汚職まみれの中国企業を次々に暴く「カラ売りファンド」という殺し屋の正体
プレジデントオンライン / 2020年12月15日 9時15分
■名声を一躍高めた“激闘”
マディ・ウォーターズは、シカゴ・ケント法科大学院を卒業し、上海で弁護士や倉庫会社の経営者を務めた米国人、カーソン・ブロックが2010年にサンフランシスコで立ち上げたカラ売り専業ファンドだ。当時ブロックは弱冠32歳。ファンド名は、中国語の「渾水摸魚(こんすいばくぎょ)」(水をかき混ぜ、魚が混乱しているときに摸(と)る)という慣用句の渾水(muddy water)に由来する。
同ファンドの名声を一気に高めたのが、2011年のサイノ・フォレスト(嘉漢林業国際、本社カナダ・オンタリオ州)との“激闘”だ。
サイノ・フォレストは、裏口上場によってカナダのトロント証券取引所に上場していた香港の会社で、中国で商業植林事業を行っていた。売り上げは主に紙などの原料になる木材チップの販売で、ピーク時の株式時価総額は約60億カナダドル(約5222億円=2011年4月4日)に達していた。
2011年6月2日、マディ・ウォーターズは、「サイノ・フォレストは資産と売り上げを不正に膨らませている。同社の資金調達は何十億ドルものネズミ講だ」という39ページに及ぶ売り推奨レポートを発表した。レポートは同社が関係会社と循環取引(売買の相互発注)を行って、売り上げや利益をかさ上げしていることを証拠資料とともに示した。これにより20カナダドル前後だった同社の株価は3週間後には2カナダドル前後まで暴落した。
■警察も動いたがCEOは中国に逃亡
サイノ・フォレストは即座に反論。「マディ・ウォーターズの劇場的アプローチは自己の利益のためのものに他ならない。投資家は彼らのレポートに特別な警戒を払う必要がある」と訴え、独立調査委員会を立ち上げ、監査法人のプライスウォーターハウスクーパース(PwC)に調査を委嘱した。
一方、マディ・ウォーターズは第2弾と第3弾のレポートを発表し、疑惑を追及した。その後、資産運用会社のウエリントン・マネジメントやシンガポールの投資グループ、リチャード・チャンドラーが同社株を追加取得したため、7月の終わりには株価は8カナダドル程度まで戻した。
しかし、独立調査委員会の調査結果発表が遅れに遅れ、8月にはオンタリオ州の証券取引委員会がサイノ・フォレスト株を15日間の取引停止にし、詐欺の疑いで調査を開始したため、同社の会長兼CEOだったアレン・チャン(香港出身)が辞任した。
11月にカナダ連邦警察が同社の不正疑惑の捜査に着手し、四半期決算の発表が二度にわたって延期されるに至り、株価は再び暴落した。
2012年3月30日、サイノ・フォレストはカナダ破産法の適用を申請し、破綻した。2017年7月にはオンタリオ証券取引委員会が、同社および、アレン・チャンを含む同社の4人による詐欺を認定し、翌年3月にはカナダの裁判所がチャンに対して26億3500万ドルの損害賠償支払いを命じた。しかし、チャンらは中国に逃亡したままである。
■次々と上場廃止、倒産に追い込まれる中国企業
サイノ・フォレストの一件と並んでマディ・ウォーターズが注目を集めたのが、2013年の中国のサイバーセキュリティとモバイル・アプリケーション会社、NQモバイルに対するカラ売りだ。ニューヨーク証券取引所に上場していた同社の株価は約25ドルだったが4ドル前後まで下がり、2015年4月に共同CEOが辞任に追い込まれた。
これら以外でもマディ・ウォーターズは数多くの中国企業のカラ売りで成功し、「中国企業の殺し屋」の異名をとっている。中国河北省の製紙会社、オリエント・ペーパー(2010年にカラ売りし、株価は80%下落)、中国大連市の汚水・ガス処理業のリノ・インターナショナル(同、上場廃止)、中国本土で広告業を展開していたチャイナ・メディア・エクスプレス(2011年、上場廃止)、上海のデジタル広告大手、フォーカス・メディア・ホールディング(同、上場廃止)、シンガポールの食品会社オラム・インターナショナル(2012年、株価21%下落)、香港の資源・農産物商社、ノーブル・グループ(2015年、上場廃止)、乳製品製造のチャイナ・フーシャン・デイリー(2016年、倒産)などの案件で、圧倒的な実績を上げた。
■訴訟にも耐えうる正確で高い調査能力
カラ売りの利益は、カラ売りした価格と買い戻した価格の差額から、借株料、経費、売買手数料を差し引いた残額だ。借株料は通常年率0.4~1%、需給がひっ迫した場合は5~10%。売買手数料は0.05~0.4%程度。したがって一番のポイントは、どれだけ株価が下がるかだ。
カラ売りファンドは、カラ売りをしてから分析レポートを公表し、株価を下げて儲(もう)ける。ただし会社の内部情報を使うと、インサイダー取引になるので、有価証券報告書や統計など、公になっている情報を徹底的に分析し、名誉棄損訴訟にも耐え得る正確で緻密なレポートを書くことが必要だ。
サイノ・フォレストをカラ売りする際、マディ・ウォーターズは、法律・金融・製造業などの専門知識のある10人のチームにほぼフルタイムで2カ月以上も現地調査をさせ、関係機関や取引先への聞き取り、1万ページ以上の関係文書のチェックなどを行った。
■時には人工衛星や航空機で偵察する徹底ぶり
チームは、サイノ・フォレスト社が高収益を上げていると宣伝していた広東省雷州市の合弁企業のパートナーである同市の林業局を訪問し、サイノ・フォレスト社が出資金を払い込んでいないため、合弁が解消されている事実を突き止めた。また同社が主要取引相手としている5つの会社を実際に訪問し、そのうち29億ドル(約2348億円)の取引をしたという4社には実態がなく、唯一実態がある会社も、吹けば飛ぶような中小企業で、巨額の材木取引はできないことを明らかにした。
またサイノ・フォレストは2010年に中国雲南省臨滄市で2億3100万ドルの広葉樹の立木を売ったとしていたが、臨滄市林業局を訪問して事実関係を確認し、その販売量は中央政府が臨滄市に割り当てた切り出し量の6年分で、輸送のためには片側一車線の山道を5万台以上のトラックを走らせる必要があり、あり得ないことであると喝破した。
マディ・ウォーターズに限らず、カラ売りファンドは、常識にとらわれず、時には人工衛星や航空機による事業実態の偵察まで行い、何カ月もかけて徹底的に調査する。彼らに共通するのは、高い知性、偏執狂的な集中力、粘着質な性格、旺盛な独立心と反骨精神だ。筆者はエンロン事件以来20年近くカラ売りファンドの動向を追い続け、今般『カラ売り屋、日本上陸』(KADOKAWA)という経済小説で、米系カラ売りファンドと日本企業のさまざまな攻防戦を描いた。
■日本企業も目を付けられた
マディ・ウォーターズは日本では2つの案件を手がけている。
2016年12月、前年に発覚した東芝の不正会計の衝撃が残る時期に、日本電産を「永守重信会長兼社長の下、非現実的な経営目標を掲げ、目標から大幅に離れた結果しか出していない。M&Aを除けば、継続事業の成長率はほぼゼロで、株価は倍以上に過大評価されている」としてカラ売りした。
売り推奨レポートが発表された時点での日本電産の株価は9652円だったが、株価は、その後一貫してこの水準を上回り、現在は2万6190円まで上昇した(2020年に1株を2株にする株式分割を実施しているので、分割前と同じベースで比較)。カラ売りは失敗と言ってよいだろう。
2019年11月、東京大学発のバイオ医薬品企業で、独自の創薬開発プラットフォームによって医薬品の開発を促進するペプチドリーム(東証一部上場)の株をカラ売りした。カラ売りの理由として、①臨床試験まで進んだ開発プロジェクトはほとんどない、②公表している19社との共同開発プロジェクトは、一覧から抹消せずに公表している可能性がある、③公表している101本の研究開発プログラムの中に休止や消滅状態のものがある、等を指摘した。
■なぜ日本では結果を出せなかったのか
売り推奨レポートが発表された時点で5310円だったペプチドリームの株価は、今年4月に3265円まで下落し、その後、米メルク(化学・医薬メーカー)と特殊ペプチドを用いた抗コロナウイルス治療薬を共同開発することを発表したため、12月11日時点で5510円となった。株価が下がった時点で売っていれば、カラ売りは成功している可能性がある。
日本において、マディ・ウォーターズが中国ほど目覚ましい成績を上げられていないのは、中国企業(特に裏口上場で米国に上場したような会社)のような極端な不正会計が少なく、また同ファンドが優秀な日本人アナリストや情報ネットワークを獲得できていないためと思われる。
■「殺し屋」が狙う次のターゲットは…
最近、マディ・ウォーターズは“コロナ禍の勝ち組”をターゲットにし始めている。
今年5月、中国のオンライン教育プラットフォームでニューヨーク証券取引所に上場している跟誰学(GSX Techedu、北京)を「同社のユーザーの7~8割はフェイクで、実態は巨額の損失を出している。同社の会長は3億1800万ドル相当の同社株を担保に入れており、貸し手がそれを処分し始めれば、株価は暴落する」として売り推奨した。
11月には、中国のライブ配信大手でナスダックに上場している、歓衆集団(JOYY Inc.、広州市)を「歌やトークをライブ配信する芸能人らに対する投げ銭はロボットなどによるもの。同社の配信の9割はフェイク」として売り推奨した。
■医療関係、PC周り、デリバリー事業など
中国企業以外にも、4月に米国の民間医療保険販売プラットフォームを運営しているイー・ヘルス(eHealth Inc.)を、9月に米国の医薬品関連バイオテクノロジー企業、イノヴィオ・ファーマシューティカルズ(Inovio Pharmaceuticals Inc.)とイスラエルの医療画像診断・サービス会社、ナノ・エックス・イメージング(Nano-X Imaging Ltd.)を、11月に米国の医療分野のデータ分析・コスト管理サービス会社、マルチプラン(Multiplan Inc.)を、それぞれカラ売りした。
先に述べたペプチドドリームも、メルクとの共同開発が進まないと見れば、再びカラ売りするかもしれない。
世界的にも、“コロナ禍の勝ち組”として株価が上昇した医療関係、製薬、PC・IT関連、自宅エクササイズ機器、ホームオフィス用家具、食品雑貨のデリバリー販売、釣り具関連などに対して、根拠なく株価が上がった企業がないか見直しの動きがあり、マディ・ウォーターズの動きもこの流れに沿うものだ。カラ売りは結果が出るまで数年を要することもざらで、今後の攻防の行方が注目される。
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作家
1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学大学院(中東研究科)修士。銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務し、国際協調融資、プロジェクト・ファイナンス、貿易金融、航空機ファイナンスなどを手がける。2000年、『トップ・レフト』でデビュー。主な作品に『巨大投資銀行』、『法服の王国』、『国家とハイエナ』など。ロンドン在住。
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(作家 黒木 亮)
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