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大迫傑を超える衝撃「安定収入を捨ててプロに」"30歳無名マラソンランナー"の勝算と夫婦会議

プレジデントオンライン / 2020年12月5日 9時15分

スタート直後、力走する福田穣(右、西鉄・当時)=2019年12月1日、福岡市内[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

今夏まで実業団の西鉄に所属していた福田穣がアフリカ拠点の「世界最強マラソンチーム」に日本人として初めて加入した。これまで駅伝にも注力していたこともあり、知名度はさほど高くないが、近年のレースでは好記録を連発。安定収入を捨てプロになる決心をした経緯をスポーツライターの酒井政人氏が聞いた——。

■アフリカ拠点「世界最強チーム」と契約した妻子持ちの30歳ランナー

2020年12月31日に30歳を迎えるマラソンランナーの福田穣はコロナ禍の今夏、大きな決断を下した。所属していた西鉄を退社して、「プロ」になったのだ。

やらなかったことを後悔するか。それとも、やったことを後悔するのか。社会心理学者のトーマス・ギロビッチは、人が後悔する約75%は「やらなかったことに対する後悔」だという。福田自身も「チャンスがあるのに、なぜ自分はつかみにいかなかったのか。あとで絶対に後悔すると思ったんです」と話している。

しかし、福田は妻子を持つ身。哲学者のフランシス・ベーコンは、「妻子がいると、運命の女神に人質をとられているようなものだ」という言葉を残している。日本の実業団チームに所属していれば、競技を引退後も会社に残ることができるが、福田はあえて別の道を選んだ。

一家の大黒柱として、福田は「マラソンランナー」という職業での勝算をどのように考えているのだろうか。本人にコンタクトを取ると、福田は電話で熱く語ってくれた。

■なぜ安定収入の実業団を辞めてプロになるのか?

福田は福岡県で生まれ熊本県玉名市で育った。大牟田高(福岡県)で全国高校駅伝(2度)、国士大では箱根駅伝(1度)に出場しているが、チーム内でもエースと呼べる存在ではなかった。実業団選手になった後も日本トップクラスの成績を残していたわけではない。

しかし、2017年8月の北海道マラソンが転機になった。同世代ナンバーワンといえる村澤明伸(日清食品グループ)と23秒差の3位に入ったことで福田の“本気スイッチ”が入ったのだ。26歳の時だった。

「北海道の前にマラソン練習を見直して、レース4カ月前から月間1000kmを走り込みました。その結果、大きな大会で初めて表彰台に立つことができました。もっと打ち込んでやれば日本代表になれるんじゃないのか、という気持ちになったんです」

そして2018年7月のゴールドコーストマラソンで2時間9分52秒の自己ベストをマーク。2019年9月のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)にも出場(22位)した。2019年12月の福岡国際マラソンと2020年2月の別府大分毎日マラソンでも2時間10分台で走破している。マラソンだけでなく、福田はチームの主力選手として実業団駅伝にも出場した。

「僕自身、駅伝が嫌いというのはないんです。でも、現実問題として10月のシカゴや11月のニューヨークシティなどの海外マラソンは、ニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)の予選会があるので出場しにくい。実業団選手として、駅伝は外すことができないですからね」

マラソンで結果が出るようになり、福田のなかでは世界各地のメジャーレースを転戦したい気持ちが芽生えていた。

「西鉄にいれば生活は保障されます。でも、競技を終えたときに後悔するんじゃないのかなと思ったんです。実業団選手は会社員なので、何かするときには、会社に許可をもらわないといけません。海外レースもそうですけど、ケニアで練習してみたい気持ちもありました。他にもイベントの参加など、自由にできないというところにもどかしさを感じていたんです。それならばプロになって、自由に活動できるようにしたい。引退後は指導者になるという目標もあります。引き出しをたくさん増やして、自分が指導者になったときに、経験談として伝えられたらいいなと思ったんです」

■プロ転向に反対していた妻が最終的に認めたワケ

今夏、プロになった福田は11月18日に新たな所属先と契約した。そのチームがすごかった。男子マラソン世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)、同世界歴代2位の記録を持つケネニサ・ベケレ(エチオピア)、ベケレが15年以上保持していた5000mと10000mの世界記録を塗り替えたジョシュア・チェプテゲイ(ウガンダ)らが所属する「NNランニングチーム」(以下NN)だったからだ。

NNはエヌエヌ生命保険がスポーンサードしており、オランダにあるマネジメント会社のグローバルスポーツコミュニケーションが主に運営している。チームの拠点(練習場)はケニア、エチオピア、ウガンダにそれぞれあるという。現在は60人ほどの選手が所属。大半はアフリカの選手だが、ヨーロッパの選手も10人ほどいて、アジア人では福田が初めての加入だった。

陸上界では大迫傑が米国を拠点にしていた「オレゴン・プロジェクト」に加入した以上の衝撃と言ってもいいだろう。大迫が海を渡ったのは22歳のときだが、福田は30歳を迎えるというタイミング。サッカーでいえば日本代表を経験したことのない30歳前後の選手が、欧州の超ビッグクラブに移籍する感覚に近い。

■なぜ「世界最強チーム」が加入を許したのか?

なぜこのような“奇跡”が生まれたのか。

それは福田が2020年2月に出場した別府大分毎日マラソンのフェアウェルパーティでNNのコーディネーターに、「ケニアの練習に参加させてほしい!」と直訴したのが始まりだった。

スタート直後、力走する福田穣(右、西鉄・当時)=2019年12月1日、福岡市内[代表撮影]
スタート直後、力走する福田穣(右、西鉄・当時)=2019年12月1日、福岡市内[代表撮影](写真=時事通信フォト)

「世界のトップは何をしているのか。単純に気になったんです。スピードスケートはオランダ、フィギュアや体操はロシアに行っていますよね。でも陸上は海外で練習する選手は多くありません。ケニアに行ったから強くなるわけではないんでしょうけど、ケニアの選手がやっていることを学んで、自分のものにできれば確実に力がつくと思ったんです」

近年はケニアで合宿する日本人選手は増えているが1カ月ほどの短期が中心。福田はケニアで長期的なトレーニングができないか考えていたのだ。当初はケニアでの練習参加依頼だったが、コーディネーターにプロフィールを送るとチームの加入を勧められたという。

「最初は本当に驚きましたね。コーディネーターからは『ユウキ(川内優輝=あいおいニッセイ同和損保)みたいで、うちにはそういう選手はいない』と言われました。福岡国際の2カ月後に別府大分に出たのが評価されたのかもしれません」

NNは、世界中のレースを転戦して、2018年のボストンマラソンを制した川内のような“強さ”を福田に感じたようだ。

■プロになると実業団時代のような安定した収入は得られない

上を目指すマラソンランナーにとっては夢のような話だが、家族を養う父親としては、非常に悩ましい問題になる。プロになると実業団時代のような安定したサラリーを得ることができないからだ。

福田はNNの話がある前に、プロになる相談を家族にしていた。そのときは、「プロでやるのは不安だ」と妻に強く反対されたという。しかし、「大迫みたいに海外のすごいチームに所属する感じだったらどう?」と聞くと、「それなら話が違う」と“条件付き”のプロ化は黙認されていたかたちだった。

ランナーの足元
写真=iStock.com/FOTOKITA
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FOTOKITA

NN加入の話が舞い込んだときは、「1年の半分はケニアに住むことなる。世界一のチームなので行ってもいいか? そこで絶対に成長があるはずなんだ」と福田が切り込むと、妻は快く認めてくれたという。

福田は大学卒業後、埼玉に拠点を置く実業団の八千代工業に所属していたが、義理の母が体調を崩したため、退社。夫婦の実家(熊本県玉名市)に近い福岡に拠点を置く西鉄に移籍した経緯があった。

家族思いの福田に感謝している妻は、「今度は自分がやりたいことをとことん突き詰めてやればいいよ」と夫の背中を押したのだ。

■世界最強チームの加入で広がる夢、現在、スポンサー企業を募集中

プロに転向しただけでなく、NNに所属できたことで福田の夢は大きく広がった。まず実業団時代のように駅伝の“縛り”がないため、好きなレースに出場できる。

「自分でレースを選択できるようになったことが最大のメリットですね。グローバルスポーツコミュニケーションは世界最大のエージェンシーなので、世界中のレースに出場できるようになると思います。練習もキプチョゲを育てた、パトリック・サングさんの指導を受けられる。そういうところも楽しみな部分です。日本の練習とは流れもパターンも違うと聞いていますから」

コロナ禍のため、まだ実現していないが、今後はレース前の2~3カ月間はケニアの首都ナイロビから約300km離れた標高2400mのカプタガトでマラソン練習を行う予定でいる。

なお、ケニアへの渡航費と現地滞在費はNNが負担する。その他にも金銭的なサポートはあるが、家族の生活費、国内のトレーニング費用(合宿などを含む)を考えると、十分ではないという。

実業団選手とは異なり、プロ転向後は、レースの出場料と賞金、スポンサーとの契約金、イベント出演料が主な収入になっていく。現在、スポンサー企業を募集中だ。

■2021年1月にケニアへ渡り、2024年パリ五輪を目指す

プロになったことで、トレーニングも自由にできるようになった。10月には神野大地(セルソース)とともにスズキアスリートクラブの長野・富士見高原合宿に参加。藤原新ヘッドコーチの練習メニューをこなして、自信を深めている。

福田は学生時代に、「実業団をやめてケニアに行くなんて夢にも思わなかった」というが、時代はどんどん動いている。マラソンの世界記録(2010年当時は2時間5分42秒)はこの10年間で8度も更新され、2時間1分39秒まで短縮。日本記録も3度塗り替えられて、大迫傑、川内優輝、神野大地などは既存の実業団チームに所属せず、プロとして活動するようになった。

「日本にプロランナーは何人かいますけど、まだまだ職業としての確立は難しいですよね。大迫君くらいの実力とネームバリューがあればいいですけど、神野君も箱根駅伝の活躍が大きかったと思います。でも、今後はプロになる選手が増えてくるんじゃないでしょうか。大会の賞金が公開されているのは東京マラソンぐらいですが、海外レースの多くは、サイトで賞金が公開されています。日本は金銭的なことが不透明です。レースの出場料や賞金、スポンサーとの契約金も公開すればマラソンランナーになりたいという夢を持つ子供が増えるかもしれません」

マラソン大会を上空から撮影
写真=iStock.com/ZamoraA
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ZamoraA

福田は12月6日の福岡国際マラソンに国内招待選手として出場する。さらに12月20日の防府読売マラソンにも招待選手として出場予定だ。両レースの参戦は川内優輝と同じ流れだ。キャリアと知名度では上の川内に連勝できれば名前を売るチャンスになるだろう。

「NN所属となったといってもまだチームとは一度も練習していません。福岡国際で自己ベストを出して、ケニアで本格的なマラソン練習をしたいと思っています。ベケレは38歳ですし、36歳のキプチョゲは40代だという噂もあります(笑)。キプチョゲは準備を大切にしているとスタッフから聞いていますし、いろいろと勉強していけば僕もまだまだ成長できる。1年で1分ずつくらい記録を伸ばして、3年以内に2時間6分台に行きたいと思っています。正直、大迫君が持つ日本記録(2時間5分29秒)はイメージできていません。でも、2時間6分台をマークできれば、次の扉が見えてくる。とにかく、プロとしてまわりを感動させられるような選手になりたいです」

福岡国際でNN所属としてのデビュー戦を終えた後は2021年1月にケニアへ渡り、2024年パリ五輪を目指して高速ランナーへと進化するつもりだ。

福田のような決断を下すのは簡単なことではない。なかには無謀だと笑う人がいるかもしれない。しかし、福田のチャレンジは日本陸上界の流れを変えるだけでなく、多くの人々を勇気づけてくれるだろう。

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酒井 政人(さかい・まさと)
スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)

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(スポーツライター 酒井 政人)

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