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「オレはトヨタの友山だ」金型を持ち出そうとする競合に立ちはだかったワケ

プレジデントオンライン / 2020年11月26日 11時15分

記者からの質問に答えるトヨタ自動車の友山茂樹副社長(右)=2019年2月6日、東京都文京区 - 写真=時事通信フォト

新型コロナウイルスの影響で自動車業界は危機にある。だが、トヨタ自動車だけは直近四半期決算で黒字を計上した。なぜトヨタは何があってもびくともしないのか。ノンフィクション作家・野地秩嘉氏の連載「トヨタの危機管理」。第11回は「被災地支援の原点」——。

■阪神淡路大震災から始まった

トヨタの危機管理で支援活動が本格化したのは1995年に起きた阪神淡路大震災からだった。

それまでにも災害は起こっていたけれど、協力会社が被災したとしても、自分たちの力で復旧できるレベルだった。また、トヨタも危機管理のノウハウが確立していたわけではなかった。

阪神淡路大震災の時は被災したグループ会社の工場、協力工場が多数あったので、支援をしようとなったのである。そして、日ごろからトヨタ生産方式の指導で工場を訪れていたことのある生産調査部のメンバーが派遣されることになった。

トヨタの支援活動の原型ができたのがこの時であり、壁管理と白板を使う方法もこの時に方式が始まった。

チーフ・プロダクション・オフィサーの友山茂樹は「あの時、支援の原則ができました」と思い出す。

――阪神大震災の当日でした。すぐに支援に行こう、と。ダイハツの池田工場、住友電工の伊丹工場が被災したと一報が入ったからです。

僕は上司の林南八さん(生産調査部の鬼と呼ばれた男)を乗せて、もう1台は当時の部下が運転して……。全員で4名が先遣隊として現地に向かいました。

南八さんは次長で、僕は係長でした。朝、出社したら、南八さんが「1時間やるから、支度してこい」と。2~3泊くらいかなと思ったので、下着を3泊分だけ用意して、会社に戻りました。すると、大部屋で対策会議をやっていて、壁管理も始まってました。

■壁が崩落し、天井は落ちていた

僕らは大阪にあるダイハツの池田工場、それから兵庫県伊丹市の住友電工を目指したわけです。出発は昼頃でしたから、地震があってからまだ数時間しか経っていなかった。

途中のドラッグストアで、ペットボトルの水、ウェットティッシュ、それから生理用品を大量に仕入れて積み込んでいきました。その3つが足りないという情報が入っていたんです。大阪近辺ではすでに渋滞が始まっていたので、僕らは本部に連絡して、以後の物資運搬は元町工場(愛知県)からヘリコプターを飛ばすことにしました。先遣隊ですから、絶えず、本部に情報を入れながら、現地に向かったんです。昼頃に出発したのに、ダイハツの池田工場に着いたのは真夜中でした。

まったくの惨状でした。工場のハンガーから車が落下していたり、機械が倒れていたり……。ただ、ダイハツの人たちは「自分たちで復旧できます」と意気軒高でしたね。そこで、僕らは翌朝早く住友電工へ行きました。ダイハツもひどいと思ったけれど、伊丹の工場はもっとひどかった。壁が崩落し、天井が落ち、焼結金属(金属の粉を固めたもの)の金型を保管していた倉庫は今にも崩れそうな様相を呈していたんです。

■3週間居残って支援することに

現在であれば、危機管理の先遣隊は復旧計画を本部に指示して、戻ってくる。だが、阪神淡路大震災の当時はそこまで役割分担が明確にはなっていなかった。先遣隊も現地に居残って、復旧を手助けしたのである。しかも、住友電工の工場近辺はインフラも破壊されており、彼らは夜中に大阪まで戻り、ダイハツの寮に泊まったこともあった。結局、先遣隊とはいいながら、友山たちは3週間も伊丹市で、支援活動を行った。むろん、3枚の下着では持たなかったから、飲み水の残った水で軽く手洗いして、しのいだのである。

友山の話。

――南八さんから「友山は焼結品(金属やセラミックスの粉末を成形し焼き固めたもの)のラインを元に戻せ」と指示されたので、ひとりで工場へ行き、先方の方々と一緒に力仕事もやりました。焼結品の炉は壊れていなかったけれど、プレス機が倒れていたので、それを復旧し、ラインを元通りにしました。

プレス機
写真=iStock.com/Ivan-balvan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ivan-balvan

ただ、困ったのが焼結用の金型がないことでした。金型を保管してある倉庫の2階が今にも崩れそうで、300種類はある金型を取り出すことができない。2階の床が崩落しかけていたから、工場長が立ち入り禁止にしたんです。

仕方なく僕らは完成在庫を調べ、金型さえ取り出せたら、すぐにラインを動かし足りないものから作る準備をしていました。

■そのうち他メーカーの人間がやってきて…

そこで戦いが起きました。生産の順番です。同社はトヨタの部品だけを作っていたわけじゃない。他のメーカーの人間もやってきて、部品はどうなっているんだと聞かれるわけです。ただ、彼らは支援に来たわけじゃない。焼結品がなくては車は作れませんから。

あるメーカーの人間は僕に向かって、「おい、あんた、うちのを先に作ってくれ」と言うわけです。作業着で真っ黒になって働いていたから、住友電工の人間と思ったんでしょうね。

なかにはこんなのもいました。

「キミ、倉庫にある金型持って来てくれ。うちの協力工場で作らせるから」

さすがに頭に来ました。まだ若かったしね。「お前ら、金型は会社の宝だ! 渡すことはできない」と怒鳴って……。

「あんた、誰?」と聞かれたから、「オレか、オレはトヨタの友山だ」と。向こうはポカーンとしてましたね。なんで、トヨタの人間がここで働いているんだ、と。

危機の時には支援に来たわけでもないのに、自社のことばかり考える人間が必ず出てくるんですよ。

そこで原則を決めて伝えました。

1.金型は会社の財産だから渡せない。たとえ、代替生産のため、一時的に金型を他社へ移すことはあっても、復旧後には生産と一緒に戻すことが前提。
2.復旧した後の生産の順番はすべての客先に公平に行き渡る順番で生産する。

僕らはトヨタの部品だけを作るために復旧に来たんじゃない。ラインを復旧させた後はどこの会社にも平等にやったわけです。

このふたつの原則は今もちゃんとあります。危機の際の原則は現場で体験したことから生まれてくるんですね。

ただ、その時、気づいたことがあります。部品倉庫のなかには他社の在庫は結構、残っていました。金型を持って行かなくたって、1カ月くらいは何とかなる量でした。

一方、トヨタはリーンな体制でやっているから、倉庫には在庫はほとんどなかった。いちばん、部品が欲しいのは僕らなんですよ。

だから僕らは必死になって協力会社の生産ラインを復旧させるわけです。そうしないと部品が止まってしまう。

■崩落寸前の倉庫に足を踏み入れることに

10日ほどしたら、いよいよ部品の在庫がなくなってきて、倉庫のなかへ金型を取りに行かなきゃならなくなった。だが、工場長が立ち入り禁止にしているから、無断で入って取ってくるわけにいかない。

鉄骨の塀に置かれているラジオとヘルメット
写真=iStock.com/flukyfluky
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/flukyfluky

でも、倉庫の床を直すまでは待てない。だいたい、災害の後はどこも建物が壊れているから、大工さんを呼んでも来ない。

上司の林南八さんと相談したら、「友山、床は抜けそうだけど、体の軽い奴なら何とかなるんじゃないか」と、なぜか僕をじっと見るんですよ。確かに、ひとりが入る分には大丈夫じゃないかと思えたんです。

すると、南八さんは工場長に呼びかけたんです。

「工場長、型を取りに行こう」

工場長は首を振って、「ダメです。絶対、だめです。危ないからやめてください」……。

しかし、南八さんはあきらめない。

「工場長、わかった。おたくの人間にケガはさせられない。うちの人間に体の軽いのがいるから、そいつを行かせます。体に縄をつけて入らせればいい。何かあったら、みんなで引っ張ります」

■「え? オレが入るの?」

そういいながら、南八さんはまた僕の方を見る。

僕はもう、言葉もないですよ。

「え、オレ? オレが縄を巻いて入るの?」

南八さんを見たら、視線を合わせてくる。

横にいた工場長がさすがに「待ってください」と言いました。

「いや、トヨタさんにそこまでさせるわけにいきません。私が全責任を持ってうちの社員を行かせます」

そうして、縄は付けずに、まずひとりが、そろそろと入っていった。

何ともないわけです。無事、金型を取ってきた。

次はふたりが入った。見た目より床は丈夫で、崩落しなかった。それからはもうみんなでダーッと入っていって金型をバケツリレーで全部取ってきた。

いやあ、あの時は肝を冷やしました。(つづく)

※この連載は『トヨタの危機管理』(プレジデント社)として2020年12月21日に刊行予定です。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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