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「4Lの焼酎ボトルがずらり」そんな僕が4年以上の断酒を続けられている理由

プレジデントオンライン / 2020年12月12日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Igor Kutyaev

アルコール依存症から抜け出すには、どうすればいいか。「酒をやめるくらいなら、死んだほうがまし」。そう考えていたライターの宮崎智之さんは、もう4年以上も断酒を続けている。なにが宮崎さんを変えたのか。新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい』(幻冬舎)から、その一部始終をお届けしよう――。(第1回)

※本稿は、宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)の1章「ぼくは強くなれなかった」の一部を再編集したものです。

■本を読み、酒を飲んでいれば、「文学」だと思っていた

朝、鈍い日が照つてて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

『中原中也全詩集』(中原中也、角川ソフィア文庫)

中原中也の「宿酔」という詩の一節である。「千の天使がバスケットボールする。」。二日酔いの苦しさと、なんともいえない侘しさをこれほどまで的確に表現した詩人はいないのではないか。中原中也は、酒席で太宰治に「何だ、おめえは。青鯖が空に浮んだような顔をしやがって」などと罵って理不尽に絡んだり、中村光夫の頭をビール瓶で殴ったりといった伝説に事欠かない酒飲み、もとい酒乱だ。

中原中也で卒業論文を書いたからというわけではないが、ぼくもよく酒を飲んだ。文学部にいるうちは、本を読み、酒を飲んでいれば、一人前に「文学」に励んでいることになると思い込んでいた。過去の文学者に倣って大酒を飲み、「何者か」になったつもりでいた。

社会人になってからも、毎日とにかく、酒、酒、酒の日々……。365日、休みなく飲み続け、休肝日という発想は皆無だった。「酒をやめるくらいなら、死んだほうがまし」。本気でそう思い込んでいた。

しかも、何年もののロマネ・コンティ……なんて上品な飲み方ではなく、重要なのはアルコール度数だ。度数が高くて、値段が安ければなおいい。お金がなかった20代前半には、わざわざ遠方の酒屋まで歩いて、度数とリットル、値段を計算し、一番費用対効果が高い酒を探したものである。4リットル1800円ほどの安焼酎を背負って帰っていたのだから、当時のぼくには元気があった。

■「酒のない人生なんて、空虚で華もない。酒こそが人生だ」

度数至上主義。そう呼べば多少は聞こえがいいが、ようはただの馬鹿である。そのうえ、一部界隈では「早飲みの宮崎」の異名を取っていたため、4リットルの空きボトルが一気に溜まる。大学時代、ある先輩が「酒は飲むものではなく、消すものだ」とぼくに教えてくれた。世界中を放浪するのが好きで、偽物のトルコ絨毯をつかまされたことを笑って話してくれた先輩は、今どこでなにをしているのだろうか。

しかし、酒を飲んだって何者にもなれはしない。中原中也は酒を飲むから詩人だったのではなく、ただ単に「詩人であり、かつ酒飲み」であっただけなのだ。「平凡であり、かつ酒飲み」のぼくは、いつからか酒と上手く付き合うことができない自分に気づきつつも、それを認めることができないでいた。明確な破綻を迎える時までは。

酒を飲むと気分が良くなり、楽しくなる。気が大きくなり、全能感が味わえる。普段よりも積極的な性格になって、いろいろな人と語らい、仲良くなれる。酒のない人生なんて、空虚で華もない。酒こそが人生だ。そんなふうに思い込んでいたため、自分が酒をやめられる人間だとは思ってもいなかった。というか、酒のない生活がどういったものなのか、ぼくには想像することすらできなかった。

事態が急変したのは2016年5月。急性膵炎で二度目の入院をした際、医師から「金輪際、もう酒はやめてください」ときっぱり宣告された時である。神託を下すような、毅然とした物言いだった。

■「これからは休肝日を設けて、ほどほどに飲もう」

急性膵炎は、アルコール性のものが多いらしく、ぼくの場合は十中八九、アルコールに起因する症状とのことだった。「酒をやめるってことは、今後の人生、一杯も飲んではいけないってことでしょうか?」なんて野暮な質問はしなかった。なぜなら、一度目の入院の後、節酒に挑戦するも失敗した苦い経験がすでにあったからだ。

「飲みすぎたのがいけないんだ。これからは休肝日を設けて、ほどほどに飲もう」。

そんな計画が続いたのは、たったの1か月。入院のつらさを忘れた頃には、すっかり元の飲み方に戻っていた。いや、以前より酒量が増えたかもしれない。ダイエットでいうリバウンドみたいなものである。しかも、途中から「赤ワインは体に良さそうだから、いくら飲んでもオッケー」という謎のルールが加わった。これでは、焼酎がワインに変わっただけだ。赤ワインを口の周りにつけながら、行きつけのバーでくだを巻いていたぼくは、ワインを愛好する女優が亡くなったニュースを聞き、その場で膝から崩れ落ちた。

男性患者
写真=iStock.com/gorodenkoff
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gorodenkoff

そんなこんなで、二度目の入院と相成ったわけである。アルコールについては、今思えば笑い話になることもたくさんある。しかし、冷静に振り返ってみると、当時のぼくはやっぱり心が壊れていた。それをなんとか取り繕おうとアルコールを飲み、さらに心は壊れ、酒は深くなっていった。

■飲むことで、前妻との生活に向き合うことから逃げていた

どこかで歪みが生まれたのだろう。気がついたら、酒量が常軌を逸した量になっていた。それがいつからなのか正確な線を引くことはできない。「あそこかも」と思う地点もあるが、徐々に酒が日常を侵食して生活を覆っていった、というのが実感だ。

30歳の時に、ぼくは離婚した。理由を人に聞かれたら、「小さなすれ違いが重なって、ある時期から取り返しのつかない心の距離が生まれてしまった」と説明している。この説明に偽りはないが、その根底にはぼくの飲酒の問題があったのは間違いない。

どこかのタイミングで、酒が楽しむために飲むものではなくなっていった。仕事に集中し、気が高ぶり過ぎて眠れなくなった。強制的に仕事のことを考えなくするために、気絶するまで酒を飲んだ。そのうち、「執筆に弾みをつけたい」と、仕事中も飲むようになった。そして、仕事のストレスや、なかなか成長できない自分に対する自信のなさを忘れるための「物質」として、酒が手放せなくなった。

「効能」を求めて酒を飲むようになり、求める効能の数は次第に増えていった。効能が、ぼくの駄目な部分、嫌いな部分を治してくれると信じた。さらに、酒によって生じたメンタルや体のトラブルを、効能によって抑えようとすらした。DVや借金といった深刻な事態には発展しなかったが、前妻との生活に向き合うことから逃げていた。

■アルコール依存症は、自分では認めたがらないのが特徴

最後は目の前の現実から目を背けるため、朝起きた瞬間に酒を飲んだ。夜、泥酔してもう一歩も歩けない状態になっても枕元に酒がないと不安になり、千鳥足でコンビニまで酒を買いに行った。そして、また少し飲んで眠り、起きたら余っている酒に手をつけて、また酔った。当時、勤めていた編集プロダクションは出勤時間がゆるかったため、酔いが少し醒めてからシャワーを浴び、臭いを誤魔化して出社した。

離婚し、ぼくははじめて「人間の心は壊れる」ということを知った。心が壊れる瞬間の音を、リアルに聞いたような気がした。もちろん知識ではそういうこともあると知っていた。しかし、体は弱いけど、心はどちらかというと強いほうなのではないかと、自分では思っていた。心が壊れる音を聞いたとき、そうではないことを悟った。

でも、すぐにやめることはできなかった。酒を飲むと、心の弱い部分、壊れた部分が隠せると思っていた。飲んでいる間は、自分を強い人間だと信じ込むことができた。そして破綻を迎えたのだった。

シャワー
写真=iStock.com/ben-bryant
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ben-bryant

アルコール依存症は「否認の病」だと言われている。自分では認めたがらないのが特徴の一つなのだ。「アルコールを飲んでも大丈夫」という理由を自分で探して捏造したり、時には飲んでいることを隠したりする。振り返ってみると、ぴったりと当時の行動に符合する。

■アルコールに敗北したことを明確に認めた

医師から断酒を命じられたとき、ぼくが素直に受け入れられたのは、臓器が悲鳴をあげて下手をすれば命に関わる状況に陥りかねなかったからだけでなく、すでに気づいていたからである。ぼくは弱い人間であり、強くなろうとするたびにむしろ事態は悪化して、どんどん追い込まれていっていることに。だから、医師にはっきりと引導を渡されたとき、どこかほっとしている自分がそこにはいた。

一方、アルコール依存症は歴とした病気であり、心の弱さや根性のなさのせいにしてはいけないと、どこかの本に書いてあるのを読んだ。それもその通りなのであろう。なにかのきっかけがあれば誰でもなり得る病気なのだということを、断酒を始めてから理解した。

どちらにしても、素直に負けを認めることは重要なのだ、と医師からの宣告を聞きながら思った。楽しいこともあった。つらいこともあった。アルコールは厄介な友達だとわかっていたが、いつかは手なずけ、仲良く一緒に人生を歩めるようになると信じていた。でも、最後までそうはならなかった。いつしか率先して、悪友に手を貸すようにもなった。もちろんアルコールは一つの要素であり、他にもさまざまな問題があるのだろう。しかし、断酒を決意したとき、ぼくは少なくともアルコールに敗北したことを明確に認めたのだ。

■もし人生をやり直せるとしたら、いつ、どの地点に戻りたいか

断酒から4年以上経ち、酒を飲みたいと思うことも少なくなった。体調や精神が安定し、飲んでいたときより私生活も仕事も楽しめるようになった。以前よりも充実している。人付き合いは減ったが、もともと大人数の場は苦手であり、緊張感をやわらげて陽気に振る舞うために酒を飲んでいた節があったのだから、やめたならばやめたで必要な時や、自分が楽しめそうな時以外は、そういった場を避ければいいだけのことだ。たぶんこれから、さらにもっとよくなるはずである。酒のことなんて完全に忘れて、楽しい人生を歩んでいく。おそらくはきっと……。

一方で、ふとした瞬間、こんなことを考えてしまうことがある。

もし人生をやり直せるとしたら、いつ、どの地点に戻りたいか。

大学キャンパス
写真=iStock.com/Brian Niles
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Brian Niles

大学生に戻って、もう一度モラトリアムを楽しむか。受験生に戻って、もっと頭の良い大学を目指すか。部活動に熱中した中学生時代に戻るか。はたまたいっそのこと、母の胎内から出てきた、あの輝かしい瞬間からやり直すか。なかなか答えが出ない。どの段階に戻っても、結局はぼくの人生なのだから、結果は同じだろうとも感じる。

もちろん、それも本音ではあるのだが、ここでぼくは正直に告白したいと思う。ぼくにはできることならば戻りたい地点が、一つだけ存在するのだ。

■酒の魔力を覚える前の人生に戻ることができたなら

今でもちょっとしたことがきっかけであの酩酊感や全能感への誘惑が襲ってくることがある。もう4年以上もやめたのだから、今度は酒とうまく付き合えるのではないか。いや、一度でも依存症になると、もとの酒飲みには戻れないと聞く。とくにぼくなんて、きっと駄目に違いない。だいたい、一度目の急性膵炎の後だってそうだったではないか。今飲んだら、また同じことの繰り返しだろう。

でも、とぼくは思う。

でも、もし酒の魔力を覚える前の人生に戻ることができたなら、今度はあんなヘマは絶対にしないのに。アルコール依存症にならない程度のほどほどをわきまえて楽しむことが、ぼくにはできるはずなのに。それがいつのことなのか正確な線は引くことができないけど、「その地点」に戻ることさえできれば、今度こそは必ず。絶対に。

■自分の「弱さ」を忘れないよう、今日も断酒を続けている

だから、もし人生をやり直せるとしたら、ぼくは酒を覚える前の地点に戻りたい。また酒のある生活を取り戻したい。それが嘘偽りのない本音である。愚かにもぼくは、いまだ自分がアルコールに溺れることなく、コントロールできる人間だと心のどこかでは思っているのだ。

宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)
宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)

しかし、ぼくは飲まない。少なくとも今のところは、もう二度と飲まないつもりでいる。なぜか。意志が強くなったからなのか。

決してそうではない。事実はまったくの逆だ。ぼくは意志が強くなどなっておらず、相変わらず弱い。しかし、酒に手が伸びそうになったとき、ぼくを寸前で止めてくれるのは、むしろ「弱さ」のほうである。再び敗北するのを恐れる臆病な「弱さ」が、酒をコントロールできるという思い込みから、ぼくを少しだけ引き離してくれる。

それを何度も何度も繰り返して、日々を積み重ねていくしかないのだろう。自分の「弱さ」を忘れないよう、今日も断酒を続けている。

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宮崎 智之(みやざき・ともゆき)
ライター
1982年生まれ、東京都出身。地域紙記者、編集プロダクションなどを経て、フリーライターに。カルチャー、男女問題についてのコラムのほか、日常生活における違和感を綴ったエッセイを、雑誌、Webメディアなどに寄稿している。ラジオなどのメディアやイベント出演も多数。

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(ライター 宮崎 智之)

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