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「住人はうちの子」100室の大型ドヤを経営する"若くて美人"な管理人の素顔

プレジデントオンライン / 2020年12月14日 15時15分

筆者撮影

日本3大ドヤ街の1つ、寿町。そこは横浜の一等地でありながら、120軒のドヤ(簡易宿泊所)が蠢く異様な空間だ。ノンフィクションライター・山田清機さんの著書『寿町のひとびと』(朝日新聞出版)より、“若くて美人”と評判のある帳場さんのエピソードを紹介しよう——。(第2回/全2回)

※本稿は、山田清機『寿町のひとびと』(朝日新聞出版)の第六話「帳場さん二題」の一部を再編集したものです。

■こんなドヤは、少なくとも私が知る限り他にはない

バプテスト教会からセンターに向かう通りに、Y荘という一風変わったドヤがある。どこが変わっているかといえば、玄関口にちょっとした花壇が拵えてあり、「和気あいあいY荘」というイラストの入った手作りのポスターが貼ってあり、玄関ドアの横にはこれまた手作りらしく、白いペンキを塗った椅子とテーブルがあり、テーブルの上に灰皿が乗せてある。

山田清機『寿町のひとびと』(朝日新聞出版)
山田清機『寿町のひとびと』(朝日新聞出版)

殺伐とした雰囲気が支配的な寿町の中で、この楽し気なY荘のエントランスは明らかに異彩を放っている。理由は単純と言えば単純で、ここの帳場には「若くて美人」と評判の女性が座っているからである。

帳場さん(簡易宿泊所の管理人)の名前は清川成美という。帳場の前の通路には椅子がいくつか置いてあって、常時、何人かの住人が清川の親衛隊よろしく陣取っている。清川が不在の時は来客に応対するし、清川に何か頼まれれば喜々として手伝いをする。要するに、花壇もイラスト入りのポスターも白い喫煙場所も、Y荘の住人が作り、世話をしているものなのだ。こんなドヤは、少なくとも私が知る限り他にはない。

■最後は憎めない、大勢の子供たち

清川にインタビューするため帳場の中に入れてもらったとき、ちょうど歯痛を抱えた住人が帳場の小窓に顔を出した。

「帳場さん、歯が痛いから痛み止めをちょうだい」
「三時に歯医者の予約を取ってるんでしょう。痛み止めは飲まない方がいいから、三時まで我慢しなさい」
「痛い」
「歯痛では死なないから」
「痛いよ」
「我慢できないなら、予約の時間を早くしなさい」

まるで母と子の会話である。実際、清川は歯痛の男性のことを「最近入った若い子」と呼ぶのだが、若い子といったってどう見ても40を越えている。住人の多くは清川のことを「姉さん」「成美ちゃん」などと呼び、中には「母ちゃん」と呼ぶ人さえいるが、年齢はたいてい住人の方が上だ。

清川のいるY荘は約100室あり、ほぼ満室である。

「かわいいのも、かわいくないのもいるけれど、最後は憎めない、大勢の子供たちですよ」

なぜY荘がこういうドヤなのかといえば、オーナーが「お客様は家族。お客様あっての商売」という先代の教えを墨守しているからでもあるが、清川の世話焼きは、オーナーも「成美ちゃんはやり過ぎ」と呆れるほど、濃い。

■かかわってしまうと放っておけない

ちょうど私が取材に入った前日に、住人のひとりが亡くなった。帳場の前に陣取っていた親衛隊の一員だ。4年ほど前からY荘で暮らしていたが、大腸がんが悪化して1カ月前に入院。

この時点で清川は、ケースワーカーに家族への連絡を打診したが、結局、連絡はつかなかったという。

「娘さんが結婚する時、一度、家族に探されたそうだけど、結婚式には行かなかったって言っていました。昔はいい生活をしていた人だから、こういう暮らしをしていることを家族に知られたくなかったんでしょうね」

午前中に入院先の病院から「血圧がとれない」と連絡があり、午後二時過ぎに永眠。最期は清川が看取った。家族が遺体を引き取りに来ない場合、火葬と埋葬は行政が行い、遺体の搬送は病院に出入りの業者が担当する。清川には何の義務もないのだが、火葬には立ち会うつもりだという。なぜ、そこまでやるのか。

焼香する女性の手元
写真=iStock.com/Yuuji
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuuji

「かかわってしまうと放っておけなくなるんです。他に誰かいるならいいけれど、私がやらなかったらどうなるんだろうって……。部屋で亡くなった場合は周囲の住人さんが動揺してしまうから、部屋でお線香をあげるようにしています。そうすれば、Y荘は最後まで放っておかないんだってことが、住人さんにわかってもらえるでしょう」

■父は父らしく看取ってあげたかった

清川自身は、父親を49歳という若さで亡くしている。進行性の胃がんだった。バブル真っ盛りの景気のいい時代だったこともあり、周囲の人たちはやれる治療はすべてやるべきだと主張した。当時、まだ高校生だった清川には、何も口出しをすることができなかった。知り合いの医者に頼んで手術をやってもらい、術後も、多少なりとも効果がありそうな治療はすべてやった。

「たぶん父は、苦しかったと思うんです」

気管切開術を受けたシニアの患者
写真=iStock.com/ugurhan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ugurhan

一方、義父の最期はまったく違うものだった。いったんは入院したものの、チューブに繋がれるのは嫌だと言って病院から帰ってきてしまい、自宅で往診を受け続けた。点滴はしたものの導尿は拒否。亡くなる3日前まで、もう歩けない体で「自分でトイレに行く」と言い張った。

「私も自分が逝くときは、義父のように一切チューブには繋がれたくないと思います。実父の時は、彼らしく看取ってあげることができなかった……」

そう言うと清川は、はらはらと涙をこぼした。

■恐怖心を紛らわすため、酒に手を出す

清川が忘れることのできない住人に、マー君という人物がいた。

若い頃、覚醒剤に手を出していたというから、いま風に言えばやんちゃな人物だったのだろうが、Y荘は「過去を問わず、いま頑張っている人ならOK」がモットーだから、諸々を了解した上でマー君を住人として受け入れていた。

マー君は覚醒剤からは足を洗っていたものの、肝臓がんを患っており、入院退院の繰り返しを余儀なくされていた。

「入院が一カ月をこえると、生活保護費を削られてしまうんです。だから、一カ月になる直前に一度退院をして、一週間ぐらいここに帰ってきて、また入院する。また一カ月ギリギリまで入院して、一週間戻ってくる。マー君はこれを繰り返していました」

こうしたやり方の是非はともかく、この一週間の帰還はマー君にとって微妙なものであった。気の弱いマー君は病気の進行に強い恐怖を感じていたから、病院から出てくると恐怖心を紛らわすため、どうしても酒に手を出してしまう。そして酒を飲むと、ふらふらとかつての兄貴分に会いに行ってしまうのだった。

「兄貴に会うと、なんで電話をかけてこなかったんだと殴られ、借金を返し切っていないと因縁をつけられて、なけなしの保護費を奪われてしまうというんです。私は心配で部屋のドアをノックするんだけど、殴られた跡を見られたくないからって、部屋から出てこないんですよ」

■四角い体形でガニ股歩きの兄貴の来襲

マー君につきまとう人物がもうひとりいた。実の父親である。父親はかつてマー君の弟と同居していたが、傍若無人な性格のせいで弟の家を追い出されて寿町へやってきた人物である。

重度の糖尿病を患って両足を切断し、車椅子に乗っていた。

「父親は、生活保護受給者であるマー君にお金をせびりに来るんです。でも、マー君には長男としてのプライドもあったんでしょう、足を切断すると足のお葬式をやるらしいんですけれど、父親が足を切断したとき足の葬儀代を一所懸命に工面していました」

心は弱かったが優しいところのあるマー君を、一緒に帳場で働いていたNという女性も清川も、憎むことができなかった。

「入院中の病衣やタオル代は保護費からは出ないので実費になるんですが、マー君は兄貴や父親にたかられていたので、本当にお金に困っていました。なのに、退院してくるときは絶対に手ぶらでは帰ってこなかった。姉さんたちが好きそうなものだからって、必ず何かお土産を買ってくる。それもできない時は、本当はいけないんだけど何かの役に立ててくれって、病院のタオルを持って帰ってくるんです」

兄貴の来襲には、Y荘の親衛隊が立ち向かった。兄貴は、「背が低く、四角い体形をした、虚勢を張りまくっている感じ」の人物で、組関係の人にありがちなガニ股歩きでいきなりY荘の玄関を入ってくると、

「会わせろー」

と騒ぐ。

すると、帳場の前にいる親衛隊が一斉に立ち上がって、通路をブロックした。しかし敵もさる者で、やがて親衛隊のいるY荘ではなく、マー君が入院するタイミングを見計らって、入院先の病院に押しかけるようになった。

寿町
筆者撮影

Nと清川は暇な時間ができると自転車に乗って入院先にマー君を見舞っていたのだが、兄貴の行状に困惑した病院はケースワーカー以外の面会を謝絶してしまい、清川は見舞いに行けなくなってしまった。そして清川の知らないうちに、マー君は別の病院に転院させられてしまったのである。清川は、転院先の病院名を教えてもらうことができなかった。

■どんな事があってもめげずに力強い男になって

昨年の春、突然、マー君の弟が一通の手紙を携えてY荘に現れた。マー君は「Y荘の帳場さんに挨拶するように」と弟に言い残してある病院で亡くなったが、亡くなった後にこの手紙が見つかったという。清川が手紙の実物を見せてくれた。

Y荘 社長、姉さん、お兄ちゃん(清川の甥のこと)
社長は自分の体調も悪いのに、いつも気遣って頂き心よりお礼申し上げます。お体をお大事にしてください。
姉さん、自分のこと、親父や弟と姉さんは関係ない事までも手助けして頂き、時にはジョーダン言って元気づけてくれましたね。姉さんも体調悪いんですから、とにかく体が一番。大事にしてください。明るい姿の姉さんを見ていつも元気をもらいました。本当にありがとうございました。
お兄ちゃんは自分の息子と同じ年で、いつも自分の息子の事を思い出し、実の息子のように思い接して来ました。もう少し自分が元気だったらメシを食いに行けたのに、とても残念です。
お兄ちゃんは男なんだから、これから先Y荘をしっかり守り、いずれは結婚をし、子供も出来て自分の城を持つんだから、どんな事があってもめげずに力強い男になって下さい。いつも気にかけてくれてありがとう。一緒にメシを食いに行った事、二人でコーヒー飲みに行った事、とてもうれしく思います。
入院中の見舞い、ハグ、本当にありがとう。お兄ちゃんも親から頂いた命を大切に、くれぐれも体だけは大事にして下さい。
追伸
Y荘の皆様には大変ご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした。Y荘に住ませて頂いた事を心から感謝しています。

■自分らしく生きて、自分らしく死ぬために

清川は間もなく、実父が亡くなったのと同じ年齢を迎える。自分もいつ病に倒れるかわからないから、すでに“終活”を始めているという。ドヤの住人たちの奔放な生き方は、清川の終活に大きな影響を与えている。

「ここの人たちのお世話をすることはとても疲れることなんですが、感覚的には貰ってるものの方が多い気がするんです。最初はそうは思わなかったけれど、この町から私の中に入ってくるものを一所懸命消化しているうちに、それが自分らしく生きて、自分らしく死ぬために集めている部品のひとつになっていく気がします」

自分らしく生きて、自分らしく死ぬための部品……。

「実は私、小学生の頃から優等生で、中学高校時代のあだ名が『おのれ』だったんです。おのれに厳しいの、おのれ。それがすごいコンプレックスだったんですが、でも、ずっと堅い性格を崩すことができなかった。それが、この町に来てから、ああ、ちゃんとしなくてもいいんだって思えるようになったんです」

2015年、横浜市は寿地区の簡易宿泊所の住人に対して、平成4年から実施されていた住宅扶助の特別基準の適用をやめることを決定した。その結果、住宅扶助の受給額は6万9800円から一般基準の5万2000円に引き下げられることになった。

現在、簡宿の宿代は水道光熱費込みだが、この引き下げで経営が厳しくなれば、住人から水道光熱費を徴収せざるを得なくなる。そうなれば、住人の生活は急激に逼迫し、寿町への新規の流入は激減するだろう。横浜市はこれを契機に、簡易宿泊所から一般のアパートへの転居指導を強化しているという。

寿町は横浜スタジアム、中華街、元町といった横浜の観光名所や、カジノの候補地(山下埠頭)にも近い。そんな一等地をドヤ街にしておくのはもったいないと考える人は、多いだろう。

だが、家族にも施設にも病院にも見放された人物が、なぜか寿町では生きていけるのだ。この町にはやはり、どんな人でも受け止めてしまう不思議な力がある。

「私、ここで働くようになって、どんな人でも少しの手助けでその人らしく生きられるなら、私ひとりでも、その人らしく生きてほしいと願うようにしようって思うようになったんです。ここにいる人たちは何よりも自由を大切に生きてきた人たちだから、最後までその人らしく暮らしてほしいって、願っているんです」

こう言うと、清川はひとすじの涙をこぼした。

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山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』 (朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』(朝日新聞出版)などがある。

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(ノンフィクションライター 山田 清機)

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