命を削って戦い続けても引退後に食えなくなる「格闘家」の現実
プレジデントオンライン / 2020年11月18日 9時15分
■次のキャリアを歩み始めるまでに、約1年もの時間を要した
いま筆者の目の前には、かつてセカンドキャリアで困難に直面し、人生の荒波に溺れかけた男が座っている。元総合格闘家の大山峻護さん(46)だ。
かつてPRIDEやK-1などのメジャー団体で、ミルコ・クロコップやピーター・アーツなど、当時の格闘技界を彩ったスーパースターたちと拳を合わせてきた大山さんも、2014年12月に現役を引退してから、次のキャリアを歩み始めるまでに、約1年もの時間を要した。
なぜ大山さんは、次のキャリアを歩み始めるまで1年もの時間を要してしまったのだろうか。プロの総合格闘家が、1年間で試合をすることができるのは、おおよそ2~3試合だろう。
仮に4カ月に1試合を行うとすると、その4カ月間の間に、前の試合で負ったダメージを回復させ、自身の課題に合わせた身体能力の強化や技術の習得、次の対戦相手の研究などを行い、さらに試合前になると過酷な減量を行う場合もある。
また多くの選手はファイトマネーだけでは生活することができないため、アルバイトをしながら、格闘技の世界で成り上がりを狙う。目の前の試合を一つひとつクリアした先にある栄光を夢見て日々鍛錬を積み重ねる格闘家が、競技活動と並行しながら、セカンドキャリアを見据えた行動をとることは想像以上に難しい現実があるのだ。
■スポーツ界が社会と断絶している理由
人は自分と共通言語を持っている人と接点を持つことが多い。特に、スポーツで上を目指して長く競技を続けていると、いつの間にか社会と断絶した存在になってしまうことがある。特異な世界の中での生き残ったものの集まりであるがゆえに、いわば「方言」のような言語で会話する仲間たちだけで作られた社会こそがスポーツ界であり、それが「ムラ社会」と言われるゆえんだ。
引退した選手の中には、タレント活動を行ったり、指導者になったり、ジムを開設したりと、競技生活の中で培った能力を活かした道へ進む人もいる。
しかし、その選択肢はあまりにも少ない。タレントは誰もが進める道ではないし、ジムの開設には、資金面や立地、集客などさまざまなハードルがある。この点について大山さんも「引退して何をやろうかと考えたとき、選択肢があまりにも少ないことに気がついた」と過去の経験を振り返る。
このように格闘家がセカンドキャリアで苦境に陥ってしまう原因の1つは、格闘技界に組織的なバックアップ体制が整っていないことが挙げられるのではないだろうか。
例えば、Jリーグでは、選手のキャリアデザインを支援するため、教育研修、就学支援を行ったり、セカンドキャリア支援窓口を設けたりしている。またNPBは、2019年に戦力外や現役引退となった選手の60%が球団職員・スタッフなど、NPB関係の仕事に従事しているように、チームスポーツの場合は、引退後のキャリアを支える仕組みが徐々に整えられてきている。
しかし、格闘技はチームスポーツではないため、選手を支える仕組みが整っていないのが現状だ。大山さんも、セカンドキャリアに直面する格闘家の苦境を「いきなり泳げと言われても、泳ぎだすことは難しい」と独自の表現を使いながら話す。
■「負けが多かった分、立ち上がった回数も人よりも少し多かった」
大山さんが「考えが甘かった。誰かが手を差し伸べてくれると思っていた」と振り返るように、周囲の支援を期待してしまうアスリートは多い。
しかし現実はそう甘くはない。2014年に引退した大山さんが最初に直面した感情は「寂しさ」だったそうだ。寂しさといっても、華やかな現役生活の余韻に浸っていた訳ではない。それまで応援してくれていた人たちの多くが、手のひらを返すように去っていったとわかったからだ。
こうして、大海原でひとり放り出されたと気づいた大山さんは、その後どのようにして、セカンドキャリアを築いたのか。その原動力となったのが、ネガティブな感情をプラスに変える力だった。
周囲が離れていったときに感じた寂しさを「絶対に現役の頃よりも輝いてやる!」と、ポジティブな感情に変えたのである。
大山さんの現役時代の戦績は、33戦14勝19敗。決して輝かしい戦績だったわけではない。しかし、「負けが多かった分、立ち上がった回数も人よりも少し多かった。(中略)そんな経験を繰り返していくうちに身につけることができたのが、ネガティブになってしまった自分を、ポジティブな思考に持っていく術でした」と、現役時代に培ったことが大きく役立ったことを、著書『ビジネスエリートがやっているファイトネス 体と心を一気に整える方法』(あさ出版)の中で語っている。
■小さな行動を起こし、やるべきことを明確にしていく
とはいえ、目の前の試合に全力を注ぐということを繰り返しやっているアスリートたちは、現役時代に引退後のことなど全く考えられないというのが現実のところのようだ。当然、大山さんもそのようなアスリートの一人だった。
「現役時代は試合のことしか考えない。つまり視野が狭いわけです。むしろそれでOK。だからこそ肉体や精神を研ぎ澄ますことができるんです。でも、引退してからはそれじゃあダメなんですよね。視野を広く持ち、現役時代のときのように自分が打ち込めるもの、自分が輝けるものを見つける必要があるんです」
そこで大山さんがとった行動は「電話をかけること」だった。とにかく狭かった視野を広げようと動き出したのだ。
大山さんは学生時代に心理学の勉強をしていた時に出会った「行動は動機を強化する」という言葉を大切にしている。行動しながら、自分が行うべきことを大きく育てていくのだという。
このモットーの通り、大山さんは、自分の携帯電話に登録されていた経営者やビジネスパーソンに連絡をして、アドバイスを求めることにした。たくさんの人たちと会い、頭を下げて話を聞いた。
そしてたどり着いたのが「2015年からストレスチェック制度が義務化される」という情報だった。
自分が持つ運動プログラムが、ストレス社会で苦しむ人たちに役立つのではないかと考えた大山さんは、トレーニングウエアから慣れないスーツに着替え、企業の福利厚生としてファイトネスを導入してもらうために営業に出向くことにしたのである。
■「社会人白帯です」と営業できるか
その時、営業でよく使ったのが「社会人白帯です」という自己紹介だったと大山さんは振り返る。
「チャンピオンクラスになるとプライドがマイナスに作用して、『白帯です』みたいに1からキャリアを積み上げるのが難しいかもしれないですが、よく考えるとみんな現役時代にそのような経験を積み上げているんですよね。それでチャンピオンになっている。それをもう一回やる(笑)。もちろん大変なことではありますが、だからこそ、そこに熱量が生まれるんです。現役時代とセカンドキャリアは一緒なんですよね」
こうして一切のプライドを捨て、多くの企業に足を運ぶようになった頃には、大山さんの進むべき方向が明確になり、夢が大きく膨らみ始めていたのである。
現在、企業研修家兼トレーナーとして活動する大山さんは、現役時代さながらの強い輝きを放っている。
「ファイトネス」という格闘技とフィットネスを融合した新しいタイプのトレーニングプログラムを用いた企業研修は、従業員のメンタルヘルスに課題を抱える多くの企業から高く評価され、その導入実績は100社を超えているそうだ。さらに、研修の際には現役選手を講師として招き、セカンドキャリアを考えるきっかけを与えるなど、後進の育成にも力を注いでいる。
また、今年からは社会貢献活動にも力を注いでいる。2019年12月に行われた「HEROs AWARD 2019(日本財団主催)」で日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕さんに出会い、「アスリートが社会貢献に関わることで世界平和につながる」という言葉に感銘を受けた大山さんは、アスリートと障がいを持つ子どもをつなげるイベントを開催することを決意。
「一般社団法人You-Do協会」を設立し、今年7月と10月には、20名を超えるアスリートたちを集め、オンライン交流イベントを大成功に導いた。
■引退後に一握りのトップアスリートしか輝けない流れを壊す
このように大山さんが自身の活動に現役アスリートを招くその背景には、「社会とつながり、知らない世界を知って、見える景色を広げてほしい」という思いがある。
「僕は一握りのトップアスリートだけが引退後に輝くような流れを壊したいと思っています。こんなに負け続けた僕でも本を出すことができた。これはすごく奇跡なことです。ただ、これは引退してとにかく電話をかけまくるという一歩を踏み出したことから始まっています。それがファイトネスという企業研修プログラムを生み、その取り組みが評価されたからなんです。どんなアスリートでも引退してから輝くことはできます。僕はそのことを証明したい。その競技に向けてきた熱量を武器として、ぜひ次のキャリアでも輝いてほしい。心からそう思っています」
格闘家が現役時代に養った能力が、社会に大きく役立つことを証明した大山さんは、いま、セカンドキャリアへ向けて歩み出す格闘家たちの、大きな道しるべとなっている。
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企業研修トレーナー
1974年生まれ。5歳より柔道を学ぶ。全日本実業個人選手権81キロ以下級優勝。2001年プロ格闘家に転身。12年ROAD FC初代ミドル級チャンピオン。14年に現役を引退。現在は格闘技を応用した研修プログラム「ファイトネス」を運営している。著書に『ビジネスエリートがやっているファイトネス』(あさ出版)がある。
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編集者・ライター
1973年北海道生まれ。株式会社カタル代表取締役。HEROs公式スポーツライター、アスリートライブ元編集長、ファルカオFCアドバイザー。スポーツオンラインサロン「DOCS」主宰。これまでエンタメ業界やWEB業界で数多のシステムプロジェクトに参画しサービスをローンチした経験を活かし、スポーツ・健康・医療分野でWebマーケティング支援やコンテンツ制作・コンサルティング等を行っている。公式サイト
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(編集者・ライター 瀬川 泰祐)
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