「顧客情報はすべて女将の頭の中」そんな旅館はGoToが終われば生き残れない
プレジデントオンライン / 2020年12月2日 11時15分
※本稿は、『観光再生 サステナブルな地域をつくる28のキーワード』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■いまだに根強い「デジタルアレルギー」
今般のコロナ禍の本質は、「10年後の未来がやってきた」ということにあると私は考えている。特に観光業やその周辺の業界は、「おもてなし」や「日本らしいホスピタリティ」といった漠然とした概念を盾に、アナログな世界が跋扈(ばっこ)しており、お世辞にもデジタル化による効率化やサービスの磨き上げが進んでいるとは言い難い状況であった。
実際、最近もとある観光地であったことだが、DMO(観光地域づくり法人)がデジタル化を加速させようと旗を振ったところ、「デジタルじゃなく、おもてなしが重要だ!」という声があがり、遅々としてデジタル化への議論は進まなかった。
※DMOは「Destination Management/Marketing Organization」の略。官民の幅広い連携によって観光地域づくりを推進する法人を指す。従来型の観光協会・団体は調整役という性格が強い一方、DMOは観光地としての競争力を高めることに重きを置いている。
エクセルなどの表計算ソフトで管理するのならまだしも、“手書き”の宿泊台帳を使っているところは珍しくないし、“FAXや電話が主役”というところも多い。「お得意様の情報はすべて女将さんの頭の中」ということもある。そうしたアナログさが当たり前のようにある観光業界だからこそ、先のようにデジタル化へのアレルギー反応はいまだにそこかしこで見られるのである。
■デジタル化による効率化で週休3日を実現
もちろん「おもてなし」を否定しているわけではない。それは「日本の強み」といえる。ただ、それでは生産性は上がらない。休暇の楽しみ方が多様化している昨今では、これまでの価値観を一度、顧客目線で再確認・再構築していかなければ、人口減少とも相まって“ジリ貧”になることは明白であるからだ。
加えていえば、デジタルに置き換えられるところにメスを入れていくことで、むしろアナログでしかできない部分に注力することが可能となり、結果として高付加価値なサービスや体験を提供できるようになる。デジタルは決して安売りのためにあるのではないということだ。
たとえば神奈川県の鶴巻温泉にある老舗旅館の1つである「陣屋」は、女将の頭の中にあったお客様の情報をデータベース化することで、接客現場だけでなく料理場を含めたすべてのスタッフがタブレットを通じて顧客情報が確認・共有可能とするなど、デジタル化によって生産性の向上(週休3日制)とサービスレベルの底上げを同時に実現している。
観光業にとって、Go Toトラベルなどのキャンペーンによるディスカウントも必要なことではあるものの、デジタル化、それもDX(デジタルトランスフォーメーション)と呼ばれる最先端のデジタル技術を組み合わせ、いままでにない価値を創造することのほうがより重要であるということだ。
■ビジネスを創り出し、業務の無駄を省く
観光分野の攻めのDXとは、デジタルデータとIT技術を組み合わせることによって生みだす新たなビジネスモデルの構築である。守りのDXとは、管理業務にAIやロボットを活用したり、非接触型サービスを導入したりすることで、経営上の無駄を省くものである。
こうした取り組みは、サステナブル・ツーリズムのためには、一事業者で行う段階から、地域全体で行う段階に入ってきているともいえる。そうした意味では、後で紹介するシンガポールの例からもわかるように、地域全体のデジタル化を底上げするような“仕組みづくり”も大切である。
そのなかで重要な役割を持つのが、DMOであり、今後の地域の観光経営を考えるうえで、地域全体の顧客管理、在庫・販売管理、販売WEBプラットフォームを一元で運用でき、自走経営できるDX体制を構築することが重要だ。
限られたメンバーのみでできることには、技術的にも、DXの精度を上げるために欠かせないデータの集積にも限りがあるからだ。
したがって、地域で一枚岩になってDXを推進していくうえでは、「DXに取り組む」という強いリーダーシップは欠かせない要素である。
地域や事業者がDXを導入する、あるいは活用したい場合、「先端技術」の中身から逆算して、課題を解決しようとしがちである。しかし、これではDXの潜在力を最大限に引きだせない可能性がある。
すなわち、「ありたい姿」や「理想のかたち」を描き、みんなでそれを共有することから始めなければならないということ。新たな価値を創造することや無駄を省くことばかりに気を取られ、肝心な経営コストが倍増し、事業継続ができなくなったり、収益性の悪化を招いてしまえば、本末転倒であるからだ。
DXを提供する側にとっても、クライアントが経営難に陥ることは得策ではない。しかし、短期的な利益確保のためにそうしたマイナス面に目をつぶる企業があっても不思議ではない。その意味でも、「ありたい姿」をきちんと明確にし、その方法論としてDXを活用するというスタンスを貫くべきだ。
■スマートシティ化「世界一位」のシンガポール
次にシンガポールの取り組みについて見ていく。IMD(国際経営開発研究所)によれば、2020年現在、シンガポールはDXと深い関係を持つスマートシティ化において、世界で最も進んでいる(第1位)とされる。ちなみに東京は世界で79位、大阪は80位である。
そんな東南アジアの都市国家では、観光産業でもDXを目指しており、デジタルパスや解析サービスを筆頭に、さまざまな取り組みを政府観光局(Singapore Tourism Board=STB)主導で進めている。
STBの取り組みとして注目したいのが、同局公式チャンネルがYouTubeにあげている動画「Supporting Tourism Transformation through Learn Test Build Framework」でも描かれているように、3段階からなる変革のためのフレームワークだ。
これは、観光事業者がデジタルトランスフォーメーションを取り入れることを推奨し、さらに観光事業者や技術開発者に広く連携してもらうことで、市場全体の成長を目指す仕組みだといえる。
■DXを推進させる「3つのステップ」
ファーストステップである「学習段階(LEARN)」は、企業の自己診断ツールである「観光産業の変革指標(Tourism Transformation Index)」を通じて、DXにおける自社のコンセプトをより深く学んでもらうフェーズである。観光事業者が自社の強みを評価し、改善すべき分野を特定するためのものでもある。すなわち、先ほどDXを導入する前に、「ありたい姿」を描くことの必要性を説いたが、自己診断を通じてそれを行うわけだ。
続いて「テスト段階(TEST)」がある。企業はリスクや投資を抑えつつ、すばやく「学習段階」で描いたコンセプトを試す。「コンセプトが成功すれば、すぐにスケールアップして収益が得られる」とQuek氏は述べている。
それを可能とするのが、イノベーションスペースのThreeHouse。DXを推し進めるためには、各企業がコラボレーションし、さまざまなアイデアやソリューションを試す必要がある。STBの敷地内に設置されるThreeHouseはその“ハブ”となる存在だ。このスペースには、シンガポール・ツーリズム・アクセラレーター(STA)も設置する。
STAの役割についてQuek氏は、「世界中の企業から最高のアイデアを出してもらい、シンガポールに適したソリューションを開発してもらうこと」と語っている。
最後のフェーズは、「構築(BUILD)」である。第2ステップで行ったさまざまな取り組みを集約し、観光分野の変革を促進する「共通のテクノロジーツール」を構築するという意味だ。早急に取り組むのは、Stan(Singapore Tourism Analytics Network)と呼ばれるデータ解析プラットフォームの構築である。
なぜならStanが構築されると、観光事業者は、STBや業界から集約された訪問者の特徴や動態データといった観光関連データにアクセス可能になり、DXによる具体的なアクションの精度を高められるからだ。
■収益を増加させるデジタルパス
STBのDXを象徴するもう1つの取り組みが、デジタルパス「Visit Singapore pass」である。「世界の他の場所ではデジタルパスを購入する際、10種類のチケットを購入することになるかもしれないが、シンガポールでは1つのデジタルチケットに集約したい」とQuek氏が意欲を示すとおり、異なるイベントや観光名所で使える同一のデジタルパスが広がりつつある。
訪問者にシームレスな体験を提供することに加え、コロナ禍のように紙のチケットを扱いたくないときには、特に有益なものになる。
観光施設側からしても、「Visit Singapore pass」を採用すれば、eチケット発行のためのプラットフォームに対する手数料が減り、収益性の改善につながる。
デジタルパスを運営する費用については、使用データを二次、三次利用することで収益化が可能となり、結果として既存のプラットフォーマーに支払う手数料分を大きく削減できる。
こうした中間マージンの軽減は、誰かの負担のうえに成り立つことも少なくないが、データを活用するDXだからこそ持続可能にできる。STBにおいては、アドビなどのテクノロジーパートナーと協力し、業務のデジタル化を進めているという。
■コロナ禍はDX推進のチャンス
こうした新しいトレンドは、ウィズコロナ、アフターコロナの時代に加速するとみられている。事業の存続ならびに成長のためには、自社サービスの質の向上が不可欠であるホスピタリティ業界にとって、マンパワーをDXの力で代替できる業務に割くのは得策ではない。したがって、柔軟な頭でDXに頼るべきところは頼っていくべきだ。
ただし、DXの議論は「すべてデジタル化すればいい」というものではない。デジタルとアナログそれぞれの良さを最大限に活かすことが欠かせない。
DXは手段であり目的でない。あらためて自社の強みの棚卸しをし、5~10年後に目指す売上・利益、事業内容、組織体制を描いたうえで、どんなDXが必要かを考えるというプロセスは必須である。
コロナ禍中でやれないなら、いつになっても実践できないという見方もできる。政府がデジタル庁を立ちあげ、聖域なしで改革をしていくことを目指しているように、観光に関わる地域や企業においても、DXを推進していくチャンスがきている。
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やまとごころ代表取締役
兵庫県神戸市出身。米国ウィスコンシン大学マディソン校卒。2000年にアクセンチュア入社。2006年に同社を退社。2007年より国内最大級の観光総合情報サイト「やまとごころ.jp」を運営。「インバウンドツーリズムを通じて日本を元気にする」をミッションに、内閣府観光戦略実行推進有識者会議メンバー、観光庁最先端観光コンテンツインキュベーター事業委員をはじめ、国や地域の観光政策に携わる。 11月16日に『観光再生 サステナブルな地域をつくる28のキーワード』(プレジデント社)を出版した。
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(やまとごころ代表取締役 村山 慶輔)
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