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「なぜ日本は真珠湾攻撃を避けられなかったのか」そこにある不都合な真実

プレジデントオンライン / 2020年12月8日 6時15分

真珠湾攻撃=1941年12月7日 - 写真=culture-images/時事通信フォト

■戦前の日本が「間違っていた」とするのは思考停止である

1941年12月8日(日本時間)、ハワイ、オアフ島の真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊に、350機の日本海軍の攻撃機が奇襲を仕掛けた。真珠湾奇襲である。

多くの日本人は、真珠湾奇襲に由来する太平洋戦争あるいはそれに至る戦前の日本政治外交が道徳的に「間違っていた」と教えられる。しかし単に何かが悪かったと感情的に論じるのは思考停止に他ならない。そうではなく、我々はなぜ、いかにして当該事象が起きたのかを客観・中立的そして理性的に考察する必要がある。

そこで本稿では「進化政治学(evolutionary political science)」に依拠して考察を行う。日本で進化政治学をめぐる包括的なテキストは、拙著『進化政治学と国際政治理論 人間の心と戦争をめぐる新たな分析アプローチ』(芙蓉書房出版、2020年)が唯一だが、本稿で用いるのはその中で構築した「怒りの報復モデル」である。

本稿は論争的であることを承知で、真珠湾奇襲をめぐる一つの「不都合な真実」を明らかにしたい。それは、真珠湾奇襲は軍国主義の病理や戦前社会の未成熟さといった日本に固有の要因ではなく、怒りという普遍的な人間本性(human nature)――この際、ハル・ノートにより引き起こされたもの――に起因していたということである。

■「怒り」という感情により起こされた攻撃行動の一例に過ぎない

怒りに駆られた攻撃行動が普遍的な人間本性であることは、以下の重要な史実の存在を振り返るだけで容易に理解できる。

伊藤隆太『進化政治学と国際政治理論 人間の心と戦争をめぐる新たな分析アプローチ』(芙蓉書房出版)
伊藤隆太『進化政治学と国際政治理論 人間の心と戦争をめぐる新たな分析アプローチ』(芙蓉書房出版)

たとえば、歴史家の堀田絵里はハル・ノートと真珠湾奇襲が鏡写しの論理で理解できると主張している。すなわち、ハル・ノートとは「戦争をほぼ決意した日本が、無自覚ながらアメリカに撃たせた『最初の一弾』」であり、これにより「『ABCDパワーが日本を迫害している』という、日本の受難ありきの主観的な物語に、一気に信憑性が増した」のである。

別の例を挙げれば、第一次世界大戦後、戦争責任を負ったドイツに圧倒的に不利に構築されたヴェルサイユ体制に対する、ドイツ国民の憤りがなければ、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)は戦間期にドイツの国内権力を掌握できなかっただろう。

あるいは、9.11同時多発テロ事件が喚起した憤りがなければ、ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)はアフガニスタン・イラク戦争への支持を調達できなかっただろうし、2005年1月、預言者ムハンマドの風刺画をめぐり、イスラム過激派が仏風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社を襲い、12人を殺害したが、これも憤りに駆られた攻撃行動の典型例である。

以上から分かることは、真珠湾奇襲は何も特異な事象というわけではなく、人間が普遍的に備えている怒りという感情により起こされた攻撃行動の一例に過ぎないということである。

■政治現象は「狩猟採集時代」から説明される必要がある

進化政治学のパイオニアの一人、森川友義が説明しているように、進化政治学には、以下の3つの前提がある。

①人間の遺伝子は突然変異を通じた進化の所産で、政策決定者の意思決定に影響を与えている。
②生存と繁殖が人間の究極的目的であり、これらの目的にかかる問題を解決するため自然淘汰と性淘汰を通じて脳が進化した。
③現代の人間の遺伝子は最後の氷河期を経験した遺伝子から事実上変わらないため、今日の政治現象は狩猟採集時代の行動様式から説明される必要がある。

これら諸前提は数学でいう公理系のようなものであり、そこから演繹的に導きだされる知見が個別的な進化政治学理論となる。拙著『進化政治学と国際政治理論』では3つのモデルを構築したが、怒りの報復モデルはその一つである。

■不当な扱いを受けると、敵国を罰さなければ憤りが鎮まらない

怒りの報復モデルとは、端的にいえば進化心理学における「怒りの修正理論(recalibrational theory of anger)」を国際政治理論のリアリズムに応用したものである。

ヒマワリ
※写真はイメージです(写真=iStock.com/ivz)

怒りは進化過程で備わった心の仕組みであり、その機能は怒りを抱く人間に有利な形で紛争を解決することにある。敵が自らを搾取しようとしていることが分かると、人間は怒りを覚え、攻撃により敵からの搾取を抑止しようとする(怒りのプログラム)。

それではいかにして、指導者個人の怒りが、国家という集団の攻撃行動につながるのだろうか。ここで示唆的なのがジョン・トゥービー(John Tooby)、レダ・コスミデス(Leda Cosmides)といった有力な進化心理学者が指摘する、「戦争とは本質的に協調的な企てである」という洞察である。

集団間紛争は集団内協調がありはじめて可能になるが、そのためには国内でフリーライダー問題が克服され、アクター間で対外政策をめぐるコンセンサスが達成されねばならない。それを可能とするのが怒り、特に憤り(outrage)という怒りが道徳化された形の感情である。

自国の地位や国益の軽視といった不当な扱いは、敵国が自国を搾取する意思を有していることの証左となる。敵国から不当な扱いを受けると、国内アクター(政策決定者・国民など)の憤りが喚起され、敵国の態度を改めさせたいという強力な動機が生まれる。搾取に対抗しないことは現状容認のシグナルとなり、さらなる搾取を誘発する危険があるため、国内アクターは悪しき敵国を罰すべきという選好に収斂する。

■中国や韓国がたびたび日本との「歴史問題」を挙げるワケ

上記のメカニズムで憤りは敵国へ報復すべきというコンセンサスを生みだし、国内アクターの攻撃的政策(開戦決定、同盟締結など)に向けた選好収斂を可能にする(メンタル・コーディネーション)。狡猾な政治指導者はこうした論理を直感的に理解しているので、それに乗じて、自らの望むタカ派の政策への支持を調達すべく、敵国の悪意に乗じて国内アクターの憤りを駆りたてようとする(憤りのシステム)。

つまるところ、他国の不当な行為は国内アクターの憤りを生みだすため、それは指導者にとり攻撃的政策への支持を得るための戦略的資源となる。なおこの際、敵国の悪意が現実のものか、エリートによる作為の所産かは関係ないため、指導者はしばしば敵国の悪意を政治的に利用しようとする。

たとえば、中国や韓国はたびたび日本との「歴史問題」を挙げるが、これは同国の指導者らが、「歴史問題」が喚起する日本への憤りを政治的支持に転化できることを直感的に理解しているからである。

■なぜ約8倍の潜在力を持つアメリカとの開戦を決断したのか

以上が怒りの報復モデルの概要だが、そこから以下の仮説が導きだされる。

第一に、敵国からの不当な行為は政策決定者の憤りを生みだし、彼・彼女に敵国への攻撃的政策を選好させる(仮説①)。
第二に、政策決定者は敵国の悪意を利用して国内アクターの憤りを駆りたて、攻撃的政策への支持を調達しようとする(仮説②)。
第三に、憤りは国内アクター間で攻撃的政策に向けた選好収斂をもたらし、国家という集団が敵国へ攻撃行動をとることを可能とする(仮説③)。

これら仮説の視点から、「なぜ日本が真珠湾を奇襲したのか」というパズルを再考してみたい。

第二次世界大戦
写真=iStock.com/Xacto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Xacto

真珠湾奇襲の問題は、リアリストのジョン・ミアシャイマー(John J. Mearsheimer)が述べているように、「なぜ日本は1941年の時点で、約8倍の潜在力を持つアメリカとの開戦を決断したのか」に集約される。

あるいは、なぜ日本は1930年代以降、日中戦争の泥沼にはまり、多くの天然資源を海外に依存し、海軍戦艦の燃料の約8割を対米輸入に依存している状況の中、最大の貿易相手国アメリカに開戦したのか、ともいえる。

以下、このパズルを怒りの報復モデルの視点から解いていくが、結論から述べれば、日本の真珠湾奇襲は決して不可避ではなく、アメリカがハル・ノート提示という日本にとり屈辱的な政策をとらなければ、歴史の道筋は変わっていた可能性があるのである。

■東条首相に変わっても、開戦が前提だったわけではなかった

アメリカからの石油全面禁輸後、対米開戦の蓋然性は大幅に高まったものの、日本政府は依然として交渉妥結も視野に入れた対米交渉を続けていた。9月6日の御前会議で、10月上旬頃までに外交交渉が成立する目途がない場合、開戦に踏み切るとする「帝国国策遂行要領」が定められた。

実際、近衛から東条に首相が代わっても、開戦内閣が前提とされていたわけでなかった。むしろこれまで強硬派とみられていた東条は、天皇の開戦回避の希望をくみ取り、外交交渉重視の姿勢をとるまでに態度を軟化させていた。

11月1日、東条首相は、①戦争に突入することなく臥薪嘗胆する、②直ちに開戦を決意する、③戦争決意のもとに作戦準備と外交を並行させる、という3つのオプションを提示して、最終的に③が採用された。

11月5日の御前会議で、甲案・乙案を含む「帝国国策遂行要領」が提出され、その最後に東条は、「外交と作戦の二本立てとしたことは、アメリカに『決意』を示したものであり、アメリカにその『決意』が通じたならば、「其時期こそ外交的の手段を打つべきだと思う」と述べた。

有力な歴史家波多野澄雄が記しているように、「アメリカが真に太平洋の平和を望むならば、さらにそこに日本側の『決意』を示すならば、アメリカも再考するかも知れない。そこに一縷の望みを託すほかはなかった」のである。

■ハル・ノートが引き起した日本の政策決定者の憤り

最初に提示した甲案は予想通り拒否され、続いて11月20日、乙案がアメリカに提示された。同案をめぐりアメリカ国務省は連合国内部で協議を始め、日本はその回答を待つことになった。「ハルは米側の通信情報(マジック)によって、日本との交渉決裂が戦争を意味することをすでに知っていたため、妥協的な暫定協定案を用意していた」ので、「そこには日米の衝突を回避できる可能性がわずかながらも生じていた」(小谷賢)。

こうした点について、太平洋戦争に至る日米交渉をめぐる研究の第一人者須藤眞志は、「東條内閣もアメリカ政府も、日米戦争をぎりぎりのところで避けようと努力したことは事実である」とまとめている。

それでは、こうした開戦回避に向けた動きやその実現可能性にもかかわらず、日本の政策決定者が真珠湾奇襲を決断した直接的な引き金とは何だったのだろうか。

政治学者リチャード・ネッド・ルボウ(Richard Ned Lebow)が論じているように、第一次世界大戦がサラエボの大公暗殺テロ事件という触媒(catalysts)で勃発したのならば、太平洋戦争勃発にかかる触媒とは一体何だったのだろうか。

社会科学理論はこれまで日本の対米開戦の深層要因として相対的パワーの衰退やパワーシフト、中間要因として陸海軍間抗争、軍国主義などに言及してきたが、その直接的要因については依然として十分な理論的説明を与えられていない。

そこで、進化政治学の怒りの報復モデルが重要になる。同モデルによれば、日本の対米開戦の直接的要因はハル・ノートが引き起した日本の政策決定者の憤りであった。堀田が記しているように、「開戦準備が着々と進む日本には、しかし、そのリスクの大きさゆえ、まだ迷いもあり、最後の一押しが必要だった」が、その一押しがハル・ノートのもたらした憤りだったのである。

■非戦派を開戦派に鞍替えさせたのが、ハル・ノートだった

怒りの報復モデルによれば、1941年12月8日の時点で日本が真珠湾奇襲をしたのは必ずしも決定づけられていないことが分かる。というのも、日本の指導者が主観的に不当とみなすハル・ノートをアメリカから提示され、憤りが喚起されてメンタルコーディネーションが達成されなければ、真珠湾奇襲という集団的意思決定が下されるのは困難だったからである。

もちろん、そのことは日本政府内の全エリートが戦争に反対していたということを意味しない。より正確にいえば、非戦派と開戦派の間の対立があり、それを開戦派に決定的に有利にした――実際、非戦派をして開戦派に鞍替えさせた――のが、ハル・ノートだったというわけである。そしてこのことは以下に示すように、一次史料という社会科学が扱える「データ」によっても裏付けられている。

11月26日、アメリカは日本にハル・ノートを手交したが、それは、①ハル四原則の無条件承認、②日本の中国・仏印からの全面撤兵、③国民政府の否認、④三国同盟の空文化を求める強硬なものだった。その結果、憤りに駆られた日本の政策決定者は対米開戦を決意した。

駐日米国大使ジョセフ・グルー(Joseph Clark Grew)は戦後、太平洋戦争勃発の「ボタンが押されたのは、ハル・ノートを(日本が:筆者注)接到した時の頃だというのが、ずっと私の確信である」と証言している。

■国論の一致に貢献する意味でも、まさに「天佑」だった

また駐日英国大使ロバート・クレーギー(Robert Leslie Craigie)は最終報告の中で、「米国政府の日本への『最後回答(final reply)(ハル・ノート:筆者注)』は日本が拒否することが確実な条項からなっていた」と述べている。

実際、クレーギーは、「日本の開戦決意は27日頃(ハル・ノート受領日)に下され」、「日本の11月20日の妥協案(乙案:筆者注)が交渉の基礎になっていたら、この決定は下されていないか、いずれにしても延期されていた」と指摘している(仮説①)。

ハル・ノートは日本指導者の攻撃的選好を上昇させただけでなく、戦争を望む強硬派にとり、対米開戦に向けて穏健派を説得するための政治的道具となっていた。

歴史家の森山優が的確に論じているように、「ハル・ノートを歓迎したのは陸軍を中心とする開戦論者たち」で、実際、「アメリカが譲歩を小出しにしてくれば、日本は戦争に踏み切れず、戦機は失われる」というのが、「統帥部が最もおそれたシナリオであった」。

こうした点について波多野は、「ハル・ノートは開戦決意を最終的に固めるうえでも、また国論の一致に貢献する意味でも、まさに『天佑』(十一月二十七日機密戦争日誌)であった」と結論づけている(仮説②)。

■だから「清水の舞台から飛び降りる覚悟」が決まってしまった

憤りは国内アクター間で攻撃的政策に向けたコンセンサスを生みだし、国家という集団が敵国へ攻撃行動をとることを可能にするが、この際、ハル・ノートが引き起こした憤りが、日本政府内部のタカ派とハト派の選好を対米開戦に向けて収斂させていた。

森山が記しているように、「ハル・ノートは、参謀本部のような開戦派から東郷のような交渉論者に至るまで、全ての日本の政策担当者を結束させ」、「戦争の場合は辞任すると心に決めていた東郷すら、職にとどまる決心をした」。すなわち「『ハル・ノート』が、指導者たちの心をひとつにし、恐ろしい戦争に向けて、清水の舞台から飛び降りる覚悟をきめさせるまでに至」ったのである(堀田)。

実際、11月27日に参謀本部の中堅層は、「之にて帝国の開戦決意は踏切り容易となれり芽出度芽出度。之れ天佑とも云うべし。之に依り国民の腹も固まるべし。国論も一致し易かるべし」と記している。

12月1日の課長会議で軍務課佐藤課長は、「われわれがかねてから抱いていた心配、即ち米の懐柔政策により、我が国論の一部に軟化を来たし、大切な時に足並みが揃わぬようなことがあっては大問題だとおもっていたが、かくの如き強硬な内容の回答を受け取ったことにより、国論が一致することが出来たのは洵に慶賀すべきことである(金原日誌)」と述べている(仮説③)。

■戦前日本の行動を「悪」と断罪したい左派にとっての不都合

以上、真珠湾奇襲を進化政治学の怒りの報復モデルの視点から再考してきた。ところで、上記の説明がなぜ「不都合な真実」なのであろうか。いうまでもなく、このポリティカル・コレクトネスをめぐるホットボタン(hot button)が、本稿のインプリケーションである。

結論から述べると、本稿の主張が「不都合な真実」なのは、①戦前日本の行動を「悪」と断罪したい政治的左派、さらには②戦前日本の戦略的合理性や真珠湾陰謀論を主張する政治的右派、あるいは③真珠湾奇襲という歴史的事象を掘り下げて研究する歴史学者、各々の神経を逆なでする可能性があるからだ。

政治的左派にとり「不都合」なのは、仮に人間に戦争を志向する本性(この際、憤りに駆られた攻撃の衝動)があるなら、戦争を起こした当事者の責任を追及することは不毛となるからだ。これは殺人者やレイプ犯を捕まえ、彼らの脳に攻撃行動を熾烈化させる決定的な生物学的欠陥があると分かったとき、当該主体を責められるのかといった問題と同じである(決定論と自由意思)。

こうした点を踏まえ、政治的左派は本稿の科学的主張に不穏な含みを嗅ぎつけるかもしれない。

■日本の対米開戦を擁護したい政治的右派にとっての不都合

他方、政治的右派にとり「不都合」なのは、仮に真珠湾奇襲が冷徹な合理的計算の産物でなく、ハル・ノートに起因する憤りという感情的な意思決定の産物なら、日本の対米開戦を擁護することが難しくなるからだ。

換言すれば、右派にとっては、ルーズベルトが日本の真珠湾奇襲を誘発したという陰謀論(conspiracy theory)や、軍事戦略上の限定的な合理性があったといった説明の方が、はるかに都合が良いのである。

あるいは歴史学者にとって「不都合」なのは、仮に真珠湾奇襲が単なる脳(特に怒りのメカニズム)が起こしたエラーだったのなら、これまで積みあげてきた豊かな史的叙述が、何とも人文学的に味気のない科学的な説明に還元されてしまう恐れがあるからだ。

この恐れは還元主義や科学主義といった議論にかかわり、ここでは詳細な議論は割愛するが、その結論を述べると、科学は人文学的な議論を補完する役割を果たしえるため、こうした批判は的を射たものでない。つまるところ、本稿の進化政治学的説明は、「悪かった」(政治的左派)、「騙された」「仕方がなかった」(政治的右派)といった規範命題や、個別的事象をめぐる歴史研究の豊かな叙述とは離れた、抽象的かつ冷徹な科学的推論なのである。

■それは進化過程で人間の脳に備わった心理メカニズムである

つまるところ、戦争とは複雑な諸変数の産物であり、それに単一の原因を帰することはしばしば分析上の困難を要する。しかしながらそのことが不可避に、当該事象の因果メカニズムを探求する学術的営みの意義を否定することを意味するわけではない。

本稿が提示した真珠湾奇襲をめぐる進化政治学的説明は、たとえ複雑な社会政治現象であっても、ポストモダニズムの相対主義、アドホックな歴史的叙述あるいは特定のイデオロギー的主張に陥ることなく、当該事象中の相対的に重要な要因を、科学的根拠を備えた形で明らかにできる可能性を示唆している。

そしてここでいう科学的根拠とは、人間本性を捨象するミクロ経済学的合理性や統計学的相関ではなく、進化過程で人間の脳に実際に備わった心理メカニズムに他ならない。「生物学の時代(biology)」(James Stavridis)に進化政治学が必要とされる所以である。

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伊藤 隆太(いとう・りゅうた)
慶應義塾大学法学部 非常勤講師、博士(法学)
コンシリエンス学会・学会長。2009年に慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科前期および後期博士課程修了。同大学大学院研究員および助教、日本国際問題研究所研究員を経て今に至る。海上自衛隊幹部学校で非常勤講師、戦略研究学会で編集委員も務める。専門は、国際政治学、国際関係理論、政治心理学、安全保障論、インド太平洋の国際関係、外交史と多岐にわたる。その他、思想・哲学(科学哲学、道徳哲学等)や自然科学(進化論、心理学、脳科学、生物学等)にも精通し、学際的な研究に従事。主な著作に、『進化政治学と国際政治理論 人間の心と戦争をめぐる新たな分析アプローチ』(芙蓉書房出版、2020年)がある。

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(慶應義塾大学法学部 非常勤講師、博士(法学) 伊藤 隆太)

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