体調を崩すまで時間外勤務を断れなかった若手教員に欠落していたもの
プレジデントオンライン / 2020年11月18日 9時15分
※本稿は、遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■ストレス耐性の強さは「自我」で決まる
若い男性の小学校教師が、出勤しようとすると吐き気や頭痛を催すとの訴えで通ってくる。
彼は学校の倫理研究班に所属し、どのような倫理教育をすべきかを研究して発表するよう、リーダー格の40歳くらいの女性教師から命じられていた。
本来の教職と離れた研究活動だが、彼が勤める小学校は地域のモデル校として指導的な役割を求められていたから、引き受けないわけにはいかなかった。
しかし、何度研究論文を提出しても女性リーダーは書き直しを命じてきた。
彼女の意に沿う内容でなければ受け入れない様子だった。彼女は、これまで教育委員会や文部科学省の依頼に応じ、さまざまな研究を手掛け、自らの評価を上げてきた。
ところが、そのほとんどの実務を、彼女は彼に押し付けてきた。そもそも勤務時間外に行う研究活動だから、上級官庁の依頼とはいえ、理由を付けて断る学校はいくらもある。
彼も「ノー」と言えばいいのだが、どこか母親にも似た強いリーダーに逆らうことができなかった。
病を跳ね返す力にはいろいろあるが、ウイルスや細菌への抵抗力、怪我からの回復力、癌細胞を排除し抑え込む力などをひっくるめて免疫と呼ぶ。
免疫とは侵襲してくる、何がしかの力を押し返し、ノーという作用を言う。当然、心の病にも免疫というべき働きがある。
さまざまなストレスへの抵抗力、回復力が弱まると、些細なことで人は死にたくなるかもしれないし、逃げ出したくなるかもしれない。
こうした心の免疫を担うのは、知識とか感情というものを包む自我というものである。
■共感なきネット社会で自我をどう鍛えるか
自我とは精神の「皮」の部分であり、幼少期から他者との触れ合いの中で、自己と他者を分かつものとして育まれ、強化されていく。
そもそも人の脳は群れて生きるように設計されており、その他者と共感しなければならない。
例えば二つの楽器がそれぞれ独立した音色を出さなければハモれないように、自己と他者を区分けしておかねば共感は成り立たない。
つまり、精神の皮として自他を識別する自我が欠かせないのだ。言葉を換えれば、自我とは、他者との共感とせめぎあいの中で、自己を守るためのノーという力でもある。
押しなべて若者はノーと言うことに長けているとは思えない。
そもそも「引きこもり」はノーの意思表示ではないし、ノーと言ったら虐められるのではないかと恐れ、危険を避けることで引きこもりは起こる。
闇雲な拒絶反応も、ノーを突き付けることとは違う。
むしろきちんとした人間関係が作れないため、ひたすら他者を避けるのである。また、ノーと言えずに相手に呑み込まれてしまうと過剰適応に陥ることもある。怪しげな取引の保証人になったり、悪事の共犯者になりかねない。
何でも引き受けてしまうのは、ノーと言う勇気を欠いていることである。
最近の若者がきちんとノーと言えなくなっているのは、群れの体験の希薄化と、自我の壁に穴を開けるネット社会によるだろう。
動物としての人間と機械としてのパソコンに共感はあり得ない。
なぜなら機械には自我がないからである。そこにあるのは「疑似自我」であり、それを自我と錯覚した若者は、知らぬ間に自我の扉を緩めてしまう。
だからおよそ人が考える悪しきことのすべてがネットから流れ出る。
文科省が計画している倫理教育ではこれを止めることはできない。少子化とネット社会での自我の鍛え方はまだ日本の教科書には書かれていない。
■ホームから人を突き落とそうとする衝動
20代の公務員は上司から一言「使えないね」と言われ、出勤できなくなった。
聞いてもろくに教えてもらえなかったと彼は言う。しかし上司も忙しいから、もっと要領よく聞けと思っていたようである。
子供がSNS上でいじめられ不登校になったのは教師の対応が悪いせいだと、親に責められた若い女性教師は出勤できなくなった。
子供はクラスメートから「嫌な奴だ」といったひどい言葉をSNSで送られたようだが、彼女が調査委員会を開かなかったことを非難されたという。
機械メーカーの課長はあるアジアの日系企業に設えた機械の不具合を責められた。
機械は毎日調整を必要とする不安定さが生じていた。取り換えれば済むことだが、日本人の工場長はあくまでメーカーの社員が現地に常駐し、日々調整することを要求し、折り合おうとはしなかった。
意地悪としか言いようがなかったが、他からも寄せられるさまざまなクレームに対応するうち、家でも緊張が解けず、酒浸りになり、休むようになった。
ある真面目な総務課の主任は、社員の勤務先や給与についての要望を会社に代わって交渉する立場で、社員たちの不満を直に受けることが多く、眠れぬ日が続いていた。
ある日、電車で肩が触れた男に言い知れぬ怒りを感じた。男が電車を降りた時、彼が降りるべきではない駅に無意識のうちに降りてしまった。
その時、男を追いかけホームから突き落とそうとする衝動にはたと気づき、我に返ったという。
■ストレスに耐えきれない人が昔より多くなっている
こういったストレス状況は学校でも会社でも起こりうることで、避けては通れない。
ただ、私のような戦後のどさくさの中で群れて育ったオールドボーイには、その多くが辛抱すれば何とかなりそうなのに、耐えきれない人が昔より多くなっているように思えてならない。
トノサマバッタには小ぶりで茶色いものと、大柄で優美な緑色のものがいる。
違う種と思われていたがDNA上は変わらず、育った環境によって違いが生じるのである。餌の少ないところで群れて育つと小ぶりだが高く遠くまで飛翔できる茶色いバッタとなる。
餌が豊富で群れずに育つと、大柄で美しく優美な緑のバッタとなるが飛翔力は弱く、高く飛べない。
さて、私もこれまで人並みにさまざまなストレスと戦ってきた。
中学時代のクラスには、時に教師の胸倉まで掴み、番長風を吹かすやくざの息子、知的障害のある子の背中にバカと絵の具で描きつける情性を欠く子供、貧しい生徒を不潔なごみ扱いする神経質な女の子、その他の無関心派も含めて総勢60人いた。
教師は60人もの子供を一人で統治できるわけがないと諦めていたか、子供のほうを見ず、黒板のほうだけ向いて授業していた。
なぜか私という学級委員は番長の暴走を抑止するため筋トレに励み、いじめっ子の牽制のためいじめられっ子の横に座るなどして苦心していたものである。
大人になって30年も中間管理職をやり、似たようなことは多々あったが何とかやってこられた。
私が心理的飛翔力の強い「茶色のバッタ」だったからだろう。飛翔とは逃げることではない。
自分の立ち位置を能動的に変え、新しい局面を作り出すことである。そうした飛翔力を培う機能を日本社会は失っていやしないか。
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精神科医
1946年、新潟県上越市生まれ。すぐに東京に移り、そこで成育する。千葉大学医学部在学中に、第12回千葉文学賞受賞。大学卒業後は精神病院勤務を続け、1985年より精神科救急医療の仕組みづくりに参加。自治体病院に勤務し、2005年より同病院の管理者となる。2012年、医療功労賞受賞。2017年、瑞宝小綬章受章。自治体病院退職後、2014年に桜並木心療医院を開設。現在も診療を続けている。46年以上にわたり臨床現場に携わった経験を生かし、雑誌『FACTA』(ファクタ出版)にエッセイを連載中。著書に『微かなる響きを聞く者たち』(宝島社)、『ビジネスマンの精神病棟』(JICC出版局。のち、ちくま文庫)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)など多数。千葉県市原市で農場を営み、時々油絵も描いている。
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(精神科医 遠山 高史)
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