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「鉄製のベッド柵に顔を打ち付けられ…」それでも看護師が自分を責めた理由

プレジデントオンライン / 2020年11月21日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RichLegg

日本看護協会の調査によれば、看護師の6割が病院内での暴力を経験しているという。なぜ院内暴力はなくならないのか。看護師の木村映里氏は「暴力行為の背景は複雑で、患者さんからの暴力を完全になくすことは不可能。暴力を受けたとしても自分を過度に責めないことが大切だ」という――。(第2回/全2回)

※本稿は、木村映里『医療の外れで 看護師のわたしが考えたマイノリティと差別のこと』(晶文社)の一部を再編集したものです。
※病院のエピソードは患者の個人情報の守秘義務上、疾患、背景、シチュエーションなど、個人特定に繋がらない段階まで脚色、改変しています。

■ベッドの柵に顔を打ち付けられる

何年か前に、患者さんに髪を掴(つか)まれてベッド柵に顔を打ち付けられた時のことを思い出す度、ぶつけたのが頬で良かったなあ、眼だったら網膜剥離(はくり)とか眼窩(がんか)骨折とか下手すると失明だったなあ、コンタクトレンズが割れて目に刺さったら危なかった。

やば。なんて、のん気に考えてしまうのですが、それが暴力を受けた恐怖の自分なりのやり過ごし方だと気付いたのはつい最近のことでした。

80代男性の山本さん(仮名)は路上で転倒して動けなくなり、救急搬送され入院となりました。肋骨骨折の診断を受けた翌日、山本さんは突然「俺は帰る」と、帰宅を希望しました。真冬で、独居生活であったことから、すぐに家に帰ったところでまともに生活が送れないどころか、下手すると家で動けなくなり、命すら脅かされることは誰の目にも明らかでした。

その日の受け持ち看護師だった私は、ベッドに座って「帰らせろ!」と大声を出す、少しだけ耳の遠い山本さんに、「そうですよね、辛いですよね」「気持ちはわかりますが、今は病院で痛みを取りましょう」と、腰をかがめ、目線を同じ高さに合わせて語りかけました。

「お前何様なんだ! 帰るんだよ馬鹿野郎! 患者の言うことが聞けないのか!」と怒鳴り続け、脇腹の痛みに顔を歪ませながら立ち上がろうとする彼に「帰りたいですよね」と同意した直後、山本さんの手が私の顔前を横切りました。

頭皮に痛みが走り、髪を掴まれたと認識しましたが、抵抗する間もなく目の前の景色がぐらりと揺れ、ゴンッ、という鈍い音と共に、私は鉄製のベッド柵に顔を打ち付けられていました。「やかましいんだよ! 馬鹿女が!」という山本さんの声が聞こえ、続けて二度、左頬に痛みが襲い掛かり、私は悲鳴を上げることすらできませんでした。

■無意識に自分を責めてしまう

バタバタと足音がして、数人の看護師が病室に駆け込んできました。すぐに山本さんは私から引き剥(は)がされましたが、私はうまく足に力が入らず、同僚に引きずられるようにして廊下に出ました。

女性看護師
写真=iStock.com/alvarez
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/alvarez

「お前ら訴えてやるぞ!」という山本さんの罵声と、「先生呼んで!」という上司の鋭い声が聞こえました。廊下で座り込む私を、別の患者さんの家族が怯えた顔で見ているのがちらりと視界に入り、みんなそんなに騒いじゃだめでしょう、患者さんはひとりじゃないんだからと言おうとしましたが、空気が喉につかえてうまく言葉になりませんでした。

それから、私は車椅子に乗せられ、医師に痛みの場所を答えつつ、「すいません。みんな忙しいのにすいません。ほんとすいません」とひたすら謝り続けながら検査を受けました。

幸い骨にも脳にも異常はありませんでした。とはいえベッド柵が直撃した左頬は化粧で隠せないほどに大きな内出血となり、私は2週間近くにわたってプライベートの全ての予定をキャンセルしました。

検査の後に師長から状況の詳細を訊かれ、できるだけ淡々と、時系列順に事務的に話しました。「お騒がせしてすいませんでした」という私の話を聞き終えた師長の一言目は、「怖い思いしたね」で、私はそこまできてようやく、そうかこれは私のミスとして扱われるわけじゃないのか、怖いって思っても良い場面だったのか、と状況と思考が一致しました。

■状況が少しでも違ったら…

今日はもう山本さんの病室には行かなくて良いから、という上司の厚意に甘えて受け持ちを引き継ぎ、その日の仕事が終わって、大部屋から個室に移された山本さんの病室をちらりと覗くと、山本さんは鎮静剤を投与されて白い布製のベルトで身体をベッドに括(くく)り付けられ、ぼんやりと天井を眺めていました。

人手のある日勤帯での出来事でした。廊下を通った同僚と上司が山本さんの怒鳴り声を聞きつけて病室に入ったタイミングで私が暴力を受けていた、と後に聞きました。

もしこれが、看護師3人しかいない夜勤だったら、あるいはナースステーションから遠い、物音が誰にも届かない個室だったら、私は無事ではなかったかもしれません。

■看護師の6割が院内暴力を経験している

私が労災に認定されるような傷害を病院内で受けたのはあの一度だけでしたが、水をかけられる、蹴り飛ばされる、噛みつかれる、爪を立てられるといった直接的な暴力は仕事の中でそう珍しいものではありません。

「看護師ごときが」「女のクセに」「馬鹿野郎が」と大きな声で罵倒されることや、抱き着かれたり、「一緒に寝ようよ」と腕を掴まれてベッドに引きずり込まれそうになるセクシュアルハラスメントは、身体的な攻撃以上に日常茶飯事です。

私と同じ看護師の友人は、患者さんに噛まれた傷が細菌感染を起こし、彼女自身の入院を余儀なくされました。

日本では、精神科病院を中心にCVPPP(*1)(Comprehensive Violence Prevention and Protection Programme:包括的暴力防止プログラム、攻撃的な患者に対してケアとしていかに適切に関わるかという視点から構成された、暴力発生の予防から事態が起こった後に必要なフォローまでの系統的かつ包括的なプログラム)の教育がはじめられてはいるものの、現場に広まっているとはいえない状況です。

日本看護協会が2017年に実施した看護師の労働実態調査では、6割近くの看護師が、この1年間で患者から言語的、身体的な暴力を受けた経験が「ある」と回答し(*2)、特定の県や病院を対象とした調査でも同様に、看護師の6割以上が暴力被害を経験しています(*3 *4)

英国の職種別暴力被害率でも、被害率1位の「警察官、消防士、刑務所職員」に次ぎ、看護師は2番目に暴力を受けやすい職種として挙がっており(*5)、被害の深刻さが読み取れます。

■自覚なく暴力をふるってしまう場合も

病院内で起こる患者さんから看護師への暴力行為について、私は、意識障害の一種であるせん妄と、意識障害を伴わない、入院の日々でのストレスや社会的な背景を伴った暴力に分けて考えています。

せん妄は、身体疾患や生活環境の変化によるストレス、薬剤投与等の複合的な要因によって出現する、見当識障害や知覚障害(錯覚、誤解、幻覚等)、思考錯乱、記憶障害、注意障害、情緒障害(不安、恐怖、怒り等)、判断力の低下などを特徴とする脳の機能障害のひとつです(*6)

ICUにおけるせん妄の発症率は80%以上という報告もあり、私が働く一般病棟でも非常によく目にする症状で、治療や看護援助への参加拒否など、回復を妨げる要因となります。

先のエピソードで、山本さんが暴力を振るったのはせん妄の症状でした。せん妄は一過性の意識障害として起きることが多く、発現の仕方は様々です。

山本さんの場合、暴力行為はその後一度もなく、後日この暴力の件について医師が本人に話を聞いたところ、「全く覚えていない」とのことで、本当にそんなことをしてしまったのかと、この件において一番ショックを受けていたのは山本さん本人でした。

■「まともな」意識は簡単に崩れる

せん妄の要因は先述の通り複合的で、年齢、重症度、感染(敗血症)、既存の認知症が危険因子となりますが(*6)、この四つが全て揃った時にはじめて発症するものという訳では決してなく、若年でも疾患次第では十分に起こり得ますし、例えば急性アルコール中毒で搬送された患者さんが病院で暴れるというのも、せん妄である場合が多く存在します。

認知症はせん妄の要因のひとつではありますが、認知症だから必ずせん妄になるわけでもなければ、認知症でないからといってせん妄にならないわけでもありません。

病気や事故が多くの人にとって予測し得ないタイミングで本人の目の前に現れることを踏まえれば、何らかの疾患で入院が必要となった誰もが、身体の状態次第で治療を拒否し、それが誰かへの暴力に繋がる可能性を孕(はら)んでいます。

つまり「今現在どんなに自分が『まともな』意識を持っていると考えていようが、きっかけさえあればそんな自我はたやすく崩れてしまう」という認識は、医療従事者として、誰にでも何度でも確認したいところです。

■入院生活でストレスをため込む患者

一方で、社会的な背景を伴った暴力について。入院は患者さんにとって、心身共に通常ではない状況に置かれる体験です。

身体の痛みや苦しさはもちろん、身体の至るところに入れられたチューブ類への違和感、好きなところに自由に行くこともできず、6時には勝手に電気が付いて21時には勝手に消えてしまう、日常生活をコントロールされている不快感、人生のレールを外れてしまったような先の分からない不安。

「自分はこう在りたい」「他者からこう見られたい」という、日常のささやかな希望を排除され、寝起きの顔すら見られる入院生活の、患者役割に押し込まれたストレスの中で関わる最も身近な存在だからこそ、心身が穏やかでない時の漠然とした怒りや不安が、看護師への苛立ちの形を取ってしまう場面は多々あるように感じます。

そして、例えば「ナースコールで呼んでいるのにどうして早く来ないんだ」「こんなに痛いのにどうして何回も点滴を刺すんだ」と、ひとつひとつは小さな不満だとしても、ネガティブな感情が積み重なり、それが何かのきっかけで爆発して言語的、あるいは身体的な暴力として発露する患者さんの心の動きは、想像に難くないものだと私は考えます。

とはいえ、私達看護師だって人間であり、怒鳴られれば怖いし、殴られれば痛い。相手がせん妄だろうと、どんな背景があろうと、そこで恐怖や痛みを引き受ける看護師もまた、生身の存在です。

■苦労のなかにある「代えられない価値」

辛くても怖くても笑顔でなくてはいけない中では、怒鳴られたって殴られたって、「共感と受け入れと適切な対応ができなかった自分が悪い」と被害を内面化せざるを得ない。

木村映里『医療の外れで 看護師のわたしが考えたマイノリティと差別のこと』(晶文社)
木村映里『医療の外れで 看護師のわたしが考えたマイノリティと差別のこと』(晶文社)

患者さんが人間でいるために、看護師は人間以外の、サンドバッグに近い何かで在ることを求められていると感じる瞬間は、私自身毎日のようにあります。

決して対等な関係なんかになり得ない。患者さんは辛くて、看護師も辛い。私が今も医療現場にいるのは、一歩間違えれば双方がどうしようもなく傷付く危うい関係性の中で、それでも、誰かの生活を守ることが、その中で心が通じ合ったと思う一瞬が、私にとって何ものにも代えられない価値を持つからです。

多くの看護師が暴力を前にしても、「あなたのことは一切知りません」と看護を拒否することなく向き合い続けるのは、看護職としての法的な責任以上に、「暴力だけがこの人の本質ではない」とどこかで感じている、あるいは感じたいと願っているからではないでしょうか。

■病院から暴力をなくすことは不可能

いつか、自分が修復不能なまでに削られてしまうのではないか、いつか疲労と苦しさから、目の前の患者さんを愛せなくなる日が来てしまうのではないか、と思うとたまらなく不安になります。

CVPPPをはじめ、暴力への技術的な対応を身に着ける必要があることは言うまでもなく、患者さんの安全と同時に私達の安全も守られなければいけませんが、暴力行為の背景の複雑さを踏まえると、患者さんからの暴力を完全になくすことは不可能だと私は考えています。

「一回でも怒鳴ったら診療拒否」という抑圧的な現場ではなく、かといって看護者が諾々と暴力に耐える日々でもない医療現場の在り方がどのようなものか、私の中で結論は出ていません。

■院内暴力は誰もが当事者になり得る

ただ、ケアを提供する存在である我々もまたケアを必要としているのは、間違いない事実のように感じます。暴力を受ける現象自体が避けられなくとも、「あなたに悪いところはなかったの?」なんて周囲から絶対に言われないこと、「怖かったね」と気持ちを肯定されること、人としての感情を殺されないこと。

院内暴力は、全ての患者さんと看護師が当事者になり得るものです。私は看護師として、起きてしまった出来事を、「運が悪かった」「自分にも直すところがあった」「そういう仕事だから」という言葉に矮小化したり、自分の中に閉じ込めたりすることなく、私へのケアを求める気持ちに正直でいたいし、そうして、生身の存在として働き続けていきたいと考えています。

(注釈)
*1 日本こころの安全とケア学会監修、下里誠二編著『最新CVPPPトレーニングマニュアル:医療職による包括的暴力防止プログラムの理論と実践』中央法規出版、2019年
*2 「『2017年 看護職員実態調査』結果報告」日本看護協会、2018年
*3 和田由紀子・佐々木祐子「病院に勤務する看護職への暴力被害の実態とその心理的影響」新潟青陵学会誌,4(1),1-12,2011.
*4 友田尋子・三木明子・宇垣めぐみ・河本さおり「患者からの病院職員に対する暴力の実態調査:暴力の経験による職種間比較」甲南女子大学研究紀要、看護学・リハビリテーション学編,4,69-77,2010.
*5 Violence at work: Findings from the 2002/2003 British Crime Survey, Home Office,2004.
*6 日本集中治療医学会J-PADガイドライン作成委員会編『日本版・集中治療室における成人重症患者に対する痛み・不穏・せん妄管理のための臨床ガイドライン』総合医学社、2015年

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木村 映里(きむら・えり)
看護師
1992年生まれ。日本赤十字看護大学卒。2015年より看護師として急性期病棟に勤務し、2017年に医学書院「看護教育」にて1年間巻頭連載を行う。『医療の外れで 看護師のわたしが考えたマイノリティと差別のこと』(晶文社)が初の著書となる。

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(看護師 木村 映里)

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