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「中目黒に住む理由はない」月8万円の"住むサブスク"で全国を転々とする女性の生き方

プレジデントオンライン / 2020年11月12日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DragonImages

場所にとらわれない働き方が広まりつつある。今年5月まで中目黒のマンションに住んでいた小林未歩さんは、コロナ禍を機に全国を転々としながら働くことを選択した。日経クロステック副編集長の島津翔さんが取材した――。

※本稿は、島津翔『さよならオフィス』(日経プレミアシリーズ)の一部を再編集したものです。

■「私、何でここに住んでいるんだろう」

企業が働き方の模索を続ける中、個人は一足先にニューノーマルに移っている。

取材した事例は「突飛(とっぴ)な働き方」に映るかもしれない。

ただ、場所から解放された私たちは、これまでの前提にとらわれずに働けるはずだ。

一方で、自宅とオフィスに次ぐ「第3の拠点」が不足する事実も見えてきた。

「私、何でここに住んでいるんだろう」

小林未歩さんがこう思い始めたのは、緊急事態宣言が発令されて数週間たった2020年5月のことだった。小林さんは、ホテル・旅館のコンサルティングや運営を手掛ける温故知新(東京都新宿区)で、ホテル関連の企画を担当する。当時、東京・中目黒のマンションに住んでいた。間取りは1Kで、人気エリアの駅近物件。家賃は10万円を超えていたが、オフィスにも近いことや友人との食事、買い物などに便利だったことが、そのマンションに住んでいた理由だった。

新型コロナで、その理由の大半が消えてなくなった。

緊急事態宣言に伴う外出自粛によって、仕事は完全在宅勤務になった。友人と食事する機会はなくなった。電車にも乗らないので駅近のメリットもほとんどない。「家とスーパーマーケットを往復している日々だった」。小林さんはこう振り返る。

■「月額8万2000円で泊まり放題」のサービスに申し込んだ

もともと、自然の中で暮らしたいというアウトドア志向。狭い家の中で息が詰まりそうになった。

「もう東京に住んでいる理由はない。浮いたお金を自分に投資しよう」。5月下旬に賃貸契約の解約を申し出た。

実際の退去は7月。それまでの間で、これからどのように暮らしていくか考えた。シェアハウスか、郊外の賃貸住宅か。幸い、出身は神奈川県川崎市だ。いざとなれば実家に戻ればいい。気楽にWebで調べていると、あるサービスのキャッチコピーが目に留まった。

「世界を旅して働こう」

思わずクリックした。小林さんは本業の温故知新に加えて、フリーランスとして全国各地で観光関連のコンサルティングや地方創生の企画も手掛ける。「旅して働く」というのは自分にぴったりの暮らし方に思えた。

「HafH(ハフ)」。サブスクリプション方式(商品やサービスを購入するのではなく一定期間の利用権に対して月額などで料金を支払う方式)で世界中のホテルなどに“住める”サービスだ。泊まり放題で月額8万2000円(税込み)。「安くはない」と思ったが、現在のマンションの家賃と比較するとお釣りが来た。

私は定住場所をなくすことはできないと思う

緊急事態宣言が解除された後も、小林さんの働き方はほぼテレワークになった。「これなら全国を転々としながらでも働ける」。そう考えてHafHの利用を決めた。7月に中目黒のマンションを引き払い、利用頻度の低い荷物を実家に運び入れた。数日暮らせる分の荷物をバックパックに詰め込んで、新しい世界に飛び出した。

プールに旅行バッグとサングラス
写真=iStock.com/thebigland88
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/thebigland88

■それでも「定住場所をなくすことはできない」

7月以降の小林さんの生活は、例えば以下のようなものだ。

月曜日は、フリーランスとして委託を受けているカフェのプロデュースの仕事で山口県に出張。日中から夕方までクライアントと打ち合わせをし、夜は以前から泊まりたかった現地のホテルに宿泊。火曜日も同じく日中はクライアント側とのミーティングなどをこなし、夜は昨夜と同じホテルに宿泊。水曜日にカフェの仕事が一段落すると、夕方にHafHの山口県内の拠点を探して予約し、宿泊。

木曜日・金曜日は所属する温故知新の仕事を山口でテレワーク。起床し、HafHの拠点に付随するラウンジやカフェで個人ワークを進め、オンラインによるビデオ会議の時間になると部屋に戻ってミーティング。ちょっと休憩したくなったらゲストハウスを飛び出し、周囲を散歩する。土曜日は飛行機で東京に戻り、東京のHafH拠点にチェックイン。夕方にテレワークで仕事を進め、夜は友人と食事。日曜日は神奈川の実家に帰り、そのまま泊まる。

文字通り、小林さんは今、旅をするように働いている。

「疲れないですか?」とよく聞かれる。「疲れたら実家に泊まる」というのが彼女のルールだ。「人にもよると思いますが、私は定住場所をなくすことはできないと思います。『困ったら実家に帰ることができる』というのが肉体的にも精神的にも安定剤になっているから」

所属する温故知新からは「自由な働き方を認められている分、アウトプットの高い質などを求められている」と小林さんは言う。ホテルの企画という職務の特性からも、HafHで全国の様々なホテルに宿泊できることがインスピレーションにつながっている。しばらくはこの働き方を続けるつもりでいる。

■屋久島に移住した自然電力代表の働き方

早朝5時に起きて、目の前の海に飛び込む。朝日を見ながらシーカヤックを1時間半程度楽しむ。6時半ごろに“家”に戻ってゆっくり朝食をとり、8時半ごろから仕事に取り掛かる。打ち合わせなどは全てオンラインのビデオ会議だ。昼間に暑くなってきたら冷たい川にドボン。仕事の後は夕食を食べて、夜は温泉に漬かる。

再生可能エネルギー発電施設の開発や事業運営を手掛ける自然電力(福岡市)の磯野謙代表取締役は今、屋久島で暮らしている。

2020年2月中旬。同社は欧州などで新型コロナが流行し始めていたタイミングで、東京や福岡などのオフィスを閉鎖。原則在宅による勤務体制を開始した。東京オフィスに勤務していた磯野氏は3月中旬、休暇を取って家族とともに屋久島を訪れた。自然電力を創業する前から屋久島のエコツーリズム事業に関わっており、なじみがあった。屋久島には同社のゲストハウスもある。10日間から2週間程度、滞在する予定だった。

しかし、滞在期間中に東京を中心に新型コロナの感染が広がり、緊急事態宣言が出る可能性が高くなった。

「このまま屋久島に滞在し続けようか」。家族から異論は出なかった。

大きな理由は、経営者としての意思決定のしやすさにあった。「東京にいたら刻々と状況が変わるカオスの中で、判断が鈍ると考えた。経営者が右往左往するような状況は避けたかった」。磯野氏はこう振り返る。

同社は世界中で再生可能エネルギーの電源開発を手掛ける。もとからビデオ会議は当たり前で、磯野氏が東京にいないことで滞る業務はなかった。共同で代表取締役を務める川戸健司氏も、「『屋久島に残る』と聞いたときも驚かなかった。そういう可能性もあるだろうと思っていた」と話す。

■来年以降は2~3カ所の多拠点生活を予定

2019年までは年間で200回程度、飛行機に乗る生活だった。屋久島に残ったことで家族との時間が一気に増えた。業務上も、2020年6月、ゲストハウスに光ファイバーによる通信環境を整備した後は「特段の不便はない」とする一方で、こう続ける。「オンラインだけのコミュニケーションでよいとも思っていない」。緊急事態宣言が解除されてからは定期的に東京に出張し、コミュニケーションが足りないと感じる社員に積極的に話しかける。

21年以降は、東京などの都市部を含め2~3カ所の多拠点生活をしようと考えている。

こうした場所を問わない働き方を模索する動きは、新型コロナの流行以前から始まっていた。次は、「総合職として働きながら世界一周する」という挑戦を始めた個人を紹介したい。

■「世界一周しながら総合職で働く」という挑戦

「正社員で働いているとロングホリデーが取れないという風潮そのものに疑問を抱いていました」。ソーシャル・メディア・サービスのガイアックスに勤める肘井絵里奈さんは、大学時代からこう思っていた。クライアントとの調整や自分の手持ち業務の進ちょくをきちんと管理すれば、正社員だってもっと自由に働けるはずだ。

ガイアックスに転職した際も、この考えを上司に告げ、転職後の2年間はそれを実践してきた。前もって仕事を調整し、2週間の長期休暇を取る。その時間を、趣味の海外旅行に充ててきた。

2019年10月。ふと世界一周の旅に出たくなった。2週間の休暇を年に数回取る程度では、とても自分が行きたい全ての地域を回れる気がしなかった。「旅をしながら働けば可能なのではないか」。そう考えて上司に相談した。「自分で段取りを付けられるならOK」。そんな返事が返ってきた。

即、行動に移した。肘井さんはガイアックスでSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使った企業のPRやマーケティングを手掛ける。それまで10社ほどのクライアントを抱えていたが、それを5社とし、業務量を半分程度に減らした。クライアント5社の担当者にも、「世界一周の旅に出たい」と相談し、即日の対応は難しくなる可能性があることも告げた。クライアントから反対されることはなかった。「そういう働き方を応援したい」という声が多かったという。

■世界一周について切り出したのは上長との定例面談

2020年2月。東京都内で借りていた部屋を引き払い、メキシコに飛び立った。中南米を皮切りに、アフリカ、中東からアジアを抜けて帰国するはずだった。しかし、新型コロナの流行が拡大したことを受けて、道半ばの3月中旬に旅を中断し、帰国した。

思いがけず予定より短い1カ月半の旅になったが、仕事しながら旅した期間は充実していた。平日は基本的に観光に充て、仕事は平均で1日2時間程度。ホテルは通信環境が整っているかどうかを事前に調べて予約。朝起きてメールを確認し、急ぎの用件をこなす。朝食をとって観光に出て、夕方ホテルに戻ってまたメールをチェックする。通信環境が整っていない地域に出るときは、クライアントに数日間は連絡が取れなくなる可能性を告げる。

土日はため込んだ作業を朝から晩までこなす。「休日は1日に10時間以上働いていた」と肘井さんは言う。1カ月半、大きな不便を感じずに働けた。

ガイアックスは肘井さんを特別扱いしたわけではない。同社は裁量労働制を採用し、働き方や時間の使い方などを全て社員の自主性に任せている。四半期ごとに上長と目標を設定し、その目標に対する達成度で給与が決まる。肘井さんもこの通常の流れの中で上司と交渉し、世界一周の旅に出た。

■「自分はこう働きたい」という意思はあるか

島津翔『さよならオフィス』(日経プレミアシリーズ)
島津翔『さよならオフィス』(日経プレミアシリーズ)

肘井さんのケースは、「ワーケーション」の長期版と捉えられる。肘井さんは「全ての人がワーケーションをしなければならないとは全く考えていない。ただ、自分に『こう働きたい』という考えがあるなら、そんな働き方ができるように挑戦しなければならない時代だと思う。自分の場合はたまたま世界一周だった」と話す。

3月の帰国後、肘井さんは実家がある福岡市に戻り、業務は全てテレワークで対応している。「海外でも東京でも福岡でも、もう働き方は変わらない」。しばらくは福岡からテレワークで仕事を続けるつもりだ。

ここまで紹介した3人の働き方は極端かもしれない。ただ、新型コロナを受けた働き方変革の流れの中で、こうした選択肢は今後、どんどん増えていくだろう。肘井さんの言うように、「自分はこう働きたい」という意思があれば、それが実現する可能性は高くなっていると言っていい。

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島津 翔(しまづ・しょう)
日経クロステック副編集長
2008年東京大学大学院工学系研究科修了。建築家・内藤廣に師事。同年、日経BPに入社。日経コンストラクション、日経アーキテクチュア、日経ビジネスの記者を経て、2020年4月から日経クロステック副編集長。分野横断の新領域を担当する。

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(日経クロステック副編集長 島津 翔)

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