008年のリーマンショック時にデータをもとにした判断で、通信・プリンティング事業の対応に成功した例をお話しましょう。プリンター、複合機は一時的に販売店からのオーダーが落ち込みました。それで、営業担当は、生産を抑えたほうがいいと提案してきます。ところが、POS(商品の実売数値)データの推移を見ていると、プリンター、複合機など本体の売れ行きも、消耗品の売れ行きも落ちていない。真実はPOSの実売データにありで、減産する必要なし、と判断しました。

この話には続きがあります。その頃、競合メーカーは大手顧客からの発注が止まったために、3カ月間生産をストップさせることにしたのです。POSデータの推移をみると、売れ行きは依然として堅調でしたので、その情報をもとに、流通段階でまもなく製品が不足するだろうと先読みをして、増産に踏み切りました。これによって、市場に弊社の商品が行き渡り、シェアを拡大できたのです。

■データはあくまでも、過去の結果

——いつ頃からデータの重要さを認識されたのでしょうか。

【小池】販売データを独自に集めることの大切さに気づいたのは、アメリカの販売会社時代のことです。2000年ごろからブラザー製品がエンドユーザーに毎週、どの店でいくつ売れているのかがわかるように、POSデータを集めるようしました。

しかし、このデータだけでは精度の高い販売、生産計画はつくれない。それで売掛金、在庫金額、借入金、回収金額を一目でチェックできるスプレッドシートを考案したのです。売掛金、在庫回転率の変動を週単位でチェックすることで、精度の高い販売、生産計画を立てられるようになりました。

ただし、データはあくまで過去の結果なので、需要予測を立てるときには諸状況を勘案しないといけません。時にはデータの裏を読むことも必要です。競合の動向、季節的要因、販売プロモーションなどが影響して、イレギュラーなデータが出てくるからです。

販売会社の経営の動きを捉えるために、スプレッドシートをアメリカの販売会社にいた2001年頃に小池会長が考案。データを常に把握することで最適な意思決定ができるようになった。
販売会社の経営の動きを捉えるために、スプレッドシートをアメリカの販売会社にいた2001年頃に小池会長が考案。データを常に把握することで最適な意思決定ができるようになった。

■ふだんから、悪いシナリオを想定しておく

——それらの集積した「精度の高いデータ」を、経営判断にどう生かすのですか。

【小池】世界各地の拠点から情報がたくさん上がってきます。それも参考にし、この長年蓄積してきた販売などのデータと照らし合わせて、総合的に判断しますので、大きく読み違えることありません。

ふだんの経営ということでお話しましょう。経営に関する基本的な数字を、大まかな数値でいいので、アタマの中に入れておくようにします。たとえば、今月は売り上げや利益はこのくらいかなと想定をしておきます。報告で上がってきた数字が想定範囲を超えていたら、どうしてその数字になったか、原因を精査するのです。市場で起こっている変化や、コストの変動などに気づいて、早期に手を打つができます。

また、私の場合、経営に関する数字をもとに、日ごろからシミュレーションをしています。数年先の会社の姿や、競合会社との対比などを勘案しながら、いいシナリオだけでなく、悪いシナリオも想定しておくのです。そうすると、想定外の事態が起こったときに、必要以上に不安に駆られて迷走しないで済む。コロナ禍による売り上げの変動予測やキャッシュフローに基づいた経営見通しをアバウトながらお話しできたのも、日ごろからあれこれとシミュレーションをしているからです。

小池利和ブラザー工業会長
撮影=永谷正樹

■経費は削るが、人は削らない

——逆風のときに経営判断が問われるのが、不採算事業への対応です。傷口を広げないようにリストラや撤退策を講じるのが常道ですが、リーマンショックのときはどう判断されたのでしょう。

【小池】当時、影響が大きかったのは工作機械事業でした。急成長していた事業だったのですが、リーマンショックでオーダーがひと月に数台というレベルにまで落ち込んでしまいました。先行きの見通しはわからない。けれど、潜在的なニーズ、市場はあるわけで、撤退することは考えませんでした。

どうやって苦境を乗り切るか。固定費などの費用はどうしても発生します。事業部に見通しを聞いてみると赤字予想でした。ただ、聞いた規模の赤字なら、会社トータルで考えれば耐えられない数字ではない。赤字がそれ以上拡大しないように、操業率が下がって余剰になっている人員を他部門に配置転換するなどの工夫をして、事業の存続を図ることにしました。

ブラザー工業の創業の精神の一つに、「働きたい人に仕事を作る」があります。けれど、1990年代には家庭用ミシン販売の商流変更に伴い、国内の販売会社ではリストラせざるをえずつらい経験をしました。当時、私はアメリカの販売会社にいたので、直接経験したわけではありませんが、それを教訓に、経費節減などは徹底してやるけれど、社員の士気が低下する経営判断をしてはいけない、と肝に銘じていました。

■1年間、我慢の時期を乗り越えたら、オーダーが殺到

——存続させることにした赤字事業は、その後どうなったのでしょうか。

【小池】工作機械を存続させたのは、後講釈に聞こえるかもしれませんが、私なりの読みがあったのです。当時、アルミを筐体に使ったスマートフォンが普及しはじめたところでした。ブラザーの工作機械は、アルミ加工に強みを持っていたので、状況がよくなれば弊社にオーダーが入るだろう、と読んでいたのです。

1年間ほどその体制で乗り切ったら、スマートフォンが世界的に売れ始めて、工作機械のオーダーがたくさん入るようになりました。これで工作機械事業は上げ潮に乗ったのですが、中国のメーカーからも受注が入ったのは、想定外でした。幸運の追い風が吹いたのです。

一時は工作機械だけで売り上げが600億~700億円までいきました。結果として、事業を守って大正解。いまでは工作機械を含むマシナリー事業は、全体の15%を占める経営の柱の1つになってします。

■大きな流れを読み、確信があれば投資

——ほかに教訓になったことは何でしょうか?

【小池】万全とはいえないけれど、グローバルに事業を展開している会社としては、為替の変動のリスク対策をすることですね。

わが社は部材を仕入れて、アメリカやアジア、ヨーロッパなどいろんな国にその国の通貨で売っています。ドル経済圏でのやりとりはドルとドルで相殺できるからいいのですが、ヨーロッパの各国やイギリスとのビジネスは、ドルとユーロ、ドルとポンドのやりとりになります。この変動リスクを少しでも減らすことはできないか、と考えました。

リーマンショック前は、1ユーロが140~150円台でした。イギリスなどにいくと、ハンバーガーが1000円で、タバコが1箱2000円にもする。ユーロやポンドがこんなに強い状況が永遠に続くとは思えない。そこで、今後の為替の変動に備えたリスクヘッジとして、ユーロの為替予約を行うことにしたのです。

その後、リーマンショックが来て円高になった時には、実勢レートよりも有利なレートで予約していたことで為替差益が発生し、助けられた。これで、景気回復後に一気に攻めに転じる経営体質づくりができたのです。

ともあれ、最悪のときに備えてリスクヘッジをするのが経営者の役割だと思います。

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小池 利和(こいけ・としかず)
ブラザー工業 会長
1955年愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、79年にブラザー工業に入社。82年ブラザーインターナショナル(U.S.A.)に出向し、主力がタイプライターから情報通信機器に移るなか、米州で通信・プリンティング事業の拡大に尽力した。2000年ブラザーインターナショナル(U.S.A)社長に就任。05年に帰国。07年にブラザー工業社長に就任。18年から会長。

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(ブラザー工業 会長 小池 利和 取材・構成=村上 敬)

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