相手が「治療法のない難病」と知りつつ結婚した男性の葛藤と悲しい結末
プレジデントオンライン / 2020年11月28日 8時45分
■高校時代の同級生だった妻が、指定難病「ハンチントン病」を発症
九州在住の瀬戸良彦さん(仮名、現在40歳・独身)は、高校卒業後、年に一度開かれていた同窓会で妻となる女性と再会。「再会」といっても、高校在学中はお互いにほとんど話したことがなかったため、「出会った」という表現のほうが適切かもしれない。
22歳のときの同窓会で近くに座り、ラジオ番組の話で意気投合したことから、2人で食事やドライブをしたりするように。1カ月後には正式に交際をスタートし、1年後には瀬戸さんの会社の先輩の厚意で一軒家を借り、同棲を開始した。
同棲から1年たった頃、妻の異変に気付いた。貧乏ゆすりをする癖が、激しくなったのだ。その時はそこまで気にしなかったが、その癖はのちにある病の兆候を示すものだとわかる。
しばらくして、妻の父親が2人の家に遊びに来た。父親は約1年ぶりの娘を目にして戦慄する。瀬戸さんが妻の癖だと思っていた独特な身体の動きや滑舌の悪さ、激しい貧乏ゆすりに既視感があったのだ。
父親は娘に、大きな病院の受診を促した。
「彼女が幼い頃に両親は離婚していて、彼女の母親は10年以上前に他界しています。そのため彼女は母親の記憶がほとんどないそうです。交際を始めた頃、彼女の父親からは、母親は水俣病で亡くなったと聞かされていました」
妻は検査入院し、4日後、父親に伴われ、診断書を手に戻って来た。見ると診断書には、「ハンチントン病」(※)という聞き慣れない病名が記載されていた。
※「難病情報センター」などによれば、日本人の100万人に5~6人未満というまれな病気。国内で医療受給者証を交付されている患者は2018年度末現在、913人。
「『ハンチントン』という名称を初めて耳にした私は、病名らしからぬ不思議な響きに思わず笑ってしまいました。ただ、その後にお義父さんからお義母さんが亡くなるまでの“真相”を聞き、病気の壮絶さを知った後の絶望感との落差で、軽いめまいを起こしました」
■「大脳基底核」の神経細胞が失われていく進行性の神経変性疾患
ハンチントン病は、脳の中の「大脳基底核」のある部位の神経細胞が失われていく進行性の神経変性疾患だ。大脳基底核は、運動制御、認知機能、感情や動機付けなど、さまざまな機能を司っている。
主な症状は、動作をコントロールする力の喪失(不随意運動・飲み込み困難)、思考・判断・記憶の喪失、感情をコントロールする力の困難(抑鬱・いらだちなど)に分けられ、若年で発症すると重症化し、高齢であるほど症状は軽く出る傾向にある。
妻の母親は、実は水俣病ではなく、このハンチントン病で若くして亡くなったのだった。父親は、ハンチントン病は遺伝する病気であり、娘は母親と同じ道をたどる可能性が高く、将来はおそらく寝たきりになると説明した。
その日は遅くまで、妻と2人で話をした。どんな病院でどんな検査をしたのか、今はどんな気持ちなのかなどを聞きながら、瀬戸さんは悪夢を見ているような気分だった。
■なぜ、寝たきりになる可能性が高い女性との結婚を決意したのか?
瀬戸さんは、看病の手がかりを知るべく、ハンチントン病の家族会に顔を出すなどして情報収集し、妻との「将来」を考えた。同棲している女性は難病を抱えている。しかも時間がたつほど症状は重くなる。明るいとはいえない未来が待ち受ける状況となったカップルの中には、同棲を解消し、さっさと別れを告げる者もいるに違いない。だが、瀬戸さんは違った。
「彼女に対する気持ちと不安を天秤にかけて、よく考えました。でも、病気を理由にして別れる気持ちにはなりませんでした。自分と彼女の立場を逆にして考えたときに、『自分ならこうしてほしい』と思うことを、可能な限り彼女に実践してあげたいと思ったのです」
瀬戸さんは、かかりつけ医に結婚をする意思を伝え、「妻の遺伝子検査をしたうえで、2人の人生を設計していきたい」と相談した。
後日、2人で病院を訪れ、妻が採血を受けたあと、遺伝子カウンセリングを受診した。
遺伝子カウンセリングとは、遺伝疾患の発症や発症のリスクの医学的・心理学的影響、家族への影響を理解し、それに適応していくことを助けるプロセスだ。一方向的な情報提供や説得ではなく、対話形式によって、カウンセリングを受ける側が自律的に望ましい行動を選択できるよう、援助するコミュニケーション過程として考えられている。
「カウンセリングは、こちらが疑問に思ったことへの回答を優先する形で進められ、ハンチントン病に関しては、優性(現:顕性)遺伝するというお話で、子どもへの遺伝確率については、50%とのことでした。当時はまだ、暴力的になったり暴言を吐いたりする性格変化は妻には起こっておらず、私と同じ速度で自立歩行ができていたため、私は陰性の可能性も捨てていませんでした」
■乗車中、ラジオで三木道山の曲が流れた際にプロポーズした
2005年9月、25歳になった2人は車で帰郷し、先に瀬戸さんの実家に到着すると、妻は長距離運転で疲れている瀬戸さんを気遣い、「自分で車を運転して父親の様子を見に行く」と言った。当時、妻はまだ日常的に買物などで車の運転をしていたため、瀬戸さんは特に不安に思わなかった。
しかし、瀬戸さんが「そろそろ実家に着いたかな?」と思った頃、携帯電話が鳴る。電話は妻からで、実家近くの信号のない交差点で、事故を起こしてしまったらしい。
幸い妻にけがはなく、車も走行に問題はなかったので、郷里にあった知人の自動車修理工場へ持ち込み、修理を依頼。帰郷最終日には修理を終え、2人は自宅への帰路に就く。
途中、休憩をはさみつつ、あと数分で自宅に着く頃、ラジオから三木道山の『Life time Respect』が流れてきた。「お前がボケたとしても最後まで介護するから心配ない、限りある人生、楽しい時間をお前と生きたい」という内容の歌詞が流れたとき、瀬戸さんは「自分もこの歌と同じつもりでいる」と妻に伝えてプロポーズをした。
■義父は絞り出すような声で「ごめんなさい。宜しくお願いします」と
助手席の妻は、ハンチントン病のことや、車の事故を起こしてしまったことで、「絶対に別れることになる。これが最後のドライブだ」と覚悟していたらしく、驚きと申し訳なさが混じった表情をしていたが、プロポーズを受け入れた。
「一番懸念していたのは、私の両親がどれだけ病気のことを理解してくれるか。今の段階で受け入れてくれても、病状が進むにつれてどう対応してくれるかということでした。そこで、私が知りえた病気や介護についての情報を、わかりやすい言葉に直して資料を作り、将来的には寝たきりになる可能性も明記して、『次に帰るまでに読んでおいてほしい』と言って渡しました」
再び実家へ帰ると、読んでくれたことを前提に、結婚したい旨を話した。
「母の第一声は『おめでとう』でした。私自身、自分のわがままであることは分かっていたので、『ありがとうございます』以外の言葉を見つけることができませんでした」
そのうえで、彼女の父親に電話をした。瀬戸さんが、2人の気持ちと瀬戸さんの両親の回答を伝えると、長い沈黙の後、絞り出すような声で父親は「ごめんなさい。宜しくお願いします」と言った。
父親は、介護には直接携わらなかったが、かつての伴侶をハンチントン病で亡くした経験者だ。短い言葉だが、将来娘がどうなっていくかを知っている者だけが選択でき得る言葉だと思う。
翌2006年、セカンドオピニオンとしての診察を重ね、6月に「ハンチントン病」の診断が確定した。それでも瀬戸さんの妻への愛情は揺らぐことなく、26歳になった2人は10月に入籍し、約2年にわたる同棲が終わった。
■入籍後、結婚生活のゴールである「最期の迎え方」を決めた
2人で婚姻届を出しに行った後、瀬戸さんは妻に1つの約束をお願いした。
「私の手が必要ないなら言ってください。すぐに別れます。必要ならずっとそばにいます」
妻を純粋に愛するからこそ出てきた言葉だった。
「私が一方的に寄り添っても、いつか心が折れてしまう自信があったので、彼女自身がどう思うかを前提に、夫婦生活を続けるかどうかを判断することにさせてもらいました。普通の夫婦だと、『優柔不断』『人任せ』と叱られそうですが、私自身は、夫婦生活をできるだけ長く続けたいからこそ誓いを立てたつもりです」
夫婦になった2人が最初に“協働”したことは、ハンチントン病についての捉え方を擦り合わせる作業だった。瀬戸さんはまず、この結婚生活のゴールである「最期の迎え方」を決めようと提案する。
「彼女からすれば、夫の私から改めて『死に至る病』だということを突き付けられたわけです。残酷かもしれませんが、これを受け入れないと、根幹の方向性を決められません。なので私からどう看取りたいかを話し、その後に、どう看取ってほしいかを彼女に聞きました」
2人の気持ちは一致していた。「病院や施設ではなく、最期まで家で一緒にいてほしい」。
この願いを実現するためにはどうしたらいいか、2人は逆算していった。
11月には遺伝子検査の結果、確定診断で陽性が出た。その際、医師からは、予想できうる限りの今後の病状を教えてもらう。「不随意運動が顕著になる」「性格変化や自殺を伴う精神症状が出る」「言葉の組み立てができなくなる」「嚥下機能低下による体重減少」「痰や唾による誤嚥性肺炎」「寝たきりになる」など。
つまり、認知機能にも障害が起こる。瀬戸さんにとって、思わずメモを取っていた手が止まってしまうほど、衝撃的な内容だったが、結婚を悔いる気持ちはみじんも湧かなかった。
■私たちの結論は「遺伝のリスクを承知したうえでも子供が欲しい」
さらに2人は、子どもについても真剣に考え始める。
「私たちの結論は、『遺伝のリスクを承知したうえでも子どもが欲しい』でした。『リスクがあると判っているのに、無責任だ』という意見ももっともだと思いますが、遺伝病以外にも、血統として、がんのリスクが高い人もいる。後天的な病気になるリスクは誰だってある。リスクを考慮するという意味では、他のリスクとハンチントン病のリスクの差が、私には区別できませんでした」
瀬戸さんは、ハンチントン病を言い訳にしたくなかったし、「遺伝病=確実に遺伝する」ということではないことに希望を見いだしていた。
2007年7月、妻の妊娠が明らかになった。青ラインが浮かび上がった妊娠検査薬を手に、妻の顔は少し緊張していたが、瀬戸さんは大きな笑顔を作って「また、頑張らないといけない目標ができたね」と声をかけた。すると、妻はやっと表情をほころばせた。
その後、瀬戸さんは介護と育児を両立させるために、退職することを決意。お互いの実家がある故郷に戻り、親族が経営する会社を手伝うことにした。
ところが10月。2人で産婦人科へ妊婦検診に行くと、胎児の心音が極めて確認しにくく、急遽大学病院にて緊急分娩を行うことに。妻の不随意運動は日に日に激しくなり、壁や柱に身体を預けることが日常的にあったため、恐らくその影響による流産ではないかと担当医師は言った。
■死産届けを出す前に出産届けを提出しなければならないのか……
看護師から、「お子さんは妊娠24週を超えているので、役所に届けなければなりません。届け出にはお子さんの名前を記載しなければならないので、短時間ですが考えておいてください」との説明がある。
火葬が必要とのことで、瀬戸さんは小さな棺桶を近所の建具屋に依頼した。
「手続きを始めて驚いたことは、死産届けを出すためには、先に出産届けを提出しなければならないということでした。必要な手続きなのかもしれませんが、さすがにこれにはまいりました……」
すでに亡くなっている子どもに名前をつけ、出産届を書いた次の瞬間、死産届を書く……。一般的な夫婦よりも強い覚悟をもって子どもを持つことを決意した夫婦にとって、これほど残酷な手続きがあるだろうか。
退院後、帰宅すると妻は、「ごめん」と言うなり号泣し始めた。瀬戸さんも「ごめん」と言い、2人で泣いた。
2人はしめやかに葬儀を行い、夫婦だけで火葬場へ向かった。子どもをもつ夢に破れた2人は、この後、さらに苦しみを分かち合うこととなる。(以下、後編へつづく)
※編集部註:初出時、瀬戸さんの妻の妊娠週数を12週としていましたが、正しくは24週でした。訂正します。(11月28日22時00分追記)
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ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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