なぜ習近平は「ウイグル人は中華民族である」としつこく連呼するのか
プレジデントオンライン / 2020年11月25日 11時15分
■習近平氏が連呼した「中華民族」の意味
近日来、世はコロナ禍と米国大統領選のニュースばかり。中国はいずれにも超然とした姿勢で臨んでいたためか、やや平穏な印象もある。それでもやはり目を離せない存在であって、以下の報道は旧聞に属するかもしれない。
首都・北京で9月25日から二日間、第三回中央新疆工作座談会が開かれ、共産党・政府の最高幹部が出席した。新疆(しんきょう)ウイグル自治区は「人権問題」で、あらためて国際的に注目の的になっている。そんななか、くだんの座談会で習近平党総書記が演説した内容は、どうやら見のがしがたい。
新疆の経済発展や社会管理で推し進めた政策の成功を自画自賛する趣旨に、目新しい点は少ない。眼を惹いたのは、その政策を支える理念・イデオロギーの連呼だった。
いわゆる「中華民族」である。新疆の「各民族」が「中華民族」の「成員」であることを、これでもか、これでもかと強調し、そのためにはかるべき「工作」を「中華民族共同体意識の教育」と断じた。だとすれば「中華民族」の「共同体意識」は、少なくとも新疆のウイグル族には、これまで存在せず「教育」しなければならないものだというわけで、事実まったくそのとおりなのだろう。
そもそも「中華民族」とは何か。この術語概念はそれなりに歴史を経てきたものであり、関連する概況は、筆者も拙著『「中国」の形成』(岩波新書「シリーズ 中国の歴史」第5巻)でつぶさに論じたことがある。短くとっても百年、長くとれば四百年の履歴になるから、ことばの内実・用法が一定していたわけではない。
■「中華民族」を理解しなければはじまらない
そのため局外にいる者には、新疆の「各民族」が「中華民族」の一員だといわれても、およそ不可解である。当事者たちも確乎たる理解があって、それを呼号したり、受容したりしているのかどうか、われわれにはよくわからない。わかるのは、新疆に国際的関心が高まるなか、あえて「中華民族」を呼号する必要性が、決して小さくはないという事実だけである。
それなら問題を観察するにあたっては、「中華民族」という概念をひととおり理解しなくてははじまらない。そのためにはまず、長い履歴をたどるところからはじめなくてはならないだろう。
「中華民族」とは中国古来のオリジナルな漢語・中国語ではない。翻訳語である。原語はChinese nationであって、だからその定訳になるまで、一定の時間を要したし、その間は熟した語句でもなかった。20世紀のはじめ、和製漢語を媒介に西洋の概念を翻訳紹介したジャーナリストの梁啓超(りょうけいちょう)あたりが使い出したというのが定説である。
梁啓超は国家・国名としての「中国」「中華」をとなえ、その「国民」の創出をうったえ、一体化をよびかけた。そのかれから「中華民族」概念がはじまったというのは、おそらくまちがいあるまい。
もっとも梁啓超じしんは、「中華民族」といいながらも、それをしばしば「中国民族」と言い換えている。漢人のみを指すことも、それ以外の種族を含んで言うこともあったから、字面も含意も定まっていない。それ以前にnationにあたる「中国」「中華」「民族」の意識も実体も存在せず、これから造ろうとしていたのだから、当然といえば当然である。
■普通名詞にすぎなかった「中国」「中華」
そもそも「中国」ということばが、現代語のそれと同義ではなく、中央の地くらいの意味だった。三千年あまり前は、首都とその近辺を指す熟語にすぎない。ほぼ同義語の「中華」も、世界の中心という以上の意味はなかった。特定の地域でもなければ、もちろん特定の集団でもない。それがnationでありうるはずはないのである。
しかし「中国」「中華」という漢語を使うのは漢人・漢族であった。人間集団はつねに自己中心的なので、「中華」という世界の中心も、漢語を使うかぎり、自ずと自らの居住地を指すことが多くなる。
その漢人集団は、周囲の異集団と交わり、せめぎ合い、対立と共存・協働をくりかえして過ごしてきた。紀元前11世紀まで、およそ黄河流域に限られていたその空間的な範囲は、やがて北方の草原遊牧世界との関係が深まるとともに、湿潤米作地帯の長江以南にも拡大する。
したがって「中国」というその中心は、たえず移動をくりかえしたし、そこが関わる範囲も伸縮して、多元的な勢力が織りなす歴史を形づくってきた。日本ではその来し方を「東洋史」と称する。
紀元前3世紀の末に、皇帝がその範囲を統一支配する体制が確立し、以後も継続するようになると、国号の「秦」「漢」がその範囲を指す地名として認識され、定着した。漢字・漢文の「漢」はいうまでもないだろう。「秦」のほうはChina=シナの語源となった。いずれも「中国」とちがって、れっきとした固有名詞である。
■多元的な勢力がせめぎ合うカオスの時代
13世紀に草原世界を制し、ユーラシア全域を統合したモンゴル帝国を経ると、世界史の構造はそれまでとは一変した。世界各地が有機的に結びつき合うグローバル時代に転化してゆく。14世紀まで陸上にあったその重心は、16世紀以降は海洋に移っていった。そのなかで日本列島も、大きな役割をはたすようになってくる。
かくて「東洋史」は、海洋とのつながりを深めつつ、草原での遊牧生活で軍事力・政治力に秀でたモンゴル・チベット世界と、農耕の生産力を高め、経済力に勝る漢人世界とが相剋を深めて、多元的な勢力がせめぎ合うカオスの時代を迎える。時に17世紀。
ここまでの歴史は、さきにふれた拙著『「中国」の形成』に先だつ岩波新書「シリーズ 中国の歴史」第1~4巻で詳細を知ることができる。
17世紀の前半は、中国の王朝名でいえば、明の末年にあたる。その内憂外患は名状すべからざる混乱に発展して、明朝を滅亡に追いこんだ。当時からそのプロセスは、一王朝の倒潰にとどまらず、「神州陸沈」つまり文明滅亡の危機とさえいわれたのである。
このカオスを収拾したのが、明朝と隣接対立していた清朝であった。1644年に明朝が滅んでまもなく、その首都北京に入った清朝は、およそ17世紀の終わるまでに、漢人が居住するいまの「中国本土(チャイナ・プロパー)」のみならず、隣接するモンゴル・チベットなど、東アジア全域を統治下に収めて、秩序と平和を回復する。
■秩序ある共存を実現させた清朝
清朝を建国したのは、遼東に暮らしていた満洲人である。大陸東南の漢語世界と西北草原のモンゴル・チベット世界のはざまにあって、いずれとも深く関わりながら成長し、やがて双方に君臨する政権を建てるに至った。人口百万にも満たないスケールの集団で、一億以上の人々を統治しなくてはならない。清朝はそれだけに、自らの乏しい力量・脆い立場をよくわきまえていた。
南北の二元世界は、言語・文字も異なれば、信仰・習俗もちがう。そもそも乾燥と湿潤のように、気候風土・生態系もかけ離れているし、遊牧と農耕で生活習慣も同じでない。そんな多元的な個別の基層社会に統制・干渉を加える力量は、清朝にそなわっていなかった。
そのため本意だったかどうかに関わらず、複眼的に現状を容認、在地在来の慣例を尊重している。チベットの政教一体、モンゴルの部族制、漢人の皇帝制・官僚制をほぼそのまま、同時に踏襲しつつ統治を試みた。それが効を奏して、従前の多元勢力のカオス的な相剋を、秩序ある共存に移行させることに成功する。
清朝・東アジア全域はかくて、18世紀の平和を謳歌した。しかしその間も時代は動いてやまない。同じ18世紀に海洋のグローバル化を制して、軍事的・経済的な覇権を掌握した欧米列強は、まずは未曾有の経済力で、ついでは空前の軍事力で、東アジアを揺るがした。
■清朝の旧版図を一体化する新しい概念
以後の「東洋史」は多事多端、18世紀後半の人口爆発、19世紀前半の内乱とアヘン戦争、19世紀末の対外戦争と義和団事変など、列強の関わらなかった事件はない。その過程で、漢人世界が膨脹し、各地の多元化はいっそう深まって、それぞれが外国と結びつくようになる一方で、明治日本を経由して漢語化した国民国家の思想が、漢人知識人に根づいた。
やがてかれらは政権を掌握すると、国民国家のスタンダードから、従来の多元共存を分裂亡国につながるとみなして、東南の漢語世界と西北のモンゴル・チベット世界を一体化する体制変革に邁進する。
そこでテコになったのが、梁啓超の命名したChinaというnation-stateを指す「中国」「中華」概念である。その世界の中心という原義は、唯一無二・単一不可分のニュアンスを濃密に含み、清朝の旧版図はChinaという領域概念と重なり合って、一つの国家・一つの民族で構成すべきものと観念された。それを端的にあらわしたのが「中華民族」概念なのである。そのため、西北草原のモンゴル・チベット世界の住民であろうと、東南定住の漢人であろうと、「中華民族」であることには変わりない。
この概念は20世紀の前半、とりわけ日本との相剋が険しさを増すにつれ、くりかえしとなえられた。日中戦争のさなか、蒋介石の名義で出た『中国の命運』という書物にも、まず「中華民族」は「多数の血族が融和して構成される」と定義したうえで、その居住する清朝の旧版図は、どこも「分裂、隔離、独立できない」とする。「民族」はあくまで一つであって、それが「国家の命運」を決めるというプリミティヴな民族自決のナショナリズムにほかならない。
■いまだ完成していない「中華民族」
しかしそれはあくまで、「中国」「中華」「民族」という翻訳漢語概念で思考し認識する漢族の納得できた概念・観念であって、漢語を用いない人々は共有はできないし、用いても共鳴できない立場の人もいるだろう。そうした多元性は清朝の遺制として、百年以上経過した今も鞏固(きょうこ)に残存している。
たとえば日本人が「東洋史」という一種の世界史として観念する範囲は、中国人にとっては、自国史(ナショナル・ヒストリー)たる「中国史」にほかならない。これでは歴史認識・世界観はもちろん、立場も利害もかけ離れて当然ではある。現在は日本人にとどまらず、モンゴル人・チベット人も、漢語を使う「台湾人」「香港人」も同じだといって過言ではあるまい。
「中華民族」とは「中国」という一体化した国民国家を実現するために生まれた概念である以上、多元性(=分裂亡国)の克服が必要な時に叫ばれる。習近平がはじめて党総書記に選出された直後の2012年11月29日、「中国之夢」構想を発表し、その内容を「中華民族の偉大な復興」と説明したのも、その一環なのだとすれば、それはなお未完の事業だといってよい。
今年9月の演説で、新疆に「中華民族」としての「共同体意識」が欠如していることを表明したからである。それがさしあたって現状という「中国の歴史」の帰結なのであろう。
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京都府立大学教授
1965年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(文学)。専門は近代アジア史。2005年に『属国と自主のあいだ 近代清韓関係と東アジアの命運』(名古屋大学出版会)でサントリー学芸賞(政治・経済部門)。
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(京都府立大学教授 岡本 隆司)
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