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「アルコール依存症になった弱い自分」を僕が文章で晒しつづけるワケ

プレジデントオンライン / 2020年12月13日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Photo's by Dre

ライターの宮崎智之さんは、亡き父から「宮崎家の男は酒を飲むと体を壊す」と何度も言われていた。しかしアルコール性膵炎で二度も入院するまで、酒を365日、休みなく飲み続けていた。なぜ宮崎さんは酒に溺れてしまったのか。新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい』(幻冬舎)から、その一部をお届けしよう――。(第2回)

※本稿は、宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)の4章「弱くある贅沢」の一部を再編集したものです。

■愛犬の前では、自分の弱い部分を素直に出せる気がする

愛犬が可愛くて仕方ない。愛犬を飼って驚いたのが、当たり前のことだけど、ペットには生活のほとんどが自分で出来ないことだった。エサ、排泄の処理、散歩などなど、基本的には飼い主まかせ。しかも我が愛犬は通称「ダラけいぬ」であり、最近では仰向けで寝て、挙げ句の果てには毛布に埋まり、広がった両足だけを外に突き出す。

まるで、映画『犬神家の一族』の「スケキヨ」みたいである。いくらなんでも、さすがに油断しすぎだ。こいつ自然界だったら生きていけるのだろうか、と心配になる。

もちろん、ペットなんだからそれでオッケーなのだ。野生に戻るなんてことはない。しかし、末っ子長男として育ったぼくは、ペットを飼うことによってあらためてそれを実感し、衝撃を受けたのだった。「生まれてはじめて、自分がいなければ駄目なやつが現れたぞ!」と。

愛犬のすごいところは、徹底的に「弱い」ところだ。人間との歴史によってそうなっていったにせよ、その弱さは衝撃的であり、またたまらなく愛おしいところでもある。犬は賢い動物で、飼い主が元気のない時にはしばしば寄り添ってくれる。愛犬の前では、なぜだか自分の弱い部分を素直に出せる気がする。弱いぼくらは支え合って生きている。

■理性や知性で了解しても、どうしても変えられない人間の愚かさ

長年、ぼくがずっと考えていることについて書きたいと思う。それは、人間の「弱さ」についてである。この厄介な問題は、ぼくの人生をいつでもどこでも付いてまわり、「弱さ」についての文章を書こうと思って、深夜に書きあぐねている今もまだ考え続けている。

ぼくが気になっている「弱さ」とは、理性や知性で了解したとしても、どうしてもそういうふうに生きたり、行動したりできない人間の愚かさのことである。ぼくに限らず、誰もがそういう「弱さ」を抱えていると思う。だから、あらためて書くことではないのかもしれないし、普遍的な言葉をつむぐのが難しい問題でもある。それでも、この「弱さ」について言葉で表現したい気持ちは常にある。

「弱さ」について考えるとき、こんなことを思い出す。

昔の職場で、上司同士がなにかのトラブルで険悪になり、片方の上司がまわりに相手の悪口を言い回った。その上司は発言力のある、いわゆる「声が大きい人」だったため、周囲は悪口を言われている上司を避け始めた。そもそもどっちが悪く、争いの種をまいたのかまではわからない。しかし、客観的に見れば、どう考えても最後は一方的ないじめだったと思う。

ぼくは、相手の上司とも仲が良かったから、いじめには加担せずいつものように接した。大人になってまでも、そんなことをしている人たちを、心底くだらないと思った。信念として、弱い者いじめには、意地でも抗いたかった。だけど、相手に事情を聞いたり、いじめを解決しようとしたり、起こっていることを部門長に報告したりはしなかった。相手の上司は、数か月後に会社を辞めていった。

■自分の人生に「離婚」という言葉が登場するとは

今になってみれば「なんで、あのとき一言……」と、我ながら情けなくなる。だが、当時はまだ20代前半で社会人になったばかり。職場での立場や当面の生活を考えると、信念を貫き通すことができなかった。無意識にぼくもいじめに加担していた。信念と保身を天秤にかけて前者を選ぶことが、ぼくにはできなかったのである。

正義を標榜することはたやすい。しかし、正義を貫きとおすのには胆力がいる。信念を掲げても、言葉が、体が瞬間的にはそう反応しない人間の「弱さ」。観念的な信念は、生活の利害関係と衝突すると脆く崩れ去る。ぼくの人生は、それの繰り返しだ。

結婚についても考える。ぼくは離婚するまで、まさか自分の人生に「離婚」という言葉が登場するとは思ってもいなかった。そんなに上等な家族観を持ち合わせていたわけではないけど、なんとなく結婚したら死ぬまで添い遂げるのが普通だと思っていた。結婚という制度とはそういうものなのだと深く考えもせずに信じ込んでいた。

離婚届
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

だが、婚姻届を出したからといって「今日から、ぼくは夫です」と社会的な役割や期待を引き受ける……、なんてことにはビックリするほどならなかった。制度はあくまで制度であって、人と人との営みを一つの形態に当てはめたものが結婚という制度に過ぎないからだ。その形態に当てはまらない夫婦だっていくらでもいるし、制度の不足分を補う約束を作ったとしても、そのとおりに心が駆動するとは限らない。

■離婚を経験するまで自分は心が強い人間だと思っていた

たとえば、渡辺ペコの漫画『1122(いいふうふ)』で描かれている「婚外恋愛許可制」について考えてみる。ささいなすれ違いでセックスレスとなった主人公の夫婦は、家庭外での恋愛を許可するルールを作った。はじめのうちは上手く機能し、むしろ夫婦仲は深まったくらいだったが、そのうちその制度は脆くも破綻する。人間の「弱さ」について勘案していなかったことが一因だ。二人で話し合い、理性で作った制度なら完璧だと思っていても、人間の「弱さ」を前提としていないものは、砂上の楼閣とほとんど同じである。

なにより人間は変わる。一方で結婚は、基本的には何十年スパンで考えなければいけないものである。主義や価値観が合った夫婦同士でも、時が経てばお互いどうしようもなく変わるし、老いもする。実際に、実家に帰ったら親が極端に偏った政治思想を持つようになっていて驚いた、なんてことはそこら中で起こっている。ひとりの人間の主義や価値観は不変ではない。

ぼくは、離婚を経験するまで自分は心が強い人間だと思っていた。どんなことも理性と知性の力で乗り越えられると信じていた。そうできない人は、努力が足りないのだと思っていた。もしかしたら、今でいう「自己責任論」なんかにも加担するタイプだったかもしれない。

しかし、すでに述べたように離婚により心は簡単に崩れ、たくさんの人やものにすがった。その一つがアルコールである。この「魔法の水」の前でも、ぼくは徹底的に弱くて無力な存在だった。

■「宮崎家の男は、酒に溺れると40代をまたげない」

そもそも父方の家系は大酒飲みが多く、「宮崎家の男は、酒に溺れると40代をまたげない」と、父から耳がタコになるくらい聞かされていた。酒を控え、健康的な生活を心がけていた父も、71歳で亡くなってしまった。にもかかわらずぼくは、二度もアルコール性膵炎で入院するまで、酒を365日、休みなく飲み続けていた。そんなんだから、とくに離婚してからは、常軌を逸した飲み方をするようになっていった。

ここで厄介なのは、医学的な真偽は置いておくとして、「宮崎家の男は酒を飲むと体を壊す」という父の知見を、ぼくは知っていたということである。知っていてもなお、アルコールに溺れてしまった。

父から子への口伝が駄目だったなら、仮にタイムマシーンがあって、ぼく自身が20歳のぼくを説得しに行ったらどうだろうか。説得できるだろうか。父の言うとおり、アルコール依存症になって体を壊したという情報を自分に伝えても、「まだ大丈夫」「もうちょっと大丈夫」「あと1年だけ飲もう」と“知っていてもなお”を繰り返したように思う。いつの時代も、親は子どもに「勉強しなさい」と言うものだ。

■「お酒は強いんですけど、心が弱いんです!!」

一方、母は「お日様が沈むまでは飲んじゃ駄目」と、ぼくに常々言っていた。ある日、お日様が沈む前からしこたま飲んでいると先輩から電話があって、実家の前のスナックで合流することになった。おじさんが石原裕次郎を歌っていた。ぼくもなにかを歌っていた。気づいたら救急車に乗っていて、傍らには母がいた。まさかの「ママからママへ」のバトンパスが行われていたのだ。

救急車
写真=iStock.com/Martin Dimitrov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Martin Dimitrov

若い救急隊員が、「お兄さん、なにを飲んだんですか」と聞いてきた。朦朧とする意識のなか、「よっ! 平成の裕次郎!!」と合いの手を入れたところまでなんとか時間を巻き戻し、「ウイスキーとテキーラ……とか」と力なく答えた。隊員は呆れた顔をして、「息子さん、お酒は弱いんですか」と母に聞いた。すると母は「お酒は強いんですけど、心が弱いんです!!」と絶叫したのだった。母さん、ついでに言うと体も弱いです。

なんだか書いていて、ぼくだけが特別に「弱いやつ」なんじゃないかと思えてきた。しかし、そうだろうか。酒の問題だけをとってみても、アルコール依存症の生涯経験者は100万人以上いるという。「アルコール依存症者の疑い」「問題飲酒者」まで含めると1千万人近くになる。社会環境や法整備、嗜好品への国民的な意識など、いろいろな問題はあるだろうけど、どんなに予防策をとっても一定数、アルコールと上手く付き合えない人が必ずいるように思う。

だから、同業の後輩たちが「仕事が終わったから、今日はこれをキメる」などとSNSでつぶやいて、度数の高いサワーをカジュアルに飲んでいる姿を見ると不安になる。「お酒は一生飲めたほうが楽しいよ」とよく言っているけど、どんなに注意しても常軌からこぼれ落ちる人はいる。危険な側面を理解していても、一定数は「弱いやつ」が出てきてしまう。それは意志の問題であるのかもしれない。けど、誰でも手に入るものである以上、自分が一定数に入らない保証はない。“知っていてもなお”そうなってしまう「弱さ」が人間にはある。

■理性が築いた文明のおかげで、ぼくは存在できている

信念を持っても貫きとおすことができない。理性や知性で判断しても失敗する。すぐ間違う。そして、それを繰り返す。少なくともぼくは、自分が「強いやつ」だとは、どうしても思えないのである。

とはいえ、ぼくは生きている。なんだかんだ言っても社会に溶け込んでいる。たぶん。そういう意味では理性が築いた文明のおかげで、ぼくは存在できているとも言える。たとえこぼれ落ちたとしても、医療や制度、人類が積み重ねてきた知見などがぼくを助けてくれた。でも、それはただ単に運がよかっただけだったのかもしれない。

遠藤周作の長編小説『沈黙』は、江戸時代初期の長崎におけるキリシタン弾圧を描いた作品である。同作には、キチジローという人物が出てくる。キチジローは、弾圧下の日本にポルトガルから来た司祭(パードレ)を、日本の信徒たちに引き合わす役割を担うのだが、役人に脅され、買収されて司祭を裏切る。踏み絵もすぐに踏む。信仰を貫いて殉教できるような「強いやつ」ではまったくない。

しかし印象的なのは、司祭が捕まってからも司祭の前に現れ、最後まで司祭にすがり見届けようとしたのは、ほかでもない裏切り者で臆病なキチジローだったのである。

■キチジローとぼくとの差は、「生まれた時代」という運だけ

いよいよ奉行による肉体的、精神的拷問が激しくなってきた頃、司祭が閉じ込められた牢獄の戸口に再びキチジローは現れる。「俺あ、切支丹じゃ、パードレに会わしてくいろお」と叫ぶが、獄吏から気が狂っている者のように扱われ、取り合ってもらえない。キチジローは、「パードレさま。許して下され」と戸口で絶叫して、こう嘆く。

遠藤周作『沈黙』(新潮社)
遠藤周作『沈黙』(新潮社)

「俺は生れつき弱か。心の弱か者には、殉教さえできぬ。どうすればよか。ああ、なぜ、こげん世の中に俺は生れあわせたか」

司祭は眼をつぶりながら、告悔の秘蹟の祈りを唱える。そして、司祭を五島の信徒に引き合わせ、得意になっていたキチジローを思い出し、「迫害の時代でなければあの男も陽気な、おどけた切支丹として一生を送ったにちがいないのだ」と思うのであった。

キチジローのことを考えると、「弱いやつ」の歴史こそが人類の歴史だったのかもしれない、とも思う。自然の脅威にさらされ続け、また、差別や偏見や権力欲がたくさんの血を流した。それでも歩みを進め、多大な犠牲をはらいながらも、徐々に「弱いやつ」が生きられる世の中に変化していった。過ちを繰り返す弱い人類は、現在も同じことを繰り返している。だけど、少なくとも今の日本では、信仰を理由に拷問されたり、殺されたりすることはない。キチジローとぼくとの差は、ただ単に「生まれた時代」という運だけである。

理性は少しずつだが、確実に勝利している。さまざまな戦いや試行錯誤を繰り返して。

■長沢節は「弱さの美」を称揚した人物だった

セツ・モードセミナーの創設者で、ファッション・イラストレーターの長沢節は、戦時中、軍国主義に突き進む日本に反感を抱き、軍事教練を徹底的にちゃかした。その結果、教練不合格になり、希望していた官立の東京美術学校(現芸大)への道は閉ざされてしまった。また、節が雑誌に描く人物画は、国籍不明、痩せて病的、胸に日の丸を付けていないなどの理由から執筆停止となった。戦争画は決して描かなかった。

長沢節『弱いから、好き。』(草思社)
長沢節『弱いから、好き。』(草思社)

長沢節は、「弱さの美」を称揚した人物だった。とくに、「細長いスネをもつ優しい男たち」の美を愛した。戦後に書かれた「弱いから、好き」というエッセイの中で節は、

男が強く頼もしいのではなく、孤独で弱い男性の美しさ……それは全く兵隊の役には立ちそうもない男性美。全く亭主の役にも立ちそうにない男性美として、それこそが現代の新しい男性像ではないかといってみたのである。

と記している。

痩せていて、骨ばったモデルばかりを好み、繊細な美しい線で描く節の人物画には、平和主義や反戦の思いが込められていたのではないかと、ぼくは思う。今となっては珍しくはないが、マッチョでたくましく、兵役をまっとうできる男性像がよしとされていた時代、またその名残があった戦後間もなくの時代に、「弱い男性美」を描くのは勇気と信念がいる行為だっただろう、とも。

■酒をやめられたのは、自分の「弱さ」を自覚したときだった

そう思ったとき、ほんのちょっとだけだけど、「弱さ」について違った側面が見えてきた気がした。

キチジローの嘆きや節の美学からぼくが受け取ったのは、「弱くある」ことは、とても贅沢なことである、ということだ。とくに、支配される者、虐げられる者にとっては、弱くあり続けられることは、贅沢なことだった。被抑圧者は、絶えず「強さ」か「弱さ」の二者択一を強いられる。そして、ときに「強さ」によって殉死し、ときに「弱さ」によって罪を背負わされ、またときに殺されたりもした。弱くあり続けることは、いつの時代だって困難だった。

考えてみれば当たり前だが、人類にとって、「弱さ」は「強さ」よりも常に先行して存在したはずである。だから、人類は紆余曲折を経ながらも「弱くある贅沢」を求めて、弱くても生きられる社会を目指してきた、と解釈することはできないだろうか。

ぼくはなにも、「弱さ」を開き直れ、と言っているわけではない。しかし、ぼくのアルコール依存症も、つまるところ「弱さ」を受け入れられなかったことに原因があったと思っている。体の弱さを顧みず「まだ平気」と父の忠告を無視し、精神的にも弱く、信念を持ち続けることもできないみっともない自分を少しでも「強いやつ」だと思えるよう、酒を浴びるように飲み続けた。酒をやめられたのは、自分の「弱さ」を自覚したときだった。

■「強さ」に固執する人は、裏を返せば「弱さ」を抱えている人

そして、「弱さ」への自覚は、弱い立場に置かれた者の気持ちに敏感になろうとする第一歩となるのではないだろうか。節の美学は、旧来の特権にしがみつき、「強さ」や頼もしさばかりをアイデンティティにしようとする現代の一部の男性たちに対して、「本当の贅沢を知らない」と警鐘を鳴らしているようにも思う。むしろ、「強さ」を誇示することによって、生きづらさを抱えてしまうのが現代なのであり、男性が「強さ」に固執しなければ生きられない時代は、めでたくもう終わった。ようやく性別に関係なく、誰もがお互いの弱さを支えながら生きていける時代が始まるのだ、と。

弱くあるのは贅沢なことなのに、それを粗末に扱い、捨てるなんてもったいないと思う。男女といった区別なく、ただ単に「人間」として他者を思いやる贅沢をぼくは享受したい。

しかし一方で、弱くあり続けることは、二項対立的に判断を求めてくる圧力に対峙し続けなければいけないということでもある。生活や保身のために「弱さ」を選ばなければいけない時点で、「弱くある贅沢」はすでに脅かされている。過剰に「強さ」に固執せざるを得ない状況に置かれるのと同じように、そこには強制力が働いているからだ。「強さ」に固執する人も、裏を返せば「弱さ」を抱えている人だとも言える。

■「弱いやつ」は、ある意味、未来の贅沢を先取りしている

自分の美しいと思うものを、踏みにじらないでも生きていけること。あらゆる二項対立を超え、人間が人間であり続けられること。人間の「弱さ」に敏感で、それについて常に思考し続けること。それこそが真の意味での「弱くある贅沢」だとぼくは思う。

宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)
宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)

そのために、ぼくはなにができるのだろうか。

遠藤周作は、殉教した強者だけではなく、踏み絵を踏んでしまった歴史が隠蔽する弱者にも声を与えたかった、ということが『沈黙』執筆の動機の一つだと語った。強くもなく、英雄でもなく、弱くて、脆くて、壊れやすく、ときに過(あやま)つ存在。現時点での人類の理性だけではこぼれ落ちてしまう「弱いやつ」の声を、ぼくもすくい上げていきたいと切に思う。

なにせ、ぼく自身がその「弱いやつ」なんだから、なんとも心許ないけれど、贅沢であるがゆえに、その時代を生きる困難さを抱えた「弱いやつ」は、ある意味、未来の贅沢を先取りした存在だとも言える。だから、やってみる価値はあると思っている。

その先にある、さらなる「弱くある贅沢」のために。

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*引用、参考文献
『1122』(渡辺ペコ、講談社、モーニングKC)
『沈黙』(遠藤周作、新潮文庫)
『「沈黙」について』(遠藤周作、1966年6月24日紀伊國屋ホール講演音源、新潮社)
『細長いスネをもつ優しい男たちの中で』(長沢節、文化出版局)
『弱いから、好き。』(長沢節、草思社文庫)
『長沢節物語 セツ学校と仲間たち』(西村勝、マガジンハウス)
『長沢節 伝説のファッション・イラストレーター』(内田静枝編、河出書房新社)

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宮崎 智之(みやざき・ともゆき)
ライター
1982年生まれ、東京都出身。地域紙記者、編集プロダクションなどを経て、フリーライターに。カルチャー、男女問題についてのコラムのほか、日常生活における違和感を綴ったエッセイを、雑誌、Webメディアなどに寄稿している。ラジオなどのメディアやイベント出演も多数。

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(ライター 宮崎 智之)

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