下半身麻痺で「死にたい」と泣く母に、「死んでもいいよ」と放った娘のホンネ
プレジデントオンライン / 2020年12月6日 11時15分
■母は病気で下半身麻痺、弟はダウン症をもつ一家
【乙武】岸田さんと初めてお会いしたのは、昨年の今頃かな?
【岸田】そうですね。乙武さんが、義足プロジェクトについて書いた『四肢奮迅』(講談社)に関するインタビューをやらせていただきました。めっちゃええ本でした。
【乙武】ありがとうございます。岸田さんも大活躍ですね。新刊『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』がすごい評判。
【岸田】ふふふ。長いタイトルだから、覚えられない方がいらっしゃって、朝日新聞とか大きな新聞の広告に載ったときは、書店に「家族愛の本ください」とか、「『愛していると言ってくれ』の本ください」とか。帯を阿川佐和子さんが書いたので「阿川佐和子さんの本ください」とか。
【乙武】だいぶ変わってきた(笑)。当然、家族についての本を書いているわけですが、少し家族の紹介をしていただいてもいいですか。
【岸田】はい。まず、お父さんがおりまして、私が中学2年のときに突然死している。心筋梗塞でした。中学2年生のときは思春期なので、亡くなる前日まで大げんかしてしまって、「お父さんなんて嫌いや、死んでまえ」というのが最後の言葉でした。私にとって後悔の対象です。
次にお母さんですが、私が高校1年生のときに、大動脈解離という、大きな病気をしてしまって、その手術の後遺症で下半身が完全に麻痺してしまいました。いま、車椅子で生活しています。
最後に弟です。生まれつきダウン症、つまりは知的障害があります。
■“お通夜状態”より、楽しいことを伝えたかった
これだけだと、すごい大変な女の子みたいに言われることがあるんです。
自己紹介をするたびに家族の話にさしかかるとお通夜状態なんですよ。飲み会とか合コンとかでもそうなってしまうので、もう何度も自分で言うの嫌やなあと思った。もちろん苦しいこととかつらいこととかたくさんあった。でも、それよりも、家族といてすごく楽しいということを伝えたいんです。
私の家族の素敵なところ、愛してるところをもっとおかしく面白く伝わってほしいと思って書き始めたエッセイが、この本です。
【乙武】なるほどね。まあ俺もこういう体で生まれてきたから理解できるのは、勝手に周囲が不幸を押しつけてくることだよね。
「なんか本当に境遇が、ううっ……」という具合に、勝手に言葉を詰まらせてしまう。こちらとしては、いやいや、そんなでもないよ、という感じなんだけど。
【岸田】「かわいそう」と言われると、向こうは励ましたつもりでも、こちらとってはどんどん呪いのようになってくる。「あ、私、かわいそうなんだ」とか「不幸でいなきゃだめなんだ」というふうに。不幸でいることに慣れちゃうのがよくないなって思ってます。
■死にたいと泣く母に「死んでもいいよ」
【乙武】今回の本は、書くに当たって、新たに家族に取材とかも?
【岸田】いいえ、どちらかというと自分に取材するほうが多かったんですよ。
【乙武】自分に取材? どういうこと?
【岸田】「なんで、あのとき、私、こんなこと言ったのかな」とか、「あのときどう思ったんだっけ」とか、振り返るということです。
もう家族に取材といってもほとんど雑談。「あのときこんなことあったけど、どう思ってた?」というレベルです。「どうも別に。あんとき食べたハンバーグおいしかったね」みたいな返答がきて終わりです。
だから、本になってからお母さんから、「あんた、こんなこと思ってたんやね」と感想がかえってきた。「同じ家族でたくさんのことしゃべってたつもりでも、やっぱり家族って近くにおるから一番わかり合えへんな」とも言われたんです。
それは嫌な意味じゃないんです。私はお母さんに「歩けなくてもう不幸だから死にたい」とお母さんから泣きつかれたとき、私は「死んでもいいよ」と答えました。
【乙武】これだけだと衝撃的なエピソードですが、真相は岸田さんの軽ーい気持ちと、お母さんの深刻な気持ちにラグがあったという話でしたよね。
【岸田】そう、詳しくは本をお読みいただきたいんですが……。結果だけいうと今回、本を読んで「あ、こういう気持ちで言ってくれたんや」「それは笑い話やわあ」となった。本を書いたことで、家族にとっての共通解釈というか、記憶を再認識できました。子はかすがいと言いますけど、うちは本がかすがいになりました(笑)。
■字が書けない弟がページ番号を書き、完成した
【乙武】弟さんとの関係性は、この本を書く過程において、もしくは本を出してから変化した部分ってあったりします?
【岸田】関係性は変わらなくてめちゃくちゃ仲いいんですけど、一緒に外出してもほとんどしゃべらないんです。これは弟が話すのが難しいというのもあるんですけど、一番は、お互い黙っていても間が持つし、心地よい関係性だからです。
【乙武】大人になって、黙ったままで一緒にいられる相手って貴重だよね。
【岸田】はい。字が書けない弟ですけど、私が本を出すって「ページ番号を書いて」と言ったら「よっしゃ」と、1~9まで全部練習をしてくれた。弟のオリジナルの数字をデザイナーの方がページに当てはめてくれて、弟も、お姉ちゃんの本を一緒に作ったと感じてくれたと思う。いや、私のほうが「この世の中で、なにも生み出してない人っていないんだ」と思えたというほうが近いかもしれません。
【岸田】弟みたいに知的障害のある人に対して、「生産性がない」「みんなに迷惑かけている」という過激な意見を、たまに見ることもあります。でも違うんです。
彼がそうやってペンをとってくれたから私はめちゃくちゃいい本ができたし、彼がいろんなところで私と遊んでくれるから、そのエピソードを本にできる。私の周りで、何かを作り出してない人はいない。誰かが誰かに影響を与えて、どこかでいいことが起きているという人間バタフライエフェクトみたいなことは常に起きています。
■相模原の障害者殺傷事件に思うこと
【乙武】いまのお話をお伺いして、勇気が要るけどお聞きしてみたいのは、そういう弟さんを持つ岸田さんにとっては、相模原で起こった障害者殺傷事件はどう思っていますか。特に犯人の「障害者とは生きる価値がない人間である」という主張をどう受け止めたの?
【岸田】めちゃくちゃ怖かったし、許せないですよ。でも、私のなかに、世の中を少し俯瞰できる私がいるのだけど、その私は「そう言ってしまう人がいるのはおかしなことじゃない」とも考えるんです。
【乙武】というと?
【岸田】それはもう究極の差別じゃないですか。それこそ小さい差別を、私の家族は普段から受けていました。こちらは差別だとも思わないぐらい、慣れてしまっています。いまでこそお母さんは、タクシーに乗れるようになったんですけど、3~4年前のタクシーは、車椅子を見ると、止まらずに走りさっていくことがあったんですよ。
【乙武】最近は研修も進んでいるし、スロープ付きの車両も増えてきているから少しは改善されつつあるけど、少し前は平然とそうしたことが行われていたよね。
【岸田】はい。それも差別なんだけど、当人が気付いていない。原因は悪気があるからではなくて、知らないから。それが大きくなっていった先に、極端な思考を抱く人も出てくるんだろうと思いました。
■主張もするが、まずは知ってもらうことが大事
【岸田】私は意外と「差別だ!」「許さない!」と激しい感情を持つほうじゃないんですけど、そうやって小さな、だけど傷つくことを見て見ぬふりしてたらいけないとも考えています。違和感はやっぱり言葉にしていかないと。
でもそれ、乙武さんならわかっていただけると思うんですけど、「私はこんなに傷ついた」といっても、人は敬遠しちゃうじゃないですか。だから、ユーモアを交えて伝えたりとか、押しつけではなく、まずは知ってもらう意識が大事だと思うんです。
【乙武】それは、『五体不満足』を書くときにまったく同じことを考えた。それまでの「障害者運動」は、それこそ拳を振り上げて、「権利をよこせー! こういう差別をなくせー!」というもの。そういった運動のおかげで制度が変わったり、設備が整ったりしたことは間違いない。そこに先人に対する感謝は絶対に持たなければいけないと思ってる。
【乙武】ただ同時に、自分は当時22歳だったんだけど、今後も、そのやり方一辺倒でいいのかなと。自分自身のキャラクターを考えても、なんか違うアプローチをする人間が出てきてもいい時期なのかなって思ったんだよね。
【岸田】間違いない!
【乙武】だから、いまでも権利主張型の活動をする方に対するリスペクトは持っている。同時に、自分には「なんか破天荒なやつ出てきたな」という見られ方のほうが合ってるのかなと考えているのね。だから、いまの岸田さんの話はめちゃくちゃ共感できるなあ。
■人は物語を選べたほうが幸せ
【岸田】ありがとうございます。私、人は物語を選ぶことができたほうが幸せだと思っています。世の中に物語は、たくさんあるんですよ。
障害のある人だったら、たとえば20年前は『五体不満足』という物語が一番有名だったから、「ああならないといけない」と思っていた人もいるかもしれない。その人はなれなくて辛かったかもしれない。
でも、いまはnoteとか、YouTubeとかでいろんな人の物語に接することができるし、自分でも発信できる。このことは、すごくいいことだと思っていて、乙武さんの小説『ヒゲとナプキン』も、その一つです。LGBTQの人が生きる新しい物語になりますよね。
【乙武】そうだよね。でも、岸田さんはいま発信側として、どんどんその影響力が大きくなっている。自らの存在を知られれば知られるほど、返り血を浴びることはない?
■執着しないことを決めた
【岸田】あります。言葉のコントロールができないところまで、言葉が飛んでしまうことがあります。ツイッターでリツイートが1万人を超えてくると私のことをまったく知らない人の目にも届く。書かれている言葉だけをとられて、つつかれたりとか、嫌われたり。本文を読んでないのに、そこだけ見て「なんだこの女は」と言われることも結構あって、正直、きついなと思ったんです。
ただ、自分の力でそうした状況を変えることは難しいから、自分が変わっていこうと思ったんです。執着しないということを決めたんですよ。
【乙武】執着しない?
【岸田】知らない人まで言葉を届けるの諦めるかわりに、たとえばnoteで、会員の人しか読めない記事を書くということです。
基本的には、私の言葉を信じて応援してくれる人だけに届けていくというスタイルです。あとは、ノンフィクションだけを書いていると、自分の過去を切り売りしていくのが、たまにつらくなる。これからはフィクション、小説を書いていこうと思っています。
【乙武】お! 楽しみ!
【岸田】なので、これからはライバルでございます。
【乙武】あらら。なんだかすごいライバルがでてきちゃったなぁ(笑)。みなさん、今後は岸田さんの小説も楽しみにしていただければと思います。(つづく)
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作家
1991年生まれ。兵庫県神戸市出身。2014年関西学院大学人間福祉学部卒業。在学中に創業メンバーとして株式会社ミライロへ加入、10年にわたり広報部長を務めたのち、作家として独立。2020年1月「文藝春秋」巻頭随筆を担当。2020年2月から講談社「小説現代」でエッセイ連載。世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。2020年9月初の自著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)を発売。
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作家
大学在学中に出版した『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、教育に強い関心を抱き、新宿区教育委員会非常勤職員「子どもの生き方パートナー」、杉並区立杉並第四小学校教諭を経て、2013年2月には東京都教育委員に就任。教員時代の経験をもとに書いた初の小説『だいじょうぶ3組』は映画化され、自身も出演。続編小説『ありがとう3組』も刊行された。『だから、僕は学校へ行く!』、『オトことば。』、『オトタケ先生の3つの授業』など著書多数。
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(作家 岸田 奈美、作家 乙武 洋匡)
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