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「内容があれば多少の悪文は許される」79歳で年9冊書いた私の文章術

プレジデントオンライン / 2020年12月15日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fizkes

優れた文章とはどんなものか。「超整理」シリーズなどで知られる野口悠紀雄氏は「構造や文法が正しくても、読み手の頭に何も残らなければ意味がない。そのためには書き手の頭の中が整理されていることが重要だ」という――。(第4回)

■文章の構造を正しくするだけでは意味がない

「文章の書き方」についての本はいくつもあります。そこに書かれているのは主として「文章の構造をどう整えるか?」といった問題であり、こうした注意は大変重要なことです。ただし、多くの場合、これは校閲者の立場から指摘されるような事柄です。

文章の構造を正しくし、理解しやすくするための注意に従えば、そこに書いたことは理解してもらえるでしょう。しかし、「いっていることはよく分かったけれども、結局何も残らなかった」というのでは、意味がありません。

つまり、文章の構造を整えることは、必要条件ではあるのですが、十分条件ではないのです。逆にいえば、内容さえ充実していれば、文章がある程度の悪文であっても、許されるでしょう。

■伝えるに値する内容を作り出すことが重要

「文章の書き方」についての多くの本が強調するのは、「どのようにして人々の注意をひくか?」です。しかし、これだけに気をとられて、中身のない文章を書いても、しようがありません。いま、このようなことに人々の関心が過度に向きつつあるように思います。それは、見かけばかりを気にしている人にも喩えられます。世間では「見た目が9割」といわれますが、本当に重要なのは、身体を丈夫にし、生きがいのある生活をすることです。そうすれば、見かけはおのずと魅力的になるでしょう。

文章の場合も同じです。伝えるに値するような内容をどのように作り出すか。それが重要なのです。

■書き手が理解していれば文章はわかりやすくなる

書き手の考えが読み手に伝わるためには、まず書き手の頭の中が整理されていることが必要です。書き手がよく理解していれば、文章は読みやすくなり、分かりやすくなります。

野口悠紀雄『書くことについて』(角川新書)
野口悠紀雄『書くことについて』(角川新書)

逆に、書いている人がその内容をよく理解していないのであれば、あるいは、主張したいことがよく整理されておらず混沌としているのであれば、読み手が理解できないのは当然のことです。適切に構成されていない状態の考えをそのまま文章に書いても、読み手が理解できるはずがありません。

また、対象と考えている読者が専門家なのか、あるいは一般の人なのかを意識している必要があります。これによって、テクニカルターム(専門用語)や基礎概念などをどの程度説明するかに差が生じます。

一般的な読者を対象とする場合には、テクニカルタームについて説明することが必要です。難解なテクニカルタームをそのまま用いるのは、書き手が内容をよく理解していない証拠です。

また、「よく知られているように」とか、「といわれている」という表現が多い論述も、その内容について書き手がよく理解していないことを示すものです。

論理構造が正しくなくてはなりません。とりわけ重要なのは、必要条件と十分条件を区別することです。同じことですが、「逆命題は必ずしも真ではない」と意識することです。

■“必要条件”と“十分条件”を取り違えてはならない

このウエブ連載の第2回で、「始めれば完成する」と述べました。「始めなければ完成しない」というのは自明のことです。しかし、ここで主張したのは、その逆命題なのです。逆命題は必ずしも真ではないので、これは自明のことをいったわけではありません。

あるいは、必要条件をいっているのに、十分条件をいったと読者に誤解されることもあります。例えば、「日本の賃金を上げるには生産性の向上が必要だ」と主張したとします。それに対して、「では生産性が向上すれば、必ず賃金が上がるのか?」といった批判をされることがあるのです。

しかし、これは先の命題の逆命題なのであって、それを主張したわけではありません。指摘したのは、賃金を上げるための必要条件であって、十分条件ではありません。

■1500字程度のブロック単位で論述を構成

文章にはアイディアのひとまとまりの単位であるブロックがあり、文字数は1500字程度です。このブロックの中においても、文章の順序が問題になります。

結論と理由はどちらを先に書くのがよいのか? 結論を先に書いて、後からその理由を示すべきか? それとも、前提、仮定から始めて徐々に論理を積み上げ、最終的な結論を導くという書き方にするのか?

論理的には後者が正しい方法ですが、読者は結論を早く知りたいと思っているかもしれません。仮定の部分があまりに長いと、途中で放り出されてしまうかもしれません。

あるいは、一般的な命題を最初にいって、その後に具体的、ないしは個別的な事例を示すのがよいのか? その逆がよいのか?

これも難しい問題です。個別的なことだけをいっていると、全体として何を主張したいのかよく分からなくなります。他方で、一般的なことは抽象的で理解しにくい場合が多いので、最初にそれを出されると、読者は理解しにくいと感じるかもしれません。

■メールも箇条書きにするとわかりやすくなる

論述の順序は大きく以下の2つに分けられます。

(1)オーソドックスなスタイルは、最初にリード文、あるいはイントロダクションを書き、最後に結論を書きます。

(2)これとは逆に、「最初に結論を書き、それから理由を書く」というスタイルもあります。「最初に疑問、あるいは問題を提示し、それから種明かしを書く」というスタイルもあります。これは、読者を逃さないための工夫です。

どちらをとるかは、場合によって選択するのがよいでしょう。なお、論述の順序として「起承転結」がよい、といわれることもあります。しかし、通常の論述文にそのような構成は必要ありません。むしろ、「転」で話の筋道がそれまでから変わってしまうと、読者はまごつく場合が多いと思います。

箇条書きにすると、分かりやすくなります。メールの場合はとくにそうです。どこで改行するかも重要です。昔の文章では、1ページにわたって改行せずに続いているようなものがありますが、これでは読むのが大変です。その反対に、最近のウエブの文章は、文章ごとに改行しているものもあります。しかし、これではかえって読みにくくなってしまいます。

繰り返しや重複は避けたいものです。しかし、根絶は難しい課題です。頭の中に考えが残っているために、どうしても繰り返し出てきてしまうのです。

■仕上げは「文頭・文末の表現の重複」確認

いったん書いた文章は、何度も推敲する必要があります。話の進め方は適切か? 表現は分かりやすいか? などをチェックするのです。

校正
写真=iStock.com/AndreyPopov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AndreyPopov

このために特別の方法はなく、読むだけでよいと思います。文章を作り上げる作業に比べれば、ずっと楽です。

仕上げとしては、「文頭や文末に同じ表現が続いていないか?」をチェックします。「データなどを更新しようと思いつつ、そのままにしていた箇所はないか?」のチェックも重要であり、あれば、データを最新のものに更新します。

なお、私は、文章を書いているとき、後で見直すべき箇所やデータを入れるべきところに、***などの符号をつけています。文章を書いているときに、こうしたことをいちいち調べるのは面倒だからです。後でまとめて見直せば、精神的に楽です。

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野口 悠紀雄(のぐち・ゆきお)
一橋大学名誉教授
1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省入省、72年エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを経て、2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。近著に『経験なき経済危機――日本はこの試練を成長への転機になしうるか?』(ダイヤモンド社)、『中国が世界を攪乱する―AI・コロナ・デジタル人民元』(東洋経済新報社)ほか。 ◇野口悠紀雄Online

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(一橋大学名誉教授 野口 悠紀雄)

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